君の名は。SS スパークルMVif 夏恋⑦


仰向けのまま、ボーっと天井を眺めている。
ぼんやりした中、微かなアラーム音が耳に届いて、焦点が定まらない視界の前にゆっくりと体温計を持ってくる。
「……三八度九分」
示された体温を口にすると、それを掴んだまま右手がベッドの上へと落ちた。
熱のせいか、思考がうまくまとまらない。でも、それくらいが丁度いい……
昨日、俺がしてしまったこと。

――嫌なら嫌って言えばいいじゃないか!!

――……俺はその"誰か"の代わりですか?

喧嘩っ早いと言われる俺。またやってしまった。よりにもよって三葉さん相手に、一方的に自分の感情をぶつけて……

「バカだな……俺」

最後の彼女の涙。

――私は、私には……瀧くんしかおらんよ!!他の人なんていないんだよっ!!だけど、だけど!!瀧くんは何も!!

何も……か。
本当に俺は三葉さんのこと、何もわかってない。
好きな人と付き合って、一緒に居ることができて、それだけで嬉しかった。楽しかった。
だけど……
三葉さんは、嬉しくなかったんだろうか……楽しくなかったんだろうか……

彼女のことが好きで堪らないのに傷つけてしまったことを、いや、好きだから、誰にも取られたくなくて、感情をぶつけてしまったことを後悔して、胸の奥が締め付けられる。
俺が……もう少し、彼女と釣り合うくらいの大人だったらこんなことにはならなかったんだろうか。

「ガキ……」

目を腕で覆う。瞼を閉じた暗闇の中、今は何も考えたくない、強くそう思った。


夏恋⑦ 信じる先に見えるもの。


「おー、瀧ー、大丈夫かぁ?」
ドアが開く音と共に親父の声が聞こえた。
「あぁ……」
そんな親父から逃げるように、背を向けるようにして寝返りを打つ。それでも力ない返事だったせいか、足音がこちらに近寄ってきた。
「熱、どうだ?」
「ん……」
親父に体温計を差し出す。
「三八度九分か……結構あるな」
「もう少し落ち着いたら……医者行ってくる。飯は腹減ってないから、適当に飲み物だけ買ってくるよ。……ああ、夕飯は悪ぃけど、親父の方で適当に済ませといて」
我ながら抑揚のない声。喋る力もあまりない。
まあ、雨の中、走り続けていれば……いや、これは三葉さんを傷つけた罰だな。

「お前なぁ、こんな時に有給使わないで、いつ使うんだ?」
ため息混じり、若干呆れたような親父の言葉に、俺は漸く顔を向けた。
「え……仕事は?」
「組織ってのは俺一人いなくても何とかなるもんだ。けどな、基本、放任主義だが、お前の父親は俺だけだぞ。そんな状態で一人で医者行って事故にでも遭ったらどうするんだ」
「でもさ……」
「こんな時くらいは親の言うこと聞け!あとで一緒に医者行くからな」
「あ……うん。わかった……」
この年になって、こんなこと思うのも何だけど、親父が居てくれることに正直ホッとした。

その後は、ボーっとしてよく覚えてない。
親父に付き添われて、タクシー乗って、近所の医者に行って。一応はただの風邪ってことらしい。貰った薬飲んで、水分補給しながら、ちゃんと寝てろってところで。

「今日は一日ゆっくり寝てろよ。夏風邪は拗らせると長引くって言うからな」
「あぁ……」
貰ったばかりの薬を飲むと、ふらつきながら自分の部屋に戻り、寝巻に着替えるやベッドに倒れ込んだ。
熱で寝苦しくても、横にさえなっていれば、そのうち、まどろみの中へ誘われる。
だけど、夢と現実の狭間のような感覚の中、俺はうなされたまま。
それは熱のせいなのか、夢のせいなのか、三葉さんを傷つけてしまったからなのか、それとも、そんな自分がイヤで仕方ないからなのか……

