君の名は。SS 君がいない告白。

 君の名は。は瀧と三葉が真に出逢うまでの物語と言えますが、ティアマト彗星からの回避が成し遂げられるD、Eパートまでは彗星にまつわる物語。ラストFパートは瀧と三葉で成し遂げた物語だと思うんですよね。
 瀧くんは三葉に想いを届けました。だから、彗星にまつわる物語の結末には三葉もまた想いを届けて欲しいと、そんな事を願って書いたモノです。
 伝えた想いの答えは得られずとも。
 伝えたかった想いは、届かなくとも。
 その想いは、いつか必ず未来で出逢うことを信じて。



手に持つスマフォの画面を開く。示された時刻は午後二十三時三十分。間もなく日が変わる。二〇一三年十月四日、その長い長い一日が漸く終わろうとしていた。
グランドの片隅、いつも三人でお昼ご飯を食べていた大きな木の下で、私は未だ大きな炎を上げている湖の対岸を見つめていた。
やるべきことはやった。その達成感はある。でも、今、私の心の内を占めるのは……ううん、本来占めていた想いは、胸の奥に穴が開いているようにサラサラと流れ出し、今はまるでがらんどうのような空虚な感覚に陥っている。

「三葉ぁー」
「お前、こんなところにおったんか」
返事もせずに振り返れば、暗がりの中、並んで近寄ってくる二人の戦友。
「サヤちん、テッシー……」
「気付いたら、あんたおらんから心配してたんよ。怪我、大丈夫なん?」
「あ、うん。ひとまず応急手当はしてもらったけど、今はこんな状況やし……」
グランドを見れば、皆、寄り添うようにあちらこちらに集まっている。
一部非常用のライトが灯っているとは言え、電気が通じない夜闇の中、大災害がもたらした紅く燃え盛る炎と、その元凶たる彗星の輝きがこの地を照らしているとは皮肉なものだ。

「しっかし、本当に落ちたとは言え、まるで映画でも見てるみたいやな……」
並んで見つめる対岸の先。私だけじゃない、テッシーの家も、サヤちんの家も跡形もなく消えてしまった。それでも、その言葉に悲壮感を感じなかったのは、今は安堵の気持ちの方が強いからだろうか?
「映画というより夢の出来事みたいやさ。夢オチだったらええんやけど」
そういうとサヤちんはテッシーのほっぺをツねる。
「いってぇ!何すんのや!?」
「あーあ……夢やないんやなぁ」
「お前なぁ……」
二人のやりとりがこんな状況でも普段の日常のように感じられて、思わず吹き出してしまうと、つられて二人も笑いだす。
「まだ、詳しいことはわからんけど、今のところ、人的被害はなさそうや」
「そっか……良かった」
全ては明日、明るくなってから。この大災害が世界中に知れ渡り、私や、周りの人たち、慣れ親しんだ糸守町の運命は大きく変わっていくのだろう。でも、せめて皆の命が助かってくれれば、きっと前へ進むことができるはず。

「まあ、本当に彗星が落ちたし、俺は後悔はしとらんが……。まあ、なんだ、俺らのやったことは、やっぱ犯罪行為っちゅうやつやからなぁ」
「やっぱり、ウチら逮捕されるんかなぁ?」
「サヤちんは俺に脅されたってことにするか」
「テッシー、何言ってんやさ!私ばっかりそんなん嫌や!」
「けどなぁ……」
隣に立つ二人に、私は大きく頭を下げた。
「巻き込んでゴメン!!」
「やめや、三葉」
「そうやよ、ウチら親友やろ?」
「テッシー、サヤちん……」
私、一人じゃどうにもならなかった。テッシー、サヤちん、支えてくれた人たちがいたから、最後までやり遂げることができた。
いつもと変わらない二人の笑顔に並んで、ふっと誰かの微笑みが脳裏をよぎる。でも、それが何かわからずに小首を傾げる。そんな私の様子に気づかずにテッシーはそのまま言葉を継いだ。

「まあ、ムショから出たら、皆で一緒に東京でも行くか」
「こんなカタチで上京することになるなんてな……」
ため息混じりのサヤちんだけど、どこかあっけらかんとしてて。
確かに皆が一緒なら、これからどうなっても何とかなるかもしれない。そう思うと少し気が楽になって、二人に話を合わせた。
「そうやね。その時は犯罪者四人で仲良く暮らそっか」
「四人?」
「三葉……?」
「え……だって」
テッシーでしょ、サヤちん、そして私と、えっと……誰?
「あ、あれ?なんで間違えたんやろね」
アハハ、と苦笑いを浮かべると、やけに真剣な顔をしてテッシーが私を見ていた。
「なあ、三葉」
「なに?」
「……『あの人』は思い出せたんか?」
「あの人……?」
あの人?なんのこと?
一瞬、テッシーが何を言ってるのかわからなかった。
「あの人って誰やさ?」
互いに無言の私達を交互に見ながら、ふと何か思いついたようにサヤちんは自分の頭を指さした。
「それって三葉の組紐と何か関係あるん?確か今朝つけとらんかったよね?髪型変えたせいかと思っとったんやけど」
そう言われて、今更自分の髪に組紐が結んであることに気がついた。そっと左手でちょうちょ結びに触れる。

そうだ。これは"あの人"に渡して、"あの人"から手渡されたもの。
二人を結んだ大事なもの。
……あの人?
えっと、名前は……
「私、忘れ……」
刹那、胸がギュウと締め付けられる。
あの人の名前、思い……出せない……

「三葉っ!!」
サヤちんが両手いっぱいに抱きしめてくる。
「なんでそんなに辛そうな顔しとるんよっ!!大丈夫やよ!みんな無事やったんやよ!」
「うん……うん、わかっとる、わかっとるよ……」
慰めてくれる大事な親友の背中をポンポンと叩きながらテッシーを見る。テッシーもまた痛ましい顔をしながら私を見つめてる。

え?私、そんなにひどい顔してる?
……でも、そうかもしれないな。サヤちんが抱きしめてくれなければ、今にも泣き崩れてしまいそう。
本当に、あの人には泣かされてばかり……
私、泣き虫キャラじゃなかったんだけどなぁ。
でも、君のことでもう泣くことすらできなくなるのなら、

「……ねえ、二人とも」
サヤちんからゆっくり離れると、いつもみたいに、大丈夫やから、と自分をごまかして笑顔を作る。
二人にはバレバレなのかもしれないけど、でも、今はこう言うしかないから。
「少し、一人にさせてくれんかな?」
「三葉、でも!」
テッシーが無言でサヤちんの肩に手を置き、首を振る。
「テッシー……」
「あのな三葉、一つ言っておく。何があっても俺らはお前の側におるからな。落ち着いたらちゃんと戻って来いよ。約束やぞ!」
「そうやよ!!三葉」
サヤちんの方が泣き声になっている。
「……うん、ありがとう、二人とも」

本当にありがとう。サヤちん、テッシー。
もうすこしだけでいいの。
今は、今だけはね、"あの人"のことだけを想っていたいから。
明日になったら、きっと私は……
だから、もうすこしだけ……

*   *   *

見上げた先。夜空を奔る彗星。
それは何事もなかったかのように、この星に別れを告げようとしている。
これだけの大災害をもたらされても、私は夜空に描かれたその輝きを、夢のように美しいと思っていた。
不思議と憎しみのようなものは感じない。
圧倒的な力の前には、畏怖しか感じないのか
やり遂げた達成感から、既にその対象に興味を失いつつあるのか
ただひたすらに美しいと思えるこの光景に、私は心を奪われているのか

――それとも、この彗星にまつわる出来事が、"あの人"に出逢わせてくれたのだと、どこかで感謝しているのか

私は静かに首を振り、輝く彗星を暫く眺め続ける……


気持ちが落ち着いてくると、おぼろげながらあの人との想い出が浮かんできた。
それが嬉しくて、今はいない君に語り掛ける。

ねえ……
私、ちゃんとやり遂げたよ。褒めてくれる?
これだけ頑張ったんだから、ご褒美があってもいいよね。
そうだね……今度は私と東京デートなんてどうかな?
待ち合わせは四ツ谷駅前十時三十分!一緒にカフェをまわろうよ♪
私は東京には慣れてないんだから、君がちゃんとエスコートしてくれるよね?
まあ、デートに慣れてない君だから、厳選リンク集をこっそりのぞき見してても許してあげる。

「でも、暫くはお預けだっけ……」

君との時間のズレ。それまで私は待ち続ける。
大丈夫。君を待つことくらい何年でも。
この想いがある限り、きっと大丈夫。
そう。この"想い"があれば……

「もう一度……会いたい……な」

ねえ……
私、君のこと……忘れたくない。
この想いは紛れもなく自分のものなのに、どうして消えてっちゃうのかな……

「ごめんね……」

君は、あんなに懸命に助けに来てくれたのに
私、絶対に名前忘れないって心に誓ったのに
今もどんどん忘れてく。
忘れたくないって、心の中で何度も何度も叫んでるけど、どんどん消えていく。

「やだ……よ……」

ねえ……
君と出会ってからの一か月。色んなことがあったよね。
怒ったこと、困ったこと、楽しかったこと、感謝したこと、あとは……ええと

「あ、スマフォ!」
慌てて日記のアプリを立ち上げる。でも、君の日記はどこにも残ってない。
「なんで、消えてるんやさ」
君との想い出、どんどん消えていく……

気づいたこと、君への想い。
君に会いたくて、傷ついて、そして私は……
そんな私に会うために君は、こんなに遠くまで来てくれた。

「ごめん……ごめんね、名前言えなくて……」

あんなに大切だったあの人の名前が思い出せない。あの人との想い出が消えていく。
私はなんてヒドイんだろう……
最後は一番大切なこの想いも消えちゃうのかな……?
こんなに大事なことなのに忘れてしまうのかな……?
そして、道ですれ違っても私は君に気づかなくて。
君が気づいてくれても、私は『……誰?あなた』って……

「いやだ……絶対イヤだっ!!」

あの人を傷つける、そんな自分はぜったい許せない。
大事な人、忘れちゃだめな人、忘れたくなかった人!!
君と私は世界で唯一のつながりを持った存在……なんだから。

ねえ……
これが歴史を変えた代償なのかな?
死んでしまうはずの自分が生きるための罪なのかな?
だからって、大切な人のことを忘れてしまうなんて、そんなのってヒドイよ……

今、あの人への想いをカタチにできるのは、泣くことだけ。だけど、止めどなく溢れるこの涙の意味すら、忘れてしまうことが怖くてたまらない。
私は君のこと忘れたくないだけなのに……
泣き止めば、これ以上想い出を失わないと言うのなら、もう泣かない。
それとも他に方法があるの?
ねえ、どうしたらいいのかな?
誰か教えてよ……

――目が覚めてもお互い忘れないようにさ

あの人の声が聴こえた。
君は……そうだ。最後に君は私に……
震えながら握った自分の右手を目の前に。
そうしてゆっくりとその手を開く。瞳に映ったのは手のひらに書かれた、たった三文字。

すきだ

「ああ……」

君は照れくさそうに、書いてくれた。
忘れないようにって。
名前じゃないけど、それは、きっと名前以上に忘れたくない想い。

本当にありがとう。
好きって想いを伝えてくれて。
君の想いが力になって私、最後頑張れたんだよ。
この三文字に込められた想いが、私に力をくれたんだよ。
ううん、今だっていっぱい力を貰ってる。

「……ありがとう」

そうだね。
もし、君を忘れてしまうんだとしても
信じよう、君を。ぜったい私を見つけてくれるって。
信じよう、自分を。逢えばぜったいあの人だって気づくって。
だって、私は君に恋してるから!
私たちは、お互いに恋をしているんだから!!
だから、ぜったい、ぜったいまた逢える!!

