君の名は。SS 瀧くんの前の席の女の子と高木くんのお話。

劇中、瀧くんの前に座っていた女の子の存在感が気になって、某書で書かせて頂きました。
見た目は存在してますが、キャラ設定等がオリジナルとなるため、オリジナルキャラが苦手な方はお控えください。
それでは宜しくお願い致します。



「いってきまーす」
 まだ夏の眩さを感じさせる太陽が目に飛び込んできて、思わず手をかざす。
 私の名前は、高山真由(たかやままゆ)。都内の神宮高校に通う高校二年生。いわゆるごく普通の十七歳の女子高生!
 身長は一七〇センチ。体重はごにょごにょ。胸はまあ人並みに?髪は黒髪ロング!性格は、良く言えば、明るくサッパリしてて話し易いとか言われてる。悪く言えば大雑把……。
 ま、正面切ってそんなこと言う奴は一人しかいないんだけど。
「おーす、真由」
「ちょっと、高木ぃ!名前呼びは気を付けてって言ってるでしょ。家が隣同士とか知られると色々面倒なんだから!」
「知ってるやつは知ってんだから、別にいいだろ?」
「知らない人にまで知られなくてもいいってこと!」
 こいつは私の幼馴染にして、隣に住む、高木真太。同じ神宮高校の生徒にして、幼稚園から小中高と一緒のおない年の腐れ縁。幼馴染って響きはいいけど、どうせ同じ幼馴染だったら、こんなガタイのいい大男じゃなくて、そう、彼のようなスマートな……
「お前、朝っぱらから、なにニヤけてんだ?」
「うっさいわね!人の顔ジロジロみないでよ」
「へいへい」
 まあ、なんだかんだ言っても、気を遣わないところがコイツのいいところ。だから、こうして一緒に登校してても気楽なんだろうけど。

 いつものように電車に揺られて学校へと向かう。そんな当たり前の通学風景。だけど、九月に入ってからの私はかなりご機嫌だ。だって、この前の席替えで……
「おう!瀧!」
 通学路の前を歩いていた同級生に気が付くと高木が大声で呼び掛けた。その名前に私はドキッとする。振り返ったその人は一度大あくびをすると、こちらに手を挙げた。
「ふぁ……おはよ、高木、高山さん」
「お、おはよう、立花君」

 彼の名前は立花瀧君。高木や私と同じ神宮高校二年のクラスメイト。
 そして、私の、その……好きな人でもある。まあ、好きと言っても、片思いの一方通行な恋ではあるんだけど。
「どうした、瀧?お前、やけに眠そうだな」
「いや、よく覚えてないんだけど変な夢見てさ……」
 三人で並んで校門をくぐる。立花君は、未だに眠いのか目を擦りながら歩いている。と、その手のひらに何か文字みたいなものが見えた。
「立花君、なにそれ?」
「え?ああ、なんだろうな?」
 手のひらを見つめながら、自分のことなのに、まるで訳がわからないように、立花君は首を傾げる。
「油性マジックで書いてあるから、なかなか消えねえんだよ」
「自分で書いたんだろ?」
「いや、それがよく覚えてなくてさ」
「はぁ?」
 高木と並んで話す彼の手のひらがチラリと見えた。そこには『みつは』と書かれていた。
どういう意味なんだろう……?

*   *   *

「プリント、後ろに回してー」
 前から送られてきたプリントを後ろへと回す。私の後ろは立花君の席!九月初日の席替えで、運よく私は立花君の前の席に座ることができた。高校一年の時は別のクラス。今年は同じクラスになれただけでも幸せなのに、こんな近くの席になれるなんて♪
 そんな感じで、九月に入ってからの私は毎日が楽しくてしょうがない。まあ、高木には浮かれすぎだって揶揄われるんだけど。
「はい、立花君」
「あ、ありがとう」

 ……ん?
 なに?今のイントネーション……?一瞬可愛いと思ってしまった。

「ど、どういたしまして」
 そんな風に返したら、えへへっ♪とハニかんだ笑顔を返された。慌てて、前へと向き直る。
 あれ……?今の本当に立花君?
 もう一度振り返ろうと思ったけど、授業中だからそんなことはできなくて。悶々と考えてると先生の話が頭に入って来ない。
「うーん、東京生活は楽しいんやけどなぁ……。やっぱり授業は難しいわぁ」
 背後から、立花君の意味が分からない独り言が聞こえてくる。
「はい、次、高山さん」
「え?あ、はい!」
 先生に当てられて、思わず立ち上がったものの、まずい、全然聞いてなかった……
「え、ええと……」
「一〇五ページの最初のところからやよ」
 立花君が後ろからこっそり教えてくれた。私は続きを読み始めたけど、恥ずかしくて顔が赤くなっているに違いない。

「はい、じゃあ、今日はここまで」
 終業チャイムが鳴り、お昼休みに入る。先生が教壇から離れるのと同時に私は振り返った。
「あ、あのさ、立花君?」
 ん?と彼は小首を傾げる。やっぱり今日の立花君は仕草がいちいち可愛らしい。
「今日の立花君さ、」
「おーい、瀧、メシ行こうぜー」
 何かあったの?と聞こうと思ったところに、横から高木ぃぃ。
「なんだよ、真……高山?」
 私の視線に気づいたのか、高木は一瞬たじろぐように、半歩下がる。
 そこに、どうかした?と、藤井君もやってきた。何となくいつもの男の子三人組が集まると話しかけづらくて、私は、席を立ち上がった。
「やっぱり、なんでもないや」
 私も友人達と昼食を食べるためにその場を離れる。チラリと立花君の方を見れば、いつものように楽しそうな男子三人。やっぱり気のせいかな、そんな風に思いながら、私は友達の輪に加わった。

 ……だけど、それからの立花君は、やっぱり日によってどこか変だった。
 まず、歩き方が内股。走る時は女の子走り。(立花君のそんな姿見たくないよー)
 言葉遣いがちょっと訛ってる。きゃあーとか、うっそーとか語尾が伸びる。(でも話し方、可愛い……)
 授業中に後ろの席でなにやら独り言を呟いている。よく聞き取れないけど、こっちの授業は難しすぎるとか、あんの男はぁ!とか怒ってたり。(男ってなんなの?)
 休み時間に、一心不乱に情報誌を読み漁って、甘いスイーツをチェックしている。(立花君ってスイーツ男子?)
 藤井君が傍にいると、顔を赤くして、あまりに照れてるから、一部の女子の間で注目を浴びてる……etc(高木にも照れてる時があるんだよね……)

 そんな日が数日に一度あるんだけど、翌日になると、何事もなかったかのように普段どおり。
「立花君、あのさ……」
「え?なに?」
 私が好きな、ちょっと話しかけづらい、ぶっきらぼうな立花君に戻ってる。
「昨日のアレってさ……」
「えぇっ!?また、何か……あったのか?」
「疲れてるんだったら、無理しない方がいいんじゃないかな?……その、みんなには内緒にしとくから」
「ちょっ!高山さん!一体何がっ!?」
 逃げるようにその場を離れる私の背後から、立花君の声が聞こえてくる。だけど、言えない……立花君が間違って女子トイレに入ろうとしてたなんて。

「あ、そっか。今は男子トイレやった……」
 そう言って、肩を落としてトボトボ男子トイレに向かった立花君。高木曰く、疲れとかストレスが溜まってる状態らしいけど……本当にそうなのっ!?