瀧くん……

想いが触れた……
気持ちがふっと楽になる。
暖かくて、優しくて、心配してくれて、俺を包み込むような想いに、身体が、心が安らぐ。このあったかい感覚、知ってる。だけど……なんだっけ?
わからないまま。だけど、それはとても心地よくて、俺はそのまま安心したように深い眠りへと落ちていった……

 

「……ん」
カーテンの隙間から陽の光が目に入る。ベッドから手を伸ばしてカーテンを少し開くと、窓の向こうに少し赤みのかかった空が見えた。
……随分、寝てたみたいだな。
そういえば、と額に手を当ててみる。だいぶ熱は下がったような気がする。
上半身を起き上げると水分補給用に枕元に置いておいたスポーツドリンクを口にした。
「ふぅ……」
そうして一息つくと、なんだか急に腹が減ってきた。そういや、朝から何も食べてなかったな……
ベッドから下りると少しふらついたけど、それでも午前中よりずっと視線も定まっていて俺は部屋の扉に手を掛けた。

「お、瀧、起きたか。どうだ?熱は」
「いや、計ってないけど、でも、だいぶ楽になった気がするよ」
「そうか」
安心したように頷くと、親父は椅子から立ち上がる。
「食欲はどうだ?」
「あぁ、腹は空いてる。何かある?」
「卵雑炊、食うか?」
俺が返事をする前に親父はガスコンロの火を点け、土鍋を温め始めた。
「え、マジで!?丁度、そんな気分だよ」
「そうかそうか、そりゃ良かった」
キッチンで何だかやけに嬉しそうに呟く親父の声を聞きながら、俺はリビングの椅子に腰掛けると、そのまま食事が温まるのを待つ。
そして数分後、俺の前に湯気が立ち昇る卵雑炊が置かれた。
「それじゃ、いただきます」
「ありがたく食べろよ」
「おう!……ん、美味い♪なんかホッとする味だよな、これ」
レンゲに盛った卵雑炊をフゥフゥと冷ましながら口に入れていく。いつもと出汁が違うのか?なんか食欲が進む。そうこうしてる内にあっという間に食べ終わってしまった。
なんだろう?この卵雑炊、美味すぎて、もう少し食べたいんだけど……
「あのさ……おかわり、ある?」
「おう、まだあるぞ」
茶碗を渡すと、親父は何だか意味ありげにニヤリと笑う。
「なんだよ?」
「いや、美味そうに食べてるなぁと思ってな」
「仕方ねえだろ、朝から何も食ってねえんだから」
「なんだぁ、それだけか?結構、隠し味が入ってると思うんだけどなぁ」
「思うって、親父が作ったんだろ?」
新たに盛り付けられた卵雑炊を受け取ると、早速口に運ぶ。
「いや、宮水さんって子が作ってくれた」
「ブッ!?」
「おいおい、吹き出すなよ、もったいねぇなぁ……」
「み、みやみずさん!?みやみずさんって、宮水さんで、みやみずさん?」
「お前、なに言ってんだ?」
卵雑炊食ってる場合じゃねえ!
俺は茶碗を置くと、立ち上がって親父に問いただす。
「な、なんで!?宮水さんって三葉さんのことだよな!!」
「ああ、そんな名前だったかな?」
「は?え?なんで?卵雑炊?」
自分でも言ってることが支離滅裂だ。

「お前が寝てる間に家に来てくれたんだよ。あんまりお前のこと心配してくれるんで、ちょっと入ってもらった。で、お前にって、それを作ってくれた訳だ」
そう言って親父は卵雑炊が盛られた茶碗を指さした。
「……そっか」
ふと、彼女の笑顔が思い浮かんだ。だけど、そんな笑顔を泣き顔にしてしまったことを思い出し、俺はゆっくりと腰を下ろす。
「なんだ?あんな可愛い子が家に来てくれたってのに、そんなに嬉しそうな顔してねえな?」
「色々あんだよ」
「それにしても、お前にあんな美人の彼女がいたとはな。道理で最近、浮かれ気味だった訳だ」
「うるせえな」
「ハハハ……。成程な、喧嘩中ってのは本当みたいだな」
「そ、そんなことまで知ってんのかよ!?」
おいおい、親父と三葉さん、二人で一体どんな話してたんだよっ!?

