君の名は。SS スパークルMVif 夏恋⑥


最近、忘れられないあの時の光景を夢に見る。
カルデラ状の山の頂で、私は茜色の空を、輝く陽の光が山稜へと消えていく光景を眺めている。昼と夜が混ざり合う、人ならざるモノに出逢うと言われるその時間……
「カタワレ時……」
言葉が重なる。逸る気持ちを抑えながら、ゆっくりとあの人の方へと振り向く。

今日もまた逢えたね……

――みつは……

あなたに逢えて嬉しいな……

 

「ハッ!?」
カーテン越しでも夏の眩しい太陽の光を感じる。手を伸ばし枕元にあったスマフォを起動させると薄暗い部屋の中、ディスプレイの光が目に飛び込んできた。
時間はまだ朝の五時過ぎ。陽が昇るのが早くなっているとは言え、随分早くに目が覚めてしまった。
「……あれ?」
涙……?
拭って濡れた指先を見つめる。
私……なんで泣いているんだろう?目覚めても以前のような喪失感はない。だって瀧くんにはもう逢えたんだから。それどころか今はおつき合いもしてるし。
それなのに……
嬉しくて、そして……胸の奥が締め付けられる。

連日続く熱帯夜。今朝も寝起きは喉が渇いている。何か水分補給を、そう思って一度ベッドから起き上がる。
目を擦りながら、何気なしに壁際の姿見に映る自分の姿を見る。私の顔は瀧くんと入れ替わる前、糸守にいた時のような表情をしていて。
自分の立場と、それに応えるように周りの目を気にしながら過ごしてた日々。あの頃は、自分でも自分らしさがわからなくなっていた……

ねえ、あなたは何を隠しているの……?

鏡を見つめながら、心の中で自問する。
「瀧くん……」
気がつくと手のひらを見つめ、彼の名を呟いている自分がいた。


夏恋⑥ 途切れ。それでもまた……


瀧くんとお付き合いを始めて一週間ほど。
特に関係が大きく変わったってこともないと思うんだけど、それでも気持ちの問題かな?一応、私の人生初彼氏が瀧くんになったことは間違いないし、それはやっぱり嬉しい事実。
ちらりと、カフェの隣のテーブルで楽しそうに笑い合ってるカップルを見ると、私たちも同じように見られてるのかなぁと何だか感慨深い気持ちになる。

私は月末にかけて期末試験が始まったけど、瀧くんは明日から夏休み。今日は早い終業ということで比較的早い時間から二人で会うことができた。
「夏休みと言っても、受験生は大変だね」
「そうっすね。毎日の勉強に夏季講習。ハァ……折角、三葉さんと付き合えることになったのになぁ」
心底不満そうに呟きながら、コーヒーに口をつける。瀧くんは夏でもホットコーヒーなんだよね。暑くならないのかなぁ……?

「ちゃんと大学に合格できれば、一緒に色んな事できるよ」
諭すように言ってみたけど、瀧くんの顔はまだまだ不満そうで。
「まあ、そうなんですけど……」
ブツブツ言いながら、通学鞄から何か取り出した。
「あ、それ」
「え?」
首都圏のイベント情報が網羅された月刊情報誌。
「私も同じの買ったよ。……確か夏のイベント特集号だよね?」
「はい。あ、勿論、今年はそんなに遊びに行くつもりはないんですけど、その……三葉さんと話のタネにはなるかなって」
私も同じことを考えながら買ったことを思い出して、口許に手を当ててクスッと笑ってしまう。
瀧くんは開いた雑誌をこちらに向けるとテーブルに置いた。何頁にも渡ったイベント特集。この夏一番のおすすめ!彼女と行くなら!家族向けなどなど、イベント、スポットごとに大きな見出しが付いている。
「受験勉強もあるんですけど折角の夏休みだし!近場でいいんで、三葉さんとどこか行きたいんですよね……」
勢いよく切り出してきたかと思ったら最後はトーンが下がって、そのままいつもの瀧くんのクセ。照れた時に首の後ろを掻くクセ。
「三葉さんは、お盆とか実家に帰るんですか?」
「そうだね、お盆はやっぱりお墓参りもあるし」
「あ、お母さんの……スミマセン」
瀧くんは気まずそうにしてるけど、気にしなくても大丈夫。お母さんも、逢えて良かったねって喜んでくれると思うから。
帰ったら瀧くんのこと、いっぱいお話しよう。お母さんも今のままでいいんだよって……きっと言ってくれるよね?
「謝ることなんてないよ。今年は瀧くんのこと、お母さんに報告しなくちゃいけないね」
「え、あ、いや、よろしくお伝えください……」
顔を真っ赤にしてコーヒーカップを口に運んだ瀧くん。慌てたのか、熱ぃ!とか言い出す姿に思わず笑ってしまった。