*   *   *

 勢いよく部屋の窓を開けると、すぐさま対面の窓が開いた。
「なんだよ、真由」
 窓の縁に手を掛けながら、高木がスマフォ片手に眉をひそめている。さっき、メッセージアプリで、顔を出すように呼び掛けたんだよね。
「ゴメン、最近の立花君、ちょっと気になっちゃって」
「ああ。まあ言いたいことはわかる」
 小さい頃からの幼馴染。家は隣で、互いの部屋は、窓を開ければ対面で。まあ、私達にしてみれば電話なんかするより、こうやって話す方が手っ取り早い。
「ねえ、立花君、どこか調子悪いの?」
「んー……理由はわからねえけど、何か急に言動が可愛らしくなるんだよなぁ」
「可愛らしいって……」
「俺じゃねえよ!司の奴がそう言ってんだって!」
「ええぇ……」
 ちょっとぉ、立花君、本当にそういう趣味ないよね……?

「……それよりお前、今のままでいいのか?」
 私の変な想像を遮るように、頭を掻きながら高木が話しかけてきた。
「何よ、今のままって」
「このまま瀧に片思いのままでいいのかって話」
「……高木には関係ないじゃん」
「そりゃ関係ねえけど……」
 互いに視線を逸らして無言。わかってる。高木は……真ちゃんは、幼馴染の私を心配してるってことくらい。
「ゴメン……真ちゃん。話聞いてもらってるのに、言い方、悪かったね」
「いや、別にいいけどよ」
「……真ちゃんが言いたいこと、わかってるよ。立花君は……奥寺さんだっけ?真ちゃんのバイト先の美人さんのことが好きなんでしょ?」
 自分が、立花君にとって恋愛の対象外だってことくらい、わかってる。だけど、今は立花君以外の人を好きになれそうにないし。だから、片思いのままでいいじゃない。
「いいじゃん。今は現状維持でさ。そのうちチャンスが巡ってくるかもしれないし?」
「巡ってこなかったらどうすんだよ?」
「さあ?そこまで考えてないや。でも、ま、クラスメイトで、立花君の前の席に座れて。名前も覚えてもらってるし、今はこれで十分じゃない?」
 何も変わらないかもしれないけど、少なくとも気まずくなったり、傷つくことはない。恋の勝算がない以上、今はこのままで……
「現状維持……か」
 真ちゃんはポツリと呟くと屋根の間から見える夜空を見上げた。私も追いかけるように空を見上げる。と、空には綺麗なお月様。
「ねえ、真ちゃん」
「なんだ?」
月見バーガー食べたいねぇ」
 お月様を見てたら、何だか急にお腹が空いてきた。思わずお腹に手を当てる。
「お前はお洒落なカフェより、ファーストフードだよなぁ」
「うっさいな、私はみんなでワイワイしてる方が好きなだけ!だいたい真ちゃんこそ、その図体でカフェとか似合わないんですけどぉ?」
「んだと!人がどこ行こうが勝手だろうが!」
「どう見てもデカ盛りのお店がお似合いじゃない」
「余計なお世話だっつうの!」
 お互い顔を見合わせて笑う。幼馴染とのこういうやり取りは、いつも気楽で楽しい。だから……少しだけ恋の痛みを忘れられるようだった。

*   *   *

 そんな感じで日々は流れ、九月も終わりに近づいたある日。夕方、忘れ物を取りに教室に戻ると、立花君が、一人、自分の席に座っていた。
「立花君……?」
「あ、高山さん」
 夕方、窓から差し込んだ夕陽が、窓際の立花君の顔を照らしている。ハニかんだその表情で、今日はいつもとちょっと違う立花君だなって気がついた。自分の机の中から忘れ物を取って、そのまま帰ろうと思ったけど、思わず自分の席に座ると私は後ろを向いた。

「一人でどうしたの?高木あたりと一緒に帰ったと思ってた」
「ふふ、高木くんも司くんも今日は用事があるんやって。折角やから、わた……あ、いや俺は学校の探検しとったんよ」
「探検って……」
 ちょっと子供っぽいなぁと思ったけど、立花君はとっても楽しそうで。こういう時の彼は何だか可愛らしくて、私の好きな彼とはちょっと感じが違うけど、こっちの立花君の方が正直話し易いんだよねぇ。
「東京ってすごいよね……」
 窓の外を眺めながら、しみじみとそんなことを言う立花君に、何をいまさら、と笑って応える。
「高山さんは毎日、楽しい?」
「まあ、どうだろうね?でも、九月に入ってからはそれなりにいいこともあって楽しい……かな?」
 立花君と同じ。きっと私の顔にもオレンジ色の光が差し込んでいて。だから、照れて赤くなってる顔も彼には悟られない……はず。
「そっかぁ……」
「立花君は、楽しくないの?」
 私の問いかけに、彼はちょっと驚いたように目を丸くしたけど、すぐに優しい瞳に戻る。
「俺も、九月に入ってから、それなりにいいことあったから」
 胸に手を当てて微笑んだ彼の表情に、私はドキッとした。それは好きとかそういうんじゃなくて……まるで恋をしている自分を鏡で見ているような感じがして。
「でも、毎日会えたら、もっと楽しいのかな……」
 立花君の好きな人。奥寺さんっていう美人さんのことを、考えてるのかな……。ちょっとだけ切ない気持ちになるけど、自分の立ち位置くらいはわかっている。だから何も言わずにただ無言で笑顔を作る。
 彼は嬉しいのか、哀しいのか、そんな何とも言えない表情で、また窓の外へと視線を向けた。

 蛍光灯も灯っていない、夕暮れ時の教室。そろそろ帰らない?と声をかけようとしたところで、不意に立花君が口を開いた。
「……ねえ、高山さんって好きな人、いる?」
「えええっ!!?」
 まさかの不意打ちに、椅子から転がり落ちそうになる。
「ご、ごめんなさい、変な質問やった?」
「あ、いや、そういう訳じゃないんだけど……突然のことで思わずビックリしてしまいまして」
「そ、そうやよね。ごめんね、変なこと」
「いるよ」
 答えを求めようとしない彼の言葉を思わず遮っていた。
「……いるよ」
「そうなんだ……」
 もう一度繰り返した言葉に、彼はただ一言、そう言うと静かに立ち上がった。
「高山さんは……もし気になる人が、他の人のこと好きだったらどうする?」
 薄暗くなった教室、彼の表情はどこか捉えきれなくて。私も苦笑交じりにゆっくり席から立ち上がった。
「私に、それ聞いちゃうかなぁ」
 恋愛対象外……わかってはいるけど、ちょっとしんどいなあ。でも、今の状況を良しとしている自分。現状維持を望んでいるなら、私の答えは……?

