君の名は。SS 星に願いを。

七夕ネタ2020年完全版です。たぶんネタが浮かんでから完成までに数年かかってます(笑)

色々ご都合的な設定(糸守のその後や、テッシーの誕生日とか)がありますが、そこは雰囲気で読んでいただけると有難いです。
それでは宜しくお願いします。

 


朝、目が覚めて、初めて泣いた日はいつだったろう?
何も失っていないはずなのに、喪失感が胸を突く。胸の奥にぽっかりと空いたものがあって、そこに何があったのかわからなくて。
わからないことだらけなのに、どうしても瞳から溢れてくるそれを止められなくて、私は両手で顔を覆った。
痛いの?
悲しいの?
寂しいの?
自分自身に問いかけても答えは出ない。それでも、泣くことが自分に一番正直な気持ちだって、どこかわかっていて。だから、私は泣けるだけ泣いた。声を殺して、四葉やお祖母ちゃんに心配させないように。
だって、この涙は、私にとって大事な大事な"想い"のはずだから。悲しくて泣いているんじゃない。辛くて泣いているんじゃない。
私が泣いていることを、他の誰かにそんな風に思われたくなかった。

泣きながら、何か言いたくて、でも言いたい言葉がどうしても出て来ない。
それは何か、なのか?それとも……誰か?
「……っ……く……うぅ……」
その瞬間、わからないことがたまらなく苦しくて、嗚咽が漏れる。私は布団を頭からかぶると、少しだけ声を出して泣いた。

それからだ。朝、目が覚めるとなぜか泣いている。こういうことが時々起こるようになったのは……

*   *   *

移転先の高校からの帰り。と言っても、いつもの三人で一緒に帰る分には糸守に居た頃とあまり変わり映えしない。
あの彗星災害から早数カ月、秋から寒さ厳しい冬になり、春が来たかと思えば温暖化の影響からか、あっという間に暑い初夏、そして今年は梅雨らしいまとまった雨も降らないまま梅雨明けを迎えてしまった。
夏の太陽は十六時を過ぎてもまだまだ高くて、言ってもしょうがない文句の代わりにふぅと大きく息を吐く。そんな暑さを意に介さず、前を歩く親友二人は、さっきからあーだこーだと取り留めのないやり取りを続けている。
「やっぱり、二人は仲ええな」
あの頃みたいに揶揄い半分、後押し半分で二人の背中に声を掛ければ、「よくないわ!」って、やっぱりあの頃みたいにハモる二人が振り返って、思わず笑ってしまった。

私、宮水三葉は、あの災害で住む家を失くし、今は移転先の賃貸住宅でお祖母ちゃん、妹の四葉と暮らしている。
私たちの全てだった宮水神社が跡形もなく消え去り、今に至る毎日は本当にあっという間で苦労の連続だけど、それでもこうして親友たちが傍に居てくれる日々は、あの頃の日常が今もちゃんと続いているようでどこか安心できた。

「で、三葉は結局どうするん?」
回れ右して立ち止まったサヤちんが、私に問いかける。
「どうするって何が?」
「いや、だから進路どうするかって話、しとったに」
サヤちんと並んで立ち止まったテッシーが呆れたように太い眉をひそめた。
「ああ、そうやったね……」
毛先に指で触れながら、回答から逃げるように私は遠くを見つめた。遠い遠い空の向こう。行ってみたい場所がある。そこに行けば何かが見つかるような、目指すべき場所。
だけど、今の私を取り巻く環境は、この願いをそのまま叶えられるような状況じゃなくて。だから、仕方なく笑顔を作るしかなかった。まるであの頃みたいに自分の想いを押し隠して……
「そうやねー……どうしよっか?」
「なんや、ノリ軽いな」
テッシーの言う通り。自分で吐いた言葉の軽さに少し嫌悪感を抱いてしまう。
二人の横を通り抜けて今度は私が前を歩き始めると、追いかけて来た二人が並ぶ前に私はもう一度、眩い空に視線を送った。これ以上ないくらい大きくなった入道雲。まさに夏色とも言える青と白の風景。空はあの場所へ繋がっていて、こうして歩く大地もあの場所へ繋がっていて。確かに繋がっているはずなのに、今の私はそこに至る術がない。
「東京か……」
二人に聞こえないくらい小さな声で私は呟いた。