「なあ、瀧?」
「……なんだよ」
落ち着いた声のトーン。久しぶりに親父の真剣な、そういう顔を見た。けど、なんだかそれが照れくさくて、ついぶっきらぼうに答えてしまう。
「あいつと別れたこと、今更後悔はないが、それでもお前のことを考えれば、もう少し他の方法はあったのかな、と思う時もある」
「なんだよ、いきなり……」
「大人になるとな、立場とかプライドとか、色々くだらないもんに縛られて、相手の言うことが正論だったとしても、いや、正論だからこそ認めたくなくて感情的になることもある」
「……言ってることがわかんねえよ」
「まあ要するに、だ。お前だけが悪いとは言わないし、相手だけが悪いって訳でもない。だから、しっかりと自分自身と相手に向き合えってことだな」
「自分自身と相手に……向き合う」
「ああ。そのためにどう考え、どう行動するかはお前次第だ。……まあ、お前なら大丈夫だと思ってるがな」
親父なりに励まして、アドバイスしてくれてるんだろうか?言ってることが若干回りくどい気がするけど、それもやっぱり大人の面倒くささってやつなのか……?
「なんだよ、酒も飲んでないのに、今日はやけに饒舌だな」
「まあ、大人が自分の経験をあーだこーだと語る時はこんなもんだ」
失敗談だけどな、と笑いながら親父は付け加える。

「……仕事柄、『建前』とか『理由付け』とか、そんなやり取りが多くてな。ああいう誠実で一生懸命な子は応援したくなる」
「知ってるよ。本当にいい女性(ひと)だよ……」
俺の言葉に親父はただ黙って頷いた。
「がんばれよ、瀧。……いや、悪かったな、まだ熱も下がり切ってないのに、変な話して」
「そんなことねえよ」
それ以上の会話は気恥ずかしくて。話を切り上げるように、少し冷めてしまった卵雑炊を一気に食べ切ると俺は立ち上がった。
「ご馳走様。もう少し部屋で休んでるからさ」
「ああ」
リビングから一歩出た先で、もう一度親父の方に振り返る。
「なあ、親父?」
「どうした?」
「親父とこんな風に話するのも結構いいな」
「……おう」
お互い目は合わせなかったけど、感謝の気持ちは伝わったと……思う。

 

部屋に入るとすぐさまベッドに横になる。枕元に置きっぱなしだったスマートフォン。手に取ってディスプレイを開いてみたけど特に着信履歴はない。
「何、期待してるんだろうな……」
仰向けになりながら画面に触れて、三葉さんの電話番号を表示する。

――どう考え、どう行動するかは、お前次第だ

親父の言いたいことは理解してるつもりだ。
だけど、いざ行動するとなると、今の俺はどうしたらいいのかわからない。

三葉さんに謝りたい。
謝ることくらい、いくらだって謝れる。だけど……

もし、また彼女を泣かせてしまったら……
そう思うと、いつもみたいに思い切った行動に踏み切れない。

泣かせたくなかった。俺が笑顔にしたかった……
そんな強い想いが心の中にあったのに。

「風邪、ちゃんと治してからだな……」
自分でもわかってる。逃げるための口実だって。
でも、今はまだ彼女とちゃんと話ができる自信がなくて。また感情をぶつけてしまったらと思うと、泣かせてしまったらと思うと怖くて動けない。
そのままスマフォを枕元に戻すと、俺は再び目を瞑った。

 

夢を……見る。
鮮やかな夕焼けと星空が彩る幻想的な世界。
どこまでもそんな空が広がる山頂で、制服姿の彼女が、そっと"誰か"に寄り添う。

胸が、心が痛む。だけど、前にこれを見た時ほど、痛みは感じなくて。
彼女を傷つけた時の方がずっと痛かった……
そして、泣き出した彼女はもっと痛かったんだろうって思う……
そう思うと、胸が締め付けられるように苦しくなった。

