君の名は。SS スパークルMVif 夏恋 最終話

夏恋 最終話 また夏がはじまる。


四ツ谷駅のホームに降りる。時計を見れば時間は十時ちょっと前。
随分と早く到着してしまった……
ホームから改札へと続く階段を上りながら、ふと考える。

大丈夫かな?変な恰好じゃないかな?

待ち合わせの十時半まで、時間はまだ十分ある。改札を抜ける前、化粧室に立ち寄り、鏡で自身を身だしなみを確認してみる。
今日の服装は、あの日、瀧くんに再会した時と同じ。ピンクのワンピースに黄色いカーディガン。髪は綺麗にブラッシングして、組紐を結んで。
毛先を指で触れみた。艶やかな黒髪。瀧くん、黒髪好きだもんね。あとは、もう少し長ければいいんだろうけど、こればっかりはすぐにはどうにかなるものじゃない。
ニコッと笑顔を作ってみた。
うん、大丈夫。ちゃんと笑えてる。
今日、瀧くんに全てを話す。それがどんな結果をもたらすのかはわからない。勿論不安もあるけど、今は一秒でも早く瀧くんに会いたい、そんな気持ちの方が勝っていて。
そんな自分の気持ちが、嬉しいような、照れてくさいような……
一度目を瞑り、胸に手を当てる。瀧くんの事を考えるだけで、トクトクと微かに早鳴る鼓動を感じる。
「よし、行こう」
目を開けて、鏡に映る自分を励ますように声を出す。時間は十時を少し回ったところ。残り三十分くらいならあっという間だ。一歩進むごとに増していく胸の高鳴りと共に改札を足早に通り抜けた。

*   *   *

四ツ谷駅前で彼女を待っている。時間は十時を少し回ったところ。きっと彼女は、待ち合わせ時間より早く来るような気がして……
と思ってたら、やっぱり。思わず笑みをこぼすと、まだ此方に気付いていない彼女の下へ近づいていく。

「三葉さんっ!」
「え?瀧くんっ!?」
俺の呼び掛けに振り向いた彼女は、驚いた顔して唇に手を当て動きが止まる。
「な、なんで?だってまだ……え?待ち合わせ時間、十時半やったよね?」
自分の時計を見直してるけど、待ち合わせ時間は勿論間違ってない。
「はい。でも、三葉さんだったら、きっと早い時間から待ってるんじゃないかと思って」
三葉さんこそ、早く着きすぎじゃないですか?なんて言ったら、驚かされたことがちょっと不満だったのか頬を膨らませる。
「もうっ、瀧くん、一体何時から待っとったの?」
「ええと……九時半くらいだったかな?」
「え!?そんな早くから?私が時間どおりに来てたら一時間待つ計算やよ!?」
俺のことを気遣ってくれるけど、今日は待つことなんて何でもない。だって、やっと三葉さんと電話じゃなくて、直に会えるんだから!それに……
「でも、時間より早く来てくれましたよね?」
「だって……瀧くんに早く会いたかったから」
そう言ってくれた彼女の言葉が素直に嬉しくて。
今日、彼女が自分に何を言おうとしているのか、それが気にならないと言えば嘘になる。だけど、こうして久しぶりに会えて、ちょっと騒ぎ出したい……今はそんな気分で。
昂ぶる気持ちを抑えながら、俺は三葉さんの姿を見つめる。あの日、俺が三葉さんを見つけた時と同じ服装。
あれからもうすぐ二か月か……

一度咳払いして、気を引き締めると改めて三葉さんに声をかける。
「久しぶり、でいいですかね?」
「うん。毎日電話でお話してたけど、こうして会えるとやっぱり嬉しいね♪」
「俺もです。……で、今日は?」
俺に言わなくちゃいけないことがあると言う三葉さん。例えどんな話になろうと彼女が"好き"という自分の気持ちが揺らぐことはない。
だから、俺ももう一度三葉さんに言わなくちゃいけない。
「俺はいつでも大丈夫ですから」
「私も大丈夫だよ。ちゃんと言うって決めたから。……だけど、あの、ね?」
それまで俺から視線を外さなかった三葉さんだけど、ほんのり頬を染めて毛先に触れる。
恥ずかしくて、言いにくいことなのかな?
言葉にしなくても、彼女のことを理解し始めてる自分がいて。久しぶりに会ったはずなのに、前よりずっと彼女を身近に感じていた。
「何でも言って下さい。俺、今日は一日、三葉さんに付き合うつもりでいますから!」
そう言うと、彼女はホッとしたようとハニかんだ。

*   *   *

私を気遣う瀧くんの言葉。言わなくちゃいけないって思ってるし、ちゃんと言えると思う。
だけど、おかしいな……?久しぶりに会えただけなのに。電話でちゃんとお話してたはずなのに。
瀧くんを目の前にすると、すごく嬉しくて、そして、ちょっと恥ずかしくて。気持ちを落ち着かせるようについ毛先に触れてしまう。
「あ、あのね……瀧くん」
「なんですか?」
全てを話して、瀧くんに嫌われてしまったら、今日で最後かもしれないから。
「私と一日、デートして欲しいなって……」
お願いします。そう言って大きく一礼した。
「デートの最後にちゃんと言うから。だから……」
何かを言おうとする前に、瀧くんが私の手を取った。
「俺も……三葉さんとデートしたいですッ!」
「……良かったぁ」
瀧くんの手を握り返す。
今の私、さっき鏡の前で練習した時よりいい表情で笑えてる……かな?今日は少しでも瀧くんの前で笑っていたいな……

「で、三葉さんはどこか行きたいところ、あるんですか?」
私はうん、頷く。きっと私が瀧くんと一緒にデートしてみたかった場所。
「瀧くんがイヤなら別のところにするけど、……少しね、行ってみたいところがあるんよ。あ、でも瀧くんも行きたいところがあるんだったら」
その言葉に瀧くんは、ニヤリと笑う。あ、その表情。何か企んでるなって気づく。
「な、なに……?瀧くん」
「ふっふっふ、実は俺、予約しておいたんですよ」
「予約?どこかのお店とか?」
「そうです!」
そう言うと瀧くんはスマフォを手に持って、何やら操作を始めた。なんだろう?と小首を傾げると、じゃーん!と言って私の方に画面を向けた。