……ねえ、この想いが消えてしまう前に、私も君に届けたい。

涙を拭って、顔を上げる。
君にこの気持ちを伝えるなら、笑顔でいたいから。
そっと目を瞑ると、瞼に映る君を思い描く。

私の初めての告白、ちゃんと聞いてね……

「生まれて初めてこんなに誰かを好きになりました。私は、あなたが好き……大好きです」

忘れたくない君への想い。
私の中から消えてしまうのだとしても、せめてこの世界に留まってくれるように、私は想いを込めて言の葉に乗せる。
世界のどこかに君がいるのなら、いつか届いて……欲しいな。

 

見上げた空には、はんぶんこのお月様。
とても大切なものを失う自分のように思えて、思わず手を伸ばす。

消えた想いはどこにいくんだろうね?

もしかしたらそれは、君の中にあって、もしかしたら君の想いは私の中にあるのかもしれない。
だとしたら、月が満ちるように、忘れてしまっても君の中に私の想いがある限り、きっといつかどこかで……

「また、逢えるよね」

この想いを身体いっぱいに抱き留めたくて、君の想いを乗せた右手に私の左手を重ねて、そっと胸にあてた。

*   *   *

二〇二二年春……

「あ、四葉?元気にしとる?えー、用がなくても電話してもええやないの」

「いや、あのね……ええと……」

「話す、話すから電話切らんといてっ!」

「じ、実は……お付き合いする人ができまして」

「あ、あれ?意外と驚いとらんね」

「ち・が・う!私はいないんじゃなくて作らなかったの!!」

「三十路言うなぁ!!まだ五捨六入すれば二十歳なんやからぁーー!」

「え……?」

――お姉ちゃんは、諦めたの?逢えたの?

「……そんなの当たり前じゃない。もちろん」

――逢えたよ

君の名は。SS 夏日向。未だ道程。

暑中見舞いが残暑見舞いになり、気がつけば秋になっていたという例年のアレ②

目が覚めてまず感じたのは、柔らかな感触と甘い匂い。
理性が狂わされそうなその感覚に、そのまま虜になってしまいそうになるが、何とか意識は保つことができた。
週末の夜、いつ果てたかもわからない時間まで一緒に過ごし、こうして目覚めても、世界で一番愛しい人に抱かれている。
聞こえてくるのはスゥスゥと小さな寝息。彼女はまだ夢の世界に居るらしく、起こさないようにそっと距離を取ろうとしたが、まるで俺の行動に感づいたかのようにギュウと胸元へ抱き寄せられた。
うぅむ……これは彼女の愛情表現なのか、それとも彼女愛用のハリネズミのぬいぐるみのように、抱き枕か何かに勘違いされているのか?
そんな考えを巡らせつつも抵抗は示さぬまま。もうすこしだけ、とその柔らかな感覚に暫く身を委ねた。

夏の朝は早い。それでも今はまだ薄暗い部屋の片隅で、掛けがえのない人と肌を寄せ合っている。
漸く出逢えた彼女と共に迎える朝は、まだ慣れたとはとても言えないけど、初めての頃に比べれば多少は余裕が出てきただろうか?
とは言いつつも……
均衡していた欲情と安堵感が徐々に欲をはらんだ方に傾きつつあるのを感じ、名残惜しいながらも今度こそ絡んでいた白い細腕をゆっくりと引き離し、俺は静かに起き上がった。
見下ろすような視点でベッドを見れば、くの字で眠る安らかな寝顔。その表情にホッとしたのも束の間、暑さで互いに下着姿で寝てしまったせいか、めくれたタオルケットから垣間見えたブラに釘付けになる。
まあ、その何と言うか……
彼女と出逢い、付き合って、こうして共に過ごす時間が積み重なっていく中で、俺は一つ自覚したことがある。

……おっぱいが大好きなんだ、と。

悪いと思いつつ、個人的には一生のお付き合いにしたいと決意している彼女の胸を人差し指でツンとつつくと、これまた掛けがえのない存在感。
「いや、これ以上はヤバいよな……」
頭が覚醒していくのと同時に昨夜の色々が浮かんできて、彼女にタオルケットかけると、そそくさとベッドを降りるのであった。

「おはよぅ……瀧くん」
「おはよう、三葉」
普段はそれなりにしっかりとした雰囲気の年上彼女なのだが、朝はどうにも弱いらしく、ふにゃりとしたゆるーい表情で未だ思考も定まっていない様子。
軽く伸びをしながら、ふぁと小さく欠伸をする姿は可愛らしいが、自分がまだ下着姿なままなの、わかってんのかなぁ?とその様子を眺めていると、ボーっとした視線のまま自身を見下ろし、ハッ!?として、顔を真っ赤にしながらタオルケットを身体に巻き付ける。
うむ。ちょっと残念だが、気づいてくれたようだ。
「恥ずかしいんやから、そんなに見んでよ」
「恥ずかしがってる三葉も可愛いぞ」
「……あほぅ」
タオルケットで身体を隠しながら、ベッド下に落ちていたパジャマを手に取り、いそいそと身に着ける。
薄いピンク色を基調にした、いかにも涼しげな素材の上下。それを着た彼女がベッドに腰かけると短パンから伸びるスラリとした白い美脚が眩しい。
下着姿よりかえって照れくさいのはなんでだ?
急に凝視してるのが気恥しくなって、俺は首の後ろに手を当てながら取ってつけたように、「朝ごはん、俺が作ってもいい?」と言って、その場を立ち上がる。
「え?いいよ。私が作るよ」
「いや、いつも俺がお邪魔して夕飯とか作ってもらってるし、たまには、さ」
ジャンル違いはあるけど、お互い料理は得意分野で、調理することが苦にならないこともわかってる。
「うーん……じゃあ、お願いしようかな?」
「おう!」
「でも、その前に……」
急にモジモジし出すと、チョイチョイと俺は小さく手招きされる。なんだ?と思いながらベッドに座る彼女の隣に並ぶと、毛先に触れながら彼女から朝のおねだり。
「えっと……おはようのキス」
そう言うや此方に向いて目を瞑った三葉。勿論拒める訳はないのだけど、彼女の肩に手を置きながら俺は理性を見失わないようにするのに必死だった……
 
朝食の手作りホットケーキは三葉から星三つを賜った。後片付けも済み、部屋に一歩踏み入れようとして正面の窓の向こうに広がる真夏の世界を想像する。
手に持つスマフォに示された今日の予想最高気温は三十度以上。東京の夏は気温に加え、湿度も高いから快適には程遠い。
「なあ、三葉、今日も結構暑いみたいだぞ。大丈夫か?」
「瀧くんが疲れとるなら、私は無理にとは言わんけど」
洗面所から身だしなみを整えている彼女の澄んだ声が届く。
「いや、俺は大丈夫だけど、逆に三葉の方こそ大丈夫かなって」
部屋には入らず洗面所の方へと身体を向ければ、丁度黒髪をハーフアップにしてトレードマークとも言える組紐を結んでいた。
「まあ暑いのは大変やけど、でも、こんな日でも瀧くんと一緒に出掛けたら、それもまた思い出になるかなーなんて」
三葉は鏡を見ながら自身の髪型を確認すると、よし♪と頷く。
「でも、やっぱり暑いと疲れるし。瀧くん、無理そうなら言ってね」
「いや、無理なんてしてないよ。それにさ、俺、今度行く旅行もすっげー楽しみにしてるから」
「ふふっ、私も」
実は来月あたり、二人きりで一泊旅行を予定している。行き先はまだ決めかねているけど、その相談と準備で旅行会社を回ったり、買い物したりしようか、なんて話し合っていた。
でも、それは目的のうちの半分。
俺も同じ。どんなに暑い一日だとしても三葉と過ごす初めて季節はどんな情景になるのだろうと、そんな風に思うのだ。
君がいない世界。
君がいない季節。
それを乗り越えた"今"という時間。欠けていた世界が漸く満たされたみたいで、季節と共に全てが鮮やかに色を変えていく。
片割れともいうべき、君もまた同じ想いでいてくれたら嬉しいんだけど……
そんな事を考えながら、俺も外出する為に着替えを始めるのだった。

