君の名は。SS スパークルMVif 夏恋⑤

「瀧、立花瀧です」
「私は三葉。宮水……三葉です」
彼に名前を告げる。
誰でもない、君に伝えたい。私の名前を……

 

夏恋⑤ 私が君にできること。

 

「え、ええと……」
瀧くんからの言葉を待っていると、さっきまでの勢いはどこへやら。顔を真っ赤にしながら口許を抑えている。
そんなに照れなくてもいいのに。そう思いながら、私の方から会話を振ってみた。
「……大丈夫ですか?」
「あ、はい!大丈夫っす。それじゃ……カフェでもどうでしょう……か?」

……カフェ?瀧くんと……かふぇぇ?
その単語に思わずドキッとする。あの頃は行きたくても二人でお茶なんて絶対できなかった。
そっか……逢えたんだもんね。そんなこともできるんだよね。
当たり前のことなのに、それが嬉しくて、照れくさくて。いつもみたいに毛先に触れて、自分の気持ちを落ち着かせる。
「……うん。嬉しいかな」
「良かった。それじゃ、行きましょうか!」
瀧くんもホッとした様子で、口許に笑みがこぼれている。
「行きたいお店とかありますか?」
「それじゃ……この近くでパンケーキの美味しいお店、どこか知ってます?」
入れ替わりの度にカフェに行って、瀧くんには申し訳なかったけどパンケーキをよく注文していた。一緒に居たのは司くんと高木くんだったけど、本当はね、君と一緒に食べてみたかったと思うんだ。

そんな私からの提案で、瀧くんの知ってるお店に行くことに。
東京の街中を二人で歩きながら改めて瀧くんを見る。私の記憶にある瀧くんから少し背が伸びたような気がする。横顔もなんだか凛々しくなっていて、少し緊張してしまう。一度目を逸らして歩いてみたけど、やっぱり気になってもう一度見つめてしまう。

そんな私の視線に気がついたのか、瀧くんの眼差しがこちらに向けられた。そこだけは変わらない、あの頃のまま、真っ直ぐ見つめてくる彼の瞳に、瀧くんに逢えたんだなぁって実感が湧いてくる。あのカタワレ時のように、いつか消えてしまう存在じゃない、ちゃんとすぐ隣に居るんだって、そう思ったら自然と口許が綻んだ。
でも、瀧くんはと言うと、慌てたようにフイッと視線を逸らされてしまった。
「ええと……宮水さんでしたっけ?」
宮水三葉です」
宮水と呼ばれることに違和感を感じて、敢えてフルネームで答えてみる。
「……いきなり、声かけてスミマセンでした」
軽く頭を下げながら、そんなことを言う瀧くん。
別に謝らなくてもいいんだけどな。そう思ったらつい口にしてしまった。
「謝るようなことなんですか?」
「あ、いや、そういう訳じゃないんですけど……」
困った顔してアタフタしてる瀧くんが可愛くて、少し笑ってしまった。
ちょっと意地悪しちゃったかな……?
「そんなに緊張しなくても大丈夫ですよ。あなたのこと、疑ったりしてませんから。あと……三葉です」
「え……?」
「名前で呼んでもらっていいですよ」
「いや、いきなりそんな……」
「呼んでみてください」

何かを期待するように、私は彼にそう促していた。
私にとって、君に名前を呼ばれることはきっと特別なことだと思うから。

立ち止まった瀧くんに合わせて私も立ち止まる。ビルが立ち並ぶ東京のありふれた歩道で二人向かい合う。
彼は照れくさそうに、
「三葉……さん」
と、私の名前を呼んだ。

「あ……」

……さん付け、か。

声を掛けられた時から、薄々気づいていた。瀧くんは私のこと、覚えていないってことを。
寂しい気持ちが入り混じるけど、私だっていう微かな想いだけで、あんなに一生懸命に声を掛けてくれたんだよね。
そのことに感謝しながら、はい……と微笑みを返す。

君は私のことを覚えていない。でも、私は君のこと、やっぱりこう呼びたいな。
「私も名前で呼んでいいですか?」
どうぞ、と促されると、私は想いを込めてその名前を口にする。

「……瀧くん」

自分の名前を呼ばれた彼は、少し不思議そうな顔になって私を見つめる。

瀧くん、瀧くん……

心の中で彼の名前を繰り返す。

本当はね、君に逢いたかった。ずっと君の名前、呼びたかったんだよ。
ねえ、瀧くん……
私の言葉はどんな風に君に届いているのかな?
すこしは喜んでくれてる……かな?