*   *   *

「まーた、手のひら見とる」
「え?」
サヤちんの声で我に返る。覗き込むように私の手を指さすサヤちんがすぐ横に居た。
「三葉、お前、それ完全にクセになっとるな」
お昼休み。いつもの三人での昼食タイム。食べ終わって一服してた私はまた無意識に手のひらを見つめていたらしい。
「そんなに見てるかな、私?」
「ああ」
「うん」
私の質問にテッシーとサヤちんは阿吽の呼吸で同時に頷く。
「また色々ストレス溜まってることあるんやない?三葉、すぐに抱え込むでね」
「ストレスがない訳やないけど、でも別に元気やけどなぁ」
「そもそも、手にひらに何かあるん?」
「え……?あ、いや、それは……」
サヤちんに指摘されて、改めて自分の手のひらを見る。当たり前だけど、これは自分の見慣れた右手。特に変わったこともないし、手のひらには別に何も……
「ない……」
言葉にしてみて『なんでないのだろう?』って思う。この感覚が正しい感情なのだとしたら、私は手のひらに本来あるべきものを知っていたのだろうか……?

彗星が落ちてから、知らぬ間についてしまった癖がある。身だしなみを整える時に自分の瞳をのぞき込むこと、遠くの空を眺めること、こうして手のひらを見つめること。あと、これは癖じゃないけど、朝、目が覚めた時、何故か泣いていること……
共通していることは、どこか寂しさを感じること。喪失感と言えるのかもしれない。ポッカリと空いてしまった心の奥。埋めてくれるのは、なに?それとも……

――だれ?

「あ、ちょっと目にゴミ入った」
「だ、大丈夫!?三葉」
「へーき、へーき」
急いでハンカチで目許を隠す。突然泣き出してしまったら二人が心配するだろうから慌てて誤魔化す。
瞼を押さえながら、私はどうしたいんだろう?と自問する。本当は答えはわかってる気がするのに、どうしてもその答えを出すことができない。
まるで夢で見た事を覚えていられなくて、朝、泣いてる理由を夢の中に置き忘れてしまってるような、そんな感じ……

「治った?三葉」
「うん、もう取れたみたい」
親友に嘘ついたみたいで申し訳なかったけど、一先ず話を合わせる。
そんな私たちのやり取りを腕を組み、黙って見ていたテッシーが、ニヤリと怪しい笑みを浮かべると身を乗り出してきた。
「なあ、お前ら、今日は何の日か知っとるか?」
「はあ?いきなりなんなんやさ、テッシー」
「だーかーらー、七月七日は何の日かって聞いとるんや」
「……普通に七夕やないの?」
他に特別な記念日も思いつかなくて、普通に答えてみたら「正解ッ!!」と大声でテッシーに指差された。
「テッシー……何も面白くないんやけど」
「いや、サヤちん、俺は別に面白さを求めてる訳やなくてだな」
「で、七夕だったらどうなんやさ」
「七夕言うたら、星に願い事と相場が決まっとる。だから……今夜星を見に行かんか?」
「見に行くってどこに?」
サヤちんの問いにテッシーはフッフッフと不敵な笑みを浮かべながら、待ってましたと言わんばかりにズボンのポケットから何かを取り出した。
「この辺で一番星が綺麗なとこ言ったら決まっとるやないか、糸守や!」
私とサヤちんの前に突き出されたのは、ちょっと目が半開きのテッシーの写真が写った自動車の免許証だった。

 