*   *   *

「三年前に、サヤちんとテッシーが草津行ったんやけど、やっぱり湯畑周辺を巡るのは楽しかったって言っとったよ」
眩い日差しから逃れるべく立ち寄ったチェーン系カフェ店。氷を砕いて作る夏の定番のアレを手にしながら、三葉は丸テーブルの上に広げた旅行パンフレットの一つを指さした。
「ただ、夏場の温泉はちょっと熱かったとも言っとったけど」
「でもまあ、俺達が行く時はもう少し涼しくなってるかもしれないしなー」
そして俺もまた自身で定番のホットのブラックコーヒーをすする。
「そもそも温泉を目当てにするか、軽井沢とか避暑地にするか、それとも観光地にするか……。二人で行く初めての旅行だからかな、結構悩んでしまうな」
「でも、瀧くんとこうして行き先考えるのも楽しいよ♪」
微笑みながら三葉はストローを口許へと運ぶ。どんなに暑かろうと彼女が楽しそうなら何よりだ。俺という存在が、彼女を笑顔にできているのだとすれば、こんなに嬉しい事はない。
まあ、そう思える俺自身もまた、彼女の存在に随分救われているんだけど。
「行き先か……。そういや、結局、この夏は海とかプールは行けなかったんだよな」
互いのスケジュールや天気、いや、そもそも行きたい理由は個人的欲望に因るものだったから、何となく誘いづらくて話題を避けていたのは事実か。
「……来年は一緒に行きたいね」
「そ、そうだな」
その素直な反応に、三葉の水着姿が見たかったなんて本音は心の奥に押し隠す。
「ねえ、瀧くん、次のお店なんやけど」
「おう、どこ行く?」
「来年の参考に水着でも見に行こ♪」
「うっ……」
「瀧くんもとっても楽しみにしとるみたいやし?」
ニヤニヤしてる彼女の表情を見て、全て見透かされてることを悟る。
ううむ、三葉が俺のことを理解してくれることは喜ぶべきなのかどうなのか……

それから水着売り場で俺の好みをリサーチされ、夏のセールで賑わうショップを巡り、二つまで絞ってどちらを買おうか悩んでいた三葉を後押しするカタチでワンピースを一着、俺がプレゼントしてあげた。それから今度の旅行に向けて小さなキャリーケースを一つ購入。
そんな感じで二人で気ままに一緒の時間を過ごした後、コンクリートジャングルから逃れるように緑が茂る新宿御苑へとやってきた。
徐々に夕暮れに近づきつつある時間とは言え、まだまだ気温は高く、深緑の葉が描く影の下を歩いていると随分涼やかに感じられた。柔らかい土の歩道の上、揺れる葉に合わせ木漏れ日が微かに揺らめいて見える。
「初めてのデートで来て以来だね」
「あの頃は、三葉との距離感がまだよくわからなかったんだよなぁ」
ほんの数か月前の出来事だというのに、もう随分昔のような気がする。出逢いは根拠が無くても"ぜったいこの人だ"って信じられたのに、それから先の関係は本当に少しずつ、一歩ずつ。
花舞う春の出逢いから、新緑の初夏へ、青葉を濡らす梅雨を越え、光溢れる夏へ。
君の名を知ったあの日から、俺は隣を歩く大切な人のことを少しは理解できるようになっただろうか……
「ねえ、瀧くん」
「なに、三葉」
「今日はありがとう」
「いや、俺だって楽しんでるし」
「ううん、そうやなくて……」
君の歩くペースはわかってる。話すテンポも噛み合って、ちょっとした会話の間も苦になんてならない。振り向けば、同じタイミングで此方を向いた君と視線が交差する。
「瀧くんと居るとね、今まで知ってたはずの風景も全然違って見えるの。何度も過ごしてきた東京の夏も、まるで初めてみたいで。本当に楽しいんよ」
口許に手を当て楽しそうに笑う三葉。
まったく、本当に……
俺も同じ。彼女が笑ってくれるだけでこんなにも世界が色づいて見える。俺はきっと君の笑顔に恋してる。もしかしたら出逢う前からずっとその笑顔を探し求めていたのかもしれない。
「じゃあ、暑いけど、もう少し歩いて夏を楽しむか!」
「うん!」
眩い季節から、寂しさ纏う季節に移り替わっても、四季折々の情景の中で君の笑顔と共にありたい。
心からそう願っていた……

*   *   *

暑く長い夏の一日もまもなく終わる。
歩道橋から眺める黄昏の空は、太陽の光が徐々に弱まっていくと共に、赤から濃紺へと色を変えていく。
光と闇が交差するような、まるで世界の境界が曖昧になりそうなこの時間にあっても、隣を歩く君の存在は変わらない。
「夕飯はどうしよっか?」
「今日は流石に疲れたし、いつものイタリアンレストランに行かないか?」
「ええね、賛成♪」
何気なく交わす楽しい会話も、当たり前のように。

チリン……

と、何処からか胸の奥底に鈴の音が微かに響いて、俺は立ち止まる。
何気なしに振り返ると、歩道橋の上、一人歩く女性の姿。

――君の名前……は?

何故かその女性(ひと)の後ろ姿から目が離せない。
寂しげで儚げで、崩れそうになりながら、それでも必死にもがくように。肩より少し長い黒髪の彼女は一歩ずつそれでも前へと進んでいく。
その姿が何故か三葉と重なる。"今"の彼女は満たされて、楽しく笑っているはずなのに、その女性と三葉の印象は全然違うはずなのに……

「……くん?瀧くんっ!?」
「え?」
呼び声にハッとして振り返る。目の前には大きな瞳で俺を見上げてる三葉の姿。不思議そうに小首を傾げると、どうしたの?と尋ねてくる。
なんでもないよ、と言おうとしたけど、言葉が出て来ない。
「なあ、三葉は……"今"楽しいか?」
代わりに零れた彼女への問いかけ。急な質問に三葉は目をぱちくりとし、それから微笑みながら大きく頷いた。
「うん。"今は"とっても楽しいよ」
そう言った彼女が愛しくて、同時に申し訳なくて思わず抱きしめてしまう。
「え!?な、なに?瀧くん、どうしたんよっ!?」
「ごめん……三葉。すこしだけ……頼む」
やや間があってから、うん、と小さな声で三葉は応えると、俺の背中に手を回してくれた。
その行為に俺はほんの少しだけ救われた気持ちになる。それは、さっき誰とも知らないあの女性を見て、こう思ってしまったから……

もっと早く君に出逢いたかった。
そうすれば、もっと沢山、君を笑顔にできたのに……と

彼女の温もりを感じながら、後悔にも似た感情に包まれた胸の奥。抱き締めた彼女の組紐を揺らす風は、どこか寂しい秋の匂いがした……

君の名は。SS 夏日影。至る未来。

暑中見舞いが残暑見舞いになり、気がつけば秋になっていたという例年のアレ①です。

 


目が覚めてまず感じたのは、喉の渇き。
連日の猛暑のせいか、大学を卒業し社会人一年目となる初めての夏のせいか、ここ最近は疲れ気味で、昨夜は早めに寝てしまった。
身体に感じるのは倦怠感。それでも二度寝しようと思わず、すぐにベッドから起き上がったのは、疲れ以上に胸を突くものがあったから。
「もうすこしだけ……か」
ポツリ呟いた言葉と共に手のひらを見つめる。拭った指先を濡らした雫は、思い出せない夢の残滓。
朝、目覚めると何故か泣いている。こういうことが、私には時々ある。
見ていた夢はいつも思い出せない。夢なのだから忘れてしまうのは当たり前のはずなのに。覚えていられなくて当然のはずなのに。それでも夢の中に置き忘れてしまった"何か"に私はこうして涙する。

冷蔵庫を開け、作り置きの麦茶へと手を伸ばす。冷凍室から二、三個氷を取り出すと、注いだ麦茶のグラスに一つずつ入れていく。夜明け前、暗く静かな一人暮らしの小さなキッチンにカランと涼やかな音が一瞬響いた。
何かを、誰かを探してる。
こんな想いに囚われて一体どれだけの月日が流れただろう。社会人になり、更に加速度を増したような日常に翻弄されながら、それでもこの想いだけは手放す気にはなれない。
「ふふっ」
不意に口許に浮かんだ笑みは、自身を励ますためか、それとも未だ捨てきれない何かに拘って、もがき続ける自身への嘲笑か。
麦茶を一気に飲み干せば、溶けて小さくなった氷が口の中に一つ。奥歯でかみ砕けば清涼感と共に胸に残る感傷を少し忘れられそうだった……

再びベッドに横になったものの、やっぱり寝付けないまま私はハリネズミの抱き枕を胸に抱え、今日一日どう過ごそう?なんて事をボーっとした頭で考えている。
短い夏の夜は既に明け、眩い日差しが厚手のカーテンの隙間から部屋に注がれている。確か予報では今日も三十度超えの真夏日。もうすぐ九月になるというのに、夏の太陽は未だに元気いっぱい。
仕事の疲れもある。今日は家でゆったり過ごしてもいいのかもしれない。このまま横になっていれば、また夢を見られるかもしれない。
ああ、それは嬉しいなぁ……
そう思いながら、ゆっくりと瞼を閉じる。だって夢の中なら、また……
「……起きよう」
一度閉じた瞼を開けると間髪入れずにベッドから下りた。何も考えないように、そのまま朝のルーティーンのように朝食の準備を始め、テレビを点ける。週末の朝のテレビ番組は平日のそれとは違うけど、それでも無音よりは遥かにマシで、流れてくる音声をBGM代わりに当たり前の日常に感覚を引き戻していく。

私の探しているものは夢の中にはない。もがきつづける日常の中にしか存在しないはず。それだけは何故か確信できた。だから、夢に逃げ込まず、私は今日一日を過ごそうと思った。
本当に、私は、何を、誰を……探しているのか。
「これじゃ二人にも心配されちゃう訳やよね」
呟いた瞬間、チンとトースターで食パンが焼き上がる音がした。


『三葉も一緒に行かない?』
そう言って旅行に誘ってくれた親友の電話を断ったのは先月のこと。
「なーに言っとるんよ!社会人になってなかなか一緒の時間取れんって言っとったやないの」
『でも、そうするとウチらなんか三葉置いてけぼりにしてるみたいやし……』
「旅先で二人のお邪魔する訳には参りませんので。それに私が行かなかったら泊まる部屋一つで済むやろ?そんなんテッシーに恨まれてまうわ。」
『な、な、な、何言っとるんよー!?三葉ー!!』
「サヤちん、声裏返っとるでー♪」
全く、私に気を遣うにも程がある。親友の優しさは心から嬉しい。だけど、私だって親友二人には幸せになってもらいたいのだ。
幼馴染から恋人に。二人で育んできた想いは身近で見続けてきた私が一番わかっている。だけど、同時に親友として二人が私の事を心配しているということも十分にわかってるつもりだ。
未だに何かを探し求めてる今の私では、きっと二人を心から安心させることはできない。それでも私の存在が二人の未来の枷になることだけは絶対にイヤだった。
「そんなに心配せんでも、休日一緒に買い物行く友達くらいちゃんとおるでね。こっちはこっちでのんびり過ごすで、二人は楽しんで来て。ね?」
そう言って親友を送り出す。長い付き合いだ。私の考えくらいお見通しだったのかもしれない。それでも『帰ってきたら一番にお土産持ってくでね!予定空けときない』って言ってくれたのは、サヤちんなりの私への信頼と気遣いだったんだろうな……