>『ハリネズミカフェ』ご予約二名様 予約時間:二〇一七年九月二日・午後〇時~

「三葉さん、前にハリネズミが好きだって言ってたんで、」
「瀧くん!!」
思わず抱きついてしまった。
「ちょ、ちょっと三葉さん!?」
スマフォを上に掲げてホールドアップ状態の瀧くん。私はハッとして距離を取る。
「ご、ごめんなさい……」
「い、いえ、そんなに喜んでくれるなら予約した甲斐がありました……」
「前に瀧くんに聞いて、私も調べてみたんだけど、結構人気あるんよ、そのお店」
「そうみたいですね。でも、今日はきっと三葉さんとデートになるって思ってましたから。だから、だいぶ前から予約入れときました」
彼の気遣いに思わず顔を綻ばせると、合わせるように瀧くんも嬉しそうに、楽しそうに笑ってくれる。その笑顔がとっても嬉しくて。
「ありがとう、瀧くん」
「あ、でも、予約は午後にしたんで、それまで時間ありますから、三葉さんが行きたいところに行きましょう!」
「うん♪それじゃ行こっか!」
「はい!」

*    *    *

三葉さんと手を繋いで電車に乗る。彼女が行きたい場所もちょうど六本木方面。ハリネズミカフェと同じ方向だ。
電車に揺られながら彼女の横顔を暫く見つめてると、くすぐったそうに、なあに?と聞かれる。
「いえ。なんかすげー楽しくって」
「おんなじ。私もとっても楽しい」
どちらともなく握った手に力が込められる。手のひらに彼女の体温を感じながら、車窓から見える東京の街並みを見つめ、俺は強く願った。
デート慣れしてるとはとても言えない自分だけど、三葉さんにとって忘れられない楽しい一日にしてあげたいと……

彼女が行きたかった場所。まずは六本木ヒルズの展望台・東京シティビュー
ま、まさか、またここに来るとは……。今さっき諸々決意したのも束の間、苦い思い出が蘇る。
ここは去年、奥寺先輩とデートで来た場所。自分でもよく覚えてないけど、先輩、デートプランは俺と一緒に考えたって言ってたっけ?
何で俺、こんなとこに来ようと思ったんだか。初デートにこの場所は俺には敷居が高すぎた。会話が全然弾まなかったのを覚えている。

「なあなあ、瀧くん!見てよ!すごーい!」
楽しそうに、俺を窓際に引っ張っていく三葉さん。苦笑交じりに、はしゃぎすぎですよ、って言えば、
「瀧くんはまだ高校生でしょ?もう少し素直に喜ぶくらいの純真さがあって欲しいんやけど?」
もうっと口を尖らせて不満そうな顔。
「子供扱いしないでくださいよ」
「まだまだ子供でしょ?」
「そういう三葉さんこそ子供っぽいですよ?」
「あ、瀧くん、それは年上に失礼やよ?」
そんな言い合いも楽しくて思わず笑い合う。
二度目の六本木ヒルズデート……俺、ちゃんと上手くいってるんじゃないかな?

空からの景色を楽しんだ後は、国立新美術館を巡り、館内にあるカフェでランチを楽しんだ。
「とってもお洒落だね。私ね、こういうところでデートしてみたかったんよ」
「そう……ですか」
三葉さんはケーキを一口食べると幸せそうに頬に手を当てている。本当に甘いものが好きだなぁ、そんな風に微笑ましく思いながら、それ以上に俺はと或る疑問を感じていた。

どうして、奥寺先輩の時と同じデートコースなんだろう……?

よくあるデートプランなんだろうか?それを聞こうとしたけど……俺は首を振る。
何があっても彼女を信じると決めた。だから、このままでいいんだ、と。余計なことは考えずに、今はただ、三葉さんと一緒にデートを楽しもう。
「三葉さん、そろそろですよ」
「え、なにが?」
「『ハリネズミカフェ』の予約時間ですよ?」
その言葉に三葉さんの瞳がキラキラと光り輝く。
奥寺先輩とは『ハリネズミカフェ』には行かなかった。だから、これは俺が三葉さんのために立てたデートプランでいいよな。

*    *    *

「はわわわわ……♪た、た、た、瀧くんがいっぱいやさ」
「あの、三葉さん?俺とハリネズミを同じ扱いにするのやめてもらえませんか?」
心底不満そうな瀧くん。えー?ハリネズミ可愛いのに。
「えー、ハリネズミと瀧くんのツンツン頭……似てるよ?」
「いや、もういいです……」

ハリネズミカフェ』は、カフェと言っても食事をするというより、ハリネズミと触れ合う空間といった感じ。ケージの中にいる子たちを選んで、一定時間の間、一緒に過ごすことができる。店員さんに色々教えてもらいながら、と或るハリネズミと目が合った。
「あ、瀧くんや……」
ハリネズミを見て、瀧くんを見る。そして再びハリネズミを見る。なんか雰囲気似てる!この子、瀧くんだ……!
そんな私の様子を見ると、瀧くんはハァと深いため息をついた。

私はその子を選ぶと、テーブルまで店員さんが連れてきてくれた♪
「初めましてー。ハリネズミのタキくん。私は三葉やよ」
「なんですか……その名前」
「うーん、瀧くんと似てると思うんよ」
教えてもらったとおり、その子をそっと抱き上げると、瀧くんの顔と同じくらいの高さまで持ち上げる。
「……ハリネズミの針、痛くないんですか?」
「私も初めて触るけど、そうでもないよ」
高いところは怖いかな?そう思ってテーブルの上の箱に戻してあげると、ホッとしたのか、ハリネズミのタキくんは箱の中でちょこまかと動き始める。
「へぇ、確かにそんなに痛くないっすね……」
瀧くんも恐る恐る針を突っつく。その後も動き回るタキくんを眺めたり、抱っこしたり。その内、私の膝の上で寝ちゃったり。
「可愛いなぁ……」
「本当ですね……」
「ね?瀧くんもハリネズミ、可愛いって思うやろ?」
「あ、いや……俺は……」
首の後ろを掻いて照れる瀧くん、どうしたんだろう?