そんなことを願いながら、私は髪に結われた組紐にそっと触れた。

 

 


瀧くんに連れられ、やってきた小さなカフェ。
私はおすすめのパンケーキとアイスコーヒーのドリンクセットを注文。瀧くんは暑い夏にも関わらずホットのブレンドコーヒーを注文していた。
一息つくと、瀧くんは、私に声を掛けた理由を説明してくれた。
どこかで私に逢ったことがあるような気がしたこと。いつからか誰かを探しているような気がしていて、その誰かが私なんじゃないかと思ったこと。
何故?と聞いたら、きっと瀧くんは答えられない。だけど、自分でもうまく説明できないことを一生懸命、私に伝えようとしてる。だから、私も彼の言葉に真剣に耳を傾けた。

「あの……いつからそんな風に?」
「誰かを探しているってことですか?」
頷いた私に、瀧くんは不意に自分の手のひらに視線を落とした。
「はっきりとはわからないんです。ただ、去年の秋頃、俺、岐阜の飛騨の方に旅行に行って……」
そう言って自分の手のひらを見つめる瀧くんは、彼を忘れていた頃の自分自身の姿と重なって、胸の奥がズキリと痛む。
「その時にとても大事なものを失くしたような気がして……きっとそれからのような気がします」
「……それからずっと?」
「そうですね……。でも、今日こうして三葉さんに逢えましたから。きっとこれからは大丈夫なんじゃないかな」
そう言って笑顔を見せてくれる瀧くん。
「そっか……」

一度は瀧くんとの出逢いを拒んだことを、申し訳なく感じる。
夢で見ていた彼のこと。ずっともがきながら、私を探し続けてくれた。
それはとても嬉しくて、だけど……
「あの、もう一ついいかな?」
「あ、はい」
「失くした大事なもの、瀧くんは……覚えているの?」
「えっと……その辺の記憶は曖昧で」
気まずそうに首の後ろを掻きながら答えてくれた瀧くん。私は、彼が何も覚えていないことに少しだけホッとしてしまった。
「あ、でも、飛騨高山はいいところだったっていうことは覚えてますよ!食べ物は美味しかったし、色んな人に優しくしてもらえたし、景色もすごく良くて。三葉さんは岐阜の方に行ったことあります?」
「え!?あ、ええと……ない、かな?」
「そういえば、三葉さんってこっちの方の出身ですか?」
「いえ、その……地方だけど、すごく山奥の田舎町だったから瀧くんは知らないと思うよ」
とっさについてしまった嘘。どうしてか正直に言うことができなくて、話題を逸らすようにアイスコーヒーに手を伸ばす。喉を通る冷たいコーヒーはシロップを入れたはずなのに、どこか苦みが際立って口の中に広がっていった……

 


私も、自分のことを知って欲しくて色々と話をした。ただ、三つ年上の大学三年生だって知ると、瀧くんは複雑そうな顔をして大きくため息をついた。
ちょっとー!そこでため息は失礼じゃない!?
そりゃ、入れ替わってた頃は同い年だと思ってたけど、仕方ないじゃない!三年の時間差があったんだし。