「最近、こそこそ何かやっとるかと思っとったら、教習所に通っておったとはね……」
「まあ、いずれは必要になるもんやしな」
テッシーが家から借りてきたお世辞にも綺麗とは言えない営業用車輛。夜道を運転するテッシーの隣にサヤちん。私は後部座席に座ってバックミラー越しに二人の表情を眺めている。
「でも、実際ええの?まだ道路の復旧工事、続いとるんやないの?」
「完全に復旧するにはまだ時間かかると思うけどな、それでも工事用の車輛が通過できるくらいには復旧しとるで」
テッシーの実家も被害にはあったものの、災害復興関連に携わっているだけあって、諸々の情報が入ってくるらしい。
「糸守か……」
「……やっぱりやめとく?三葉」
言い方が不安を感じさせたのかもしれない。サヤちんが心配そうにこちらに振り返った。
多くのものを失った大災害。宮水神社も今は湖の底。だけど、それはサヤちんだって、テッシーだって。
「ううん、大丈夫。あー、久しぶりやなぁ、糸守。あの頃は文句ばっかりやったのに、今はちょっとわくわくしとるよ」
「いやぁ、実は私も♪」
「そりゃ、誘った甲斐があったってもんやな!」
ハンドルを両手でしっかりと掴みながら、テッシーは視線を前に運転を続ける。
「なんだかんだ言っても俺らの原点やからな、糸守は。……今の俺ら、それぞれ思うもんあると思うけど、糸守の景色見たら何か吹っ切れるんやないかと思ってな」
「へぇ、テッシーにしてはちゃんと考えとったんやねぇ」
「……特に後ろがな」
「ああ……」
「ん?何か言った?」
「なーんにも」
出発前、待ち合せ場所だったコンビニで買ったシュークリームを袋から取り出し、サヤちんはそれにパクリとかぶりついた。
「三葉もいるー?」
「あ、もらう」
「ほい」
後部座席に回されたコンビニ袋から私も同じシュークリームを取り出す。でもすぐには食べず、手のひらに載せたまま車窓の暗闇へ視線を送った。
別に知らない道じゃない、糸守町と他の街を結んでいた幹線道路。それでも今は人の行き来が殆どないせいか、真っ暗な夜道はどこか物寂しい。
糸守から離れて暮らすようになってから、初めて訪れる自分の故郷。わかってる、きっとあの日から殆ど変わっていないはず。
夜空に散りばめられた星々が瞬き、澄んだ空気が肌に触れ、木々の匂いが風に乗って運ばれてくる。水が流れる音、季節と時間と共に移ろう原風景。
あんなに出たかったのに、嫌だったのに、目を瞑ればあの頃のままに糸守の情景が目に浮かぶ。
「郷愁……なのかな」
ポツリ呟くと、今度こそシュークリームを取り出し口に運ぶ。口の中に広がる甘いクリームは、どこか胸の中にあるほろ苦さを消し去ってくれた。


途中から暗くてガタガタし始めた夜道に、私とサヤちんは座席上のバーを握りしめながらキャーキャー言い続け、テッシーは「黙っとれ!気が散るわっ!」と叫び、そうこうしてる内に漸く見慣れた糸守高校グランド脇の駐車スペースに到着した。
「私ら、無事に帰れるんやろか……」
助手席のドアを閉めながらげっそりした表情のまま呟くサヤちんに対し、テッシーは無事に到着できてテンションが上がってるみたいで、懐中電灯片手にうおぉぉーー!!と叫びながらグランドの中へ駆け出していく。
「テッシー、元気やなぁ」
「久しぶりの糸守やしね」
苦笑いを浮かべつつも、そんなテッシーの背中を見つめるサヤちんの瞳は優しくて、私はやっぱりサヤちんとテッシーは上手くいって欲しいなぁなんて思ってしまう。
そんな視線に気づいたのか、サヤちんは此方に振り向くと「私らも行こっか」と促がしてきた。うん、と頷くと走り去った坊主頭の方へ二人ゆっくり歩いていく。

小さな生き物たちの息づく音が聞こえるだけの静かな月と星の夜。ザッザッと私達の足音だけがやけに響く。暗い夜だけど目を凝らせば校庭の所々に雑草が茂っていて、復興から程遠い糸守の中でも植物の生命力の強さに驚かされる。
この場所は、走ったり、運動したり、片隅で三人でお弁当を食べたり、勉強中、窓際の席で何気なしに眺めたり、そんな高校生活のすぐ傍にあった学校のグラウンド。
そして……あの日、みんなで避難した忘れらない場所。
欠けた月に照らされた眼下の湖は、あの日大きく姿を変えてしまった。だけど、
「この星空は変わらんな……」
前に立ち、夜空を見上げていたテッシーが私の気持ちを代弁するように呟いた。背中越しで表情は伺い知れないけど、きっと私たち三人は同じ想いで、今、この星空を眺めてる……

「あの頃は、ここから早く出たいって言っとったのにね」
「何もないって愚痴ばっかりやったけど、いざ離れてみると……可笑しなもんやねぇ」
「ああ……」
変わらない日常が嫌で仕方なかったのに、目の前に広がる変わらない情景にこんなにも心が揺さぶられるなんて。
暫く三人、何も言葉を発せずに星空を眺め続ける。

変わってしまったものがある。変わらないものがある。そして、変わりゆくものもある……
きっとこれから私たちはどんどん変わっていく。夏が過ぎ、秋となり、冬を越え、高校を卒業したその先で、私は、私たちは、来年どんな風に過ごしているのだろう?
どこまでも果てがない夜空を見上げながら、手のひらを自分の胸に当てる。
瞳に映る星の光は幾星霜の先からやってきた過去の輝き。今の私は未来に光を届けることができるのだろうか……?