「他の人のこと好きなんだとしても、自分の気持ちが『好き』なんだったら……私は、自分らしく『好き』って伝えたいかな」
 そう言って薄暗くなった窓の外を眺める。
 自分でも、なぜこんな答えを出したのかわからない。ただ、ちょっと変わった立花君は、どことなく恋する自分自身を見ているようで。だから、嘘がつけなかったのかもしれない。

「そっか……自分らしく、か」
「……暗くなってきたし、そろそろ帰ろっか」
「うん、そうやね……」
 それ以上は、二人きりでいるのがツラくて……。だから無理矢理、話を切り上げた。
だけど、可愛らしい立花君とちゃんとお話できたのは、それが最初で最後だった……

*   *   *

「じゃあ、またね」
「うん、また」
 帰り道、立花君と別れて一人歩く。二、三歩、進んだところで振り返る。立花君は私の視線には気づかないまま、歩いていく……
 すっかり暗くなった夜の街。脇を次々走っていく車の赤いテールライトだけがやけに目に映える。
「何やってんのかなぁ、私は」
 自嘲するように呟くと、再び帰路につく。彼との二人きりの時間は嬉しかったのか、ツラかったのか。説明できそうにない複雑な想いを胸に、立花君と出会った頃のことを思い出していた……。

 

 放物線を描いたボールがリングに吸い込まれた。その人はガッツポーズを決めてチームメイトと喜び合っている。
「勝った!!」思わず私もそう言って、飛び跳ねていた。

 中学三年生の時、たまたま友達と自分の学校の応援で来た春のバスケットボール大会。
空き時間に観た男子の試合。その選手の一人が立花君だった。後から聞いた話だと、立花君の相手校は強豪校で、素人の私から見ても体格は相手校の方が優れていたように見えた。
 だけど、彼を中心に声を出し、懸命にボールを追って、最後まで接戦が続いた。残り数秒で相手チームのシュートが決まって一点差。もう無理だ、と思ったけど、立花君だけは諦めてなかった。
 勝利を確信していた相手の油断を突いて一気に走り出すと、仲間からのロングパスを受け、そのままシュート。直後に鳴った試合終了を告げるブザー。
 そして、ボールは……そのまま静かにリングに吸い込まれた。

 その時は遠目だったし、名前も顔もはっきりわからなかった。ただ、一生懸命で、最後まで諦めないその姿勢、そしてとても綺麗なシュートフォームが、私の心の中に印象的に刻まれた。
 そして翌年。神宮高校に入学して暫く経った頃、屋上で友達とお昼ご飯を食べてると、真ちゃんが友達とバスケットをしてる姿が見えた。相手は真ちゃんに比べてひとまわり小さい。バスケって身長高いと有利だよね……そんな風に思いながら眺めていた私の考えは一瞬で覆った。
 切れ味のあるドリブルとターンで真ちゃんを躱すと、時間が止まったかのような綺麗なシュート……放たれたボールは綺麗な弧を描き、リングに吸い込まれた。
「あ……!」私は弁当箱を手に思わず立ち上がった。
「どうしたの?真由」そんな私を呼びかける友達の声は聞こえなかった。
 気づいたから。彼だって!

「真ちゃん!あの人、知り合いなのっ?」
 その夜、いつものように窓越しの会話。
「誰だよ、あの人って?」
「今日、お昼休みに屋上でバスケしてたでしょ!その時居た、ちょっとツンツン頭の男の子!!」
「ああ、瀧のことか?」
「そっか、瀧くんって言うんだ……」
「瀧がどうかしたか?」
「い、いや、ちょっと、ね……」
 どうかした?と改めて言われると確かにどうしたいんだろう?ただ、彼のことを想うと今まで感じたことがない感情が、私の中に芽生え始めていて。
「いやぁ、アハハ。なんだろうね?」
 その時はまだ説明つかない想いがくすぐったくて、それを誤魔化すように当時ショートボブだった髪の毛をワシャワシャした。そんな私を、真ちゃんは驚いたような、困ったような複雑な表情で見てたっけ……

 それが恋だと気づくまで、それほど時間はかからなかった。
 真ちゃんの紹介で挨拶したり、彼は黒髪ロングが好きだからって髪を伸ばしてみたり、雑誌とかを読んだりして、女の子らしい服装を研究してみたり。我ながら、恋する乙女をやってるなぁと思う時もある。サッパリした性格の私としては、らしくないかなぁと思う時もある。でも、それでも、初めて見かけた時から二年とちょっと。彼だけを見つめ続けてきたと……思う。
 そして、今年。立花君と同じクラスになれて、現在に至る。九月が終わり、もうすぐ十月。二年生も残り半分。高校生活も残り半分。このまま何も変わらないまま、それでいいのかな……?
「このままでいいと思ってたのにな……」
 不意にそんな言葉を口にした自分自身に少し驚く。私は立ち止まると、彼がいないことは分かってるのに、もう一度だけ今来た道を振り返った。

*   *   *

 十月初旬を終えた頃から、立花君は急に考え込むようになった。
 気が付くと、頬杖をついて窓の外を眺めている。休み時間、スマフォを見つめる表情はどこか寂し気で、イラついているようで。九月の時みたいに、授業中や休憩時間に彼の独り言が聞こえてくる。『ったく、あいつは』とか『電話くらい繋がれよな』とか、ボヤきのようでいて、どこか祈るような独り言。

「立花君、どうかした?」
「あ、いや……なんでもないよ」
 笑って応えてるつもりなんだろうけど、立花君は不器用だから、全然、なんでもないようには見えなくて。
 ちょっと変わった立花君は、あれからすっかり見かけなくなったけど、あの可愛らしくて、話し易い雰囲気の彼に会えないのは、ほんの少しだけ寂しい気がした。


 スマフォを片手に開けた窓の外を眺めてると、対面の窓が開いた。
「おっす、真ちゃん」
「なんか用かよ」
 腕を組みながら恨めしそうな顔してる真ちゃん。
「露骨にイヤそうな顔しないでよ」
「そろそろ夜は窓開けてると寒ぃんだよ」
「そんなんで風邪引きそうな顔してないじゃん」
「顔は関係ねえだろうが!」
「まあまあ、落ち着こうじゃないか。高木くん」
「お前なぁ……」
 本題は別だってことくらい、長い付き合いだ。真ちゃんもわかってる。だけど、いつものように気軽な掛け合いに付き合ってくれる。だから、いつも本音で話せるんだよね……

「で、瀧のことなんだろ?」
「んー……ねえ、立花君、九月の頃とは違うけど、最近また変じゃない?」
「……まあ、な」
「何か知ってるの?」
「ま、色々と、な」
「聞いてもいい感じ?」
 遠慮がちに聞いてみる。真ちゃんは私の顔を見て少し考え込んでいたけど、そのまま無言で見つめていると、最後は折れたように大きくため息を吐いた。
「良い話と悪い話。……あと、俺の話になるけどいいか?」
「俺の話って何よ?」
「まあ、俺の話だ」
「訳わかんない」
 肌に触れる空気はだいぶ冷たくなってきて。私は、耳元の髪をかき上げると、聞かせて、と続きを促した。
「……瀧のやつ、この前、奥寺先輩とデートしたんだと」
「それは良い話?それとも悪い話?」
「最後まで聞け。……デートはしたけど、うまくいかなかったらしい。真由的には良い話なんじゃないのか?」
「そういう意味か……」

 奥寺さんとデートはしたけど、特にこれといった進展もなく終わったらしい。で、今のまま、バイトの先輩後輩の関係を続けていきましょうってことになったみたい。
 でも、真ちゃんは良い話っていうけど、それって立花君的にはどうなのよ?

