君の名は。SS たとえばこんな夢ものがたり。プレリュード

『たとえばこんな夢ものがたり』は、2016年10月4日に間に合わせようとして書いたのですが、間に合わず前後編になりました(笑)

それでも10月中に書き切ったのですが、後日、前日譚として書いたのが此方です。

時系列的には前後編の前ですが、作品的には後に読める内容となっております。

そんな訳で宜しくお願いします。

 

「三葉にも、ちゃんとしあわせになってもらいたいんよ」
プロポーズされたことを報告しに来てくれた親友が、帰り際にそんなことを言った。
駅前の交差点。赤信号となった横断歩道の前、行き交う車を並んで眺めている。
「……うん、わかっとるよ」
本当は何もわかっていない。
"しあわせ"ってなんだろう?信号機を眺めながらそんなことを自問する。
でも間違いなく言えることは、今の私は、しあわせなんてものは望んでなくて、

――もうすこしだけ

ただそれだけを願っている。

視線が無意識のうちに下がって、横断歩道を意味もなく無言のまま見つめる。
そんな私の横顔を少しだけ窺った親友は、それ以上は何も言わず、また視線を戻した。
「青やさ」
「うん……」
それから黙って交差点を渡り、駅の改札の前で彼女と別れる。

折角のおめでたいお話だったのに、最後に気を遣わせてしまった。
「今度はテッシーも連れてきてな。二人からもっと話を聞かせてもらうでね」
私は親友にできる限りの笑顔でそう言うと、
「お手柔らかにな。ちゃんとテッシーにも言っとくで」
彼女はいつものように優しくて柔らかな笑顔で応えてくれた。

改札の向こう側。もう一度手を振り返してくれる彼女。
私も手を振って応える。そうこうしているうちに彼女の姿は人の流れの中に消えていく。

「しあわせ……か」

別に私は、自分を不幸だなんて思ってない。だけど、こうしてみんなから心配されることがある。

きっと、それはあの日から。
あの星が降った日から、私は誰かを、何かを探し続けていて、朝、目覚めると泣いていて……
気づけば伏し目がちに手のひらを見つめている。
私はその手に一体何を見ていたんだろう?

親友の幸せそうな姿を見た。本当に心から嬉しかった。
私も誰かと付き合ったりすれば、"しあわせ"は得られて、親友も喜んでくれるのだろうか。
でも、きっと探し続けている誰かなのか、何かなのか、それが見つからない限り、きっと私は欠けたままなんだと、そんな風に思う。

「間違ってるのかな……」
歩きながら独り呟く。
そんな風に思うことは、私が勝手に思い込んでるだけで、
「おかしいのかな……」
私がこうして探し続けることは、みんなが言う"しあわせ"には繋がらないのかな?

こんな風に一人で思い悩む時、私の問いに周りは誰も答えてくれなくて。

――大丈夫、逢えるよ

心の中。自分自身だけがそう応えてくれる。


ビルの合間から、夕陽が目に飛び込んできた。
その日の夕陽はいつになく綺麗で、それはいつかあの山で見た情景を思い起こさせた。
あの日の光景が何故こんなにも心に残っているのかわからない。
ただ、昼と夜が混じり合う不思議な時間のように、あの時の私は嬉しさと切なさ、相反する心が混じり合っていた……そんな気がする。

都会の真ん中。人の手が作り出した現実的なビル群を、不思議なくらいに綺麗な夕陽が朱に染めて。
まるで夢と現(うつつ)が混ざり合うような、そんな感覚に陥った。
だからだろうか、

「カタワレ時……」

久しぶりにその言葉を呟いた。

――ぜったい大丈夫だよ

必死にもがき続ける私の心。どこからか励ましてくれる声。

「うん……大丈夫」

沈む夕陽を眺めながら、その声に応えるように私は独り呟く。
その時だけは沈みがちな私の瞳も真っ直ぐ前を、未来を見据えていて。
無言で頷くといつものように家路についた。

*   *   *

帰宅するや否や、化粧も落とさずに部屋のベッドにダイブする。
「逢えたん……だよね?」
彼の表情を思い出すだけで、胸が高鳴る。
今日、何度目かの呟き。

今朝、行き交う電車の中で私は彼を見つけた。
必死に走って、泣きそうになりながら、転びそうになりながら、それでも走って走って、やっとあの人と……

――君の、名前は、

「逢えた、逢えた……」
傍らのスマフォを手に取ると画面を立ち上げる。登録した彼の名前。
連絡先を交換した。もう、いつだって連絡は取れる。
ただ、逢えた瞬間から気持ちが落ち着いてくると、本当にこちらから連絡をしても良いものか不安になってくる。

仕事中じゃないだろうか……
迷惑じゃないだろうか……
連絡を待つべきだろうか……

>遅い時間にすみません。今、電話大丈夫ですか?