ハリネズミのタキくんに優しく触れながら、このままデートが終わらなければ、なんて思ってしまう。だけど、うん、わかってる……
私は頷くと、今日、瀧くんと過ごした楽しい思い出だけを胸に彼に笑いかける。
「本当にありがとう。今日のデート、私、一生忘れないよ」
「……また、来れますよ」
「うん……また一緒に来ようね」
お互い、会話が止まってしまったところで、丁度時間終了の案内。しんみりした空気が紛れたことにホッとしながら、ハリネズミのタキくんとのお別れに少し寂しい気持ちになりながら、私たちはお店を後にした。

私たちのデートは、それからもう少し続いた。
いくら瀧くんでもそろそろ……。ううん、もうとっくに気が付いているはず。だけど、何も言わずにこうして私に付き合ってくれている。
二人で歩いて、見かけたお店に入っては出て。カフェで一休みして、何気ない会話で笑ったり、驚いたり、言い合いしたり……

ここは大都会、東京。今、同じ場所、同じ時を瀧くんと共に過ごしている。
いつ頃からか、色のない街だと思っていたのに、今はこんなに色鮮やかで眩くて。
瀧くんがよく言ってる心に残る風景っていうのは、こんな風に人と人との触れ合いがあって、初めて成り立つんじゃないかな。
そんなことを考えながら、私は心から二人きりのデートを楽しんだ。


時計を見ると、もうこんな時間。気づけば陽も傾き始めて、夜へと誘う空気が徐々に辺りに広がってくる。
「三葉さん、お腹空きませんか?」
その言葉に私は首を振る。途中でカフェにも寄ったりして、そんなにお腹は空いていない。それに、楽しい時間をいつまでも続ける訳にはいかない。
あの日、決めたこと。瀧くんに全部言うって。だから……
「三葉さん……」
「え?」
歩道橋の上、急に呼び止められて振り返る。その場に立ち止まっている瀧くん。
「言いにくいんだったら、無理しなくても……いいんですよ」

瀧くん、優しいね。
でもね、いつまでも君の優しさに甘える訳にはいかないの。
私だって、ちゃんと強くなったんだから。

瀧くんの元に近づいていく。そうして間近で彼を見上げると、ハッキリした声で応える。
「大丈夫。ちゃんと言えるよ」
その言葉に瀧くんは無言で頷いた。
「ねえ、瀧くん」
「はい」
「星がよく見えそうなところ、行ってみない?」

 

電車を降り、海辺の公園へと並んで向かう。まだ夜というには明るいけど、それでも点灯を始めた街灯が、たしかに近づいてくる夜の帳を感じさせる。自動車の走行音もだんだん遠くになり、どこからか秋を感じさせる虫の音色が聞こえてくる。
「真夏の頃に比べると、夕方はだいぶ秋の空気に変わってきたね……」
「寒いですか?」
「ううん、そこまでは……」
大丈夫、と彼の顔を見て応えれば、安心したような表情。その表情に、ほんの少し決心が揺らぐ。
今日のデート、本当に楽しかった。きっとあの頃の私が瀧くんとしたかったデート。
もしかしたら最後のデートになってしまうかもしれないけど、こんな楽しい思い出が残るなら、たとえ終わってしまっても……

……ううん、ぜったいイヤだ。
また、瀧くんと。これからもずっと、何度でも……

手が震えて、左手に右手を重ねて震えを抑える。と、その上から瀧くんが手を添えてくれた。
彼の顔を見る。何にも心配してないって表情で微笑んでくれる。
「瀧くん……」
「信じてますから」
いつだって真っ直ぐな君の想い。
それがいつも私の心の壁を壊してくれて。
私は頷くと、瀧くんの瞳を真っ直ぐ見つめる。

さあ、時が来たよ……

「あのね、瀧くん。……私とあなたは夢の中で入れ替わってたの」

*   *   *

「夢の中で……入れ替わってた?」
語り始めた三葉さんの言葉。まずは意味がよくわからなかった。
「そうだね、わかんないよね。えっと、どっから話そうかな……」
三葉さんは触れていた俺の手からそっと離れていくと、ゆっくり歩き出す。
「前に瀧くん、私に聞いたことあるよね。どこかで会ったことないかって」
「はい」
三葉さんに出逢った時、ずっと探していた"誰か"だと思った。初めて会ったはずなのに、ずっと前から知っていたような。だから、何か運命めいたものを感じて、そんな風に聞いたことを覚えている。
「本当はね、会ったことあるんだよ」
「え?いつですか?」
「四年前」
「四……年前??え?俺が……中学生の時っすか?」
口許を抑えて記憶を探る。だけど全く記憶にない……

そんな俺の様子に、三葉さんは得心するように頷き、話を続ける。
「順を追って話すね……。四年前の二〇一三年九月二日。私と瀧くんはね、夢の中で初めて入れ替わったの。それから、私たちの入れ替わりの日々が始まった」
「スミマセン。……その『入れ替わる』って、どういうことなんですか?」
「私が瀧くんになって、瀧くんが私になってたの」
「ハア??」
俺が三葉さんで、三葉さんが俺?そんなとんでもない状態を覚えてないなんてことあるのか??
ますます混乱してしまった俺を見て、三葉さんがクスクスと笑う。
「お互いが眠るとね、翌朝、相手の身体の中に自分の意識が入ってて、自分が相手の代わりにその日一日を過ごすの」
「えっと……それじゃあ、俺が三葉さんになって、生活するってことですか?」
「そう。夜に眠ると元に戻ってるんだけどね」