「じゃあ、私的に悪い話ってのは?」
「……瀧のやつ、誰かに会いに行くらしい」
「誰かって?」
「そこまでは知らねぇ」
 真ちゃんは、あからさまに私から視線を逸らした。なるほど、そういうことね……
「……好きな子かぁ」
「たぶんな……。けど、相手が誰かまでは本当に、俺も、司も知らねえんだ。……悪いな」
「真ちゃんは、何も悪くないじゃん」
 最近の立花君の感じで何となく気づいてた。誰かのことを真剣に考えているんじゃないかって。そしてその想いは、奥寺さんの時よりずっと本気な感じがして……
 だから、奥寺さんとのデート、うまくいかなかったんじゃないのかな?

「で、真ちゃんの話ってのは?」
「……お前は幼馴染だけど、瀧も俺の親友だからさ。だから、どっちかだけを応援することはできねえ。瀧も真剣みたいだし、あいつが本気で会いたいって思ってんなら、俺は……ちゃんと応援してやりたい」
 気まずそうにそんなことを言う真ちゃんに、私は思わず吹き出した。
「バッカだねぇ、真ちゃんは」
「は?」
「そういうところが真ちゃんのいいとこじゃん。親友らしく、しっかり立花君のこと応援してあげなよっ!」
「真由は……いいのかよ?」
「私は、私で色々考えてる。だから……大丈夫」
 自分を納得させるように大きく頷くと、もう一度、大丈夫、と呟いた。

「ねえ、真ちゃん……」
「なんだ?」
「そろそろ肉まんが恋しい季節だね……」
「……どうしてお前は、こういう時に食いもんの話になるんだよ?」
「なんでかな?真ちゃんと話してると、お腹空くんだよねぇ」
「人のせいにするんじゃねえよっ!」
「真ちゃん、肉まんみたいな体格だから?」
「お前なぁ!」
 言い合いしながら、最後はお互い可笑しくて。思わず浮かんだ目じりの涙を指先で拭いながら、口にはできないけど、大事な幼馴染に感謝する。 
 真ちゃん……今日も話に付き合ってくれて、ありがとう。

*   *   *

 十月の、とある金曜日。立花君と藤井君が学校を休んだ。一部の女子がなんだか盛り上がってたみたいだけど、私は何となくわかってた。きっと今日行ったんだなって。
 授業中。窓の外に広がる秋晴れの空を眺めながら、私は微笑みを浮かべていた。
 だって学校を休んでまで、好きな人に会いに行こうとする立花君は、初めて彼を見た頃から全然変わらずに、真っ直ぐで一生懸命だなって思えたから。ちょっとぶっきらぼうで話しかけづらいけど、そんな彼のことが好きになったんだなって改めて気づいて、どことなく嬉しい気がした。

 お昼休み。二人が居ないから珍しく教室で一人で昼食を食べていた真ちゃんに視線を送ると、私に気づいて二、三度、頷いてくれた。夜に話できないかなと思ってメッセージを入れたけど、金土日とバイトのシフトが入ってるらしくて、忙しそうだったから私はそのまま連絡は取らなかった。
 そして、週明けの月曜日……

「おはよう、高山さん」
「え……?」
 振り返って一瞬、誰?って思った。
「どうかした?」
「あ、立花君か……ごめん、ちょっとボーっとしてた」
 そんな風に答えて誤魔化した。今、目の前にいる立花君はとっても大人びて見えて。正直別人だと思ってしまった自分がいた。
「今日は高木と一緒じゃないんだね」
「あ、うん。何か週末疲れて寝坊したみたい」
「そっか……高木には今度、メシ奢らなくちゃなぁ」
 首の後ろを掻きながら、立花君は苦笑いしている。
「あ、あのさ、立花君?」
「え?なに?」
「週末、どうだった?」
「あ、もしかして、高木から聞いてた?」
「う、うん……」
「いや、俺もよくわからないんだよね……。何か目的があったと思うんだけど」
 そう言って微笑んだ立花君の表情は、笑ってるんだけど、どこか欠けている、そんな感じがした。でも、それが何なのか、私自身もうまく聞き出すことができなくて……。何か大切なことをするために、立花君は学校を休んだと思ってたんだけどな。
「あ、司!」
 前にいた藤井君に気が付くと、立花君は、じゃ、先行くから、と言って駆け出した。
 そんな彼の後ろ姿を眺めながら、私は通学鞄を握りしめた。何故か、あっという間に彼との距離が空いて、遠くに置いてかれてしまったような、そんな気持ちになっていた。

 それからの立花君は、九月からのような変なところはなくなった。むしろ、前より雰囲気が優しくなったような感じもする。だけど、私は、以前にも増して、どこか話しかけづらいと思うようになっていた。
 理由はよくわからない。ただ、何かを探しているような?大事なことを思い出そうとしてるような?人知れない決意をその目に宿して、どこかを見つめているような……?
 彼が時折見せるそんな姿は、とても危うい感じがして。何とかしてあげたいって思うけど、彼の心に今の私なんて、まるで届きそうになくて。

 ……人って、こんな短期間のうちに変わってしまうものなのかな?
 立花君は……とても大事なものを見つけて。悲しい出来事があって。大きなことを成し遂げて。大切なモノを失いながらも、自分自身で大きな決断をした……
 もしかしたら彼は、そんな風に大きな大きな経験を積んで、少し大人に成長したのかもしれない……。

 ずっと彼を見ていたから理解した。人は成長していくんだってこと。
 現状維持。このままでいい、なんて思ってるうちに、今のままですらいられなくなる。そんなことに今更気づいた。
 だったら、私はどうすればいい?ううん、答えなんかとっくに出てた。ただ私が、その答えを拒み続けてきただけ。
 私は、立花君に……