一度そこまで書いたメッセージ。送信ボタンを押せばいいだけなのに、迷っている内に消してしまった。

ベッドの上、天井を眺めながら、
「立花……瀧さん」
忘れないようにと、これまた今日何度目かの呟き。

「立花……さん」

「立花…くん」

「瀧……さん」

どれも何故かしっくりこない。

「瀧……くん」
心臓がトクンと高鳴る。口許が緩むのがわかる。嬉しいんだ。私、今すごく"しあわせ"なんだ……

だけど……
「夢だったら……?」
私はベッドから起き上がるとお気に入りの青い砂時計を手に取った。テーブルの上にそれを置き、静かに流れる煌めきをうつ伏せに眺める。

もしかしたらこれは夢の中の出来事で、目覚めたらいつもの生活に戻っているのかもしれない。
でも、私はもうあの人に逢ってしまった。あの人の名前を知ってしまった。
これが夢なら、夢だとしたら、今度こそ私は挫けてしまうかもしれない。

――夢やないよ

心の中。声が聞こえた。
ゆっくりと目を閉じる。
ねえ、あなたは誰?
どうして私を励ましてくれるの?
今までそんなこと思いもしなかった。
だけど、何故か今日は自分自身に語り掛けたくて……

 

目を開ける。
そこは風になびく夜の原っぱ。どこか肌寒さを感じながら、私は揺れる髪を抑える。
見たことあるその風景。私は草むらの中をゆっくり進む。
明かりもない夜だけど、辺りは照らされている。
だって、空には月明りと……
「彗星……」
それは忘れもしない、夜宙を分かつ幻想の輝き。

淡い光が照らす中、進んだ先に一人佇む少女がいた。物憂げに夜空を眺める浴衣姿。
あの浴衣は……そうだ。お祖母ちゃんが秋祭りに間に合うようにと仕立ててくれた花柄模様で彩られた青い浴衣。
私に気が付くと、少女はこちらに顔を向け、ニッコリ微笑みを返した。

「おめでとう、三葉」
「……あなたが、いつも励ましてくれてたの?」
「私は何もしてないよ。ずっと見てて応援してただけやよ」
「そんなことない。だって声が聞こえたもの」
私の言葉に彼女は目を丸くして、
「おかしいなぁ、私はもう居ないはずなんやけどな」
苦笑いを浮かべながら、少女は自分の短くなった髪を指で触れる。
その仕草に私も笑みがこぼれた。そして、互いにくすぐったさを感じるように笑い合う。

「やっと逢えたね。良かったね、三葉。……二人のこと、信じとったけど、やっぱり心配してたよ」
私から見ても、心から嬉しいのだと伝わってくる彼女の表情。
だけど、喜んでくれる彼女の言葉を素直に受け取れなくて、いつもみたいに伏し目がちになってしまう。
「でも、夢かもしれないって……」
「夢やと思っとるの?」
小首を傾げる彼女。私は思い切り首を振る。
「あの人と出逢ったこと、夢だなんて思いたくない!もう一人きりはイヤ!あの人と一緒に、もうすこしだけ……」

――大丈夫やよ

顔を上げる。心の中、いつも励ましてくれてた声。
目の前の彼女がもう一度言葉を紡いだ。

「大丈夫やよ……三葉」

その言葉に、思わずスゥと涙が零れる。
「本当はね……ずっと不安だった」
「仕方ないよ。みんな忘れてしまったんやから」
「誰かを、何かをって、それが何なのかもわからなくて、必死に探し続けてきたんだよ」
「知っとる。辛かったよね」
「でも、誰も、私自身だって、それが正しいことなのか、全然わかんなくて!」
「……でも逢えた」
「うん……逢えたよ」

誰かに間違ってないんだよ、大丈夫だよって言って欲しかった。
でも誰もそんなこと言ってくれる訳なくて。
もがき続けてきた私自身ですら、時には自分を信じられなくて。
それでも、ずっと私を信じ続けてくれたのは……

「……本当にありがとう、三葉」

私の言葉に浴衣姿の彼女は、はにかんだような笑顔を見せた。

 