彼女の想いはいくら考えたって俺にはわからない。
それでもわかりたいって思う。
教えてくれないかもしれない。余計なことだって拒絶されるかもしれない。
それでも……

寄り添う二人。三葉さんにとって、きっと大切な人なんだろうな。
ほんの少しだけだけど、彼女が喜んでるなら、俺も嬉しい、そう思える自分がいた。
頷くと、俺は気づかれないよう、そっとその場を立ち去ろうとした。

「瀧くんっ!!」

その声に振り返る。
気が付けばそこはいつもの田舎の踏切。
その踏切を挟んだ単線の向こう側。彼女が立っていた。
左右を見るけど、誰もいなくて。だから再び線路の向こうを見据える。
そうして俺と彼女。二人まっすぐに見つめ合っていた……


大きく目を開く。部屋は暗闇、枕元を探るとすぐにスマフォが見つかった。一日中寝込んでたせいか、それとも寝起きのせいか、頭は少しぼんやりしてるけど、ディスプレイを開けば、光が目に飛び込んで徐々に意識が覚醒していく。
時間は夜九時。まだそんなに遅くないよなッ!!
俺は迷わず、彼女の電話番号の発信ボタンを押す。
1コール、2コール、3コール……
出てくれ!そう願いながら、4コール目が終わり、5コール目で、

「三葉ですっ!!」
彼女の声が聞こえた。彼女の声が聞けただけで嬉しくて。だけど……今は言わなくちゃいけないことがある。
「……瀧です。遅い時間に」
スミマセンと言う前に、『風邪、大丈夫!?熱もう下がったの!?電話しても大丈夫なの!?』矢継ぎ早に質問が飛んで来た。
「あ、熱はだいぶ下がりました。だいぶ楽になってます」
『そっか……良かったぁ』
「あと……卵雑炊、ご馳走様でした。すげー美味かったです」
『……うん、そう言ってくれて、ありがと』
電話越しに三葉さんのホッとするような声が漏れる。

相手の顔が見えないせいか、話すタイミングが合わず、そのまま互いに無言になってしまう。俺自身、どう切り出したらいいのかわからなくて、けど、これだけは絶対言わなくちゃいけないから!!
「あの!」
『あのね!』
声が重なる。
「あ、えっと……俺からいいですか?」
『え?あ、うん……いいよ』
彼女に許可を得ると、俺は一度深呼吸をする。
「本当は、会って言いたかったんですけど、今、こんな状態なんで……まずは電話で言わせて下さい」
『うん……』
「……昨日はすみませんでした。俺、自分の言いたいことだけ、三葉さんにぶつけて。三葉さんにも、きっと色々あるんだと思いますけど、それを知りもしないくせに一方的に……。言い訳するつもりはありません。ただ、三葉さんに謝りたくて……本当にごめんなさい」
『っ!?』
彼女の息をのむ声がした。
「できたら三葉さんに会って、謝りたいです。風邪が治ったら、」
『待って!!』
震える彼女の声。
また、泣いてるんだろうか……
また、泣かせてしまったんだろうか……
『瀧くんばっかり、ズルイよ……』
「泣かせて……ゴメン」
『違う!瀧くんに泣かされてるんじゃないよ。瀧くんのことだから、泣いちゃうんだよ……』
「え……?」
『私の方こそ、本当にゴメンね。私はね、瀧くんが思ってるような人じゃないんだよ。ズルイんだよ。瀧くんが知らないことをいいことに逃げてきたの。だけどね、これだけは信じて』

――私、瀧くんのこと、好きやよ

どこか懐かしさを感じる方言混じりに彼女は俺に言った。"好き"だって。
だけど、その言葉を聞いても、嬉しさまでは感じなくて……
「三葉さん、つらいんですか?」
彼女の事が心配で。傍に居てあげられれば、と思う。
『……うん。まだちょっと整理がついてない……と思う』
「俺じゃ力に……なれませんか?」
『いっぱい力、もらってるよ』
「けど……」
『ねえ、瀧くん、私ね、君のことが好き。だからね、もう逃げないって決めたの。君に全部言うって決めたの。だけど、私、一人だととっても弱虫だから……だから、少し時間を下さい』
「俺も三葉さんが好きです。……だから、いくらでも待ちます。」
信じてますから、そう言うと、うん……、と、か細い声が聞こえた。

