君の名は。SS 砂時計。

 10/4前なので一旦上げますが、後日修正するため消すと思います~

(修正版を改めて上げる予定です)

 

朝、目覚めると机の上に見慣れないものが……
いや、正確には見たことはあったのだが、少なくとも自分の家にはなかったものが置いてあった。
「砂時計……?」
青い砂時計。これは確か三葉の机に置いてあったもの。
それが何故ここに?
日記アプリを立ち上げてみれば、昨日の出来事の中にそれは記されていた。

>可愛い雑貨屋さんでウチのと同じ砂時計を見つけました!
>嬉しくなって思わず買ってしまいましたぁ♪

……あの野郎、人が稼いだ金をまた使い込みやがって。
砂時計を手に取り、ひっくり返すとサラサラと煌めく青い砂が零れ落ちていく。
確かに綺麗だが、これを普段何に使えと?カップラーメン用か??
サラサラ……
零れ続ける砂時計を見つめていると、自分の周りの時間だけゆっくり流れるような不思議な感覚に囚われた。

「瀧ー、起きたのかぁ」
洗面所の方から親父の声が聞こえてきた。
「あ、悪ぃ、すぐに飯の支度するから!」
砂時計を机の上に置くと朝の準備のため部屋を出る。
扉を開けたところでもう一度、砂時計に視線を向けた。
頭に浮かんだのはあいつのこと。

――今頃、あいつも朝飯かな?

口許が緩む。入れ替わりの生活が始まって間もなく一ヶ月。
一番近くて、だけど遠い、この不思議な関係。
会ったこともないけど、それでも最近は彼女との繋がりを感じる……
それが何となく嬉しくて、今日も一日楽しくやれそうだ、と気分も軽やかに部屋を出る。

誰もいなくなった部屋。机の上の砂時計は何事もないように砂が零れ続けていた。

 

「ふぅ……」
宿題もひと段落。教科書を閉じると、椅子の背もたれに寄りかかり、うーん、と腕を伸ばす。
両手で頬杖をついて、頭を休めるように何を見る訳でもなく暫しボーっとする。
「瀧くん、今頃アルバイトかなぁ」
傍らのスマフォのボタンを押すと時間が表示される。この時間ならきっとアルバイト中だろう。
「遅くまでお疲れ様やね。あー……でも、私もカフェで食べすぎるの、ちょっと控えた方がええかなぁ」
バイトが多いのは、自分がカフェで無駄遣いしていることも理由の一つだなぁと思い、苦笑いを浮かべる。
「でも、カフェに行っちゃうと、どれも美味しそうでついつい頼んじゃうんだよねぇ」
と独り言い訳を呟きながら日記のアプリを立ち上げた。

瀧くんとの入れ替わりが始まってもうすぐ1ヶ月。
今までのことを思い返すように日記を読み直す。
短い間に色んなことがあった。困ったこと、腹立つこと、怒ったこと、嬉しかったこと、そして感謝したこと……
最初の頃は男の子との入れ替わりなんてとんでもない!って思ってたけど、今は、こんなに楽しい日々はない。
この狭い町の中で、憂鬱だった毎日が、これ程までに楽しく感じられるのはきっと……
「瀧くんのおかげやね」
そっと目を閉じて胸に手を当てる。

――瀧くん、瀧くん……

まだ会ったことのない君の名前を、心の中で呼びかける。

ねえ、瀧くん。
サヤちんがね、私に、最近、少し積極的になった?って聞いてきたの。
テッシーがね、前より自分の意見言うようになったな、って言ってくれたんだよ。
この糸守じゃ、そんなにすぐに変われそうにはないけど、私も少しずつ変われるように頑張ってるよ。
瀧くんは今頃アルバイト?
奥寺先輩に迷惑かけないように頑張るんだぞ。
あとね……

ん?と思って目を開ける。

あれ?あれれ……?
何で私、瀧くんのことばっかり考えているんだろう……?