え、ええぇ……
俺は立ち止まると三葉さんの姿を見る。顔から足先。足先から思わず胸。
俺は好きな人になってたって訳?でも、女の人だぞ?もしそんなことになったら……

「瀧くんはねぇ、本っっ当に、大変やったんやよ!」
楽しいのか、呆れているのか、そんな声のトーンで、三葉さんは俺を指さす。
「私、女子高生やったのに、仕草はガサツで、スカートでも足広げるは、ノーブラで過ごすわ、糸守の中でひっそりと過ごしてきたのに、目立つ行動ばっかりして、周りから変な目で見られるわ……」
「いや、なんかもう、本当スミマセン……」
記憶には全くないけど、目の前にいる三葉さんがそんな行動されたらと思うと……思わず頭を下げてしまう。
だけど、三葉さんはいつになく楽しそうな表情で俺に笑いかける。
「ううん。私もね、瀧くんになって、憧れていた東京で色々やらせてもらってたから」

三葉さんは言う。司や高木と生まれて初めてカフェに行ってパンケーキを食べたこと、初めてアルバイトをして働いたこと、奥寺先輩と仲良くしてもらったこと、etc……

「私ね、糸守って町が嫌いやった。宮水家ってね、神社なんだけど、地元だと歴史と伝統格式ある家柄みたいに見られてて、周りから『宮水の上のお嬢さん』なんて呼ばれたり。宮水三葉っていうより、いつも『宮水家』の三葉って感じで見られて。……本当に嫌やった」
だんだんと暗くなっていく夜空を見上げながら、そう語る三葉さん。
「だから、『宮水』に関係ないどこかに、きっと何でもある東京に行きたかったんだ。だけど、高校生の私じゃそんなことできっこなくて。だから、瀧くんと夢で入れ替わって東京で過ごせるのは本当に楽しかった」
話がズレてたね、そう言うと三葉さんは俺の顔を見て、懐かしそうに続きを話し始める。
「入れ替わってた最初の頃は、お互い言い合いしてばっかり。だって、そうだよね、男女で性別違うし、相手のことは何にもわからなくて。理由もわからないまま相手と入れ替わって、そして、瀧くんは私の姿で好き勝手に行動して」
「でも、聞いてる限り、三葉さんも俺の姿で好き勝手やってたみたいですけど?」
少し揶揄うように言うと、ばつの悪そうな顔をして、否定はせんよ、とごにょごにょ呟く。
「だけど、瀧くんはね、糸守で縮こまって生活していた私に色々言ってくれたり、私の代わりにイヤなことから守ってくれたり、さり気ない優しさとか、気遣いとか、そうやってだんだん私の心の壁を取り除いてくれたんだ。だから、少しずつ、本当に自分でも気づかないくらい少しずつ……」
三葉さんは、大切なものに触れるように、自分の胸にそっと手を当てる。そうして俺に向かって優しく微笑んだ。

「あなたのこと、好きになってた」

その言葉は、嬉しいはずなのに。
……俺は彼女の話をまるで覚えてなくて。だから、目の前に居る人を見つめたまま、ただ立ってるしかなかった。

「でもね、私、素直じゃないから、そんな自分の気持ちに蓋をして。気づかないフリして。……瀧くんって、奥寺先輩に憧れてたやろ?」
「え!?……ま、まあ、そういう時もありました」
思わず正直に答えてしまったけど、それを意に介することなく三葉さんは言葉を続ける。
「だから、入れ替わってる君のために、二人の仲を取り持ってあげようって、瀧くんの姿で奥寺先輩と仲良くなって、それであの日、先輩とデートの約束したんだ」
「え?それじゃあ、奥寺先輩とのデートって……」
「うん、私が瀧くんの代わりに約束したデート」
「あ……」
「ゴメンね……」
「いえ……」

だから、今日のデート……
入れ替わっていたという、その頃の彼女の想いに少し触れたような気がした。

「瀧くんが奥寺先輩とデートするって日に、私、やっと瀧くんが好きだって気づいて……だから、瀧くんに会いたくて東京まで行ったの」
ここまで来て、俺の中にひとつの疑問が浮かんでくる。
奥寺先輩とのデートは去年の十月だった。だけど、三葉さんの話は四年前のこと。三葉さんが嘘を言ってるとは思えないけど、これじゃあ、話が合わない。
そんな俺の考えに気づいたのか、彼女は軽く頷く。
「東京に行って、ちゃんと瀧くんに会えたんよ。だけどね、瀧くん、私のことわからなかった。『……誰?お前』って」
「え……?」
「その時は四年前。だから瀧くんはまだ中学生やった。私ね、気づいてなかったの。私は一年前の瀧くんと入れ替わってた。瀧くんとは同級生だと思ってたけど、本当は今みたいに三年のズレがあったの……」

*    *    *

「……少し休もっか?」
公園内の歩道。私は歩道横の街灯に照らされたベンチを指さす。
ベンチに並んで座ると、瀧くんは考え込むように、手を組み黙って前を見つめている。
いきなり突拍子もない話が続いて混乱はしてるみたいだけど、それでも瀧くんなりに理解しようとしてくれてるんだってことは十分に伝わってくる。
「大丈夫?」
「あ、はい。驚いてはいます。だけど、その話がまだ『今』に繋がらなくて。……続き、聞いてもいいですか?」
「うん、わかった」
瀧くんに促されるように、私は話を続ける。

「私と入れ替わっていたのは、高校生の瀧くん。だから、当たり前だけど、中学生の瀧くんは私のことわかんなくて。それでも別れ際にね、私の名前を聞いてくれたの。だから、とっさにこの組紐を渡した」
髪から組紐を解くと、瀧くんに見せる。間近で見た組紐に、瀧くんは何かを思い出したように、あ、と声を上げる。
「これ、俺がお守りに腕に巻いてたミサンガ……?」
「うん、瀧くんは右腕に巻いてたよね?」
頷きながら瀧くんの右手を指さす。
「瀧くんが、私のことをわからなかったことがショックで、その日、帰ってから伸ばしていた髪をバッサリ切って……。今よりもう少し短いくらいかな」
何気なく当時の髪の長さを手で示すと、瀧くんは、え!?と短く呟き、そのまま固まってしまう。
「大丈夫。あとでちゃんと勘違いだって気づいたから。でも、その時はまだ瀧くんとの時間の差がわからなくて、ね?」
「スミマセン……」
女の人が髪を切る意味。瀧くんも感じているのか、顔が俯く。だけど、これから続く話にもっとショックをうけるだろうから、私はそのまま話を続けた。