『……九月二日』
「え?」
『瀧くんはわからないと思うけど、私と瀧くんが始まった日なの。だからその日、私達が出逢った場所、四ツ谷駅前に十時半。待ってるね』
「わかりました」
『その日にちゃんと言うから』
「はい」
『それじゃ、九月二日に』
九月二日。その日にどういう意味があるのか俺にはわからない。それでも、彼女が何かを決断する勇気に繋がるのなら、と俺は快諾する。
『じゃあ、またね』
そう言って電話を切ろうとする三葉さん。だけど、俺はまだ言わなくちゃいけないことがある!

「あの!!」
『え?』
「九月二日まで会えなくても……電話とかしたらダメですか?」
彼女からの返答に少し間があって、ダメかと思ったその時、
『……瀧くんの勉強の邪魔にならない?』
遠慮がちに、そう言った三葉さん。なんだか彼女らしいな、とつい口許が緩んでしまう。
「会えるまでは受験勉強を一番にします。ただ、」
『ただ?』
「俺、三葉さんの事、もっと知りたいんです。好きなこととか、何気ないことでいいんです。電話でこうして無駄話するだけでいいっていうかなんというか……」
言葉にしようとするとうまく言えないもんだ、と思いながら首の後ろに手を当てる。
「あ!勿論、言いたくないことは言わなくてもいいです!だから!」
『いいよ』
「本当ですか?」
『うん。私、もう一度、君とも向かい合ってみたいから。無駄話なんて言うけど、きっと無駄になんてならない気がする』

向き合う。親父が言ってたのと同じ言葉。俺も彼女と向き合いたい。
気が付けば、ここ最近、胸につかえてた心の中のモヤモヤは消え去っていて、俺は自然に笑ってた……そんな気がした。

*   *   *

風邪から回復すると、俺は日々受験勉強に勤しんでいた。
三葉さんとは、毎晩夜九時頃、約六分間だけ電話する。お互い偶然にも三分の砂時計を持っていて、それをひっくり返して、もう一度戻すまでの短い時間。
本当に何気ない会話だ。それでも、ほんの短い時間でも毎日彼女の声が聞けるのは、とても嬉しくて、楽しくて。
そして、そんなやり取りが、どこか懐かしい感じがして……


ハリネズミ……ですか?」
『うん♪かわいいんだよっ♪高校生の頃から集めてるんだけど、家にもね、ハリネズミグッズがいっぱいあるんだ』
「へぇ……」
思い浮かべるハリネズミの姿。トゲトゲしてて痛そうなイメージしかないんだけど?
『そういえば、瀧くんの頭もハリネズミみたいだなってよく思ってるんだよ』
「え……?」
あの三葉さん?俺のヘアースタイル、ハリネズミ意識してないんですけど……


「そういえば、三葉さん、ハリネズミ好きって言ってましたよね」
『うん、好きだよ♪』
「前にどっかでハリネズミカフェを見かけたような気がするんですよ」
『ええっ!!?瀧くん、どこ!どこにあったの!?今度調べておいて!……あ、えっと、ごめんなさい、変なテンションで』
「だ、大丈夫っす!」
うーん……いつもの三葉さんとテンションが違うなぁ。
でも、意外な一面を知ることができてすげー嬉しかった。


「この前、久しぶりにアルバイトに出たんですけど、奥寺先輩が、また三葉さんに会いたいって言ってました」
『わぁ、嬉しいな。私もまた会ってみたい、かな』
「俺から言っておきましょうか?」
『ううん。もうちょっと待って。……答えが出てからにするね』
「わかりました。待ってます」
『ありがとう……瀧くん』