洗面所の鏡に向かい、髪型を整える。肩から少し伸びた髪。社会人になり、ハーフアップに変えた髪型にも随分見慣れてきた。
いつものように結ばれた組紐を鏡越しに確認すると小さく頷く。これがあれば探し物も見つかるような気がするから。
と、横に置いたスマフォから聞き慣れたと着信音。見れば、サヤちんとテッシーからのメッセージ。

テッシー:あっちついたら写真いっぱい送るからなー!!
サヤちん:三葉にも旅行気分味合わせてあげるよー♪

「まったく二人とも……」
そう呟きつつも私は感謝と嬉しさいっぱいに二人へ返信を打ち込んだ。

*   *   *

「はぁ……暑ぃ」
誰が聞いてる訳でもないのに、つい恨みがましい言葉が口をつく。八月も終わりに近づいてるとは言え、日傘のつゆ先から垣間見える日差しはあまりにも眩しく、そして歩道から湧き出るような真夏の熱はまるで東京一面を蒸し風呂にしているみたいで、自然と流れる額の汗をハンカチで拭った。
「こればっかりはいつまで経っても慣れないなぁ……」
上京してから早四年が経過した。最初の頃は毎日がお祭りみたいな東京での暮らしに心躍る日々だったけど、人間というものはどんな状況でも慣れていくものらしく、気づけば此処での生活は当たり前、もう今では普段の自分の居場所のように感じている。
それでも、毎年の夏の蒸し暑さだけはとても受け入れられそうにない。盆地というものは大概夏は暑くなりがちだったけど、まだ糸守の夏の方がずっとマシだった気がする。
とは言え、これ以上文句を言うだけ気力の無駄ということで、私は気の向くまま冷房の効いたお店へと順々に足を運んでいく。

まだまだ夏盛りと言えるけど、夏物の洋服はセールも始まり、秋物も衣類もチラホラ目について来た。
気になる商品をあれこれ眺めているとショップの店員さんから声がかかる。生活費となる預金残とクローゼットの中にある手持ちの洋服を頭の中で思い浮かべつつ、思い切って爽やかな色合いワンピースを一着購入する。
「私が探し続けているものじゃないはずだけど、どうしても気に入ってしまったんだから仕方ないよね」
手頃な価格で購入できたことに満足しつつ、次の店へ。特に目的もないまま、お店を巡り、カフェでパンケーキを食べ、また歩いて、そうして今、新宿御苑の東屋のベンチでくつろいでいる。
午後に入っても真夏の日差しはそのまま、それでも流れて来る風はほんの少しだけ爽やかな秋の気配を感じさせた。
「また秋が来るんやなぁ……」
何故か糸守の頃の方言で私は小さく呟いた。
夏が終わり、秋が来る。それは当たり前の自然の流れだというのに、また今年も成し遂げられなかった、そんな切ない感覚が私の中で大きく渦巻く。

誰かを、何かを探してる。
そういう想いに憑りつかれたのはきっとあの日から。
あの日、星が降った日。夢のような美しい情景と共に、私の中に刻まれた大切な想い。

あの忘れられない秋の一夜から始まった今に至る日々。私はずっとこの想いと共に過ごしてきたように思う。まるで私の半身のように。
目を閉じる。真夏の東京で今日もまた一人彷徨う私。
本当なら、と思う。
もうすこしだけ、と思う。
どんなものでも手に入りそうなこの東京で、それでも私にとってのたった"一つ"が見つからない。
目を開くと、そこには何もない、いつもと変わりのない自分の手のひらを見つめた。
「……わかんないよ」
思わず零れたその言葉に、ほんの少しだけ決意が揺らいでしまいそうになる。だから、もう一度歩き出せるように、今は少しだけ休ませて……
青々と生い茂る木々と、その先にあるビル群、青く広がる空と真白く大きな雲。夏の原色と言えるその情景も、今の私にはどこか色褪せて見えた。

*   *   *

耳をつんざくように鳴り響いていた蝉時雨の中、どこからかツクツクボウシの鳴き声が一際印象的に耳に届く。
西の空が朱に染まり、真っ白だった雲も鮮やかな茜色となって空を流れていく。
あれだけ光に溢れていた真夏の日中も今は夕闇が迫り、都会の高層ビルも行き交う人々も影絵のようにシルエットとなって浮かび上がっている。
「カタワレ時……か」
と或る歩道橋の上、手すりに手を乗せ、私は暮れゆく西の空を見つめていた。
カタワレ時、『彼は誰』が語源だっただろうか。
私が探しているものが"誰か"なのだとしたら、あなたは誰なんだろうね……?
暑かった夏の一日も間もなく終わる。今日も見つけることはできなかった。でも、大丈夫。これからも私はもがき続けるから。誰とも、何ともわからない探しものに届くように、私は強がりのように心の中で呟く。

チリン……

胸の奥で鈴の音が響いたような気がした。俯いていた顔を上げ、何気なしに横を見る。
歩道橋の上、視線の先には向こうへと歩いていく一組の男女。薄暗い夕暮れ時ではっきりとはわからないけど、背中越しでも仲睦まじい事が感じ取れた。
「あ……れ?」
不意に左目から涙が零れたことに気がついて、慌ててその雫を指で拭う。胸に沸く感情はまるで朝、目が覚めた時のようで、思わず私はその二人に声を掛けようとする。
と、しっかりと髪を結んでいたはずの組紐がハラリと解け、歩道橋の上へと落ちた……
「あ、組紐……」
しゃがんでそれを掴むと、高鳴っていた心臓の音が徐々に落ち着いていくのを感じた。

違う……私が探している人じゃない。

微かな期待が確かにありながら、それでも違うと言い切れる自分を信じ、私は立ち上がるとそのまま振り返らずに逆方向へと歩き出す。
不意に視界がぼやけて今度は右目から零れた涙が頬を伝う。組紐を握った右手の甲でそれを拭いながら、私は不思議とこう思えた。

――きっと未来で逢えるって

しっかりと前を向き、力強い足取りで家路につく。微笑みながら何気なく毛先に指で触れると、ふと、もう少し髪を長く伸ばしてみようかな、なんて思い立つ。
西の空へと振り向けば、光を残していた空は濃紺の内へと沈み、カタワレ時は終わりを告げていた。
季節は巡る。眩い季節から、少し切なさを纏う日々へ。濡れた頬を優しく撫でる風は、どこか秋の匂いがした……

君の名は。SS ささやかな願い。

 9月1日は瀧三入れ替わり前夜。その時点での三葉の存在はどうなるのかな?なんて思って書いたモノです。

 個人的には、瀧くんが三葉の真実を認識するまでは、運命は確定してなかったのかな?なんて。認識した時点(糸守到達)で、一度はあり得ない事象としてスマフォのデータは消えたのかな、とか考えてます。

 それでも変革させたのが二人のムスビの偉大さなのですが(尊

 

九月になっても続く茹だるような暑さに、八月を耐えきった俺の身体もついに悲鳴を上げたらしく、新学期早々のアルバイトに身心共に疲れ果て、倒れ込むようにベッドにダイブした。
「あー……疲れた」
抑揚もなく吐き出した言葉。もう何(なん)もしたくねぇ、このまま眠ってしまいてぇ……
そんな誘惑に駆られながらも、ギリギリのところで意思のチカラが打ち克った。
「……シャワー浴びよ」
ヒーローが絶体絶命のピンチから立ち上がるようにゆっくり身体を持ち上げる。……一体、何と戦っているのかわからないが。
ベッドから何とか起き上がり、眠い目を擦りながら、ふと目に留まった腕に巻かれたミサンガ。偶に、何となくお守り代わりに身に付けている綺麗な鮮やかな紐。いつもはそんなこと気にしないのに、何故か妙に気になって。
糸が寄り集まってできたその緋色の紐は、暮れていく夕焼け空、別れの時間を想起させるようで、どこか寂しさが胸を通り抜けた……

 

そして、夢を見る……
ほどかれた紐、伸ばしあった手と手、託された想い、そして……君の名前。

夢の中で夢を見ていたかのように、霧が立ち込めるその場所で我に返る。手にはいつ掴んだのかわからない紐の片端。それをしっかりと握り締め、俺は一人立ちすくんでいた。
手放してしまってもいいのに、何故か俺はそれを放す気にはなれない。繋がっているはずの反対側を見ると、どこに繋がっているのか霞みに隠れてしまってその先はわからない。
一歩踏み出し、俺は紐を手繰り寄せていく。夢だからだろうか、全く疑問には思わなかった。ただ、そうしなくてはいけないような気がして、この繋がりを決して見失わないように、この手にある先端に力を込めた。
濃霧のような、真っ白な世界の中、ただ色鮮やかなこの紐だけが道標のように、俺を導いていく。
そして、いつしか視界が広がり、今まで俺の周りにあった靄が、風に吹き飛ばされるように流れていくと、そこは見知らぬ夜の原っぱ。

静けさの中、耳に届くのは虫の音色。自然と呼ぶのが相応しい草木の匂い。体に感じる空気は、爽やかで澄み切っていて心地よく。
そして目に映ったのは、今まで見たことのないような、いや、小学校の授業、プラネタリウムで見たことあったか?
だけど、あんな風に作り物の光じゃなくて、本物の輝き。まさに満天の星空というものが頭上に広がっていた。
「すげえな……」
語彙力乏しいそんな感嘆の声しか出ないまま、夜空を見上げていると、さっきまで手に握られていたはずの紐がないことに気づく。見れば、それは俺の腕にミサンガのように巻かれていた。
夢らしい謎現象に首を傾げながら、そのまま原っぱを進む。
夜中の原っぱ。ここはどこだ?そう思いながらも、行くべき場所がわかっているかのように俺は無意識で歩みを止めることはなかった。