*   *   *

「私さ、立花君に告白しようと思うんだ」
 いつもの窓越しの会話。私の言葉に、それまで軽快に掛け合いしてた真ちゃんは押し黙った。
「いつまでもこのままじゃダメだと思うんだよね……」
「……やめとけよ」
「なんで!」
 ポツリとそう言った真ちゃんに、私は大声を上げた。
「真ちゃん、前に言ってたじゃん。『今のままでいいのか?』って」
「そりゃ、言ったけどさ。……瀧のやつ、今は誰とも付き合ってないけど、だからってお前のこと、そういう対象で見てるかって言ったら、」
「知ってるよ!私をそんな風に見てないってことくらい!」
 静かな秋の夜。いつものような気楽な会話にはならなくて。気まずい空気が二人の間に流れる。
「だったら……いいじゃねえか。今のままでさ。最近のお前、気づいてるかわかんねえけど、前よりずっと本気みたいだからさ、だから……お前が傷つくの見たくねえよ」
 ハッとして真ちゃんの顔を見る。昔から変わらない、その大きな体以上に大きな心を持った幼馴染。私のこと心配してくれて、本当に感謝してる。だけど……私、決めたんだ。
「でも、このままじゃ、何も変わらないんだよ……」
「真由……」
「私、変わりたい。好きな人がどんどん変わっていくのに、そんな彼のこと好きな私が、何も変わろうとしないなんて、そんなのイヤだって、初めてそんな風に思えたから」
 真ちゃんは何も言わなかった。色々言ってくるけど、最後は私のやることを認めてくれる。そんな幼馴染だから……
「ありがと。結果がどうなろうと、真ちゃんにはちゃんと報告するからさ」
「本気なんだな?」
 真ちゃんの言葉に私はしっかりと頷いた。
「わかった。俺が瀧に告白できるように段取ってやる」
「え……?」
「お前、言っただろ?大事な親友は、ちゃんと応援してやれって。お前も俺の大事な……」
 そこで少し真ちゃんは言い淀んだけど、咳払いすると、
「だから、お前が真剣なら、ちゃんと応援してやるから、まかせとけ!」力強く、そう言ってくれた。
「……うん、ありがとう」
 御礼を言うと、私は口角を上げる。ふと疑問に思ったことがある。そういえば、いつも私の話ばっかりで聞いたことなかったなって。

「ねえ、真ちゃん……」
「なんだ?また食いもんの話か?」
「んー……真ちゃんってさ、好きな人いないのかなって」
「ブッ!?」
「真ちゃんだったら、いい人見つかると思うんだけどなぁ」
「ハァ……お前な、それ俺に聞くか?」
「へ……?」
「風呂入る。告白の件はまた今度な」
 どこかであったようなやり取りだなぁなんて思いながら、今は自分の告白のことで頭がいっぱいで。
 真ちゃんが窓を閉めた後も、少しだけ秋の星空を眺めていた。

*   *   *

 屋上へと続く階段を駆け上がっている。
 十一月に入った、とある日の放課後。予定通り、真ちゃんが立花君を屋上に呼び出してくれた。スマフォに入った真ちゃんからのメッセージ。今、屋上にいるのは立花君だけだって。
 駆け上がった最後の踊り場、手すりに手を添えて屋上へ続く扉を見上げると、そこには幼馴染の姿があった。
「早かったな」
「まあね」
 呼吸を整えるようにゆっくりと階段を上る。そして屋上への扉に手を伸ばす。と、その前に横で腕を組んでる幼馴染へと顔を向けた。
「真ちゃん、ありがとう」
「おう……」
「高山真由、勝負してきます♪」
 敬礼ポーズをキめると、ドアノブに手を掛けた。
「……真由ッ!」
「何よ?」
 振り向けば、真ちゃんが心配そうな表情をしてた。だけど、天井を仰ぐと、少しぎこちなかったけど、いつもみたいにニカッと笑ってくれた。
「いや、なんでもねえ……ガンバレよッ!」
「まっかせといて!」
 サムズアップして見送る彼に、ピースして明るく答える。

 さあ、二年分の想いを込めて、告白しよう!

 屋上への扉が開いた。目に飛び込んで来たのは、不思議なくらいに真っ赤な夕陽。一瞬、その光を手で遮り、目を細める。
 立花君は……どこ?
 徐々に陽が沈み、夕闇と夕焼けが混ざり合うような空が世界を覆う。この前の古典の授業で、こんな時間のことを習ったような気がする。あれは、ええと……誰そ彼時?逢魔が時だっけ?
 ふと、現実とは違う世界に紛れ込んでしまったような、そんな感覚に陥る。

 誰も居ない晩秋の屋上。ネット脇に佇むようなシルエット。
 居た、立花君だ!
 駆け寄ろうとした……だけど、足が動かない。
「……参ったなぁ」独り呟く。
 高校の屋上。二人しかいないはずの黄昏時。だけど想い人の傍には女の子がいた……

 最近の彼は、どことなく寂しそうで、辛そうで……何か大切なものを失ってしまったように危うくて。
 だけど、今の彼は……なんて幸せそうなんだろう?
 あんな立花君の顔、見たことないや。二年間ずーーっと彼を見続けてきたのに、初めて見るその表情。だけど、すぐにわかった。

 彼は本気で恋してるんだね。大切な誰かがいて、その誰かをとってもとっても大事に想っていて……。誰かって?そんなの決まってるじゃない。それはあの傍にいる女の子。
 そして、あの子もまた、立花君のこと……

 正面で見つめ合ってる訳でも、抱き合ってる訳でもない。望んでも逢えないかのように、互いに背中合わせで、それでも少しでも結びつこうと必死にもがいている。
 だけど……そんな二人の姿はどこまでもお似合いで。満たされていて。私の入り込む余地なんて、まるでないことを悟ってしまう。

 さざ波が引くように辺りから陽の光が消えていく。と同時に彼女の存在が淡くなっていく。その子は、振り返りながら最後に彼に言ったような気がした。

 ――ぜったい逢えるから――

 そう、微笑みながら。
 二人が出逢うことは必然であるかのように……


 暗くなった屋上。私はゆっくり立花君に近づいていく。
「立花君……」
「ああ、高山さん。ゴメン、居たんだ、気付かなくって」
「ううん……ねえ、立花君?」
「なに?」
「わたしさ、立花君の前の席だから、気になっちゃって」
「え?気になるって何が?」
「最近、元気ないぞ!何があったか知らないけど、元気出さないと彼女に嫌われるぞ!」
 私の精一杯の強がり。彼の背中をバンッと叩いて激励する。だって、立花君、これからもあの女の子を探し続けるんだろうから……