誰かを、何かを探してる……
そういう気持ちに取り憑かれたのは、きっとあの日から。
あの日、星が降った日。あの彗星はこの町の姿を大きく変えるだけでなく、私の心の奥に何か決定的なものを刻み付けていった。
だけど、その何かはわからなくて、私は過ぎ行く日常の中、答えを求めて探し続けてる。心の中、もがき続けてる……

「よーし、二人とも!しんみりするのは終いや!!丁度そこにええもん見つけたで」
どこから持って来たのか、テッシーは木の箱のようなものを私たちの前にドンと置くと、そこにひょいと飛び乗った。
「今日の一番の目的、『星に願いを』や!」
「ハァ……?テッシー、あんた、何言うとるん?」
「ここにおるのは俺らだけやしな。大声で叫んでも誰にも迷惑かからんやろ?」
フフン!とふんぞり返りながらそんなことを言い出すテッシー。
「え?もしかしてテッシー、ここで願い事を叫ぶつもり!?」
「そうや。ま、星に願いをってのは半分でな、もう半分はあの湖の底に沈んどる彗星の欠片に一言文句言ってやろうと思ってな!」
暗がりの向こうに広がる湖を指さすテッシーに、サヤちんは額に手を当ててハァと深いため息を吐く。
「あんた、また妙な事言い出して……」
そんな呆れ声を聞いても、テッシーはどこまでも真剣に言葉を継ぐ。
「俺は東京行って大学で建築を学びたいと思っとる。建設会社の跡継ぎとか関係なく、建築関連の仕事で飯を食ってこうって自分で決めた」
その言葉に私とサヤちんは押し黙る。
「彗星のおかげで色んなもん変えられてしまった。けどな、だからこそ気づいたんや。俺は糸守が好きだってこと。だからな、俺の願いは!」
テッシーは振り返ると、眼前に広がる星空と湖に向かって大声で叫んだ。

「いつか!ぜっったいに!!糸守復興したるわーーー!!そん時はカフェも作ってやるからなーーー!!待っとれや!スクラップアンドビルドはまだまだこれからやからなぁーーーッ!!」

肺の中の空気全部を吐き出すようにテッシーが全力で叫ぶと辺りに大声が響き渡る。そうして残響が静まるとテッシーは軽やかに木箱から下り、目を丸くしてるサヤちんの肩を叩いた。
「それじゃ次、サヤちんな」
「なんでよっ!?」
「諦めや、今日はもともとこういう趣旨のつもりやったからな」
言いたい事を言って、この上なくスッキリした表情のテッシーがニカッと笑顔を向ける。
「なーにが『星に願いを』やさ。浪漫の欠片もないやないの。もうーっ、いきなりそんな事言われても一体何言えばいいんやさ!」
「サヤちん、頑張れー」
隣から小さな声でエールを送ると、むぅと恨みがましい視線を送られる。
「もう、ヤケや!次は三葉の番やからねっ!!」
サヤちんは木箱の上に立つと、手を前に重ね、私とテッシーを見下ろす。
「えっと……彗星が落ちて、生活が色々変わってまったけど、それでも二人が側に居てくれるからいつも助かっとる。だから私の願いは『これからもずっと三葉やテッシーと仲良くやっていきたい。』……けどな、さっきのテッシーの言葉聞いて思ったんよ。みんな少しずつ変わっていくんやなって」
サヤちんはゆっくりと振り返ると、星空を見上げる。
「来年の今頃、私らどんな生活しとるのかわからんし、きっと誰か一人くらいは地元出てるんやと思う。今までのような幼馴染の関係じゃなくなってるのかもしれん。だから、私の願い事は!」

「離れ離れになっても!三葉とテッシーは一生の仲間やからねーーーー!!糸守が、みんなが変わったとしても、私らの関係は絶対変わらんからねーーー!!糸守を陰で救った秘密結社の絆を舐めるなぁーーー!!」
「秘密結社って……」
「まあ、私たち、本当はお尋ね者だからね……」
叫んで終わって、肩でハァハァと息するサヤちんの背中を見つめながら、テッシーと二人苦笑いを浮かべてると、サヤちんはもう一度息を吸い込んだ。

「もうひとつ!スタイル良くなって!綺麗になって!いつかぜっったい振り向かせたるわーーー!!」

そうして回れ右すると、お粗末!とサヤちんは大きく頭を下げた。
「サヤちん、最後のなんや……?」
「ふふっ、テッシー。それは乙女の秘密やさ♪」
これまたスッキリとした表情のサヤちんが、後押しするように私の背中をポンと叩いた。
「さ、三葉の番やよ」
「うん……」
木箱に足を掛け、踏みしめるように一段高い場所に上がる。振り返ると暗がりの中、サヤちん、テッシーが私を見つめている。