「その翌日は、二〇一三年十月四日。瀧くん、何の日かわかる?」
「十月四日?えっと……」
「ティアマト彗星が地球に一番近づいた日やよ」
「彗星……?え?それじゃ……」
私は頷く。だけど、これから伝えることは、瀧くんが考えている事実とは、きっと違う真実。
「その日の夜、私は浴衣に着替えて、親友二人と一緒に彗星を見に行ったんよ。三人で夜空を見上げて、それはとっても幻想的で、夢のように美しい眺めで……。そして暫くすると彗星が二つに割れたの」
言いながら、背筋が寒くなる。ぞわりと肌が粟立ち、心臓の鼓動がだんだん速くなっていくのがわかる。
「最初はね、それすら美しい眺めだって……そう思ってた。いつまでもこの景色を見ていたいって。その時だけは瀧くんが私をわからなかったことを……ツライことを忘れられるようで……」
ハァハァと息が、呼吸が荒くなっていく。
「み、三葉さん?無理だったら……」
気が付けば、瀧くんが心配そうに私を見ていた。私は首を振る。
「だいじょう……ぶ、やよ」
そう言った瞬間、私は瀧くんに抱き締められていた……
「三葉さん、一気に言わなくてもいいですから。落ち着くまで待ってますから……」
瀧くんの言葉に、まとわりついていたあの時の恐怖が消えていく。
「ありがとう、瀧くん。今は少しだけ、お願い……」
「……はい」

目を瞑り、スウ……ハァ……とゆっくり呼吸を繰り返す。
大丈夫。今、私はこうして生きてる。
そっと瀧くんの背中に腕を回して、一度だけギュッと力を込める。そうして心の中で頷くと、私はそっと瀧くんから離れる。
「もう、いいんですか?」
「うん……力、貰ったよ」
ベンチから立ち上がり数歩進んだ先で、瀧くんの方へと振り返る。
「割れた彗星が、糸守町に落ちたことは知っとるよね?」
私の言葉に瀧くんは、はい、と頷く。
「……私ね、彗星事故に巻き込まれて、一度死んだの」

*    *    *

「……死んだ?」
感情が伴わないまま、ただ彼女の言葉を繰り返す。三葉さんが語る不思議な話。その中でもとびきり訳がわからない。だけど、彼女のその切ない表情は、とても嘘を言ってるようには見えなくて。
「だ、だって!三葉さん、ちゃんと生きてるじゃないですか!!死んだって何ですかそれ!?死ぬってことは『今』ここにはもうっ!!」
彼女を追うようにベンチから立ち上がる。俺がそう言うことは、さも当然のように三葉さんは何度も頷く。
「そう。私はそのまま死んでたはずだった。今、ここに存在はしてないはずだった。だけど、ちゃんと『今』を生きてる……」
公園の灯りが彼女の表情を照らす。今の俺は一体どんな顔をしてるんだろう?そんな事はありえない、そう思いながら嫌な汗が背中を伝う。
それなのに、死んだとか、生きてるとかそんな話をしている彼女の方が、安心しきったように、俺に微笑んでくれている。

「瀧くんのおかげなんやよ……」
「俺の……おかげ?」
「私も死んでいたから、詳しいことはハッキリわからない。だけど、瀧くんも私と三年のズレがあったことには気づいてなくて、私が死んだことを知らないまま、急に入れ替わりが途絶えたことに心配して飛騨まで来てくれた」
「もしかして、それが去年の飛騨旅行……?」
「きっと、そうやと思う」
行った理由がわからなかった飛騨旅行。三葉さんの話にもちゃんと繋がってる。だけど、どうして俺は全然覚えてないんだ?
「その時、瀧くんは私が死んだ事実を知ったんやと思う。……けど、瀧くんはそこで終わりにしないで、もう一度私を助けようとして頑張ってくれたの」
「俺が……?」
「うん。もう一度、私と入れ替わることができれば、きっと私を助けられると思って、行動してくれた」
「でも、どうやって?もう入れ替わりはなくなったんですよね?」
「えっと……ね。宮水神社の儀式に『口噛み酒』というものがあるんよ。は、恥ずかしいからあんまり言いたくはないんだけど……」
しんみりしていた三葉さんがこの時だけは、妙に口ごもって。
「お米を口の中でモグモグして、それを吐き出して、放置して発酵させる日本最古のお酒!」
もの凄い早口で言い切った。でも、それって……
「す、すごいお酒っすね……」
「すごくないよ……恥ずかしいだけやさ」
三葉さんは真っ赤になった顔を手で覆う。それでも暫くすると、フゥと息を吐き出して言葉を続ける。
「その『口噛み酒』をね、毎年ある山の頂上にある宮水の御神体にお供えしとるんよ。瀧くんもそれを知っとって……」
「あ、あの、もしかして、その流れだと……」
「うん。瀧くん……それを飲んだの」
お互い、何とも言えぬ、気まずい空気。
いや!俺だってその『口噛み酒』を飲める自信はある!!だけど、飲まれる方は、果たして……
チラリと彼女を見ると、ちょっと恨みがましいような表情で俺を見てる。えぇ……でも、俺自身は身に覚えないんですけど。
話を逸らそうと、俺は一つの疑問を口にした。
「でも、どうして、その……『口噛み酒』を飲めば、もう一度入れ替われるなんて思ったんですか?」
「瀧くんは、ムスビって知っとる?」
「ムスビ……ですか?」
「うん、ムスビ。一度口にしたもの、身体に入ったものは魂とムスビつく。『口噛み酒』は私の魂と繋がったもの、私の半分。だから瀧くんはもしかして、と思った。そして……」
「もう一度入れ替われた」
「うん」