 そして、バイバイ、私の恋。

 あーあ、もっと早くに言っておけば良かったな。次に恋する時は、ちゃんと言えるように強くなりたいね……
 不意に視界がボヤけて、私は振り返る。
「それじゃ、私、行くから!」
「え?それだけ?」
「高木と待ち合わせしてるんでしょ?」
「そうだけど……よく知ってるね」
「まあね、あいつとは幼馴染だからさ。じゃ、また明日!」
 私はそのまま屋上を振り返ることなく走る。扉を開ければ、そこには……
「真由……」
「アハハ……ゴメンね、真ちゃん。私、結局言えなかったよ」
「そっか……でも、次があるだろ?今度はさ、」
 その言葉に首を振る。
「私ってば、情けないなぁ。もっと早く告白してれば良かったよ。そうすればさ、振られるんだとしても……」
「真由……?」
「……私、あんなの見たくなかったよ」
 抑え込んでいた涙が零れかけて慌てて拭う。
「なに?どうしたんだよ!」
「ゴメン……真ちゃん。御礼はまた今度するから、じゃあ」
「真由ッ!」
 真ちゃんの呼び止める声が聞こえたけど、これ以上はきっと抑えられないから……。私は、全力で階段を駆け下りた。

*   *   *

 飛騨から帰ってきて、無意識にしていることがある。
 焦った時や気まずい時に首の後ろに触れること。自身に何かを問い掛けるように鏡に映った自分の瞳をのぞき込むこと。朝、玄関から出て、見慣れた風景をひとしきり眺めること。そして、自分の手のひらを見つめること。
 気がつけば、さっきも手のひらを見つめていた。そこに何があったんだろうか……?考えても、いつも答えは出ない。だから何もわからないまま、ギュゥとその手を握りしめる。

 ――ぜったい逢えるから

「え……?」
 誰かの声が聞こえた気がした。振り返っても誰もいない。だけど、さっきまで自分の心を覆っていた苦しさは、どこかに消えていて。気がつけば俺は微笑んでいた……
 そうだった、もう一つ。俺が無意識にしていること。
「そうだな、ぜったい……だよな」
 俺は探し続けてる。もう一度、誰かと出逢うために。

「瀧……」
 呼び掛けられて我に返る。そこには親友の姿があった。

*   *   *

「高木、おっせーよ」
「悪かったな」
「なんだよ?おっかねえ顔して」
「……瀧、悪いが一発殴らせろ」
 いつもにこやかな高木が、瀧の前に詰め寄ると、静かに言い放った。
「はあ?お前、いきなり殴らせろ、はい、わかりました、なんてありえねえだろ?」
「わかってる……お前が悪い訳じゃねえし、俺が一方的にむしゃくしゃしているだけだってことくらい。だから、お前を殴って、俺のこと嫌うなら仕方ねえ」
 右の拳を握り締めながら、辛そうに高木は呟いた。
「だけど、俺は……真由を泣かせる奴は、やっぱ許せねえんだ」
「真由って?あー、なんだよ、そういうことかよ」
 瀧は何となく気がついた。自分の前の席に座る彼女の想いと、親友の想いに。
「ったく、しょうがねえなぁ」
 瀧は首の後ろを掻くと、高木を見据える。
「殴られてやるよ。だけど、その前に俺の言うこと二つ聞けよな」
「ああ」
「一つ目。俺のこと殴っても親友やめんなよ!」
「瀧……」
「そして、二つ目」
 瀧の瞳を湛えている想い。それは高木にとっても、初めて垣間見るものだった。
「……大事だと思える人がすぐ傍にいるって、幸せなことなんだぜ?」
 高木も感じていた。飛騨から戻ってきた瀧が、少し変わってしまったことを。だけど、何もしてやれることはなくて、できることは今までどおりに接することだけだった。
「後悔だけはすんなよ」
 エールを送るかのように、瀧は高木の胸板を軽く叩く。
「よっし、殴られてやるかぁ」瀧はギュッと目を瞑る。
「悪いな……瀧!」
 高木は瀧の顔めがけて右拳を……

 ビシッ!!

「いってぇぇ……」
 額を抑えて瀧はうずくまっている。高木の一撃は直前でデコピンに切り替わった。但し、通常より強烈なデコピンであったが。
「やっておいて何だが……大丈夫か?」
「お前に本気で殴られるよりマシだろ?」
 伸ばされた高木の手を取ると、額をさすりながらゆっくりと瀧は立ち上がる。
「……悪かったな」
「いいって……お前の方が大変だろうしさ」
 そう言うと瀧は、高木の肩をポンポンと叩いた。
「なあ、真由じゃダメなのか?アイツ、いい奴だぜ」
「知ってるよ。だけど、彼女、お前といる時が一番生き生きしている気がするけどな」
「……距離が近すぎるってのも色々あんだよ」
「そっか……それでも俺は、傍に居られるお前が羨ましいよ」
 薄暗くなった神宮高校の屋上。夜空を見上げる瀧の姿を見て、高木は気がついた。きっと瀧を変えた『誰か』でなければ、親友の想いを満たすことはできないのだと。

*   *   *

 制服姿のまま、ベッドの上で寝転がっている。
 何も変わらなかった。結局、立花君に私の気持ちを伝えることはできずに、それでも私の恋は静かに終わりを迎え、このまま何事もなく、明日が始まる。
 ちょっと前までは、このまま何も変わらなくていいと思っていたのに、今は変えられなかったことが悔しくて。失恋したことよりも、そっちの方が何故かとても悲しかった。

 暗がりの部屋の中、スマフォの着信音が鳴った。寝転がったままディスプレイを見れば『高木真太』の表示。……でも出たくなかったから、そのまま着信拒否。……と、またかかってきた。
 真ちゃん、今日くらいはそっとしといてくれればいいのに……。とは言え、今日のことは、かなりお世話になったしな。着信ボタンを押すと、はい、と短く答える。
『今どこだよ?』
「んー……部屋にいるよー」
『電気、点いてねえじゃん』
「真由さんは、明るいとストレスが溜まるって知ってた?」
『夜行性かよ。いいから顔出せ』
「ええぇ……」
 電話の向こうでガラッと窓が開く音がした。季節は十一月、夜は寒いのに……まったく。
「わかったわよ」
 通話の終了ボタンを押すと、のそりとベッドから起き上がり、カーテンを開いて窓を開ける。窓から入り込む肌寒い外気が頬に触れた。だけど、泣いた後の顔には心地いいな、そんな風に思えて口許が緩んだ。

「よお」
「よお」
 互いに軽く手を挙げる。
「……大丈夫か?」
「んな訳ないじゃん」
「だな……」
「でしょ……?」
 お互いに声を出すことなく無言。真ちゃんも私を呼び出してみたものの、いざってなると何を言っていいのかわからないみたいで視線が泳いでる。

「それじゃあ……今日はこの辺にしとくか?」
「なによ!わざわざ呼び出したんだから、話に付き合いなさいよっ!」
「いいのかよ」
「いいのよ」
 いつもの気軽な掛け合い。こうやって会話のスイッチを入れれば、きっと大丈夫。

「……まあ、なんだ、お疲れ、か?」
「うん、疲れた……まあ、何も言えなかったんだけどね」
 あはは、と取り敢えず笑っておく。だけど真ちゃんは、そんな私の笑いを見透かしたかのように眉をひそめた。
「本当にもういいのか?」
「……うん、言えなかったけど、しっかり振られた」
 もう、これ以上ないってくらい完璧な振られ方。