さっきの二人の願い事。私だけじゃない、みんなだって、それぞれ悩みや迷いを抱えて生きている。
願い事は、願えば必ず叶う訳じゃない。それでも、こうありたい、こうしたい。希望や望みを諦めないで、願い続ける先にあるものじゃないの?
最初は真っ暗闇でも、もがきつづけた先で、糸守のこの瞬く星々のように煌めく光が見つかるんじゃないの?
年に一度、七夕の日にしか織姫と彦星は逢えないけれど、今日という日のために、二人は互いに相手を想い、日々を懸命に過ごしているんじゃないの……?
だったら、私は……
「あのね、私の願い事は、正直自分でもようわからんの。でも二人が自分の気持ちに正直だったから、私も正直に言いたいと思う」
そう言って振り返ると、視界に広がる糸守を見つめた。空には星、山に囲まれたその中心に新糸守湖が静かに水を湛えている。湖面は星空を映す鏡のように微かに煌めいて。
まるで星宙の世界のように。いつかどこかで見た光景に似ている……そんな風に思った。
不意に夜風が頬を撫で、私の髪に結ばれた組紐を揺らす。誰かがそっと触れてくれたみたいに。

「……もうすこしだけ」

意味はわからない。ただ自然と出た言葉。

「もうすこしだけでいいの。お願い……やから」

空を流れたひとすじの星のように、ツゥと涙が頬を伝う……
思わず涙声になった私を呼び掛けるサヤちんの声が聞こえたけど、テッシーが制してくれたみたいで、そのまま沈黙が続く。

「わかんないの……。でも大切で、大事な心からの願いなの!だから……だから、私は、見つけるまで生きる!前に進む!ぜったい諦めない!!」

私じゃない誰か、私のもう半分が私の代わりに言ってくれてるように、気づけば宙に向かって叫んでいた。

いつかどこかの星宙の下、私は同じように決意した気がする。
言の葉に乗せた名もなき想いに、私はまたひとつ決意を固めていた……

 

サヤちんに宥められて、落ち着くと二人並んでテッシーの車へと戻る。
「なあ、三葉」
「ん?」
「あんた、好き人おるやろ?」
「ええっ!?」
思わず大声を上げてしまうと、どうした!と前を歩いていたテッシーが此方に駆け寄ろうとする。
「女同士のことやさ。テッシーはいらんでね」
サヤちんはしっしっと追い払うような仕草すると、へいへいと坊主頭を掻きながらテッシーは再び前を歩き始める。
そうしてある程度の距離が開くのを見届けると「好きな人なんておらんよ、そんな人……」とひそひそ声でサヤちんに話しかけた。
「ふーん、そっか……」
「なんで急にそんなこと」
「さっきの三葉、特定の"誰か"を想ってたみたいやったから、かな?」
「誰……か?」
誰かって……だれ?
わからない誰か。でも、もしそう想える人がいるのならとても嬉しい。そんな風に思える自分もまた決して否定できなかった。
「あと三葉、よく手のひら見つめとるやろ。その時は寂しそうな顔しとるけど、でもなんて言うか、誰かに恋してる感じがするんよ」
「恋……」
呟いてから自分の手のひらを見つめる。

朝、目が覚めると泣いている。
無意識で手のひらを見つめてる。
もうすこしだけ、と願い続けてる。
それはもしかして、私は出逢ったこともない誰かに恋をしてるからなのだろうか……?

見つめる手のひらに親友の手が重なった。あたたかな温もりに顔を上げるとサヤちんは優しく微笑む。
「いつかきっと、こんな風に三葉の手を取ってくれる人が見つかるよ」
「……ありがとう、サヤちん」
「行こうか」
「うん」

そうして糸守の星々に見送られながら、私たちはそれぞれ未来への一歩を踏み出していく……

*   *   *

翌朝。人差し指を濡らす瞳から零れた一滴を見つめると、私は強い決意と共に大きく頷いた。
身だしなみを整え、髪に組紐を結び、祖母の下へ赴く。
「お祖母ちゃん、おはよう」
「おはよう、三葉。今日は随分早起きやな」
「大事な話があるの」
決意の瞳に何かを感じたのか、お祖母ちゃんは一度、眼鏡のツルを持ち上げると、そこに座りないと静かに言った。
対面に正座し、姿勢を正し、真っ直ぐに祖母の目を見ながら私は自分の願いを伝える。

「私、東京に行きたい」

いつか願いを、"もうすこしだけ"を叶えるために。