あたふたしている瀧くんを見ながら、いいな、こういうやり取り、なんて思う。
私が高校三年の今頃は、糸守から離れて新しい生活に少しずつ慣れてきて、東京目指して受験勉強して、そして、ずっと"君"を探して心が彷徨っていた……
あの頃に君に逢えてたら、どんな高校生最後の夏を過ごしていたのかな?
「でも、そうだね……折角だし、どこか行ってみようか?」
二人が出逢った一度きりの夏だから。だから、瀧くんに少しでも思い出をプレゼントしたくなった。
「え?本当ですかっ!?」
「うん。近場だったら瀧くんの勉強の負担にならないと思うし。でも勉強疎かにしてたら、キャンセルだからね」
「ちゃんとします!よっしゃ!なんか燃えてきた!」
拳を握りしめて嬉しそうにはしゃぐ瀧くん。良かった、喜んでくれて。

「三葉さんは、どこか行ってみたいところあります?」
「うーん……そうだね。どうせなら、夏らしいところがいいかな」
「それって海ですか!?プールですか!?」
目を輝かせて聞いてくる瀧くん。ちょっと、なんでその二択なのよ……?
「瀧くん……水着が見たいの?」
「い、いや、そういう訳じゃ!!」
顔を赤らめて否定されたけど、うん、瀧くんも男の子だね。声がうわずってるよ。

そんな感じで雑誌をめくっていると、夏の夜を彩る鮮やかな大輪がページいっぱいに広がっていた……
「花火大会……」
「ああ、夏って感じしますね」
そう言えば人混みはちょっと苦手で、こっちに来てから大きな花火大会なんて行ったことなかったな。でも、瀧くんと一緒だったら見に行ってみたい気もする。
「それじゃ、花火大会にしませんか?花火だったら夕方からだし、時間も決まってるから、勉強時間もそんなに削られないと思うんで!」
楽しそうに瀧くんは目を輝かせている。だから、私も大きく頷いた。
「うん、私も瀧くんと行ってみたいな」
「はい!」
それじゃどこの花火大会に行こうか?そんなことを話し合おうとした時、

ピロリン☆

不意にスマフォの着信音が鳴った。
「えっと……」
「あ、俺のっす」
自分のスマフォかと思ったけど、制するように瀧くんが先にスマフォを取り出してディスプレイを眺める。そしてそのまま驚きの声と共に瀧くんは固まってしまった。
「どうしたの?」
「あ、いや、バイトでお世話になってる先輩からなんですけど……」

バイト先の先輩……?思い当たる人は一人しかいないけど。

「奥寺先輩?」
「はい。……あれ?三葉さん、奥寺先輩のこと知ってましたっけ?」

あ、まずい……知らないことになってるんだった。

「ま、前に瀧くんから教えてもらったよ。綺麗な女の先輩なんでしょ?」
つい出てしまった言葉を取り繕うように、そう言って努めて冷静にその場を誤魔化す。瀧くんは特に疑問を持たなかったみたいだけど、その代わり何か言い掛けて、そのまま口を閉じて考え込むと、
「……み、三葉さんも綺麗だと思います」いきなりそんなことを言い出した。
「ちょ、瀧くん!!」
思っても見なかった言葉に思わず大声を上げてしまった。気づけば周りの人がこちらに視線を注いでいる。
「すみません、すみません……」
小さな声で呟きながら、二人で周りに頭を下げた。
「……気を遣ってくれてありがと」
「いや、別に気なんか……」
「い、言い慣れないこと言わなくてもいいんだからね!」
もうっ、あの頃の、同い年の瀧くんだったら、そんなこと絶対言いそうにないのに。
何だか照れてしまって、火照った体温を下げるように冷たいドリンクを口にした。

