君の名は。SS 春逢瀬。

神宮高校の中にある、ひときわ立派なソメイヨシノ。満開に咲き誇る桜の樹を見上げていると、自身に向かい舞い降りてくるひとひら。てのひらを差し出すと導かれるように……

「だーれだ?」

その手に降り立つ桜の精を見届ける前に、視界が遮られる。待ち人来たる、だ。

「お前は、誰だ?」
「えー!?瀧くん、わからんの??私やよっ!!」
「ヒントがなくちゃ、わからねぇな」
「えっ、ヒントって……うーん」
瀧の口許は完全に笑っている。だが、後ろから彼の目許を両手で隠している彼女にはそれが見えない。本気で考え込んでから、
「……組紐を髪に結んでます」
「いやぁ……わっかんねえなぁ」
「もうっ!本当はわかっとるんやろ!!」
業を煮やしたのか、手を解くと彼女は後ろから瀧に抱きついた。
「ハハッ、ゴメン、三葉」
「ったく、この男はぁ……」
それでもこんなやり取りが嬉しいのか、三葉は制服姿の瀧の背中に頬をすり寄せる。
中越しに伝わる温もりを感じながら、瀧は彼女のほっそりとした綺麗な手に自身の手を重ねた。

「なあ、三葉、顔、見せてくれよ。後ろに居たんじゃ見えねぇ」
「ダーメ、意地悪した瀧くんにお返しやよ!」
「そんなこと言ってると、夢覚めちまうぞー」
「ええっ!?」
彼女の力が緩むのを見逃さず、瀧は腕を解くと振り返る。

「三葉……」
「瀧……くん」
そこに居たのは、あの頃の彼女。糸守に居た頃の、入れ替わっていた頃の彼女。髪の毛はあの時バッサリと切られたショートボブ。その髪に鮮やかな組紐が結われ、彼女が動くたびにちょうちょ結びが可愛らしく揺れていた。瞳はいつものようにどうしてかっていうくらいキラキラしてて、まぁるくて。小顔で華奢で瀧よりずっと背の低い彼女が、微笑みながら見上げている。
「今日は、その姿なんだな」
「そうやね、瀧くんに合わせたのかな?」
懐かしむように三葉は、糸守高校の制服のスカートに触れた。
「そっか……」
そんな彼女の姿は、どうしてもあの日、あの時を思い起こさせる。

最初で最後

出逢いと別れ

決意と忘却

ほんのひととき。二人にとってつつましい、ささやかな逢瀬。
だけど、それでもあの瞬間、二人の間には確かなムスビが生まれた。
だから、今もこうして、夢の中で二人の逢瀬は続いている。
それはきっと、目覚めても、探し続けることができるように。あの日、もがき続けると、必ず逢うのだと、決意した想いを確かめ合う儀式のように……

 

「瀧くん、高校卒業おめでとう」
「……ありがとな、三葉」
柔らかな春風に乗せて、はにかみながら、お祝いを贈る三葉に、照れくさそうに応える瀧。
今年、瀧は神宮高校を卒業した。無事現役で都内の大学に合格し、春から晴れて大学生。司や高木、親友たちも同様に進学を決め、本来ならこの春は、彼にとって新しくも大きな一歩を踏み出す季節になるはず。だが……
「……どうしたの?瀧くん」
カタワレが、どこか表情に影を落としたことに気がついたのか、三葉は心配そうな声で眉をひそめる。
「ごめんな、三葉」
「え?何が……?」
そんな彼女の問いを消し去るように、不意に春の嵐とも言わんばかりの一陣の風が吹き抜けた。
突風はヨメイヨシノの枝を揺らし、舞い上がった桜の花びらが、風が吹き止むのと同時に二人の頭上に淡雪のように舞い降りる。
ひらひら、ひらひらと……

彼女の黒髪に薄紅色のそれは似合うな、なんてそんなことを思いながら、瀧は三葉の髪についた花びらをそっと手に取った。
「ごめん……な、お前のことすぐに見つけてやれなくて……」
彼女ではなく、逃げるようにその小さな桜の花びらに目を向けて。春を彩る季節の象徴は、彼にとって確かな時の流れを感じさせるには十分だった。
「俺、お前のこと、すぐに見つけられるって、どこかでそう思ってた。なのに……また春が来て、高校も卒業しちまって」
「な、なによ、瀧くんらしくないよ。別に、私は大丈夫やよ。こうして夢で瀧くんに逢えとるし、それに……そうやよ!私やって、瀧くんのこと見つけられんかったし、」
その言葉に瀧は顔を上げるが、彼の表情にはどこか翳りがあって、それが三葉を不安にさせた。だから、彼女は必死に言葉を続ける。
「ねえねえ、瀧くん。私と瀧くんは三歳差やろ?だったら、今年見つけてくれれば、私はまだ大学四年生やし、大学生同士で色々できるかもしれんね♪瀧くんは何がしたい?」
「三葉」
「なに?瀧くん」

瀧は一度、食いしばるように顔を強張らせると、三葉を見据える。
二人の距離、近くに居るはずなのに、今はその心に大きな隔たりがあるかのように、桜の花びらが二人の視線の間を通り抜けていった。

「……ツラかったら、俺のこと、諦めていいんだからな」

瀧の言葉に三葉は息を飲む。何か言い掛けて、でも言えなくて。
言えなかった言葉の代わりに、キラキラだった瞳に、悲しみの雫を湛えて。悲しくて、悔して、だから、言葉ではなく、一歩を踏み出して、