歩こうか?そう彼女に促され、再び公園を並んで歩く。気づけば陽はすっかり落ちて、等間隔で並ぶ街灯の明かりが俺達の行き先を示してくれるようだった。
「そこからは私になった瀧くんと私の親友が協力して、彗星から皆が避難できるように作戦を立てていったの。だけど、それは殆ど犯罪に近いレベルでね。やっぱり全員を非難させるには大人の力が必要やった」
「大人の力……?」
「私のお父さん、色々あって、家を出てっちゃったんだけど、糸守町の町長やったの。だから、入れ替わってた瀧くんは、娘が説得すれば協力してくれると思った……」
「で、全員、避難できた、と」
三葉さんは静かに首を振る。
「中身が瀧くんだったからなのか、彗星が落ちるなんて荒唐無稽な話だったからなのか、全然取り付く島もなかったみたい」
「でも、それじゃ……」
「けど、その時、瀧くん、入れ替わった私が口噛み酒があった山にいるって気づいて。だから、本当の私だったらお父さんを説得できるかもと思って、必死にそこまでやってきてくれた」

歩道を抜けると大きく広がった広場。灯りもなくて、足下もおぼつかない。だけどその分、辺りは暗くて、都心だというのに、多くの星々が頭上で瞬いていることに気づく。星はいつだって同じように輝いているのに、普段はなかなか気づいていないんだな、ふと、そんな思いが心の中を巡った。

「瀧くんに入れ替わってた私は、瀧くんと三年の差があること、自分が一度死んだってことを理解した。途方に暮れて、どうしたらいいんだろうって思ってた時、瀧くんの声が聞こえたの」
大切な思い出を懐かしむように、三葉さんは再び語り始めた。
「でもね、会うことはできなかった。だって、私は三年後の同じ場所にいたから」
「それでも会えた。そうですよね?」
目を細め、うん、と頷くと、彼女は俺の正面に立った。
「夕方、陽が暮れて、昼でも夜でもない時間。糸守では『カタワレ時』と呼ばれる時間。世界の輪郭がぼやけて、私の時間と瀧くんの時間が繋がった」
こうしてね、と三葉さんは俺に一歩近づくと右手で俺の胸にそっと触れた。
「お互いがお互いを知ってて、自分の姿で初めて会えた。それがとっても嬉しくて。だけど会えたのは、陽の光が消えてしまうまでのほんの僅かな時間。瀧くんから、みんなを避難させる作戦と、この組紐を引き継いで、そして最後に、お互いの手に名前を書いておこうって」
「名前……?」
「入れ替わりは『夢』。夢っていつか忘れてしまうやろ?だから名前さえ書いておけば、忘れないって」
「忘れ……」
心に何かが突き刺さるような痛み。今までの話が本当なら、俺は、俺は……

「瀧くんは、私の右手にとっても大事な言葉を残してくれた。でも、私は書けなかった。書く前に『カタワレ時』は終わってしまったから。それでも私は瀧くんのこと、ぜったい忘れないって心に誓って、親友たちと協力しながら避難作戦を進めていった」
そう言うと三葉さんは自分の手のひらに視線を落とす。
「作戦がどれだけ上手くいったのか、今になってみるとわからない。彗星の落下が迫る中、私はもう一度お父さんを説得するために必死に走って、途中で転んで。その時ね、瀧くんが残してくれた言葉を見たの」
「その言葉は……"好き"ですか?」

*   *   *

瀧くんは、瀧くんだね……
驚いたような、でも当然のような想いを胸に私は頷く。
「うん。瀧くん、私の手に名前じゃなくて『すきだ』って。それじゃあ、名前わかんないのにね……」
「きっと名前以上に想いを……忘れて欲しくなかったんだと思います」
「そうだね、私も忘れたくなかった……」
ギュゥと右手を握りしめて夜空を見上げる。あの日と同じ。星が煌めいている。
だけど、今は忘れてなんかいない。どこにも居なくなったりしない。ちゃんと目の前にいてくれる。そして、この想いだって決して消えたりなんかしない……

「お父さんは説得できた。そして町長のお父さんの指示で全員が避難して、彗星災害から、誰一人死なずに済んだ」
フゥ……と息を吐いて、心を落ち着かせるように一拍おく。
「信じられないかもしれんけど、これが私と瀧くんの間にあったお話。瀧くんのおかげで私は『今』こうして生きてる。だから瀧くん、もう一度言わせて。私を、みんなを救ってくれて、本当にありがとう」
大きく頭を下げる。何度感謝してもしきれない、私の、私たちの命の恩人。
彼からの言葉はなかった。ただ、頭を上げると、瀧くんは涙を零して泣いていた……

「ごめん……」

流れる涙を抑えようともせず、ただ、ポツリとそう呟いた。

「……泣かないで」

私は、彼の頬を流れる涙を代わりに拭ってあげる。

「それでも……」

彼は私の腕を掴む。

「思い出せないから……」

その辛そうな表情に心が痛くなる、下唇を噛んで、泣きそうになる自分を必死に抑え込む。
だって、まだ全部終わってないから……

「瀧くんが悪い訳じゃないんだよ……。私も一度は瀧くんのこと、忘れてたんだから」
「え……?」
「入れ替わりは、夢だったから?それとも死んだはずの私が生きてしまったから?理由はわからない。だけど、彗星から避難はできたけど、私は瀧くんを忘れてしまった」
「……けど、今は思い出してるんですよね?」
「うん。去年の秋、急に思い出したの。瀧くんの声が聞こえて全部、思い出した……」
「だったら……だったら、何で!今まで教えてくれなかったんですか!!」

*    *    *

三葉さんが語る、俺と彼女の間にあったこと。
信じられない話……だけど、俺はその全てをすんなり受け止めていた。
記憶にはないし、覚えていない。だけど、俺の体が、体験していたことを覚えてるように……だから、涙が止まらない。
この涙は、懐かしさからくるものなのか、辛い体験から来るものなのか、それとも、今、考えていること。

――どうして俺は思い出せない?