……で、でも、瀧くんはそういう年の差、気にするのかな?
「……年上はイヤでしたか?」
つい、そんな風に聞いてしまった。
「いや、そういう訳じゃなくて!!むしろ年上の方が好きというか、いや、そうじゃなくて、俺は年上に弱いって友達が言ってて。ええと、何言ってんだ……俺」
大慌てで懸命に取り繕おうとする瀧くんの様子が面白くて、声を出して笑ってしまった。
確かに奥寺先輩といい、瀧くんは年上に弱いかもね。

……ハァ。
私も心の中で大きなため息が零れた。
そっか……覚えてない瀧くんにしてみれば、私は年上の大学生……か。
改めて感じる瀧くんとの年齢の差。瀧くんにとって、私はどんな風に見えてるんだろう?
「瀧くんは……まだ高校生ですよね」
「見てのとおりっす。高校三年です」
瀧くんは自分の制服を指さす。神宮高校の制服は当たり前だけどあの頃と変わってなくて。まだこれから何が起こるか知らないまま、互いにメッセージの中であーだこーだと言い合っていた日々が思い出される。
「懐かしいな……」
「え?」
入れ替わってた頃、心のどこかで制服姿の瀧くんとこんな風にデートしてみたかったんだろうなって思う。
私はもう高校生じゃないけど、それでも少しは夢が叶ったのかな?
少し嬉しくなってパンケーキを口に運ぶ。うん、やっぱり美味しい♪
だけど格別に感じるのは、きっと瀧くんと一緒だからっていうせいもあるんだろうな……

 

ストローでアイスコーヒーをかき混ぜる。カランと涼しげな氷の音色を聞きながら、改めて思いを巡らせる。

……夢か。
あの日見た夢を思い返している。
自分の目標に向かって一歩ずつ進み、私じゃない、別な女性と結ばれて、そして子供に囲まれて幸せな家庭を築いていく瀧くん。

心臓が早鳴っていく。
私が瀧くんを思い出した日。同時に気づいた、私が瀧くんにしてしまったこと……

私と瀧くんは本来、出逢うことはなかった。
だって、私はあの日、あの時に……死んでいたから。

宮水の力なのか、夢の中で入れ替わることで、『未来の瀧くん』と入れ替わることで、本来あるはずの未来を知り、歴史を変えてしまった。
あり得ないことだけど、今、私はこうして生きている。あの彗星で死んでしまうはずだった私や、糸守のみんながこうして生きていられるのは瀧くんのおかげ。
それは感謝してもしきれない。

だけど……瀧くんは別に私達を救わなくても、ちゃんと幸せになれたはずなんだ。

宮水の力があったから、私は瀧くんに会うことができた。
宮水の力があったから、私は瀧くんを巻き込んだ……

私にとって、かけがえのない高校二年のあの日々が、間違いだったなんて思いたくない。
瀧くんと入れ替わって、互いに心が通じ合って、だけど、出逢いはほんのわずかなひと時で。
だから、もう一度、逢いたかった。あの時言えなかったことを彼に伝えたかった……

でも……瀧くんにとって、それは本当に良かったことなのだろうか。
あれから四年、瀧くんにとっては一年くらい?
きっと忘れていた頃の私と同じ。答えもわからないまま、ずっと誰かを、何かを探し続けてきた。
私と入れ替わらなければ、そんな苦しい思いしなくて済んだのに。私と出会わなければ、もっと素敵で明るい人生があったかもしれないのに……

「瀧くん」
「はい?」
「今、こうして話をしてますけど……間違いじゃなかったですか?」

私はズルい。こんなことを瀧くんに聞いて。
あんなに一生懸命に声を掛けてくれた瀧くんの想いを試すようなことをして。
だけど、誰でもない、瀧くんの言葉が欲しい……

平静を装おうとしたけど、どうしても声が震えてしまう。
「私に声を掛けて、後悔……してない?」
「してません」
即答してくれた瀧くんに思わず泣きそうになってしまう。