『あ、もしもし瀧くん?』
「はい。あれ?いつもより時間早いですね」
『ちょっと実家の方に戻ってて』
「あ、お盆ですもんね」
『それでね、』
電話の向こうで、おねえちゃーんとかいう声が聞こえる。
『ちょっと四葉、少し黙っとってよ。お姉ちゃん、大事な電話してるんやから』
「………」
『か、彼氏やけど……い、いいでしょ、別に!』
「………」
『か、代われる訳ないやろー!だーかーらー、あっち行ってない!』
お姉ちゃんのケチーとかいう声が聞こえてきた。
『ご、ごめんね、瀧くん。妹なんだけど、色々騒がしくて』
「あの、三葉さん?」
『なあに?』
「三葉さんの方言、なんかいいですね」
『え?あ……もしかして出てた?こっちの言葉……』
「可愛かったっす」
『た、瀧くんっ!?』
三葉さんの照れてる顔が目に浮かぶ。褒めると顔をすぐに真っ赤にするんだよな……
『……瀧くんはさ』
「え?」
『方言出ても気にしない?』
「いいと思いますよ」
『田舎もんっぽくない?』
失礼だと思ったけど、少し笑ってしまった。
「スミマセン。別に可笑しいって訳じゃなくて。そんなの全然気にならないし、むしろ素の三葉さんらしいなって」
『本当に?』
「どんどん方言出しちゃってください」
『う、うーん……。や、やっぱり急には切り替えられんよぉ……』
きっと今、電話の向こうで、三葉さんは髪の毛に触れてるんだろうな、そんな気がした。

 

『もしもし?』
「瀧ですけど……あれ?三葉さん?」
『あ、はじめまして。わたくし、妹の宮水四葉と申します』
「え……?」
『いつも姉が大変お世話になっております。本来であれば会ってご挨拶すべきでしょうが、なにぶん、東京からは離れておりますので、まずは電話でご挨拶を、と思いまして』
「あ、はい……これはご丁寧に、どうも」
『見た目は綺麗でしっかりしてそうな姉ですが、寝起きは悪い、うっすらおかしいところがある、たまに阿呆なことで悩むなど、残念なところも持ち合わせておりますので、どうかお見限りなきよう……』
「そ、そうなんですか……?」
『……瀧さんって言いましたっけ?』
「はい」
すぅ……と息を飲み込む声が聞こえた。
『私のお姉ちゃんな、ずっと何か欠けちゃったみたいに苦しんでたんよ。でも、帰ってきたお姉ちゃん、昔みたいに元気になったみたいで。きっと瀧さんのおかげやよ!本当にありがとうな。瀧さん!これからもお姉ちゃんのこと……お姉ちゃんのこと……』
それ以上は言葉が続けられないみたいだったから、「ありがとう、俺も君のお姉さんのおかげで元気になれたよ」そう言って、言葉を遮ってあげる。
『……ふつつかな姉ですが、これからも宜しくお願いします』


『昨日はゴメンね……』
「え?ああ、四葉ちゃんでしたっけ?」
『電話させろって聞かなくて』
「すごく落ち着いていてビックリしました。妹さん、高校生くらいですか?」
『中二やよ』
お、俺……中二の時、あんなに落ち着いてたっけ??
『瀧くん……あの子、変なこと言ってなかった?』
「あー……大丈夫です」
残念なところは、俺はまだ見たことがないので、今は記憶の奥底に留めておこう。
『うぅ、ぜったい何か言ったんだよね……。もう、イヤやー』
「大丈夫ですって。それに、三葉さんのこと大好きだってことはよく伝わってきましたから」
『うん、大切な妹やよ』
「いいですね、俺は一人っ子なんで」
『……きっと、瀧くんと四葉は仲良くなれると思うよ』
「俺も、妹さんに会ってみたくなりました」