上目づかいに彼を見る。
あの日、瀧くんが告白してくれた日、私は決めた。
このまま瀧くんは思い出してくれなくてもいいって。そして、瀧くんがしあわせになれるように、彼が望むことはできる限りしてあげようって。
だって私は、瀧くんのことが好きだから。ずっと君の傍に居たいから……

でも、入れ替わってた私達と再会した私達の関係は少し違っていて。
私は瀧くんにとって三歳年上、大学生のお姉さん。あの頃と全てが同じようにはきっとならない。
だけど……うん。少しずつこの距離感に慣れていくしかないよね。

「それで、その奥寺先ぱ……奥寺さんはなんて?」
「いや……それがですね、『彼女に会ってみたい』って」
「……それって私のこと?」
瀧くんは、はい、と頷いた。どうやら私と瀧くんが付き合い始めたってことを奥寺先輩が知って、私達に会ってみたいってことになったらしい。
「無理しなくてもいいですよ?」
瀧くんの様子を見る限り、どうもそれ程乗り気ではない様子。
そういえば、瀧くんは奥寺先輩とデートしたことがあるんだもんね。私の前で何か言われないか心配してるのかな?
でも、私にとっては入れ替わりの時にお世話になった人。久しぶりに奥寺先輩と会ってみたい気がする。
「私はいいですよ」
「え……?」
「いつにします?」
「ちょ、ちょっと……確認してみます」
初対面だというのに意外にもあっさり承諾したことに瀧くんは驚いたみたいだったけど、奥寺先輩にメッセージを打ち込むとすぐに返信が返ってみたい。
「え?マジで……?」
「なんて?」
「今すぐでもいいそうです……」
どこか観念したような声で瀧くんは呟いた。

 

「あ、いたいた、瀧くーん♪」
ヒラヒラと白い手を振りながら奥寺先輩がお店にやってきた。夏らしく解放感を感じる服装。綺麗で色っぽさもあるけど、いやらしさを感じないギリギリのラインが絶妙。奥寺先輩が店内を歩くと、周りのお客さんもつい視線を向けてしまう。それほどの存在感。やっぱりお洒落でカッコイイな♪

「お久しぶりです、先輩」
瀧くんが立ち上がって会釈する。
「そうだねぇ。瀧くん、最近はシフト減らしてるもんね。ここ、いいかな?」
どうぞ、と瀧くんに促されて先輩は私と瀧くんの間の席につく。
「そうっすね、感覚忘れないように月一くらいは出ておきたいんですけど」
「まあ、受験が落ち着くまでは、焦らずしっかり勉強をやりなさい」
さて、と言うと奥寺先輩は私の方に視線を向ける。そして、暫くジッと私のことを見つめる。
久しぶり……と言っても、私にとっては約四年振りの再会だけど、私が知ってる奥寺先輩からは一年弱しか経っていないのか。
ただ、瀧くんの姿で会ってた頃の奥寺先輩と違って、どこか憂いを秘めた瞳がなんだか少し気になった。
「えっと……こちら、宮水三葉さん」
「はじめまして。宮水三葉です。瀧くんとお付き合いさせてもらってます」
瀧くんの紹介で会釈する。
「はじめまして。私は奥寺ミキ。瀧くんから聞いてると思うけど、同じバイト先で働いているの。それにしても、」
奥寺先輩は楽しそうな笑みを浮かべながら、今度は瀧くんに視線を振った。
「やるわねー♪たーきくん」
「え?何がっすか?」
「こんな年上の可愛い子、どうやって捕まえたのよ?」
「えっと……それは」
「だいたい水臭いじゃない、彼女できたのに、私に教えてくれないなんて」
「そもそも、何で先輩知ってるんですか……?」
「ふっふっふ……じゃーん♪」
瀧くんの質問に奥寺先輩は艶やかにデコられたスマフォを私たちの前にかざす。瀧くんと二人、そこに映し出されたメッセージに目を通すと……