……君は変わらないね

「根拠はないです。でも、探していた人はあなただと……確信してます。だから、後悔なんてしません、絶対に」

君はいつだって、真っ直ぐで一生懸命で……

「ありがとう……」

そして、ごめんね……
その力強い瞳がとっても眩しくて。つい、君の強さや優しさに甘えてしまいそうになる。

瀧くんが何も覚えていないのなら、きっと入れ替わりのことにも気づかない。
それなら、私がこのまま君の隣に居てもいいのかな……

どうしても彼に言い出せない自分の気持ちを誤魔化すように毛先に触れた。

 


「ありがとうございましたぁ」
会計を済ませてお店を出る。これからどうしようかな、そんなことを考えていたら、瀧くんから呼びかけられた。
「あの……三葉さんは、どこかで俺に会ったことある……そんな気、しませんでしたか?」
急な瀧くんからの問いかけ。あるのかもしれないね、そんな風に誤魔化してしまえばいいのに、言葉が出てこない。

私は……瀧くんに思い出してもらいたいんだろうか?
夢で入れ替わっていたことを、あの彗星にまつわる出来事を説明する?
きっと瀧くんなら、わかってくれるはず。
だけど……

どうして私たちは入れ替わったのか?
あの時は互いに気づけなかった、宮水の力が瀧くんを巻き込んだことを知って、拒絶されたら……?
それだけは……イヤだ。

今はまだ、どうしたらいいのかわからなくて。
「どうかな……?でも、瀧くんとは、また会いたいって思ってますよ」
そう言って無理やり笑顔を作る。
「え!?それじゃ、また……?」
見ただけで喜んでるのだとわかる瀧くんの表情に心底ホッとする。
「瀧くんさえ良ければ」
「よし!」
瀧くんが私を拒まないでいてくれるなら、今はまだ、このままで……


四ツ谷駅で瀧くんと別れ、家路につく電車の中。手に持ったスマートフォン、登録された『立花瀧』の名前に触れてみた。

逢えて嬉しかったはず……なのに。
どこか、彼への後ろめたさのようなものが、自身の心に影を作る。
あの頃のように心から笑えてないのは、全てをさらけ出してないせいなのか、それとも私が大人になって少し変わってしまったのか……
ただ、瀧くんへのこの想いに嘘はないんだと自分に言い聞かせるように、メッセージを送る。

『今日はありがとう。瀧くんに会えて本当に良かった』

*   *   *

翌日、海に誘ってくれた同級生には丁重にお断りした。好きな人がいるからって説明して。
「残念だな、その彼より早く出会ってればチャンスはあったかな?」
「でも、私、四年前からずっと彼のこと好きなんです」
「そりゃ参ったな」
「……誘ってくれてありがとう」
気に掛けてくれて、少しは嬉しかったんだと思う。だけど昨日、瀧くんに再会してわかった。やっぱり、私には瀧くんだけだって。
「その彼とうまくいくことを願ってるよ」
「はい、がんばります」

瀧くんと再会して数日。高校生と大学生の違いもあるし、私もアルバイトがあったりして、あの日から会えたのは結局二回ほど。学校帰りの放課後に、カフェで二時間ほど瀧くんの勉強を見てあげたり、何気ない会話をしたりして過ごした。
瀧くんは高校三年生。来年の大学受験に向けて、レストランのアルバイトもだいぶ抑えているみたい。
ウェイター姿を見てみたいな、なんて言ったら、『仕事に集中できなくなるからちょっと……』なんて照れた顔して答えてくれた。
うーん……瀧くん、年上に本当に弱いなぁ。言葉遣いも態度も何だかすごく丁寧。入れ替わってた頃の君なんて、人生の基本もわからないような、女心のわからない男の子だったのに。
そんな瀧くんとのやり取りを思い出して、つい笑みが零れてしまった。
「どうかした?三葉」
「え?あ、いや、なんでもないんやさ」
「ふぅん……」