――そして、俺は君に再会する。

背中を向けている、浴衣の少女。長かったはずの黒髪は、肩程までバッサリと切られていて。だけど、浴衣姿は結構似合ってるんじゃないかなと思った。
「……?」
口許を手で抑える。
再会?長かったはずの黒髪?
そんな風に考えている自分がいて訳がわからない。全くこの夢は意味不明だ。だけど夢ならばと、普段なら絶対自分から話しかけようなんて思わない、見知らぬはずの女子へと声をかけてみた。

「あ、あのさ」
ゆっくり振り向いた彼女は、俺を見るなり目を丸くする。
「あ……」
「あ、いや、別に怪しいもんじゃないっていうか、なんていうか……って、俺、自分の夢で何言ってんだ」
浴衣姿の彼女は、なんていうか、正直可愛かった。自分の夢だというのに妙に照れくさくて、不意に現実のいつもの自分のように急に緊張してしまい、それ以上の言葉が続かない。
「瀧……くん」
「あれ?俺の名前、知ってるのか」
「知っとる……よ」
「おー、さすがは俺の夢」
どこかの方言混じりの言葉で彼女は頷く。どうやら自分の夢だけあって、自己紹介とか説明は不要らしい。だったら気が楽だ。
「隣、いいかな?」
「えっ!?あ、うん……」
彼女は右手で自分の髪の毛に触れながら、どうぞ、と俺を促す。
サンキュ、と俺は彼女の隣に立つと、この満天の煌きを再び見上げる。
こんな星空なら俺はいつまでも見続けられるな。いつか東京で見たあの――のように。
「ッ?」
一瞬眩暈のような感覚で俺は目許を抑える。なんだ?今の?一瞬この星空に違和感を感じた……?

「あの……さ、瀧くんは、どうしてここに?」
夢の中の彼女は、遠慮がちに不思議そうに俺に尋ねてきた。
「いやぁ、紐を手繰り寄せて歩いてたら、ここに着いたんだよな。自分の夢ながら、なかなかおもしれぇって思ってるよ」
「……夢?」
「ああ、俺の夢」
「そっか、私、瀧くんの夢の中に居るんやね」
よくわからないが、夢の彼女は嬉しそうにしている。こんな会話だけで喜んでくれるとは、なんて都合のいい夢だ。
「そういや、君の名前は?」
いつまでも、夢の彼女とか、浴衣女子とかじゃ悪い気がして、名前を聞いてみた。
「え……?覚えとらんの?」
「えっ?会ったことあったっけ?」
「……あの時、必死に名前伝えたのに」
先程まで機嫌を良さそうにしてたのに、今度は急に機嫌が悪くなっている。なんだ?俺の夢のはずなのに、いや、夢だからこそ意味不明なのか?
だけど、目の前の彼女をこれ以上怒らせたくはなくて、取り敢えず、スマン!と両手を合わせて詫びを入れる。
「……知らん!」
だけど、彼女は拗ねたようにそっぽを向いてしまう。なんなんだ、この夢は?彼女のご機嫌を取るゲームなのか??
彼女は混乱している俺のことを、チラリと見ると、今度は急に笑い出した。何が可笑しいのかわからないけど、ツボにハマったみたいに彼女は笑い続ける。その笑顔が本当に可愛いなと思いながら、俺もつられて笑ってしまう。

そして、笑いながら思う。いつまでも、この時間が続いて欲しいって……

――これは"夢"のはずなのに

「ねえ、瀧くん」
「なんだ?」
「今日は西暦何月何日?」
「は?」
さすが夢。いきなり妙な質問だ。そう思いながらもきちんと俺は、二〇一六年九月一日と答えてやる。
その答えに、彼女は得心したように頷くと、先ほどまでの俺と同じように空を見上げる。
「ずっと、この星空を見上げてたんやよ」
「一人でか?」
「うん……たぶん、私が最後の希望だったと思うから」
「最後の希望?なんだそりゃ」

その時、一陣の強い風が二人の間を裂くように通り抜けた。
一瞬の静寂の後、聞こえたのは虫の音色ではなく、

「……ねえ」
短く紡がれた彼女のか細い声。それが逆に切実で、俺に胸に突き刺さる。
その声、いつかどこかで?だけど思い出せないまま。
浴衣姿の彼女。肩上の黒髪をそよぐ風に揺らしながら、綺麗で大きなまあるい瞳が俺を見つめ、そして……その瞳から涙が一筋零れ落ちた。

「私はね、ただ君に会いたかっただけ」
「は……?」
「ただ会いたかった。それだけなのに……」
「お、おい、泣くなよ」
手で抑えようにもどんどん溢れてくる涙を抑えられずに泣きじゃくる彼女。俺はどうしたらいいのかわからずに、オロオロとするしかなかった。
「ごめん、ごめんね……君と入れ替わったりして」
「入れ替わる?」
「私も知らなかったから。自分の運命を知らなかったから。知ってれば君のこと、ううん、君だけは絶対巻き込みたくなかった!」
「な、何言ってんのかわかんねーよ!」
俺は女性の扱いに長けている訳じゃない。だけど、これは俺の夢だから。だったら、そう悪い結果にはならないはずだ!!
そう自分に言い聞かせて、俺は、
「泣くなよ……」
彼女を抱きしめていた。
「……瀧……くん」
「言っとくが、女の子を抱きしめるなんて夢でも初めてなんだからな。俺の夢なんだから、もう泣くんじゃねえよ」
夢でもいきなり女子を抱きしめれば緊張で足がガクガクするらしい。リアルだったら通報されてるかもな。
苦笑いを浮かべながら俺は胸の内に収まる彼女の様子を見ることもできず、ただ頭上に広がる星空を見上げた。

「……ごめんね」
「おう……」
そうして暫くして彼女がそっと俺から離れていく。俯きがちに二、三歩下がって、癖なのか自身の毛先に触れながら、頬を染めたその表情に、俺は何とも言えない感情を抱いていた。

これは夢のはずなのに……

「会いに行くよ」
「え……?」
「さっき、お前言ったろ。『ただ会いたかった』って。だったら俺が会いに行ってやるよ」
「それは……でも!」
「約束、な」
一歩踏み出すと、立てた小指を彼女の前に示す。だって、夢のはずなのに、俺も彼女と同じように思っているから。

――君に会いたいって

「この……男は」
心底呆れたように。それでも俺の言動は、如何にも俺らしいって親愛を込めたように。
嬉しさと寂しさが入り混じったような表情で彼女は呟くと、照れくさそうに俺の小指に自分の小指を絡ませ、二人で指切りげんまんする。

「ねえ、瀧くん」
「なんだ?」
「もう一つだけ、君にお願いがあるんやけど聞いてくれる?」
「内容次第だな」
「大丈夫、簡単なことやよ」
「簡単なこと?」
彼女が願い事を口にする。誰にでもできそうなその行為。だから、ただ一言、それを言えばいいだけなのに、後悔のように胸を突いた想いが邪魔をする。

俺は、決して守ることができない約束を交わしたのかもしれない。

「瀧くん」

言いあぐねる俺に彼女は優しく声を掛けてくる。

「君に会える日を楽しみにしておるよ」

君は初めから会えないとわかっていて。

「だから、その時はちゃんと名前、呼んでね」

だから、これが君の名を呼ぶ最初で最期の……

「瀧くん」
「みつは」

ありがとう。忘れないでね、私の名前………

*   *   *

そして、俺と彼女は目を覚ます。
それはひと時の夢まぼろし。だから目覚めれば夢だと思い、気づかぬうちに忘れていく。

でも、もしかしたら、俺たちはそのたった一つの約束を守るために、これから始まる物語を紡いでいくのかもしれない。

――君に会いたい

このささやかな願いを叶えるために。

君の名は。SS スパークルMVif 夏恋おまけ話③

takeさんの素敵三葉イラストに『こっちこっち!』と言われたような気がして、気がつくと書いていたモノ(笑)

時期的には二〇一八年五月でしょうか?

楽しく書かせて頂きました(感謝)短めですが、宜しくお願いします。

 


四ツ谷駅前の交差点。目の前で点滅を始めた信号に、思わず走り抜けてしまおうかと思ったが、垣間見た腕時計が示した時刻は、まだ待ち合わせには十分早い。逸る気持ちを抑え、瀧は横断歩道の前で立ち止まった。
気がつけば桜舞う春はとうに過ぎ去り、あれだけ休みが続いたGWもあっという間に終わり五月も半ば。まだまだ夏には遠いはずだけど、この時期の東京は日によっては真夏日に近い気温まで上がる。僅かに滲んだ額の汗をハンカチで拭っていると、漸く信号が青に変わった。
足早に横断歩道を渡る。いつもならそんなことはないのに、やはり三葉に会う前は、つい早足になってしまうことを自分でも十分に自覚してる。

渡り切った向こう側。駅の改札前の待ち合わせ場所に、自分にとって一際目立つ女性が既に待っていてくれた。
黒髪に赤い組紐を揺らしながら、自身の姿を確認するかのように毛先や洋服に触れていた。
遠目からそんな三葉の様子につい見とれてしまいその場に立ちすくんでいると、不意に何かに気づいた彼女と視線がぶつかった。

「あ、瀧くーーん!」
右手を上げると、自分の存在を示すように大きく振りながら、嬉しそうに飛び跳ねる。
思わず可愛い!と思ったが、人通りの多い駅前で皆が彼女の方に視線を注いでいることに気がつき、瀧は三葉に慌てて駆け寄ると、挨拶もそこそこに彼女の腕を取り大急ぎでその場を立ち去った。

「ちょっ、瀧くん、電車に乗るんじゃないの!?」
「えーと……取り敢えず一駅くらい歩きません?」
「まあ、別に私はええけど」
瀧に腕を掴まれたまま、後を追うようについてきた三葉だったが、歩調を緩めた瀧の横に並ぶと掴んでいた手は解かれ、自然の流れで恋人つなぎに変わる。
「えへへ、瀧くん、元気だった?」
「昨日も電話したじゃないですか」
「会うのは一週間ぶりやもん。声だけじゃ瀧くんの様子わかんないし」
「俺は至って元気っす。そういう三葉は?」
「元気やよ!……と言いたいところだけど、まあ最近は結構忙しいんだよね。でもやっぱり瀧くんに会えると元気になれるかな♪」
跳ねるような声と共に、並んで歩く二人の肩が触れるくらい距離に近づく。