>司『瀧のやつ、今日も年上彼女とデートです。男の友情なんてこんなもんですかね?まあ別にいいですけど』

「司くんから、色々聞いてるよー♪」
「な、何なんですか!その司とのホットラインは!」
「フフッ、なんだと思う?」
奥寺先輩は意味深な笑みを浮かべながら、スマフォを片付ける。
「……ったく、司のやつ」
二人のやり取りが面白くて、私はつい笑ってしまう。それに気づいたのか奥寺先輩が私の方に身を乗り出して話しかけてくる。
「ごめんなさいね、二人で盛り上がっちゃって。この司くんってね……瀧くんのクラスメイトなんだけど、去年、その子と瀧くんと私の三人で飛騨まで一緒に旅行に行ったことがあるの」
「先輩っ!!」
何故か全力で慌て出す瀧くん。どうしたんだろう?

「飛騨に旅行に行ったって話は、瀧くんから聞いてます。奥寺さんもその時、一緒だったんですね」
「そうなの。……でも、あれってさ、結局何しに行ったんだっけ?」
眉をひそめて、先輩は瀧くんの方に顔を向ける。
「いや、俺もその辺の記憶は曖昧で……」
「うーんと、旅行に行くって言いだしたのは瀧くんで、私と司くんで心配になって一緒について行くことにしたんだっけ?」
「俺はついてきてくれって頼んだ覚え、ないですけど?」
「えー、現地で色々食べたり、遊んだりして一緒に楽しんだじゃない?」
「それは先輩と司だけじゃないですかっ!」
「そうだっけ?まあ、とにかくね、バイト先の先輩後輩ってのもあるけど、瀧くんって何か放っとけないところがあるっていうか、私にとっても弟みたいな感じで、色々心配してたんだ」
そう言うと、私の顔を見て口角を上げる。そんな風に他の人を思い遣れる姿はとても自然で、そこはあの頃のまま変わってないなぁと感じさせてくれた。
私にとってサヤちんやテッシーみたいに。きっと瀧くんも奥寺先輩や司くん、高木くん達が支えてくれてたんだろうな。
私達の再会は、そんな周りのみんなのおかげ。そんな風に思えて、心の中で改めて周りの人達に感謝する。瀧くんも同じように感じているのか、微笑みながらコーヒーカップを口に運んでいた。

そんな感じで奥寺先輩との久しぶりの再会は和やかに進むと思ったんだけど……
で、瀧くん?と、ちょっとイタズラっぽい笑みを浮かべたと思うと、「ナンパして捕まえたって本当?」と、いきなり私たちの馴れ初めに突っ込まれた。
「ッ!?ゲホッゲホッ!!」
「た、瀧くん、大丈夫!?」
「な、何で知ってるんですか?」
「いいじゃない♪ねえ、宮水さん?瀧くん、その時どんな感じだったの?」
「え、えーと……」
それから瀧くんと二人、奥寺先輩からの質問攻めに合いながら、先輩の近況を聞きながら、楽しい時間を過ごした。

 

新宿駅近くのカフェを出た後、ちょっと寄ってかない?という奥寺先輩の提案で新宿御苑にやってきた。
都会の真ん中だっていうのに、こんなに緑いっぱいの場所があるんだね。真夏の苑内はすごく涼しいとまでは言えないけど、木々の緑を眺めたり木陰に居さえすれば、東京のビル群の中にいるより随分マシな気がする。

「三葉さん、何か飲み物買ってきますけど、何がいいですか?」
「じゃあ、何か水分補給できそうなものを」
財布を取り出そうとして、奥寺先輩の奢りだからって瀧くんに止められた。
「私が誘ったんだから、いいの、いいの」
「それじゃちょっと行ってきますね」
「頼むねー」