週末、久しぶりに親友のサヤちんと待ち合わせて、ウィンドウショッピング。メッセージではしょっちゅうやり取りしてるけど、こうやって顔を合わせるのは一か月ぶりくらいかな。
「なあ、三葉?」
「なに?サヤちん」
「いい人できたやろ?」
直球ど真ん中。いきなり核心を突かれた。
「な、なんで……?」
「うん、女の勘……と言いたいところやけど、三葉との付き合い何年になると思っとるんよ」
そう言うと私の頬をツンツンつつく。
「顔、ニヤけとるで」
「ええっ!?」
そんなに顔、緩んでる?両手で頬に触れると緩んではいないみたいだけど、なんだか顔が熱い。
「ほぅほぅ……これは事情聴取しなくちゃいけんようやねぇ♪」
グイと腕を捕まれ、サヤちんに連行されるカタチで私達は某コーヒーチェーン店の自動ドアをくぐっていった。


「え!?まだ付き合っとらんの……?」
「だって、出逢って十日かそこらやもん……」
こっちだって色々あるんだから!そう思いながら、夏限定メニューってことで注文したドリンクに口をつける。うん、甘くて美味しい……♪
「しかも、相手は高校生って……」
「ええの!瀧くんは特別なんやから」
「へぇ……」
私の言葉に何か思うところがあったのか、私と同じ夏限定ドリンクのストローに指で触れるとそのまま考え込む。
どうしたのかな?そんな風に思っていると、
「その瀧くんって子、三葉がずっと探してた人?」
すごく優しい声でそう聞かれた。

その問いに私は答えることができなくて、窓ガラスの向こう側へ視線を逸らした。そんな私のあからさまな態度にサヤちんはため息を吐くと言葉を続ける。
「テッシーもな、三葉のこと、ずっと心配しとるんよ」
「うん……二人には感謝しとるよ」
大事な大事な幼馴染。瀧くんと私だけじゃ、あの彗星からみんなを助けることはできなかった。私達にとってもかけがえのない大切な二人。
「今はまだ、私もどうしたらいいのかわからないんよ……」
「彼のこと?」
私はうん、と頷く。
「好きなんやないの?」
「……大好き」
自分でも驚くくらい素直な感情に、サヤちんもまた驚いた顔をする。
「だったらええやないの、その瀧くんって子にさ、」
「ゴメン、サヤちん……」
言葉少なに親友の言葉を遮る。会話が途切れ、互いに暫く無言で飲み物を口にする。
ヒンヤリとしてとても甘いドリンク。今は当たり前のように口にしているけど、糸守にいた頃はこんなコーヒーチェーン店でも二人して憧れてたな。
ふっと糸守で過ごした何気ない日々が思い出される。昔からずっと一緒にいてくれる大切な親友……

「なあ、三葉?」
「なに?サヤちん」
「テッシーとな、つき合うことができたんは、三葉のおかげやと思っとるよ」
「なに言うとるんよ。サヤちんがテッシーのこと、本気で好きやったから、ちゃーんと想いが届いたんやさ」
三人で上京して、大学二年の時に漸くサヤちんとテッシーはおつき合いを始めた。まあ実際にはそれまでに色々あったんだけど、今は割愛しておこう。
「だったら三葉もさ、その彼のこと、本気で好きならちゃーんと届くと思うよ」
「……うん、ありがと」
それ以上、サヤちんは何も言って来なかった。
ちゃんと気持ちの整理がついたら、絶対報告するからね。
そう思いながら、親友の気遣いに心から感謝していた。

 

視界に遮るものが何もない山の頂。私は天空を見つめている。
どこまでも広い空と雲。世界を照らす太陽は間もなく沈み、夜の帳が下りようとしている。
上空を見上げれば紺碧の星空。そして太陽の最後の輝きはあたりを朱に染めて。
ほんのわずかな間に、世界の色をどんどん変えていく……

「カワタレ時……」
その光景を見とれるように呟く私。
と、同時に気がつく。
もう一人、同じ言葉を紡いだ人がいることを。
私はゆっくりと顔を横に向けていく。

――みつは……

目が覚める。
涙が零れていた。あのかけがえのないひとときを夢に見た。私にとって忘れたくない、とても大切な思い出。
嬉しくて涙が止まらない。
涙を止めることなく、私は手のひらを見つめる。
あの日もらった君の大切な想い。その三文字は消えてしまったけど、その想いは今でも私の心の中にずっと残ってる……