 想い人には誰よりも大切な人がいる。そして、その子以外の人を好きになんて絶対にならない。
 私が好きになった彼は、真っ直ぐで一生懸命で。
 結ばれた絆を手繰り寄せるまで、絶対に諦めない。
 そんな……人だから。

 私は寄りかかるように窓枠に腕を乗せた。少し俯けば、長く伸ばした髪が頬に触れて、そっとかき上げる。
 黒髪ロングが好みだって聞いてたのにな……
 バスケットボール大会で初めて見た時、カッコよかった。最後まで諦めない姿勢、尊敬してる。
 ぶっきらぼうだけど、本当は照れ屋で、口下手なだけなんだよね。結構優しいところがあるって、ちゃんと知ってるよ。
 
 他にも色々、いっぱい、沢山……

 だって……私……ずっと立花君を見続けて来たんだから。 

 想いが胸に詰まって、大きく息を吐き出すと顔を上げる。
「ねえ、真ちゃん」
「ん?」
「折角だから、聞いてよ。言えなかった告白さ……」
「ヤだよ、なんで俺が……」
「誰かに聞いてもらえれば、少しはスッキリするかなって」
 真ちゃんは、いつかみたいに困ったような表情で私を見つめていた。だけど、やっぱり最後は、仕方ねえな、と言わんばかりの大きなため息を吐いて、
「……俺でいいのか?」そう言ってくれた。
「真ちゃんなら、一番安心だよ」
「……わかった」
「ありがとう……」

 私は、目を瞑って、言えなかった彼への想いを口にした。
 そうして目を開ける。真ちゃんはいつもみたいに、私のことを見ていてくれた。それが何とも言えないくらい安心感があって、ちゃんと言えたんだって思ったら、急に涙が零れてきた。

「アハハッ、結局さ、私、何にも変わらなかったねぇ」
「んなことねーよ」
「え……?」
「カッコよかったぜ。……お前の二年分の想いは俺が知ってっから。だから、うまく言えねえけど、お前、ちゃんと変われたよ」
 変わったって言ってくれた幼馴染の言葉が、何より嬉しくて。だから、嬉しいから、これ以上は泣きたくなくて、私は夜空を見上げた。
「そっか……変われたのか。そっか、良かったぁ」
 真ちゃんも黙って同じように空を見上げる。彼に想いは届かなかったけど、今日という日は、きっと私にとって大きな大きな一日になったんじゃないかな……

*   *   *

「いってきまーす!」
 めっきり寒くなってきた朝。吐いた息がいつもより白い。
「おーす、真由」
「おはよ、真ちゃん」
「何?どうした?お前その髪型」
「ふふっ、どう?少しイメチェンしてみました♪」
 後ろに束ねた黒髪。所謂ポニーテールってやつだ。
「まあ、失恋したことだし、髪切ってもいいんだけどさ。……お小遣い入らないと美容室に行けないんだよね」
 束ねられて揺れる黒髪に触れながら、苦笑いする。
「お前……中途半端だな」
「うっさいな、ないものはないのよっ」
「どんだけ無駄遣いしてんだよ」
「ハァ……私も真ちゃんみたいにバイトしよっかなぁ」
 そんなことを呟きながら、チラリと隣を歩く幼馴染を横目で見る。
「なんだ?」
 視線に気づかれたか……

「昨日は……ありがとね」
 ちょっと照れくさくて、言うことをためらっていた御礼を歩きながら口にする。
「まあ……また頑張れ」
 真ちゃんはこちらに顔を向けるでもなく、そう返してくれた。
「そうだね……でもまあ、暫く恋はいいかな?」
「そうなのか?」
「これでも一応、失恋を引きずってる身ですので」

 ……あれ?真ちゃんからのツッコミが入らない?

「なあ、真由」
「んー?」
「俺も『現状維持』やめることにする」
「へぇ……いいんじゃない。今度は私が応援してあげよっか?」
 私の言葉に真ちゃんは立ち止まった。振り返ると、そこには、やけに真剣な表情の幼馴染がいた。
「……お前、俺に御礼してくれるって言ったよな?」
「言ったっけ?」
「言ったんだよ。ったく……」
「わかってますって。その節はお世話になりましたから、何なりとどうぞ」
 手のひらを差し出して、続きを促せば、返ってきたのは意外な台詞。

「……カフェ行かね?」
「は?」
「いや、だから、一緒にカフェ行こうぜ?」
「私はファーストフードの方が合ってるって言ってなかったっけ?」
「お前が騒いでも大丈夫な店、選んでやるよ」

 私は目をパチクリする。
 失恋の痛みはまだあるけど、自分がこうして今日も自分らしくいられるのは、大事な幼馴染のおかげのような気がして。
「……しょうがないなぁ」
 私はまた前を向いて歩き始める。と、早足で追いついてきた幼馴染が横に並ぶ。

 季節は秋から冬へと移り変わる。きっと高校生活は、キラキラした毎日に気づかないまま、日々が過ぎ去っていくんだろう。
 だから、振り返った時に、今という時間が煌めく思い出だったと笑って思い返せるように、私はこれからも変わっていきたい。

「で、いつにするの?デート」
「デ、デートじゃねえよッ!」
「あれ、違うんだ?」
「あ、いや、違うって訳でもねえけど……」
「じゃあ、お互い、相手ができた時のためのデートの練習ってことで?」

 また、少しだけ何かが変わり始めたのかもしれないね……

*   *   *

設定みたいなあとがきです。
お話自体は終わっておりますので、ご興味のない方はここまでで大丈夫ですよ。


◇高山真由(たかやままゆ)
十七歳 神宮高校二年生
身長一七〇センチ(長身)Cカップ
長身スレンダー体型
一人称は『私』。性格はサッパリ系。言葉遣いもさっぱりしている。ポジティブ思考。
高木真太は家が隣同士の幼馴染。幼稚園からというより実際は赤子の頃からの付き合い。二階の自身の部屋の窓を開けると、正面が高木の部屋。
高木のことは普段は『高木』と呼んでいるが、二人きりの時は自然と『真ちゃん』と呼んでしまう。
好きな食べ物はラーメン。今はと或る店の麻婆ラーメンにハマっている。
山椒の効いた麻婆豆腐単体でも美味しいのに、それがラーメンに乗っていて、麺を食べ終わってから割スープを入れるとまた味が変わって美味しい♪と言って高木を連れ回す。
なんか大学生くらいのお兄ちゃんが居そう。