「変やの……」
机の右隅に置かれた砂時計に手を伸ばして引き寄せると、逆さまにして机の真ん中に置いた。
うつぶせてサラサラと静かに零れ落ちる砂時計を見つめていると、トクントクンと高鳴ってた鼓動が少し落ち着いてくる。

最近の私、瀧くんのことばっかり考えてて少し変だなぁ……
でも、君のことを考えていると、どこか心地よくて、ポカポカした気持ちになってくるんだよ。

零れ続ける砂時計にそっと触れる。
瀧くんと何か繋がりができたらな、と思って、つい雑貨屋で同じ砂時計を買ってしまった。
瀧くん、使ってくれてるかな?
その時くらいは、君も私のこと考えてくれてるといいな……

そうこうしている内に、煌めく砂は残り僅かになってくる。
全部落ちてしまうと終わりみたいな気がするから、その前に砂時計をひっくり返した。
「これでよし」
これなら、終わりじゃなくて元に戻るだけ。
明日もこの砂時計を見ながら瀧くんのこと考えていたいな……
そんなことを想いながら、私は元へ戻っていく砂時計を眺め続けていた。

 

バイトが終わり、夜遅く部屋へと戻った。
通学鞄を床に置くと、制服のままバタンとベッドにダイブする。
「疲れたぁ……」
三葉のヤロー、お前の無駄遣いのおかげでシフト入りまくりだよ!
「……ったく」
でも、どこか三葉のことを憎めなくて笑みがこぼれる。

三葉、お前に会ったら言いたいことがいっぱいあるんだぞ。
カフェでバカ高い、甘いもんばっかドカ喰いしやがって。
いくらバイトしてたって、俺の小遣いがもたねーっつうの!
あと、勝手に奥寺先輩と仲良くなりやがって。
男の俺が女子力なんかある訳ねえだろ!

……まあそれでも、お前がこっちで楽しんでるんだったら、少しはバイトのし甲斐もあるけどさ。
これだけ頑張ってるんだから、少しくらい感謝して欲しいよな。
面と向かって『ありがとう』くらい言えっての。
「何、変なこと考えてんだ、俺」
面と向かってとか、あいつに会いたいみたいじゃないか。

ふと三葉が買ったという砂時計が思い出された。
ベッドから起き上がり、机に向かうと朝、置いたままの状態でそれはあった。
椅子に座ると突っ伏して砂時計をひっくり返す。
朝と同じようにサラサラと静かに砂が零れ落ちていく。

「あいつ、もう寝てるかな」
急に始まった三葉との入れ替わり。この生活はいつまで続くんだろう……
この砂時計のように、砂が落ちきれば、時が過ぎれば、いつか必ず終わりは来るのだろうか?
「俺は……どうしたいんだろうな」
本当に終わりが来るんだったら、きっと俺はその前に……
「まあ、今考えてもしょうがないよな」
暫く砂時計を見つめてから、着替えるために立ち上がる。
それと同時に、時計の砂は全て零れ落ちた。

 

私は部屋に入ると、膝から崩れ落ちるように座り込む。
しん……と静まり返った部屋。鈴虫の音色が耳に届く。

ショックが大きすぎると涙は出ないらしい。
正直、自分が東京からどうやって家まで帰って来れたのかも、よく思い出せないくらいだ。
「阿呆やなぁ……私」
お祖母ちゃんに切ってもらって短くなった髪に触れる。
その喪失感は、心にポッカリ空いた穴を紛らわせるのに十分だった。

今日、私は東京に行った。そして……瀧くんに会えた。
会えた瞬間(とき)は運命だと思った。
だけど、瀧くんは、瀧くんは……

――……誰?お前

「うっ……く……」
自分の腕を抱える。胸が締め付けれれるように苦しい。

気づいてしまった。自分の想いに。
それはとても嬉しくて、でも同時に何故今まで目を逸らそうとしてたんだろう、と後悔して。
だから、これ以上後悔したくなくて、私は東京へ向かった。
それは今までの自分じゃとてもできなかったこと。
瀧くんとの出会いがあったから、瀧くんへの想いがあったからできたこと。

信じていた。
君なら、きっと分かるって。
君なら、絶対に私を分かってくれるって。
私は君で。君は私で。
私たちは世界で唯一の繋がりをもった存在なんだって。
それだけは確信していた……だけど、

なんて勝手な思い込み……

夢だから忘れてしまったのか。彼は私のことを覚えてもいなかった。
自分に芽生えたこの想いは始めることも、終わらせることもできないまま、心の中に宙ぶらりんで浮かんでる。
いっそ奥寺先輩とのデートがうまくいっている場面をこの目で見た方が……
見た方が……