瀧くんを見送ると、二人で木陰のベンチに座った。
チラッと横目で奥寺先輩を見る。うーん、やっぱり素敵。年齢は同じくらいだと思うんだけど、この差は一体何なんだろう?瀧くんだった時はそんなに気にならなかったのに、何だか妙に緊張する。
「ねえ?宮水さん?」
「あ、はい!?」
急に呼びかけられて声が裏返った。
「ふふっ、そんなに緊張しなくても大丈夫だって」
「すみません……」
小さく頭を下げた私に、奥寺先輩はフゥと一息つくと、そのまま口を開いた。
「……瀧くんのことお願いね」
「え?」
「さっきも言ったけど、彼、ちょっと放っとけないところがあって、それもあるんだけど、」
それよりも、と目を伏せて奥寺先輩は続ける。
「去年の秋頃、うん、やっぱりあの飛騨旅行の後からかな、彼、少し変わってしまった感じで」
「あ……」

きっと私と同じ。誰かを、何かを、探し続けて心が彷徨っていたんだろう。
まるで自分自身が半分に欠けてしまったような気持ちで……

「普段はそうでもないんだけど、不意に何か喪失感というか悲壮感みたいな、危うい感じがしてね。例えば、大切な人を失ったみたいな?」
その言葉に私は何も言えずに俯いてしまう。
「ずっと心配してたんだけどさ、今日の瀧くん見たら少し安心した。随分元気になったみたいで」
「そう……ですか」
短い言葉の後、会話が途切れる。
草いきれの匂いが辺りに漂う。耳に聞こえてくるのは、騒がしいくらいの蝉の声。

「……一つだけ、いいかな?」
「なんですか?」
「初対面でこんなこと言うのは、失礼だって承知の上で言わせて」
いつもにこやかな奥寺先輩が、真剣な表情で私に向かう。私は無言で頷いた。
「ちょっと意外な気がしたの」
「意外……ですか?」
「……どこまで聞いているかわからないけど、私、瀧くんと一度デートしたことがあってね」

そのことは知っている。
ただ、瀧くんが助けに来てくれた最後の入れ替わり。彼の身体を通じて、私を助けようと必死になってくれた気持ちは伝わってきたけど、そのデートがどうなったかまでは私は知らない。
だから、瀧くんの想いを信じて、黙って先輩の言葉の続きを待った。

「でもね、失礼な話で笑っちゃうんだけど、瀧くん、私のこと誘っておきながら、本当は他に好きな子がいてね。まあ、あの時はまだ自分の気持ちに気づいてなかったみたいだけど」
奥寺先輩の話を聞きながら私は気づいた。先輩の想いに。だから、その後に続く言葉も驚きはなく受けとめていた。
「……実は私ね、その頃の瀧くん、ちょっと好きだったんだ」
先輩は少し上を見上げると、生い茂る葉の間から木漏れる陽の光が眩しいのか目を細めた。
「彼の成長とか変化を間近ですごく感じて。可愛くて、そして、なんか一生懸命で……。でも、それは私じゃなくて、瀧くんが本当に好きになった人の影響だったんだと思う」
懐かしむようにそう言った後、先輩はゆっくりと此方に顔を向け、私を見据える。
「その時、思ったんだ。瀧くんに相応しい人は、彼が彼らしくいられる人なんじゃないかなって。自分を隠すことなく、お互い成長し合える、そんな人なんじゃないかなって」
「知ってます」
「え?」
「瀧くんのことなら誰よりも知ってます。きっとあなたより」
瀧くんのことを一生懸命に心配してくれて、彼のことを見てくれている。
だけど……たとえ同性から見ても憧れの存在だとしても、瀧くんのことだけは絶対に負けたくない。

「ごめんなさい、怒らせるつもりはないの。ただ、」
「ただ?」
「今日あなたに会って思ったの。瀧くんだけじゃなくて、あなたも。そうね、瀧くんと宮水さん、ちゃんと二人でしあわせになって欲しいなって」
なぜかしらね?そう言って先輩は微笑む。
「あなたに出会えて、きっと瀧くんは失くしてたものを見つけたんだと思う。だけど、二人とも何となくぎこちない感じがするのは私の思い違いかな……?」
「奥寺……先輩」
彼女の言葉がやけに胸に刺さって、思わず視線を逸らす。そんな息苦しい雰囲気を打ち消すようにハツラツとした声が耳に届いた。
「お待たせしました!……って、何かありました?」
「ううん、何でも。ありがとね、瀧くん」
奥寺先輩はベンチから立ち上がるといつもの大人っぽい表情で瀧くんから飲み物を受け取る。その一つを私に差し出すと、耳元で囁いた。
「今、私ね、気になる年下の子がいるんだ。器用そうでいて、自分の恋より友情取っちゃう不器用な子。お互い、年下には苦労するね」
「え?それって……」
私の言葉に奥寺先輩はウィンクする。その表情は綺麗で大人っぽい雰囲気とはちょっと違っていて、とても可愛らしく見えた。