モブ子さんにして本作主人公。瀧くんに恋する子という立ち位置ながら、キャラ設定はあくまで高木くんと対になるように構成(高身長や、名前を高木真太に似せて)。
ポッと出のオリジナルキャラなので、難しいバックボーンは作らずに、隣に住む幼馴染ということで、皆さんが"あるある"イメージを抱いて頂けるように。また、性格も明るく、裏表のないわかりやすい子として構成しました。
反面、どろどろとした(笑)恋愛感情は避けましたので、彼女の"恋ごころ"という点おいては若干弱かったかもしれませんね。
そんな感じで書き始めていたら、月を眺める→月見バーガー→お腹空いた→腹ペコキャラに(笑)
その後も、やれ肉まんだ、ラーメンだと、常にお腹を空かせてます。何となくですが、両手をしっかり合わせて『いただきます』して、美味しそうに白米を食べてそうなイメ―ジが。
本編前後、モブとしての彼女の視点から瀧三を見た物語でした。片思い、失恋という結果となりましたが、書いていた私自身、この子の明るい性格には助けられた、そんな気がしてます。


◇高木真太
十七歳 神宮高校二年生
一人称は『俺』。身長は一八〇センチくらいありそうですが……
立花瀧の親友の一人にして、高山真由の幼馴染。相手の呼び方は『真由』ということが多いが、真由自身はあまり家が隣の幼馴染ということを大っぴらにしたくないので、名前呼びは控えてもらいたい感じ。
こちらも性格はサッパリ系。長身の真由よりも背が高いため、二人が並んでいても違和感なし。(一緒に居た高木の方がずっと背が高かったので、真由は高身長であることのコンプレックスはそれ程感じていない)
いつ頃からか、真由を幼馴染ではなく、好きな人として意識しているが、距離(気持ち的に)が近すぎて、相手は全く気付いていない。更に真由が親友の瀧に片思いをしていることも知っており、高木自身も、幼馴染という関係の現状維持を望んでいた。
なんか大学生くらいのお姉ちゃんが居そう。

本作のもう一人の主人公。
本編中では相手がいませんが、気は優しくて力持ちなイメージ(笑)で、彼女がいてもおかしくない気も。
コメで呟いた『高木くんと瀧くんの前の席の子が幼馴染で~』みたいな話が本当にカタチになってしまいました(笑)
真由の家族以外で、彼女を一番大事にしているのは高木くんだと思ってます。

一番大変だったのは、本編中、飛騨に行く瀧の代わりにバイトを引き受ける"まっかせとけ!"
真由のことを考えるとスンナリ引き受けることはできないよなーと思いつつ、必死に言い訳を考えました(笑)


立花瀧
十七歳 神宮高校二年生
高木真太、高山真由とは同じクラスメイト。
主に本作後半に登場。糸守からの帰還後はある意味壊れている(欠けた状態)。手のひらを見つめている時は、失った何かがわからず寂しいのか、辛いのか……それとも、満たされているのか?
カタワレ時(本作中ではこの表現は使わず)に手のひらを見つめてる時は、もしかしたら世界がぼやけて、無意識の大切な想いが繋がっていてもいいかな、と。

本編補完話としてイメージだけはずっとあった、飛騨から帰還した壊れた瀧くんが黄昏時に神宮高校の屋上で手のひらを見つめている。それを遠くから見守る彼に片想いする女の子(結果的には三葉の幻影に諦める)。そんな情景を、真由と高木、二人の話に組み合わせて構成したのが本作です。
情景は、しの様より実際にイラストとして描いて頂きました。でもそれがあまりに切なくて、会わせてあげたくなったのが、過去作『背中合わせ』です。
高木くんとのやり取りの後、見上げた夜空で見つめていたのは、と或る一等星。きっと世界のどこかで彼女も『同じ星』を見つめていると思います……

真由が好きになった理由を考えて、やはりバスケシーンはカッコイイかな?と。
ですが、単純にプレーだけでは見た目だけなので、ブザーが鳴るまで諦めない姿勢を経て、彼の内面を好きになったという理由にしてあります。
当初、瀧と真由は同じ中学出身ということにしようと思いましたが、あくまで三葉の方が先に瀧に出会ったことにしたかったので、中三の試合で見かけたことにしました。


宮水三葉(瀧in三葉)
本作の前半に登場。彼女の心情についてはサイド三葉となる『同じ星』にて。
ある意味、高山真由と同じ存在。瀧に惹かれながらも、彼は奥寺先輩のことが好きだと思っていて。
互いを通して自分自身を見つめることで、お互いが無意識に隠していることに気づいてしまいそうに。

それでも、もし二人が出会えたら仲良くなれるんじゃないかな、と思ってます。
歴史改変後、上京している三葉と真由がすれ違うくらいは書きたかったのですが、なかなか入れられませんでしたね(笑)


◇高真コンビ
本作は、モブ目線の本編の物語として構成。瀧三と並行して進めてきた二人の物語でした。
現実として、幼馴染の恋の話を聞くことは稀にあって。でも大抵うまくいきませんでしたね;;距離が近すぎるのか恋愛対象にはならないみたいで(つき合ってもすぐ別れるとか)。
そして、聞いた感じですと、だいたい同級生タイプは男の子が女の子を好きになるパターンが多くて。なので、高木くんもいつ頃からか真由を好きになっていて、でも真由はそんなことに全く気づかず、大事な幼馴染のままという関係にしてあります。

年頃の男女ながらも、それでも幼馴染としての関係は、普通の男女とは違って。友情、親愛、互いへの敬意。信頼関係は家族のそれに近いのかなぁ。
ラストは少しだけ含んだカタチにしましたが、じゃあ、つき合うのか?と言えば、失恋直後なのでそれはないでしょう。
正直幼馴染がちゃんとくっつく事例を見たことがないので(笑)。平行線のままかもしれませんが、もしかしたら、いずれどこかで登場した時にはくっついているのかもしれませんね?


◇瀧三
メインではありませんでしたが、それでも二人の場面は想いを込めて。
三葉を忘れてから五年間(MVifなら約一年でしょうか?)、瀧くんは本当にモテなかったのかな?と思いますが、こんなシーンを見せつけられたら、きっと少しいいな、と思っていても相手は諦めてしまう、そんな気がしまして。
この作品には本来挿し絵があるのですが、担当頂きました、しの様へのオーダーも『瀧くんのことをいいな、と思ってた子が二人の姿を見て、何も言えず諦めてしまうような』雰囲気をお願いして、オーダー以上に切なくも美しいシーンを描いて頂きました♪

本作は屋上のカタワレ時を一番最初に書き始めました。頭に情景があったおかげですんなり書けましたが、そんな二人の絆を見せつけられる真由ちゃんにはゴメンナサイ、と;;
でも二人の間に入り込む余地はないんやよ!


◇最後に
久しぶりに"あとがき"みたいなのを書きました。
書き始め当初は、これでいいのか?と思いつつ、それでも最後は真由と高木の二人が大好きになってました。二人の会話なんてノリノリでずっと続けられそうでしたし(笑)
モブでオリジナル設定。自己満足ではありますが、もしかしたら本編の傍に、こんな物語があったのかもしれない、個人的にはそんな風に思ってます。
ラスト付近の数行は、自身のアレコレを振り返りつつ(笑)、二人にとって淡い青春の思い出として、いつか笑って思い返してくれればな、と願ってます。

それでは最後までお付き合い頂き、誠にありがとうございました。