「いやだ……」
そんなこと少しも思ってないくせに、と首を振る。

瀧くん、瀧くん……
ねえ、どうしてなの。
わからないなんてひどすぎるよ。
私、会いに行ったんだよ。君に会いたくて、この想いを伝えたくて、探し続けたんだよ。
そして君をちゃんと見つけたんだよ……
瀧くん……

制服から着替えようとフラフラと立ち上がる。
ふと視線に入ったのは机の上の砂時計。
ゆっくりと逆さまにすれば、いつもと変りなく砂が落ちていく。
それを眺めていると、彼を想い続けた日々が思い出された。
「う……うぅ……」
涙が一粒、畳の上に零れる。それを追いかけるように砂時計が畳に落ちた。
止められなくなった想いを受け止めるために私は両手で顔を覆った。
「う……ああぁ……」

その日、私は砂時計を元に戻すことができなかった……

*   *   *

机の上、流れ落ちる砂時計を眺めていた。
今日の奥寺先輩とのデートは散々だったけど、それほど落ち込んでいない自分がいた。

『今は、好きな子がいるでしょう?』

「いやいやいや……違いますって」
別れ際の先輩の言葉が思い出されたけど、否定するように独り呟く。
思い浮かんでいるのは、三葉のこと。
俺は別にあいつのことなんて……
スマフォの日記アプリに触れる。
「……お前に言いたいこと、いっぱいあるんだからな」
日記に書いた今日の出来事。

>いきなり奥寺先輩とデートの約束するんじゃねえよ!
>俺にだって準備が必要なんだよ!
>おかげで結果は、

そこまで書いて、日記に残すんじゃなくて、言葉で伝えたくなった。
繋がらなかった携帯番号。緊急時しかダメ!と言われているけど構うもんか。
もう一度『宮水三葉』と登録された番号に触れる。
発信音が鳴る。

入れ替わった時じゃない、あいつの声ってどんな感じなんだろうな。
いきなり掛けて、ちゃんと話できるだろうか。
そんなことを考えてドギマギしていたが、聞こえてきたのは、

『お客さまのおかけになった電話番号は……』

いつもの音声コール。
ハァ……とため息をつき終了ボタンを押した。
「ったく、電話くらい出ろよ」
ちょっとムッとした気分でスマフォを砂時計の隣に置く。
気付かないうちに砂は全て零れ落ちていた。
知らない間に何かが終わってしまったような感じがして、もう一度砂時計を逆さにする。
砂は何事もなかったように、再びサラサラと零れ落ちる。
それを眺めながら、俺は明日の三葉との入れ替わりを楽しみにしていた。

 

朝、目が覚める。
天井を眺め、自分が自分であることを認識する。
ゆっくりと身体を起き上げ、辺りを見回す。
……自分の部屋だ。
「……くっ!」
ベッドを拳で叩きつけるが、柔らかいクッション性のおかげでボスンと情けない音がするだけだった。

あれから数日。三葉との入れ替わりは起きていない。
週に二、三度あった入れ替わり。少なくとも三日に一度は入れ替わりが起こってもいいはずなのに、今日はもう四日目だ……
「……何でだよ」
眠ることをトリガーに起こる入れ替わり。原因だって不明だったはずだ。
昨日寝る時にあんなに強く願ったのに、どうして入れ替わりが起きないんだよ!
イライラしたまま、部屋を出る。

「おはよう、瀧」
「……おはよ」
ぶっきらぼうに挨拶を返すと、親父は眉をひそめた。
「なんだ、また喧嘩でもしたか?」
「そんなんじゃねえよ!」
親父に当たっても仕方ないが、イライラが募って口調が荒くなる。
「……まあ、いいが」
新聞を手に取ると親父は俺の頭にポスンと手を乗せた。
「先、行くけど朝飯は食ってけよ。人間、腹が減ると怒りっぽくなるからな」
「……ああ」
「じゃあ、行ってくる」
ガタンと扉が閉まる音が聞こえると、俺は朝飯を掻き込んだ。

 

授業中も心ここにあらずで、あいつのことを考えている。
あいつに何かあったのか?風邪でも引いて寝込んでるのか?
お前に言いたいことが沢山あるんだぜ。
せめて電話くらい出てくれよ……