そんな悔しさからくるものなんだろうか……

「……ねえ、瀧くん?」
俺の問いに三葉さんは、静かに答える。
「私たち、どうして入れ替わったんだろうね……?」
「どうしてって、たぶん、彗星が落ちるってこと、未来で知ってる俺だったら、事前に知ることができる可能性があったから?」
「そうだね、そして、それは普通じゃありえないこと。きっと私が『宮水』だったから、それができた」
「宮水……だから?」
「宮水家、宮水神社にはずっと伝承してきたものがあるの。それはきっとあの彗星からみんなを救うためのもの。そして『宮水』の人間が、こうして誰かと夢で入れ替わることも、その方法のうちの一つ……」
言いながら、三葉さんは俯き、徐々に声を震わせていく。そんな彼女が不意に顔を上げると、
「瀧くんが私を助けてくれたこと、感謝してもしきれない。だけど、やっぱりそんなの普通じゃない!普通じゃ、ありえないよ!一歩間違えれば、瀧くんの身に何かあったかもしれない!私は、そんなことに瀧くんを巻き込んだ!」
切ない叫びが、辺りに響いた。

「俺は……そんなこと気にしません」
俺の正直な言葉にも、彼女は首を振って受け入れようとはしなかった。
「去年、瀧くんを思い出した時、とっても、嬉しかった……。もう一度、瀧くんに逢いたいってそう思った。だけど、同時に気がついた。瀧くんを『宮水の力』に巻き込んでしまったこと」
離して、そう言って三葉さんは掴んでいた手を解かせると一歩下がった。
「瀧くんはね、私と入れ替わらなくたって、ちゃんと幸せになれたはずなんだよ。私はあなたを一方的に巻き込んだのに……それでも、私のことを好きになってくれて、また逢いたいって思ってくれて」
「俺の気持ち……迷惑でしたか?」
「違うっ!そんなことないっ!だけど……瀧くんは、私に再会するまで、辛くなかった?苦しくなかった?私は……誰かを、何かを探し続けて、心が彷徨っていた。瀧くんもきっと……」
三葉さんは声を、肩を震わせている。だけど、俺はそんな彼女を慰めることができなかった。だって全部、彼女の言うとおりだったから……

「だから、こんな私が、瀧くんを好きになっちゃいけないって思った。忘れようと思った。だけどね……」
そう言って俺を見つめる彼女の瞳は、想いが葛藤するかのように揺れていた。
「あの日、瀧くんはまた私を見つけてくれた。一度は君を拒んだのに。それでも追いかけてきてくれた。付き合って欲しいって言ってくれた。好きだって言ってくれた。嬉しくて……とっても嬉しくて……」
それでも少しずつ、その瞳に強い意志が戻ってくる。
「君は私のこと覚えてなかったから、思い出さなくてもいいって思った。だけど、私、心のどこかで思い出して欲しいと思ってたの。だから、瀧くんが誰かの代わりって言ってたのは、入れ替わってた頃の瀧くん。無意識で君と、昔の君を重ねて見てた」

ごめんね……
そう言って謝る彼女に俺は首を振る。
「俺の方こそ、ごめん……」
ずっと、俺だけを見ていてくれた。それなのに、そんな彼女の想いを何も知らずに、俺はあの日、あんなヒドイことを……

「ううん、瀧くんの言葉で気がついたの。私は本当はどうしたいんだろうって……。だから、今日までずっと考えてきた」
「答えは……出たんですか?」
そう言った俺の中にも一つの答えが浮かんでくる。彼女の答えに対する、きっと俺達の回答……

目を瞑って頷く三葉さん。そして目を開くと、決意を込めたまっすぐな瞳で、

「瀧くんが好きです……」

静かにそう言った。

*    *    *

「私は……瀧くんとの想い出に恋してた訳じゃない。あなたの真っすぐで一生懸命で、素直じゃなくて不器用で……でも、いつも私のこと見てくれて、まだまだ言い足りないくらい……。そんな瀧くん自身が好きなの。私とのこと思い出せなくたって、やっぱり瀧くんは瀧くんなんだって。やっとそのことに気づけた……」

ありったけの想いを込めて、今……

「私は、あなたを巻き込んだ。それでも、この気持ちにだけは嘘はつきたくないから。だから……」

――私は、瀧くんのことが、大好きです

私の心からの告白。これで瀧くんに言わなくちゃいけないことは全て話した。
あとは、瀧くんに委ねる。たとえ君に嫌われてしまっても、全てを打ち明けることができたから、悔いは……ない。

 

「三葉……」
心に響く、懐かしい呼び方……
「え……?」
瀧くんを見ていたはずなのに、別の人みたいな気がして、二、三度、瞬きする。
「ごめん、思い出せないんだ。だけど、あなたのことはこう呼ぶべきだと思った……」
「ううん、いいよ」
記憶が戻らないことなのか、名前の呼び方か、それとも両方の意味だったのか、私はただ瀧くんの言葉を肯定する。

「俺も今、答えが出たよ」
「答え……?」
「三葉は……俺を『宮水の力』で巻き込んだって言ったけど、それは違う」
「え……」
「三葉は、俺以外の誰かと入れ替わりたかった?」

私は大きく首を振る。瀧くん以外の誰かと入れ替わるなんて考えたこともない。入れ替わるなら瀧くん以外に考えられない。

「だろ?……確かに入れ替われたのは『宮水の力』だったのかもしれない。だけど、俺と入れ替わったのは、三葉が俺のこと、選んでくれたからだよ」
「私が……瀧くんを選んだ?」
「そう。きっと糸守で色々悩んだり、困ったり、それとも無意識で彗星災害を回避するためだったのかもしれない。そんな三葉が"俺"に助けを求めて。そして、俺も"三葉"を選んだ」
「瀧くんが……私を……」
「三葉が俺を求めてくれて、俺も三葉を求めた。お互い、少しずつ手を伸ばし合って、その手が触れて、掴んで、引き合って。だから、入れ替わりが起こったんだよ」

ずっと……我慢してたのに……
瀧くんのその言葉に涙が溢れてくる……

「私が手を伸ばして……」
「俺が手を伸ばした……」

互いに精一杯、手を伸ばし、その手で掴んだ二人の奇跡(ムスビ)。

私が瀧くんを選んだ。
瀧くんも私を選んでくれた。
だから、だから……

「あれは二人で始めた物語……?」
「そうだよ、三葉。俺は巻き込まれてなんかない。俺と三葉、二人で一緒に選んだから『今』があるんだ。」

瀧くんの言葉に、根拠なんて何もない。
だけど、それでも、瀧くんは、瀧くんだから、本気でそう思ってる。真っ直ぐに。微塵も疑いもせずに。
だったら、私も。大好きな瀧くんの言葉だから、ぜったいそうだって信じられる。