パンッ☆

瀧の頬を引っ叩いていた。

「……ばか」

震える声、零れ落ちそうな想いを必死に繋ぎ止めて、瀧の制服の上着を掴むと、額を彼の胸に押しつける。

「ばか……ばか!ばかっ!!瀧くんの……ばかぁ!!!」

叩かれた頬以上に、胸の中で泣き出した三葉の姿が、彼女を泣かせたことが痛くて。瀧は何も言えないまま、泣きじゃくる三葉の背中に手を回す。

「なんでそんなこと言うんよっ!諦められる訳ないやろ!諦められるわけ……どうせなら、"諦めるな"って言ってよ!"ぜったい逢える"って言ってよ!!……それとも、」
三葉は、ぼろぼろと大粒の涙を流した顔を瀧に向ける。その表情を見て、瀧は苦悶の表情を浮かべる。
「それとも……瀧くん、他に好きな子ができた?」
「んな訳ねえだろッ!!!」
その台詞は抑え込んでいた瀧の気持ちを決壊させるには十分だった。三葉を思い切り抱き締める。力いっぱいに。決して離さないと言わんばかりに……
「お前に……逢いたいんだよっ!!逢いてえよ……。辛いんだよ!必死なんだよ!だけど、逢えなくって、また春が来て……」
瀧も声を震わせて、彼女を強く抱き締めながら、頭上で咲き誇るソメイヨシノを見上げる。
何事もないように今年も咲き誇る大樹は、ただ闇雲に過ぎ去っていく時を、その淡い色は、この大事な想いがそのうち色褪せていくんじゃないかという不安を想起させて、瀧の心を締め付ける。
「こんな想いを……三葉は、俺よりずっと長く抱えてて、お前は春が来る度にどんな想いでいたのかって、それを考えたら……」
それ以上は言葉が詰まって言えない。

――君に逢いたい――

ただ、それだけなのに。
そして、逢えない日々が、君を苦しめるのなら、いっそのこと……!

「瀬を早み 岩にせかるる 滝川の……」

腕の中、三葉が小さな声で歌を詠む。瀧も知っている、その和歌。

「……われても末に 逢はむとぞ思ふ」

瀧も三葉も、いつかきっと、と願って止まない想いの歌。
だからこそ、下の句は瀧が詠む。

息を吐くと、彼女を抱きしめる瀧の腕が緩む。三葉もまた強張っていた身体の力が抜けて、瀧に身を任せた。
「ねえ……瀧くん」
「……ん」
「瀧くんが思っとるより、私はずっと瀧くんのこと大好きなんやよ」
彼女の声、瀧の心に真っ直ぐ届く、彼女の本心、素直な気持ち。

腕の中、間近で彼を見上げた三葉は、泣き腫らした顔だったけど、口許は微笑んでいて。
「私も、瀧くんに逢いたい。夢なんかじゃなくて、本当の、今の私達で逢いたい。私やって、辛いし、苦しいし、夢を見て目覚めるといつも泣いとる」
「三葉……」
「だけど、大丈夫。逢えるよ、ぜったい。私達の未来はね、ぜったい繋がっとる。何度も春が来て、桜が咲いて散ってしまっても、また春は来るよ。今は一人でも、いつかきっと、二人一緒の春は来るよ」
目を細めて笑顔を作った三葉の頬を、煌く雫が通り抜ける。
「諦めろって言われても、諦めんよ?私は、瀧くんに出逢って強くなったんやからね!瀧くん探して丸四年は伊達じゃないんやさ」
「なんだよ、それ」
「瀧くんは、逆に弱くなったんやないの?おっかしーなぁ、私の好きな人は、真っ直ぐで、どんな時でも諦めない強い人のはずだったんやけどなぁ」
「言ったな、三葉」
抱き合いながら二人で笑い合って。でも、それは二人の精一杯の強がり。
だから……

「瀧くん」
「なに?」
「……あなたに誓います」
「誓う?」
「私は、瀧くんに逢う。ぜったいに。……だから、君のこと、諦めてなんてあげない」
「なら、俺も誓うよ。お前が世界のどこにいても、俺が必ず逢いに行く。……三葉に『すきだ』って伝えるために」
「うん!」
今日一番、三葉の眩しくて、嬉しそうな笑顔。そういえば、と瀧は思い出す。自分はこの笑顔に心惹かれたのだと。

「……みつは」
「たき……くん」

君の名に添えるように、咲き誇る桜の樹の下、薄紅色のフラワーシャワーに祝福されながら、二人、誓いの口づけを交わす。
それは新しい誓い、新しいムスビ。
たとえ夢から覚めて忘れてしまうのだとしても、誓いの先、二人の未来は一つに繋がってる……

*   *   *

春。

新しい生活の始まり。
何かが動き出しそうな、そんな予感めいた季節。

大学生活を始めた俺は、快速電車で学校へと向かう。
大学四年生になった私は、駅で電車を待っている。

車窓から眺める見慣れた東京の風景。
ホームで次の電車の時間を確認する私は、随分とこの街に慣れてきた感じがして。

だけど、俺は、
私は、

いつも、何かを、
誰かを、探していて

この欠けたような想いは、
探し物が見つかるまで、決して埋まることはないのだろう。

それでも信じている。
"いつか"はきっと来るのだと。

それは自分への誓い。
誰かとの大切な誓い。

不意に通過するホームに何かを感じて、俺は目で追う。
私は、通過していく快速電車に目を奪われる。

過ぎ去っていくホームを遠くに眺めながら、
走り去っていく電車を見つめながら、

もう一度誓う――

俺は、
私は、

――ぜったいに逢うんだ、と