既に何回も電話を掛けているが、あいつに繋がることは一度もない。
「三……」
あいつの名前を呟こうとして、一瞬記憶が朧げになる。
背中がゾクリとザワついて、心の中で必死に名前を繰り返す。

みつは、三葉……名前は三葉……
大丈夫だ。覚えてる。

終業のチャイムが鳴る。
俺はホッとして背もたれに寄りかかると、不意に肩を叩かれた。
「瀧、昼飯行こうぜ」
振り返れば、司と高木がいた。


昼休み。フェンス際の塀に寄りかかるように、俺は空を見上げている。
秋の空。イワシ雲が今の俺の気分をあざ笑うかのようにゆったりと流れている。
「瀧、昼飯は?」
「いい。そんな気分じゃねえんだ」
司の言葉に声だけ返して缶コーヒーに口をつける。
「おいおい、昼飯それだけかよ?」
「いいんだよ」
「でもまあ、今日は変な方じゃないみたいだけどな」
「だな」
ハハハッと司と高木が笑い合う。
「そういえば、新しいカフェ情報。その店、パンケーキが絶品らしい。瀧、そういうの好きだろ?」
「いつも美味そうに食べてるもんなぁ」
「あと、前に言ってた雑貨屋のことだけど、今はその店」
「……知らねえよ」
「え?」
「知らねえっつってんだろ!!」
抑え込んでいた苛立ちが爆発して立ち上がる。
「ど、どうした?瀧」
「何だよ、お前……」
司と高木は逆に心配そうに俺を見上げている。
周りにいた生徒たちもこちらに視線を送っていたようだが、暫くすると自分たちの時間へと戻っていく。

大人げない。そんなことは分かっている。
司や高木は、俺達の入れ替わりのことなんて知らない。
だけど、だけど……
「俺は……知らないんだよ」
零れた言葉はまるで絞りだすように。

俺は知らない。
あいつがここで送っていた生活を。
あいつからの日記と、周りから話を聞くだけだ。
俺だけが、三葉自身に会ったことがないんだ……

「瀧……」
「悪ぃ……俺、午後の授業フケる」
屋上の出入口へと向かおうとすると、背中越しに声がかかる。
「瀧、言ってくれなきゃわかんねぇんだからな!」
「落ち着いたらちゃんと話してくれよ!」
振り返ることはできなくて、片手を挙げて応えるのが精一杯だった。

 

家には誰もいなくて静まり返っている。
部屋に戻ると鞄を放り投げ、椅子に座る。
机の上にあった砂時計。
何気なしにそれをひっくり返すと日記を立ち上げた。
最後の日記から、遡っていく。九月初旬にあいつの初めての日記。
それを読むと今度は順に日記を読み進めていく。
そして最後の入れ替わりから俺が書いた日記が続く……

ふと机の上を見る。
砂時計は全て零れ落ちていた。もう終わっていた……
それを見た瞬間、何となく気が付いた。

――入れ替わりは終わったんだ、と

不意に涙が零れた。
「……何だよ、突然始まって、突然終わるなんて、勝手過ぎるだろ」
涙声で愚痴をこぼす。

こんなことならもっと早く会いたいって言えば良かった。
会える方法なんていくらでもあったはずだ。
いつまでも入れ替わりが続く訳ないってわかっていたはずなのに。
どうして俺は……

「三葉……」

お前に会いたい。
それでもほんの僅かな可能性にすがりたくて、俺は入れ替わりを願う。
終わったなんて認めたくなくて、強く、強く願う……

 

――……くん、……瀧くん
――覚えて、ない?

ハッとして目が覚める。
夕陽が差し込む部屋の中、いつの間にか机にうつぶせたまま眠ってしまったようだ。
「……涙?」
濡れた頬を右手で拭うと腕に巻かれたミサンガ状のお守りに目が留まる。
いつか、どこだったか、人からもらって、時折、お守り代わりに腕に巻いているもの。
それを暫く見つめていると、三葉に会えずに苛立っている自分の気持ちを落ち着かせることができた。

机の上の砂時計をもう一度逆さにする。
俺と三葉の関係は砂時計じゃない。
全て零れ落ちたら終わりなんてことは絶対ない。
だって俺たちはこの世界で唯一の繋がりをもった存在のはずだから。
だったら、入れ替わりが終わっても、きっとできることがあるはず。