*   *   *

姿見を見ながら浴衣に袖を通している。浴衣を着るのは、入り混じる記憶の中では約四年ぶりになるのかな?
今日は花火大会。期末試験もある程度目途がついて、もうすぐ月も変わる。
瀧くんと会うのも一週間ぶり。奥寺先輩と会った、あの日以来……か。

――ぎこちない感じがするのは私の思い違いかな……?

そう言われても……
私は瀧くんのこと思い出したけど、瀧くんは私のこと、覚えてない。それに、あの頃みたいに私と瀧くんは同い年じゃないし……
自分らしく、と言われても、これが今の自分だと思うんだけど。

「瀧くん……」
今朝もあの夢を見た。自然と手のひらを見つめてしまう自分。
その時、姿見に映る私は、とても嬉しそうに微笑んでいた……


夕方、待ち合わせ場所になっている四ツ谷駅に到着した。
ええと……瀧くんは?
駅の改札を出て辺りを見回すと、あ、居た!スマフォをいじってるツンツン頭。浴衣だから走ることはできないけど、早歩きで瀧くんの側まで行くとトントンと肩を叩いた。
「瀧くん、お待たせ」
「あ、三は……」
あれ?瀧くん、どうしたちゃんだろう、ポカーンと口を開けたまま固まっちゃった。
「瀧くん?」
「………」
やっぱり無反応。
「たーきくーん?」
顔の前で手を振ってみる。
「ハッ!?」
あ、現実世界に戻ってきたみたい。
「大丈夫?」
「あ、いや、大丈夫っす!浴衣だとは思ってなくて……」
真っ赤な顔をして、いつもの三倍くらいの速さで首の後ろを掻く瀧くん。
「似合ってなかったらゴメンね。電車の中でも結構ジロジロ見られちゃって……」
「大丈夫です!すげー似合ってます!大好きです!!」
「あ、ありがとう……」
瀧くんってわかりやすいなぁ。私が今みたいに組紐を結んだ時はイマイチな顔してたのに。その辺りは前と変わってないかも。
「そ、それじゃ行きましょうか?」
「はい」
歩き出そうとして、急に伸びてきた手が私の手を取る。そっか、これって彼と花火デートなんだ……
その事に改めて気づいたら、何だか急に恥ずかしくなってきた。だから、小さく御礼を言うのが精一杯だった。

花火の打ち上げ場所近くの会場は混雑しそうだからって、遠くからでも花火が見える穴場スポットを瀧くんは探してくれていた。
二人並んで歩きながら、その場所を目指している。最近、夕方になると降り出すゲリラ豪雨も今日は心配ないみたい。ビル群の間から見え隠れする陽の光と綺麗な夕焼け空が、今日一日の終わりを告げる。
「カタワレ時……か」
「え?」
「ううん……なんでも」
陽が沈んだって私たちは終わりじゃない、瀧くんはずっと傍にいる。こうして一緒に花火大会にも来られた。
瀧くんは喜んでくれてるんだから。だったら、それでいいじゃない。

そして夜、花火大会が始まった。夏の夜空に花火が打ち上がる。少し会場から離れているから、ドーンという大きな音は少しズレて聞こてくるけど、それでも夜空いっぱいに光の花が咲き乱れる光景は、どこか幻想的で夢のように美しくて……
瀧くんと手を繋ぎながら、その光のカーテンをただひたすらに見とれていた。