部屋で勉強してると三葉さんからメッセージが入った。
『今夜は親友と飲み会だから、今から電話してもいいですか?』
いいですよ、と返信すると、すぐに着信音が鳴った。
『ごめんなさい。今夜は、友達とお酒を飲む予定で……』
「俺も三葉さんと飲んでみたいですね」
『うーん、瀧くん未成年だから……何か方法あるか考えとくね』
うっ、半分冗談だったんだけど、三葉さん真面目だなぁ。
「お友達は、何人くらいなんですか?」
『うん、糸守にいた頃からの幼馴染でね。三人で飲むんだ』
「楽しんできて下さい」
『ありがとう♪』


「三葉さんの髪に結んでるのって組紐なんですよね」
『そうだよ。もともと糸守は組紐の産地でね、これはお母さんの形見だけど、前は神社の儀式用とかでよく作ってたから、勿論私も作れるよ』
「へえ、すごいっすね。俺でもできるもんなんですか?」
『うーん……まずは糸の声を聞くところかな?』
「イ、イトノコエ?」
なんですか?それ。糸って喋るもんでしたっけ?
『ふふっ、でも瀧くんがどんな組紐作るのかちょっと興味があるかな』
「だったら、受験が終わったら、俺に教えてもらえませんか?」
「……うん。その時を楽しみにしてるね」


「三葉さんはどうやって大学決めたんですか?」
『恥ずかしながら、東京に行きたいって、それだけで決めちゃって……』
「それでもあの大学に合格するなんて、すごいですよ」
『でも、やっぱり、やりたいことに合わせた大学選びが大切だと思うよ。瀧くんはもう希望校は決めてるの?』
「まだ、色々迷ってます。それで三葉さんに相談したくって」
『私は文系だから、理系の瀧くんにどこまで力になれるかわからないけど、私にできることなら』
「勉強というより、大学の雰囲気とか授業の内容とか、教えてもらえませんか?」
『うん、わかった。私に答えられることならいくらでも』


「それじゃ、また……」
『うん、また。おやすみなさい』
「おやすみなさい」
毎日、ほんの少しだけの会話。
だけど、本当に彼女のことを知らなかったんだなって思う。
彼女に出逢えたってだけで、舞い上がって、付き合い始めてしまったけど、これが本来のカタチなんだよな……
それでも、出逢った時からずっと変わらないもの。

三葉さんが好きだ、ということ。

九月二日に三葉さんが何を言おうとしているのか、俺にはわからない。
だけど、俺のこの気持ちが変わることは決してないと思う。
仮に彼女に振られるのだとしても、彼女と別れることになるのだとしても、もう一度相応しい男性(ひと)になれるように頑張るだけだ。
未来(さき)のことはわからない。ただ、今は自分の想いを信じて。

 

夢を見る。
田舎町の踏切で俺は空を見上げている。
いつもの夕焼け空。昼と夜が混ざり合うような空。そしてそんな空を分かつ、煌めく一筋の彗星……
何か複雑な思いが胸の奥底で渦巻いている。それでも、今の俺にできることは待つことだけ。
ただ、信じて待つ。
結果がどうなろうと、俺は自分と、そして彼女を信じる。

「瀧くん……」

風に乗って声が聞こえた。振り向けば線路の向こう側、夕陽に照らされ、制服姿の彼女が立っていた。
そよぐ黒髪、それに合わせるように揺れる組紐
ずっと変わらない君のクセ。毛先に触れて照れくさそうに微笑んで。

「三葉……」

思わず彼女の名を呼び、俺は初めてその線路から一歩踏み出した。
そして彼女もまた……

 

目が覚める。夢は覚えていない。でも、涙は零れてなかった。
胸に残る何かは確かにあるけど、相変わらずそれが何なのかはわからない。
無意識に手のひらを見つめようとした自分に気づいて、見る前にその手を握りしめた。この手に何があったのか、何を失くしてしまったのか、それだって未だにわからない。
だけど、別に構わない。今は俺にできることを、ただやるだけだから。

スマフォを見る。日付は二〇一七年九月二日。
カーテンを開ければ、眩しい陽射しが目に飛び込んできた。
「さあ、行くか!」
きっと俺にとっての始まりの日になる。そんな予感を胸に俺は部屋のドアを開いた。

つづく