「そうだ。会いに……行こう」
俺は机を立ち上がる。
「三葉に会いに行くんだ!」

机の中からスケッチブックを取り出す。
朧げな夢の記憶を頼りにあの風景を描き出す。
『三葉に会いに行く』
そのために俺は一心不乱に鉛筆を動かしていく……

 

「高木、司……」
「おう」
「おはよう、瀧」
「昨日はごめんッ!」
翌日の学校。朝一番で俺は司と高木に頭を下げた。
「少しは落ち着いたのか?」
「ああ」
「だったらいいさ。瀧がケンカっ早いのはいつものことだろ?」
「悪い……」
「で、俺たちに話せることはあるのか?」
高木が俺の肩を組む。
「……詳しいことは言えない。だけど力を貸して欲しい」
「力、ね……」
「会いたいやつがいるんだ……。準備が整ったら、その時は力を貸して欲しい」
「ま、仕方ないな」
司は眼鏡をクイと持ち上げる。
「友達(ダチ)だからな!」
高木はニカッと笑う。
「助かる。詳しいことはまた改めて伝えるから」


机に戻る瀧を見ながら司は呟く。
「瀧にもマジで好きなヤツができたか」
「え?会いたいやつって女なのか!?」
驚く高木に、司はフッと笑う。
「好きな子じゃなきゃ、あんなに真剣にならないだろう?」
「ハハッ、確かにな」
それでも瀧は危なっかしい。だから……
「俺たちでフォローしてやらないとな」
改めてスマフォのメールを確認する。
そこには、奥寺先輩から瀧を心配するメッセージが届いていた。


それから数日が経過し、記憶に残る風景を何枚かスケッチブックに描き上げた。
明日の金曜、学校をサボり、そのまま週末を利用して三葉がいる飛騨地方を巡るつもりだ。
バイトと親へのアリバイは司と高木に依頼済み。
司からはどんなヤツに会うんだと詰め寄られたが、ひとまずSNSで知り合った人だと伝えておいた。
週末くらいは何とかごまかせるだろう。
親父に気づかれないように、明日の準備を進めていると、
「おーい、瀧、こっち来い」
「……え?」
親父から声がかかった。
やべぇ、何か気づかれたか?
恐る恐るリビングに顔を出すと、いつものように缶ビールを飲みながらテレビを眺めていた。
「何……?親父」
「いや、たいしたことじゃないが、臨時収入が入ったから小遣いやる」
「え?」
手渡されたのは現金五万円。
「ど、どうしたんだよ、このお金」
「だから、臨時収入だよ。競馬で万馬券当たったんだわ」
「親父、競馬なんてするのか?」
「ま、たまにはな」
そう言うとビールを煽る。
「瀧、明日から友達のところに泊まるんだろう?」
「あ、ああ……まあな」
親に嘘をつくのは後ろめたいが、こればかりは仕方ない。
何とか必死に取り繕う。
「……気を付けて行って来いよ」
「親父……?」
「ふぁああ……さあて、俺はもう寝る。明日は早く出るからな。戸締り頼んだぞ」
そう言うとテレビを消し、リビングを出ていく。
俺はいなくなった親父に頭を下げた。


翌朝。起きた時には親父は既に出勤していた。
こんな早くに家を出るのは珍しいけど、今日は少しでも早く出発したかったから正直助かる。
着替えとスケッチブックをリュックに詰め、厚手のジャンパーを羽織る。
「あとはお守り、と」
机の中からそれを取り出すといつものように腕に巻き付ける。
そうすると、どこかソワソワしていた気持ちが落ち着いてくる。

部屋を見回し、忘れ物がないかもう一度確認する。
机の上の砂時計に気が付き、出発前にもう一度逆さにした。
サラサラ……と流れる煌めく砂を見つめながら、「いってきます」と俺は呟いた。


家を出る。振り返れば東京の街並みが朝日に映し出されている。

「なあ、三葉」
目の前に居ないあいつに呼びかける。

――急にお前に会いに行ったら迷惑だろうか、驚くだろうか
――それとも……いやがるだろうか

「でも……もし会えたら」
俺は祈るように思う。

――もし会えたら、すこしは喜んでくれるかな

この遠い遠い空の向こう側。お前が世界中のどこにいても、必ず逢いに行く。
右手に巻いたお守りに、そう決意を込めて俺は一歩を踏み出した。