「あ、三葉さん、こっちっす!」
帰りの電車。瀧くんに引かれて、空いた座席に並んで座る。
「疲れてませんか?」
「うん……ちょっとね」
花火が上がってる時は集中して見入ってたけど、こうして終わってしまうと、楽しい夢から覚めてしまったみたいで少し寂しい。
「花火、良かったね」
「俺も楽しかったです」
花火大会帰りの満員電車。そんな短い会話を交わして電車に揺られる。夕方近くからずっと浴衣の恰好をしてたせいなのか、花火大会が終わって一息ついたせいなのか、電車の振動がやけに心地よく感じて、気が抜けてしまうと同時に瞼にふっと重みを感じた……


いつもみたいに山稜に陽が沈む。

また君に逢えるね……

だけど、振り向いても君は居なくて。
「あれ……?」
どこに行ったの?
懸命に辺りを探し回るけど、君は何処にも居ない。
「ねえ……どこに居るの……」
切なく漏れた声と共に私は走り回る。目じりから零れた涙が後ろへと流れていく……
どこをどう彷徨ったのか、気づけば糸守にあった小さな踏切の近く。

――三葉……さん

呼ばれて私は振り返る。


「三葉さん、三葉さん……」
「ん……んん……」
目を開ける。目の前には瀧くんの……顔!?
「あ、ご、ごめんなさい!!」
電車に揺られながら、いつの間にか寝てしまっていた。しかも思いっきり瀧くんに寄りかかっていることに気づいて、私は慌てて起き上がった。
「もうすぐ下りる駅ですけど……家まで送ります」
「え、でも……」
「だいぶ疲れてるみたいだし、夜も遅いんで……お願いします」
「ん、わかった。お願いするね」
瀧くんは無言で頷く。それから瀧くんは何か考えこむように、声を掛けてもどこか言葉少なだった。

 

夢を見る。カタワレ時の夢。決まって瀧くんに会う日はこの夢を見る。
私が夢を見ることに何か意味はあるんだろうか……

「目が覚めてもお互い忘れないようにさ」
彼は私の右手を取ると、ペンで文字を書き込んだ。
「名前書いておこうぜ。ほら」
そう言うとマジックペンを私に手渡してくれる。
「……うん!」
あの時と同じ。糸守高校の制服を着た私は、手に持ったペンで書き込もうと彼の右手を取る。
「なあ、三葉」
「なあに?」
彼の手を見つめていると不意に名前を呼ばれた。

「……三葉が好きなのは、俺?」
「え?」
「それとも、」

――三葉さん

その声に振り返る。
そこは糸守の踏切。単線の短い線路を挟んだ向こう側。
夏服の制服を着た瀧くんが立っていた……

 

月は変わり、八月。今日は瀧くんと新宿駅の南口で待ち合わせ。
私は、今朝見た夢を思い出しながら、手のひらを見つめている。

「なんであんな夢、見るのかな……」

決めたはず。瀧くんの記憶が戻らなくてもいいと。
私は瀧くんから沢山のものをもらった。だから、宮水が……ううん、宮水である私が巻き込んだ瀧くんに、しあわせを届けるんだと。
そう、決めたはずなのに……

私は間違っているんだろうか?本当はどうしたいんだろうか?
そんなことが頭をよぎるけど、瀧くんを選んだことが間違いだなんて思いたくなくて、手のひらをギュゥと握りしめた。


時計を見ると待ち合わせ時間から少し経過していた。瀧くん、どうしたんだろう?と思っていると、「……三葉さん」と声がかかる。
「あ、」
瀧くん、と言い掛けて、口をつぐんでしまった。
いつもと違って、少しだけ瀧くんが怖い気がしたから。

その日は、お互い何となく会話が弾まなくて、ぎこちないまま時間を過ごした。
夕方、帰り際。出掛けはあんなに晴れていたのに、気が付けば空には大きな入道雲が覆い始めていて、そんなビルの合間から見える夏空に、感覚的に夕立の気配を感じた。
「雨降って来そうだね。瀧くんは傘持ってるの?」
私は念のため傘を持ち歩いていたけど、瀧くんの手に傘はなかった。折りたたみ傘とか持ってるかな?
だけど、私の言葉に瀧くんからの返事はなかった。