静かなひと時。虫の音色と風に揺れる草の音。

「ねえ、あなたは彼に逢えたの……?」
彼女は何も言わずに微笑む。その笑い方、私は知っている。それはきっと。
私からのそれ以上の問いかけを遮るように、彼女は振り返ると夜空を見上げた。
私もそれを追って空を、星を見る。
運命を変えた煌めく彗星。幻のような輝きを放ちながら、それは今まさに二つに分かれた。
一つはこの星に、一つはまた永遠とも思える時間を流れ続けるのだろう。

「ねえ、三葉」
「なあに?」
「瀧くん、笑っとったね。きっと瀧くんもずっと三葉を探し続けてきたんやろね……」
「うん、そうだね」
「三葉もね、笑っとったよ。すごくキラキラして。……二人の笑顔が見れて本当に、本当に嬉しかった」

私は頷くと、彼女の背中へと近づいていく。自身の長い黒髪に触れ、結んでいた組紐を解く。

「はい、これ」
「え……?」
振り返った彼女の前に組紐を差し出す。
「受け取って。今のあなたに託したいの」
「でも……」
「私はもう逢えたから。だからもういいの」
一瞬、躊躇しながらも、組紐に指が触れると懐かしそうに手に取り握りしめる。
そして、カチューシャのように頭に回してちょうちょ結びを作る。
「どう……かな?」
「うん。とっても似合ってる」
誰かからは今一つの反応を示された気がするけど、私は結構似合ってると思うな……
そんなことを考えながら見つめていると、彼女はちょうちょ結びを揺らしながら大きくお辞儀をした。

「そろそろ行くでね……」
「行くって……どこへ?」
彼女が淡く輝く光に包まれる。

ねえ、三葉。知らなくてもええこともあるんやよ。
今の三葉には必要のないもの。そういうもんは全部私が持っていくでね。
だから、私のことは忘れて。

「あなたのこと、忘れないよ」
彼女は首を振る。

ねえ、三葉。もう、いつもみたいに夢を見て泣かなくていいんやよ。
もう過去にこだわる必要なんてないんやさ。
もうすこしだけ、なんて遠慮しないで、いっぱいいっぱい瀧くんとやりたかったことやりない。
これから先は二人一緒の素敵な未来が待ってるんやから。
ずっとそれを望んでたやろ。
だって……私もそうだったもん。

「あなたもきっと逢えるよ!」
彼女は首を振る。
「ぜったい、大丈夫だから……」
彼女は否定し続ける。

二人の笑顔がなにより嬉しい。
おめでとう、三葉。
そして、ありがとう。がんばってくれて。
ムスビって本当にあるんやねぇ。お祖母ちゃんの言うとおりやった。
すごいなぁ、二人とも。
これなら私も安心して……消えていけるね。

彼女の最後の笑顔。
知ってる、その笑顔。泣きたくても泣けない時の私……
「待って!」
彼女の瞳から一粒だけ零れた涙が地面に落ちる前に光となって、宙を彷徨う。そして最後の瞬きのように光が溢れ、それが辺りに広がった後、彼女は別れを告げていた。

一人、夜の原っぱで私は手を伸ばしている……
そこに季節外れの蛍の光のように、彼女の涙の輝きが空に舞う。導かれるように目の前にやってきて、私はそっと両手で包み込んだ。

「ぜったい逢えるよ……」
どこかにそんな確信があって、夜空を眺める。
分かれたはずの彗星。今は一つだけ。

「あなたにも、しあわせが届きますように……」

一欠けらの輝きを胸に抱き、私は心からそう願った。

*   *   *

瞼を開ける。目の前には青い砂時計。
まだ砂は零れ続けていて。
ほんの少しの間だけ、私は夢を見ていた……?

だけど、今の私は確信している。私がずっと待ち望んでいた、今日の出逢いは夢なんかじゃない。
私のもとに訪れたんだと。


その時、テーブルの上でメッセージの着信音が鳴る。
「あ……」
スマフォのディスプレイに表示された名前を見て、慌てて手に取る。

『遅い時間にすみません。今、電話大丈夫ですか?』

堅苦しい文章。
だけど……それは、さっきまで私が考えていた言葉と全く同じで、思わず笑みがこぼれる。

『待ってます』

そう一言だけ添えて送信する。
画面から目は話さない。だって……
コール音が鳴る。

ほら、やっぱり。

1コールも終わらないうちに、私は着信ボタンを押す。

――もしもし

何年も繋がらなかった電話がやっと繋がったような、そんな不思議な気持ちで私は、

――三葉です

私の名前を彼に届けた。