「三葉、嬉しそうだな」
「なによー、瀧くんは嬉しくないの?」
口をすぼめた彼女もどこか可愛らしくて。そのせいか先程の彼女の様子が思い出されて瀧は思わず吹き出してしまう。
「え、なに?なんで笑っとるの??」
「いや、三葉に会えたら勿論嬉しいですよ。それとは別に、さっきのはちょっと年上感なかったなーと思って」
可愛かったですけど、とフォローは忘れずに瀧は一言付け加えた。
「え?さっきのって?」
「こう、『瀧くーん!』って手を振って飛び跳ねてたやつ」
「あ……」
三葉は手を離すとその場に立ち止まり、両手で顔を覆った。
「うぅ、しょうがないやろー。瀧くん見つけたら嬉しくなってまって、つい……。そ、それに、駅前で大声出すのは瀧くんの方が先でしょ!私に声かけた時、『神宮高校三年!立花瀧です!!』って大声で名乗ってたやない!」
「うッ!?」
あれは忘れもしない、立花瀧、一世一代覚悟の行動であり、後悔の微塵などさらさらないのだが、こうして相手から言われてしまうととてつもなく恥ずかしい。
「スミマセン……もう言いません」
「もう……」
そう言って差し出した三葉の右手を取ると、再び二人の手が結ばれる。
再び歩き始める東京の街。普段住み慣れているはずなのに、こうして二人一緒に居るだけで、どこか特別に感じるのは何故なのだろう。

「でもさ、出逢った頃の三葉は、もっと大人でミステリアスな人だと思ってたんだよ。自分でも言うのも何だけど振り向いてもらえるように結構背伸びして頑張ったつもりですから」
「それは、色々言えないことがあったから……ね。でも、瀧くんがそんな私のこと、一生懸命想ってくれてたのは気づいてたし、本当に嬉しかったんだよ」
あのひと夏の物語を思い出しているのか、三葉は柔らかく笑みを零す。
「でもまあ、寝起きの三葉を見ると、『ああ、四葉の言うとおりだったなぁ』ってどこかホッとしましたけど」
「悪かったわねー」
「いや、悪い意味じゃなくて。ちゃんと告白してからも、色んな三葉を知る度に少しずつ俺達の距離も変わっていってさ。きっとこれからも三葉と一緒に変わっていくんだろうなって」
この春、瀧は大学生となり、いずれ三葉は社会人となる。時の流れは止まることなく進んでいくけれど、きっと二人一緒であればどんな変化であろうとやっていける。
それはあの夏を経たからこそ信じられる、決して途切れることのない二人のムスビ。

「でもね、瀧くん」
「ん?」
「どんな事があっても変わらないものもあるの。あの日、瀧くんに出逢った日からずっと変わらないもの」
「変わらないもの?」
三葉に手招きされ瀧は背を屈める。そんな瀧の耳元で三葉はそっと囁く。

――瀧くんのこと、大好きだってこと

「っ!!?」
その甘い声に思わず瀧は茹蛸のように顔を真っ赤にして口許を手で覆う。
「瀧くん、どうかしたの?」
「え、あ、いや……ありがとう、ございます」
自分の言葉の持つ魔力に気づかないまま、不思議そうに小首を傾げた三葉に、瀧は思わずため息を吐く。

年上で可愛い、瀧にとって一番大切な彼女(ひと)。

でも、この年の差を埋めるには、まだまだ頑張らなければならないようですね。

おしまい

 

君の名は。SS スパークルMVif 夏恋おまけ話②

長らく更新を続けておりました、スパークルMVif・夏恋シリーズもこれにて一旦終了です。

新作という訳ではありませんでしたが、約2か月半、楽しく修正作業をさせて頂きました♪

またネタが浮かびましたら、ifシリーズではありますが、二人の物語を書いてみたいですね。

それでは、最後までお付き合い頂き、誠にありがとうございました!

 


私の名前は、宮水三葉。大学進学を機に地方から上京。今は都内の大学に通う三年生。
私が東京に来た理由は、一つは長らく住んでいた田舎町から都会へ出てみたかったこと。そして、もう一つは……探していた誰かと出逢うため。
忘れてしまっていた誰かを探し続けてきた私は、去年、その誰か……立花瀧くんを思い出した。
だけど、同時に気がつくことになる。

私の運命に、一番大切な彼を巻き込んでしまったこと。

そのことに気がついた私は、彼には逢わないと決めた。
それでも、そんな私を瀧くんは見つけてくれた。迷っていた私を信じてくれた。"好きだ"って言ってくれた。そして、最後は……私が彼に抱いていた後ろめたさを、いとも簡単に打ち砕いてくれた。
あの夏の出来事はツラいこともあったけど、だけど、あの夏があったから、今はこうして彼の前で心から笑えてる。
そして、これからも、きっと、ずっと……

まだまだ走り始めたばかりの私たちの新しい物語。
これは、そんな私たちの、ほんの少しだけ続きのお話……


夏恋おまけ話② 宮水三葉はくっつきたい。


「瀧くん……どうかしたの?」
「え?あ、いや……なんでもないっす」
九月二日の告白から、私たちの関係は大きく変わったと思う。
お互いに存在を求めながらも、どこかカタチが合わないように心がすれ違ってた私達。だけど、あの日を境にしっかりと一つに組み合わさって、心が通い合っている……。私はそう思ってるんだけどな。
「本当に?」
「ほ、本当っす」
あれから数週間が経つ。瀧くんは高校三年で受験生、そんなに頻繁には会えないけど、それでも、こうして会える時間は本当に嬉しくて、つい彼を近くで感じたいと思ってしまう。
だけど、最近の瀧くんは、何か他のことを考えてるみたいに、たまに上の空の時がある。

むぅ……折角、二人きりで会えてるのに!

「な、なんすか?」
「本当は何でもないってこと、ないんじゃないの?」
瀧くんをジーッと見つめながら、敢えて不満そうな顔をしてみる。
「あ、そうだ!そこのカフェ行きません?ほら、オープンカフェでお洒落な感じですよ?」
そんな私の態度に、瀧くんは話題をすり替えるように、通りに面した可愛らしいオープンカフェを指さす。
瀧くん、そんなあからさまなごまかし方はお見通しやよ。
そんな言葉には釣られずに彼をじーっと見続ける。
「……話、逸らそうとしとらん?」
視線を逸らさずにそんな風に言うと、俺のこと、信じられませんか?と逆に見つめ返された。
た、瀧くん、顔が近い……
「……し、信じとるよ」
見つめ合うカタチに耐え切れず、そう言って私は視線を逸らすしかなかった。
瀧くん、それずるい、反則やよ!だったら、私も……!
「それじゃ、行こ?」
一気に瀧くんとの距離を縮めると彼の腕に自分の腕を絡ませた。
「わっ!?」
「どうかしたの?」
「い、いや、なんでも……ないっす」
ギュゥと絡めた腕に少し力を込める。見上げた瀧くんの表情。照れてる顔が可愛い。
どうだ、お姉さんの力、思い知ったか!ちゃんと会えた時くらい……私だけを見ててよね♪


カフェの正面に瀧くんが座っている。私はこの店おすすめのパンケーキを注文。またパンケーキ?って笑われちゃったけど、瀧くんと食べるパンケーキはなんだか格別な味がするんだよ。
一切れ食べると口の中に広がる美味しさ。んー……し・あ・わ・せ♪
瀧くんの方を見れば、いつものように注文したホットコーヒーに口をつけている。
当たり前のように彼の傍に居られることが、嬉しくて、でも、ちょっとだけ恥ずかしくて、目の前に置かれたパンケーキに視線を移す。

あの頃と変わりない制服姿。だけど、ちょっと大人びてきた表情。ハリネズミみたいなツンツン頭。凛々しい眉。
不器用だけど、真っ直ぐで、一生懸命で。そんな性格は変わらないまま、何だか最近は自信に溢れているみたいで、堂々としてて。
あの瀧くんが、と思うとちょっと面白くない気もするけど、だけど、その……何というか。
「……年下のくせに」
小声で呟くと、ナイフとフォークを手に取りパンケーキを口にする。

最近の私、ちょっと変……
瀧くんと、もっとずっと一緒に居たいって思ってる。
ちょっと前までは、自分をさらけ出すことにどこか抵抗があったけど、今は心の壁を壊してくれた瀧くんの前で、とっても自分らしく居られて。
きっとこれが、あの入れ替わり頃からずっと望んでいた彼との関係。
この嬉しくて、ちょっと恥ずかしくて、心地よい時間を、もっと一緒に……

――ダメ

心の中、自分自身を戒める。
今、瀧くんは大事な時期。大切な大学受験を控えているのだ。
きっと私が望めば瀧くんは応えようとしてくれる。だけど、それは私の我儘だ。我儘なんだけど……
なんなんだろう……この何とも言えない感情は?

『瀧くんが好き』

言葉にすれば同じなのに、以前ともちょっと違うような感じがして。瀧くんと付き合ってるのに、まだ何か物足りないのかな……?
自分自身でも訳がわからないと思いながら、漸く顔を上げて対面の彼を見る。
当の瀧くんは、コーヒーカップを手に不自然なまでに動きが固まっていて、私のことをジーッと見ていた。
だけど、あれ?視線は私の顔じゃなくて……

椅子から少し前に乗り出すと、「ねえ、瀧くん……?」と声を掛ける。
「な、なんすか?」
ふっと我に返ったような瀧くんは、逆に逃げるように背もたれに寄りかかった。
へー、少しは自覚があるようやね。
「……瀧くん、私の胸、見てたやろ?」
「え!?あ、いや、そんなことは……」
瀧くん、女性はね、そういう視線はわかるもんなんだよ。
「本当にぃ……?」
思いっきりジト目で見てあげる。瀧くんは何とかこの場を誤魔化そうと視線を逸らして色々考えてたみたいだけど、
「はい!見てましたぁ!」最後は観念したように大きく頭を下げた。
もうっ、瀧くんってば!私だから許してあげるんだよ!
「べ、べつに私は見られてもええけど……他の人のそういうのは見ちゃダメやからね!」
「え?見てもいいんすか?」
「ち、違う!そういうことじゃなくて……モノのたとえッ!」
まったくこの男は、今も昔も人の胸を……
心の中で呆れたように呟くと、ふと、あのかけがえのないひと時でのやり取りを思い出す。折角逢えた貴重な時間の中で、私達一体何やってたんだろう?
今だからこそ、そんな風に思えて急に可笑しくなってしまった。
「ど、どうしたんすか?」
「ううん、ちょっと思い出しただけ。カタワレ時も、こんな風に瀧くんとやり取りしてたなぁって」
「へえ、どんな感じだったんですか?」

そう言えば過去の話をした時、このこと言ってなかったな。
「瀧くんね、入れ替わってた時に、私の胸、触ってたらしいんよ。それでその時、そのことを問い詰めたら、」
「なッ!?」
私が話し終わる前に、瀧くんは大きな声を上げて立ち上がっていた。彼の急な行動に目を丸くする。
「た……瀧くん?」
「胸を触ってたぁーー!?」
「ちょっ!瀧くん!声が大きい!!」
私も立ち上がって瀧くんを制しようとするけど、私の声は届かないみたいで、彼はその場で呆然としていた……
ええぇ……瀧くん、なんでそんなにショック受けてるのーーーっ!?