「私たちは、出逢うべくして出逢ったんだね……」
「ああ。だから……もう一度。聞いて、三葉」
私をそっと抱きしめると、
「俺も、三葉のこと、大好きだ。これからもずっと傍にいて」
そう耳元で囁やく。

瀧くんの背中に手を回すと、顔を見られないように彼の胸に額を押し当てる。
「……私……我儘やよ」
「いいですよ」
「瀧くんと、本当はもっと一緒に居たいって思っとるよ……」
「いくらでも付き合います」
「瀧くん、かっこいいから、他の女の子といると嫉妬するかもしれん」
「俺も、三葉が他の男に取られないようにがんばります」
「泣き虫やよ……」
「……本当は泣かせたくないのにな」
「いいよ、今日いっぱい泣いた以上に……」

顔を上げ、零れるままの涙をそのままに、満面の笑顔を彼に贈る。

「これから、ずっと笑顔にしてくれるんやろ?瀧くん」
「うん。約束するよ……三葉」

きっと、二人笑ってる。心から笑ってる。
夜空に煌めく満天の星々、永遠なる輝きが私たちを祝福してくれるかのよう。
ああ、そうだね、やっと今……
私たちの新しい物語は、スタートラインから走り始めたんだ!

*   *   *

二〇一八年初夏……

「すみませんッ!!!」
「もうっ、遅いよ!瀧くん、十分の遅刻やよ!」
「ごめん!言い訳しないっす!!」
待ち合わせの四ツ谷駅前。手を合わせて、瀧はペコペコと三葉に平謝り。

「……もう遅くなるのはいいけど、連絡ないと心配なんやからね」
「ごめん……三葉」
再会から一年。瀧も無事に大学に合格し、今は大学生同士、順調に付き合いが続いている。

「今日はお昼おごるからさ、機嫌直してよ。な?三葉」
「もう、そうやって、すぐごまかそうとして……」
三葉は瀧に腕を絡めると、上目づかいで抗議する。
が、そんな怒った顔もちょっと可愛いと思ってしまう瀧であった。
「デザートは、一番高いパンケーキやからね!」
「はいはい、わかりました」

並んで歩く東京の街並み。瀧は隣を歩く三葉を見ると、今はハーフアップにしている彼女の流れるような綺麗な黒髪に優しく触れる。
「髪、伸びたね……」
「瀧くん、ロングの方が好きやろ?再会してからずっと伸ばしとるんよ」
「似合ってる」
「ありがと」
ふふっとくすぐったそうに三葉は笑う。と、少しだけ目を細めて、呟くように言った。

「あのね、入れ替わってた頃のこと、最近、少しずつ忘れていっとるんよ……」
「え……?」
瀧は三葉の横顔を見る。まっすぐ前を向いたまま。彼女は言葉を続ける。
「入れ替わりは『夢』。夢は目覚めればいつか消えてしまう……そういうものやから」
「……大丈夫?」
優しく、彼女を心配するような声に、三葉は微笑みを返す。
「大丈夫やよ。夢は忘れていっちゃうけど、瀧くんと、あの時、四ツ谷駅で再会できた時のことは、今でもはっきり覚えてるから」

――神宮高校三年!立花瀧って言います!!

「あの時、瀧くんが私を見つけてくれて、声をかけてくれたこと。一生忘れないよ」
「今、思い返してもかなり恥ずかしいですけどね……」
照れた時のクセ、首の後ろを手で掻いている。
「ううん、そんなことない!瀧くんらしくてカッコよかった」
「まあ、三葉がそう言ってくれるなら……」

三葉はそっと寄り添うとジッと瀧を見つめる。
「な、なんすか?」
「私ね、思うんよ。あの時、私だけ記憶が戻った理由。出逢ったあの夏は、嬉しかったり、悲しかったり、喜んだり、泣いたり、色々大変やったけど、それは今みたいに瀧くんの傍に居られるためのムスビの神様の試練やったのかなって」
「しんどい試練でしたけどね……」
「ふふっ、そうやったね。だけどね……」
不意に踵を上げると、三葉は瀧の頬にキスをする。
「なっ!?」
「今は何も心配しとらんよ!心から瀧くんのこと、”好き"って言える。だから、瀧くんも心配せんで」
「え……?」
頬に手を当てながら、瀧は三葉を見つめる。
「私たちは大丈夫!だから、私が社会人になっても心配しなくてもええんやよ」
「し、知ってたんすか……」
「わかるよ、瀧くんのことくらい」

来年は三葉も社会人。高校生と大学生からやっと同じ大学生になれたのに、今度は学生と社会人。そのことをどこかで瀧は心配していた。

「心配しすぎで寝れんくらいやったら、遅刻しないで、一分でも早く私に会えば元気になれるのに」
「そのとおりっすね……」
敵わないなぁ、そんなことを思いながら、瀧は笑顔で彼女の手を取る。
「それじゃあ、行きますか!」
その手を強く握り返すと、三葉は大きく頷く。
「瀧くん、今年もまた花火大会、行こうね!」
「俺は海にも行きたいっす」
「うん!あと、良かったらまた一緒にうちの実家に行かない?四葉も瀧くんに会いたいって」
「俺もまた、糸守の復興してるところ、見に行きたいです」

真夏の太陽が二人を照らす。
これから先も二人の前には、多くの困難が待ち受けてるのかもしれない。

「ねえ……瀧くん?」
「なに?三葉」

だけど、あの夏の出来事を乗り越えた二人なら、きっと何があっても大丈夫。
季節が巡っても、何度だって二人の夏がやってくる。

「瀧くん、大好き!」
「俺も大好きだよ、三葉」

そして、また……夏が、はじまる!!


君の名は。スパークルMVif ~夏恋~ 結び