 

新宿駅近くの書店で時間を潰していると、瀧くんからメッセージが入った。
『今、学校を出ました。もう少しで行けると思います』
期末試験を控える私は、受験生の瀧くんと一緒にお勉強。会うための名目作りって気もするけど、それでもメッセージより顔を合わせられる時間は大切だよね。

『今、新宿駅近くの書店にいます。東口で待ってましょうか?』
瀧くんにメッセージを送信すると、すぐに返信が返ってきた。
『丁度、買いたい本があるので、俺がそこまで行きます』
入れ替わりの時と違って、同じ時代にいるって実感できて思わず嬉しくて、私もすぐさま返信を打ち込んだ。

 

彼を待ってる間、ファッション誌を手に取った。瀧くんって、どんな服装が好きなのかな……
夏らしい恰好をしたモデルさんの写真を見てたら、奥寺先輩のことが思い出されたけど、私はとてもあんな風にはなれそうにない。
一人苦笑いを浮かべながら、次に情報誌のコーナーにやってきた。夏のデートスポット、イベント情報の特集号か。手に取って表紙を開くと花火大会、海、夜景スポット、デザートバイキング、etc……
瀧くんは受験生だから、そんなに遊びには行けないだろうけど話題にはできるかな、そう思って一冊購入する。
会計の後に腕時計を見る。まだ瀧くん来ないかな?
もう少し何か読んでいようか、そう思ったところで、ふと今朝見た夢を思い出す。瀧くんと再会したせいもあるのか、最近よく昔の糸守の事が思い起こされる。何だか懐かしくなって書店の検索機に『糸守』と打ち込んでみた。

彗星災害にまつわる書籍が何件かヒットした。その中の一件。実家にも一冊ある、当時の糸守町の風景を映した写真集。検索された二階のコーナーへと進むと書棚を順に探していく。

糸守、糸守と……あった。

書棚の一番上。『消えた糸守町』と書かれた背表紙が目についた。つま先立ちになって、書棚に手を伸ばしてみる。
と、取れない……なんでこんなに詰め込んでるのよ。
気を取り直して、もう一度踵を上げる。
う、うぅん……もう少しで取れる……かな?

と思ってたら、横から手が伸びてきた。
「取りますよ」
「あ、すみません。え、瀧くん!?」
「えっと、これですか」
あっと思ってる内に瀧くんが本を引き抜く。と、その本の表紙に目が釘点けになった。
「……みやみず?」
不思議そうな顔で私を見る。
「えっと……うちの神社。今はもうないんだけどね」
とりあえず、そう言うしかなかった。
瀧くんから本を受け取るとページを開く。見開きのページ。今はカタチを変えた糸守湖。

ねえ、瀧くん。
君はやっぱり覚えてないのかな……

 

「ごめんね、瀧くんには言いづらくて」
歩道橋の上。彼の顔を見てられなくて、少し前を歩く。
さっきまで、コーヒーショップで糸守のことを話していた。
四年前の十月四日に彗星が糸守町に落下したこと。町は壊滅的なダメージを受けたものの、避難訓練中だったこともあって死者は誰も出なかったこと。自分の家は糸守町に代々続く神社の家系で、彗星の落下地点だった神社は消滅してしまったことなど……
瀧くんは、自分のことのように辛そうな表情をして黙って私の話を聞いてくれた。
「いえ、三葉さんが糸守出身って知らずに……。俺、前に飛騨の話とかして、気を悪くしてたらスミマセン」
「謝ることなんてないよ、私が言わなかったからだし」
謝るのは、むしろ隠していた私の方。
「ご家族は無事……だったんですか?」
聞きづらそうに言葉を選ぶ瀧くんだけど、心から心配してくれるってことは、ちゃんと伝わってくる。
「うん。みんな無事だったよ。妹の四葉、お祖母ちゃん、お父さん、親友も、糸守の人たち、みんな助かった」
ホッとしたような彼の反応が背中越しに伝わってきて、みんなが助かったのは瀧くんのおかげなんだよと、そう言いたくなる気持ちをグッと抑え込む。
そうだった……。瀧くんに言わなくちゃいけない一番大切な言葉を忘れてたね。