*   *   *

「へぇ……立花くんも"おっぱい星人"なんやねぇ」
「おっぱい……星人?」
「男はみんな、"おっぱい星人"なんやって」
「そ、そうなの……?」
「テッシーが言うとったで」
男のテッシーが言うなら真実なのか、それともオカルトの一種なんだろうか……?
困惑する私に対し、サヤちんは何でもないと言わんばかりの澄ました表情でティーカップに口をつける。

今日はサヤちんが家に遊びに来てくれた。瀧くんのことは、ちょっと前にサヤちんに紹介済み。
「ひゃあ♪本当に居たんやねー!三葉の彼氏!えらいイケメンさんやわぁ~♪」
そう言って凄くテンション上がってたから、瀧くんも終始苦笑い。
それでも帰り際に「私らの大事な大事な親友だから。これからも三葉のこと、お願いするでね」って言ってくれた。
当の瀧くんは「一生、大切にします」なんて真剣な表情で答えるもんだから、私達二人は唖然となって。
まあ、言った後に、言葉の意味に気がついて大慌てだったのが締まらなかったけど。だけど……うん。本当に嬉しかったよ、瀧くん。

「いやいや、三葉も遅ればせながら、大人の階段を確実に上っとるねぇ」
気がつくと、ニヤニヤとサヤちんが私の顔をのぞき込んでいた。
「大人の階段って……」
「だって、瀧くんって三葉の初恋の人やろ?」
「うん……まあ、たぶん」
天井を眺めながら思い返す。あんなに真剣に、ちゃんと恋を意識したのって瀧くんが初めてのはず。
「初めての彼氏は?」
「瀧くん」
「初めての恋人は?」
「瀧くん」
「初めてのキスは?」
「瀧くん」
「ふぅん……ファーストキスは経験済み、と」
「はっ!?ちょっ!!サヤちん!!」
「三葉は単純やよねぇ」
「もうっ!」
何も言い返せなくて、この話題から逃れるように紅茶に口をつけた。ティーカップから口を放すと、カップの中で揺れる紅茶の水面を見つめる。

「ねえ、サヤちん?」
「なに?」
「最近ね……私、ちょっと変なの」
「変って?」
「瀧くんのこと、好きになってるの」
「は?」
サヤちんは眉をひそめるとティーカップをソーサーの上に戻す。
「好きなんは十分わかっとるつもりだけど?」
「うーん……なんて言っていいのかな?好きは好きなんだけど、なんかもっと一緒に居たいっていうか、瀧くんにギュゥってしてもらいたいっていうか、さっきの話だけど、おっぱ……じゃなくて、瀧くんに胸を見られても、本当はそんなに嫌じゃないっていうか……ああっ!もう上手く説明できんわぁ」

うまく言葉にできない私に対して、サヤちんは落ち着き払った様子でクスッと笑った。
「好きな人とそういう風に関係を持ちたいって、変なことやないよ」
「関係……?」
言葉の意味がわからずに首を傾げたけど、絡まっていた糸が徐々にほつれるようにその意味を理解した瞬間、ボッ!と一気に顔が火照る。
「ダ、ダ、ダ、ダメやって!!瀧くん、受験生なんやから!」
「あはっ、ちゃんと意味はわかっとるんやね」
「馬鹿にせんでよ、これでも二十歳過ぎやさ」

無意識の内に意識しないようにしていたのかもしれない。
そりゃ、私だって瀧くんとだったらって思ったことは……

――いいよ……瀧くんが良ければ

きゃあぁぁーーー……!!
不意に思い出したあの時のこと。ケンカするきっかけだったけど、あの時の私は、その……もしかしたら、そういうこともOKだと思ってた訳で。
両手で顔を覆った私を、ど、どうしたん!?とサヤちんが声をかけてくる。
「いや……ちょっと、気づいてはいけない真相に気づいてしまった気がして」
「何、言うとるんよ。私は嬉しいよ」
「え?」
顔から少し手を離しサヤちんの方を見る。いつもと変わらない優しい微笑み。その顔がとっても嬉しそうに破顔して。
「三葉の嬉しそうな恋バナが聞けて、とっても嬉しいわ」
そう言って、再びティーカップを手に取る。そして、残りの紅茶を飲み干すと、ふぅと一息。
「なあ、三葉、今の三葉には、糸守に伝わるという素晴らしい言葉を贈るわ」
「え、なにそれ?」
「この世のすべてはあるべきところにおさまるんやよ♪」
「え……?」
ドヤ顔でそう言ったサヤちんに私は何て答えればいいのか。
「三葉と立花くんがちゃんと仲良くしてれば、きっとあるべきところにおさまるんやないかな?」
「う、うん……そうやね」
お母さんの言葉だとはとても言えなかった……

*   *   *

三葉の家からの帰り道。随分日差しが柔らかくなった秋の夕暮れを一人歩く。

今日の三葉、また綺麗になっとったなぁ。元から美人さんやったけど、瀧くんと出逢ってから、ますます綺麗になっていくなぁ。

普通であれば同性としてちょっと嫉妬してしまうのかもしれないけど、不思議と三葉にはそんな思いは抱かなくて。
ただ、大好きな人と心から結ばれた親友が、やっと幸せを得た親友のことが、本当に心から良かったと……
「おっと、危ない、危ない」
慌てて目じりを指で拭って、笑顔を作る。とっても嬉しいんだったら、笑うべきだと思うから。

随分早くなったこの時間。今は遠いあの風景を重ねるように、私は呟いた……
「カタワレ時やなぁ」
「そうやな……」
「え……?」
振り返ると、そこには、この夏で真っ黒に日焼けした坊主頭。
「ただいま。サヤちん」
「……おかえり」
「おう!」
ニカッと白い歯を見せて笑う彼につられるように自然と顔が綻ぶ。

ごめん。三葉には悪いけど、今日一番の笑顔は、きっとこの瞬間。

私は彼に駆けよると、その大きな体に抱きついていた。

*   *   *

朝、ベッドの上。目が覚める……
当たり前だけど、一人なんだな、と寝起きの頭でそんな風に思った。
手を伸ばしてスマフォを確認。瀧くんからのメッセージはない。画像を立ち上げて、彼の写真を探す。
二人で一緒に撮った写真を見つけると、瀧くん、おはよう、と囁いた……

「ああーーー!ダメダメ!!」
私にしては珍しく勢いよく起き上がった。洗面台に向かい、顔を洗う。タオルで顔を拭きながら、鏡に映る自分の顔を見る。
「そんな困った顔、しないでよ……」
自分自身を諭すように、呟いた。

もうっ、サヤちんが変なことに気づかせるから!
心の中で、そんな風に文句を言ってみるけど、本当はわかってる。私、瀧くんともっと……
「だからダメやって!」
もう何度目の『ダメ』なのか。
すぅ……はぁ……と腕を大きく開いて深呼吸。心を落ちつかせて、もう一度自分の気持ちを整理してみよう。

いい?三葉。瀧くんは、高校三年生。今年は受験生。受験まであと半年弱。今が一番大事な時なの。OK?

うん……それはわかっとるよ。

自分でも何やってんだろう、と思いながら脳内で小芝居が始まった。

瀧くんにとって、今の一番は『受験勉強』。私じゃないの。

え……?私やないの?そんなぁ……

ちょっと!なんでそんな本音ダダ漏れなのよ!私だって本当は……

ダメやないの、三葉!瀧くんのこと大事なら、ちゃんとしなくちゃいかんよ!

え……?なんで私が怒られてるの!?

「ダ、ダメだぁ……」
私の脳内会議グダグダだ……
頭を抱えてしゃがみ込む。結局何も結論は出ないまま、今日の瀧くんとの放課後デートに臨むのであった。

*   *   *

既に高校の授業が始まってる瀧くん。平日だとそんなに長い時間は会えないけど、夏の頃から変わらずに、受験勉強と称して定期的にこうして放課後に会っている。そして、勉強を終えた後、私を自宅まで送ってもらうのがいつも流れだ。

受験勉強しなくちゃいけないのに、瀧くんに悪いな……

そんな風に思って、「ゴメンね、いつも送ってもらって」と言うと、彼は返事の代わりに私の手に触れてきた。
え?と驚いた時には、もう私の手は取られていて。いつもと違う、指を絡めた繋ぎ方。いつもより瀧くんを近くに感じて、恥ずかしくて肩をすくめる。だけど、同じくらい嬉しかったから、彼の想いに応えるように握り返した。

ねえ、瀧くん……
私、なかなか素直に言えないけど、本当は寂しがり屋で、誰かに甘えたいの。
瀧くんの前だったら、きっとそんな本当の自分を出せると思うし、君は応えようとしてくれるんだろうね。

だけど、瀧くんが大事だってことも本当だよ。だから、今はまだその時じゃないと思うんだ。瀧くんが今やらなくちゃいけないことは、受験勉強なんだから。
別に無理に自分を抑えてるつもりはないよ。少しずつ、一気になんて欲張りすぎだと思うから。
胸の奥に秘めたままじゃなくて、少しずつ、一歩ずつ……それくらいだったらいいよね?