今日の瀧くん、ちょっと変。
雰囲気を変えてみようと、一呼吸おいて笑顔を作る。
「それじゃ瀧くん、勉強がんばってね!がんばったら、夏休みの後半に、またどこかに行こ?」
彼の顔を覗き込みながらそう言うと、不意に手首を掴まれた。
「瀧くん……?」
私を見つめる彼の瞳はいつもと違ってて。
「今日、うちの親父、出張で帰って来ないんです」
「え……?」
「うち、来ませんか?」

瀧くんの家に行く……
ただ、それだけのこと。でも、私の思い違いじゃなければ、つまりはそういうこと。
突然過ぎると言えばそうだけど、いずれはそうなることをわかってなかった訳じゃない。
嬉しいはずだし、考えすぎなのかもしれない。私が勝手に思い込んでるだけかもしれない。

……あの時、決めたこと。
瀧くんが望むことはしてあげようって。だから、
「いいよ……瀧くんが良ければ」
声が少し震えていたかもしれない。でも、これは私の正直な気持ち。

そんな私の言葉に、瀧くんの手がふっと解かれた。力なくダラリと腕が下がる。
「瀧くん……?」
「……なんだよ、それ」
「え?」
「俺が良ければいいって何なんだよッ!!」
「た、瀧くん、なに言って?」
「嫌なら嫌って言えばいいじゃないか!!」
「そ、そんなことないよ!!」

瀧くんの声に合わせるように雷の音が聞こえた。そして間髪入れず降り出す夕立。大粒の雨に慌てて傘を開く。
「瀧くん!濡れちゃうよ!!」
「三葉さん……」
瀧くんは、雨に濡れたまま棒立ちになっている。
「ねえ!瀧くんってば!!」
傘に入れようと近づくけど、瀧くんは私を拒むように一歩下がってしまう。
「自分の手のひらを見て、誰かを探し続けてる人、俺、よく知ってます……」
「……え?」
「気づいたんです。三葉さん、一度も俺のこと、『好き』って言ってくれたことありませんよね?」
「そ、そんなこと……」
自嘲するように笑うと、瀧くんは寂しそうに呟いた。
「三葉さんは、"誰"を探し続けてるんですか?……俺はその"誰か"の代わりですか?」
「違うっ!私は!!私は……」
それ以上、言葉を続けることができなかった。
入れ替わりの事実を、彼に知られたくないから?

違う……私、本当は……
瀧くんに……思い出して欲しかったんだ
今の瀧くんに、あの頃の瀧くんを重ねて見てたんだ……

「私は、私には……瀧くんしかおらんよ!!他の人なんていないんだよっ!!だけど、だけど!!瀧くんは何も!!」
涙が溢れてくる。止められない……
自分の頭の中がぐちゃぐちゃで、ただ瀧くんに申し訳なくて、だけど悔しくて、泣くしかなくて。

「ゴメン……」

ただ一言。
その言葉にハッとして顔を上げると、走り去っていく彼の背中が見えた。
「待って!瀧く……ん……」
追い掛ける勇気もなくて、ただ手を伸ばす。でも、そんなことで彼を捕まえることなんてできなくて、小さくなっていく背中が涙で歪んで見える。

「……私、やっぱり瀧くんの"運命の人"なんかじゃなかった」
もう届かないその手のひらを見つめると、自分を責めるように敢えて口にする。

私の中途半端な覚悟が瀧くんを傷つけてしまった。

「嫌われちゃった……」

全部言うべきだったんだ……
瀧くんを、自分を信じることができなくて、傷つくことを恐れて、言い訳を作って逃げてきた報いだ……

「でも、私、瀧くんのこと……」

瀧くんが好き。
この純粋な想いだけは、瀧くんに信じてもらいたい……

でも、どうしたらいいのかわからなくて、篠突く雨の中、傘を手に立ちすくむ。

その時、スマフォの着信音が聞こえた。震える手で鞄から取り出す。
「三葉やよ……」
耳に当てた電話の向こうから聞こえてくる、いつもの優しい声。
「ねえ、お願い……助けて、サヤちん」

つづく