私は振り返ると、両手を合わせて深く頭を下げる。
「瀧くん……本当にありがとう」
「ちょっ!?なんで頭、下げてるんですか?」
「瀧くんにはちゃんと言わないといけないかなって」
「三葉さんって、たまによくわかんないことしますよね?」
「わかんない、か……」
「そうですよ」
瀧くんが悪い訳じゃない。入れ替わりの理由を知られたくなくて、思い出して欲しくないと思う反面、どうして思い出してくれないんだろうって思ってしまう自分もいる。

瀧くんは、覚えてないのかな……
私達にとってかけがえのない、あのひと時、カタワレ時の出逢いを。
あの時の想いは、私の中にあるだけで、瀧くんには残ってないのかな……

夏の夕暮れ時は、日中の日差しが眩しい分、どこか寂しい気持ちになる。
そんな気持ちを瀧くんに見透かされたのだろうか、あの日、再会した日のように、決意を込めた眼差しで彼は口を開いた。
「俺、前に飛騨に行ったことがあるって言いましたけど、本当は……糸守に行きたかったはずなんです」
「うん……」
「もしかしたら、あなたを探しに行ったのかもしれない」

瀧くんは、覚えて……ない。
それでも微かな想いだけを胸に、私を追い求めてくれる。

「私は……その時、東京に居たよ」
私はどうしたいのだろう?瀧くんに思い出して欲しいんだろうか、それとも知られることが怖いんだろうか。
自分の心の内がわからない。答えを出せずに逃げてしまう。
「そう、ですよね。……だけど」
いつになく真剣な表情をした瀧くんが、迷ってばかりの私の前に立つ。
「三葉さん……」
「はい」
「俺、やっぱり三葉さんのこと、特別な人だって思ってます。こんな言い方もなんですけど、運命みたいな……」

運命……?

あのひと時の逢瀬と同じ。優しくて、そして強い意志を持った瞳が私だけを見つめている。だけど、それが急に怖くなって、視線から逃げるように夕焼け空を見つめる。
瀧くんを一方的に巻き込んだ"宮水"の私が、瀧くんの"運命の人"でいいんだろうか……

糸守で自分の殻に閉じこもっていた私を強くしてくれた。
初めて人を好きになる気持ちを教えてくれた。
そして……私の命を救ってくれた。

「瀧くんの"運命の人"は、本当は……他にいるかもしれないよ?」

瀧くんからもらってばかりで、私は君に何かしてあげられたのかな?

「年下は……高校生はイヤですか?」
「そういうつもりで言ったんじゃないよ……」
「俺、三葉さんのことが、好きなんです!」
ハッとして瀧くんを見つめる。
大事な人、忘れられない人、忘れたくなかった人。あの日、あの時、私の手のひらに大切な想いを残してくれた人……
私は……君の人生を狂わせた。だけど、君が私を"好き"と言ってくれるなら、応えてもいいのかな……
「俺と、付き合ってください!!」
お願いします、と伸ばされた手。瀧くんらしい、まっすぐな想い。

握りしめた手を胸に当てる。
答えを出さなきゃいけない。ううん、答えはもう決まってる。
あとは私の覚悟だけ。

「……瀧くんさえ良ければ」

私は瀧くんが好き。
だから、これから瀧くんが望むことをしてあげよう。そして、入れ替わりがなければ瀧くんが掴めたはずのしあわせを、いや、それ以上のしあわせを、彼に届けよう。

結局『好き』と口にしないまま、私は彼の手を取った。

つづく