何だかちょっとだけ自分の気持ちが整理できた気がして、心が軽くなる。
抑えるのでもなく、全てを望むのでもなく……

「瀧くん?」
「え?あ、はい?」
「着いたよ」
「へ?」
楽しい時間というのは、何故こうもあっという間なんだろう……
気がつけば、もう家の前。いつも別れる場所に到着していた。瀧くんも我に返ったように、驚いた様子で私の家を見つめている。
じゃあまたね、そう言おうとした瞬間、彼の口から零れた言葉。
「……もう着いちゃったのか」
思わず繋がれた彼の手に力を込めてしまった。
ほんの少しくらいなら……進んでもいいかな?
「ね、ねえ?瀧くん」
「はい?」
「……少し、うち、寄ってかない?」

 

「今、お茶入れるでね。少し部屋で待ってて」
彼を部屋に通すと、私は一人暮らしの小さなキッチンでお茶の用意を始めた。
瀧くんはいつも家まで送ってくれたけど、こうして家の中に招き入れるのは初めて。二人きりになると緊張しそうだからってこともあったけど、一番の理由は……

使い慣れたティーセットとお菓子をトレイに乗せて部屋に入ると、背すじをピンと伸ばして正座している瀧くんの姿。
「なんで正座しとるの?」
「あ、いや、なんとなく?初めて三葉の部屋に入ったんで、緊張してます……」
「えー、なにそれ」
やけに固い表情の瀧くんが可笑しくて、つい笑ってしまった。でも、私も瀧くんちに行った時、こんな感じだったかも?
そんな彼も、紅茶とお菓子を口にするうちに少しはくつろいできたみたいで、いつもみたいに会話が弾む。
「ごめんね、お勉強もあるのに、入ってもらって」
瀧くんがウチに居る。その事実だけで嬉しさが溢れてきて、口にする紅茶もいつもより美味しく感じる。
「……なんかあったんすか?」
「え?」
「今まで何度も三葉を家まで送って来たけど、家に上がらせてくれたのは初めてですよね?」
見つめていたティーカップから視線を移すと、瀧くんが不思議そうに此方を見ていた。

「べ、別に瀧くんを部屋に入れさせたくなかった訳じゃないんよ。……どちらかというと私の問題で」
「三葉の問題?」
「……瀧くん、笑わない?」
「いや、それは聞いてみないと、何とも」
「だよね……」
思わず苦笑い。上京して早三年目。もうすっかり一人暮らしには慣れたつもりだし、二十歳も過ぎて、こんな風に思うのは子供みたいなんだけど……
「でもさ、ここまで来て、言わないのは無しかと」
瀧くんが理由を促してくる。どうしようか、そう思いながらティーカップをソーサーの上に置いた。
チラリと瀧くんを見る。私を真っ直ぐに見つめてる。
心の中でため息をついた。私は普段は素直じゃないくせに、私の全てを見通すような彼の瞳にはとっても弱くて。だから……
「あのね、瀧くんがウチから帰った後、寂しくて泣いちゃいそうだったから……」
「……え?」
「で、でもね!いつまでもそういう訳にはいかないなって。少しずつ慣れてかなくちゃって。だからね、今日は、瀧くんに上がってもらったんよ……」
ああっ!もうっ!!
そんなつもりはなかったのに、瀧くんが帰った後の一人残された部屋を想像してしまう。
寂しさに捕らわれそうな自分の気持ちを抑え込むように、スカートの裾をギュッと握った。

落ち着こう、三葉。こんな顔してたら、また瀧くんに余計な心配をさせ……

気がつくとすぐ隣に瀧くんが居て、そのまま私は彼に抱き寄せられていた。
「あ……」
私の髪をゆっくり撫でてくれる。瀧くんがいつも好きだっていってくれる黒髪……
撫でられているうちに、落ち着きを取り戻すどころか、心地よい安心感に包まれていて。

すごいね、瀧くんは……

私は自然と瀧くんに身を任せていた。
と、彼が私の髪に結ばれていた組紐を優しく解く。たったそれだけのことだけど、どこか自分自身のまだ見せてない部分を覗き込まれたみたいで心が火照る。
どうしたの?瀧くん……。そう思いながら彼を見上げると熱い視線が私を捉えていた。
初めてのキスは、何となく流れで。じゃあ二度目のキスは……?
言葉が無くても互いに求めてるものは同じで唇がゆっくりと重なっていく。
瀧くんの想いがダイレクトに伝わってくる。だから私も。瀧くんに想いを伝えたくって、少しでも伝われって……

「ふ……ぁ……」
「は…ぁ……」

そうして、お互いに離れがたいと思いながらも、どちらからともなく距離を取る。
「三葉……」
愛しさを込めて私の名前を呼んでくれる。
少し呼吸が荒い、瀧くんの瞳が私の瞳を離さないまま、熱を帯びた彼の手のひらが私の胸に触れそうになる。
「……触り、たい」
「ダメ、やよ……」
本当にギリギリのギリギリ。だけど、何とか理性を引っ張り出して、私は瀧くんの手を止める。
「これ以上は……ダメ」
「だけど、俺……」
甘えるような彼の瞳に、思わず許してしまいそうになる。だけど……
「瀧くん、受験生やろ。……今は受験に集中しなくちゃ」
瀧くんだけじゃない、自分自身にも言い聞かせるように何とか言葉を並べて正論と呼べるようなものを作り上げる。
「俺が受験生じゃなかったら、いいんですか?」
「そういう言い方、ズルイよ……」
「ずるくてもいいです」
私の全てを求めてくれる。それはとっても嬉しくて、さっきから私の心は大きく揺れっぱなしだ。
このまま身を委ねるのも本当はありなのかもしれない。だけど、もしすることになってしまうんだとしても、こんなに迷ってるなら、きっと今じゃない……

「……こういうことしないと、瀧くん、私のこと嫌いになっちゃうの?」
「……ゴメン」
瀧くんは大きく息を吐き出すと、ゆっくり私から離れていく。
瀧くん、怒ったかな……
だけど、そんな心配は彼の言葉ですぐに杞憂だってわかった。
「何があったって俺が三葉のこと、嫌いになれる訳ないだろ」
ごめんな、とそんな風に頭を下げようとする瀧くんに、私は思わず抱きついていた。

私の方こそ、ごめんね……
瀧くんと同い年だったら良かったのに……
そんな考えが一瞬、胸の内をよぎったけど、口にするだけ無駄なことで。
「……本当は嬉しいんよ」
ただ、正直な想いを彼に告げる。
「本当に?」
「うん……だけど、瀧くん、今、大事な時だし……。ううん、違う。私が抑えられなくなっちゃいそうで、もっともっと瀧くんと一緒に居たいって思っちゃいそうで……」
理性と本心の狭間。どちらも自分自身。どっちも私の真実。それを瀧くんにわかってもらいたくて。
「だから、これ以上瀧くんに求められたら、私……」

瀧くんの答えは、触れるだけの優しい口づけ。
「三葉もそう思ってくれてるなら、俺も嬉しいっす」
「瀧くん……」
それだけで、彼がわかってくれたってことを理解する。同時に胸がトクンと高鳴るのを感じた。
ヘンなの。瀧くんのこと好きなのに、また好きになったって、そんな風に思ってる。
照れくさいのか、嬉しいのか、混ざり合う気持ちはまだ上手く言葉にできなくて、ただ笑顔を彼に届ける。瀧くんも安心したように微笑んでくれたけど、急に真剣な面持ちになって、
「大学は絶対現役で合格します。もっと三葉と一緒に居られるために」そう私に告げた。
「えっ!?」
堂々とした瀧くんの宣言。だけど、彼の宣言はそれだけで終わらなかった。
「だけど、受験生だからって……俺、合格するまで待つつもりありませんから」
「ええぇっ!!?」
今の私、どんな顔をしてるんだろう?心の中で、ちょっとだけ喜んでる自分がいるのがわかって、どうにも困ってしまう。
「わかりましたか?」
瀧くんは、そんな私の複雑な想いを知ってか知らずか、上から目線でそんなことを言う。

もう……年下のくせに!!

でも、そんな台詞の代わりに、「……わかりました」と私は思わず頷いていた。

 

玄関先で瀧くんを見送る。
「き、気をつけて帰ってね」
「は、はい……家に着いたら連絡します」
「うん、そうしてくれると安心するよ」
自分の家で、初めて彼氏との二人きりは、お互い距離が近くなったのか、どうなのか……?
色んな想いが胸の内に渦巻いていてるけど、それでも良かったんじゃないかな?
「そ、それじゃ、また」
「瀧くん!」
「え?」
振り返ろうとした彼を私はとっさに呼び止める。そして彼の右手を掴むと、勢いのままにその手を自分の胸に押し当てた。
反射的なのか、彼の手から二、三度、力が伝わってくる……
ちょっと震えながら触れてたその手を私から離す。瀧くんも放心したみたいに、さっきまで私の胸に触れていた手のひらを見つめていた。

「つ、つづきは……瀧くんの模擬試験の結果次第やよ」

我ながら何を言ってるのか?さっき瀧くんのこと、ズルイって言ったけど、ズルイのは、むしろ私の方かもしれない。
ダメだと言いながら、どこかで瀧くんの頑張りに期待してる……

「わかりましたか?」
さっきのお返しのように言ってみたけど、これはきっと精一杯の照れ隠し。
「……わかりました」
耳まで真っ赤にしながらそう答えた瀧くん。似た者同士の私達だ、きっと今の私も。

私達の新しい物語は、きっと、こんな風に少しずつ紡がれていくんだろうな……


おしまい(でも永遠につづく)

君の名は。SS スパークルMVif 夏恋おまけ話①

夏恋シリーズ後のアフター話です。

シリーズはちょっとシリアスだったので、おまけ話は少しでも楽しい内容になればなーと思って書いたものです。

男子高校生と女子大生の付き合いなんだから仕方ない……よね?(笑)

 


俺の名前は、立花瀧。東京在住の高校三年生。至ってごく普通の男子高校生……のはず。
ただ、少し変わったことと言えば、俺にはずっと探し続けてきた"誰か"がいて、その"誰か"との間にとんでもない物語があった……らしい。
らしい、というのは、俺自身がまるでその事について覚えてないせいなんだけど。

「瀧くん!」
当たり前のように呼ばれた自分の名前。だけど、その当たり前が嬉しくて、俺は彼女の顔を見る前に笑顔になっていた。
「三葉」
「ごめん、ちょっと待たせちゃったかな?」
「いえ、俺も今さっき来たとこっす」

えっと……紹介しよう。俺の彼女、名前は宮水三葉。都内の大学に通う女子大生だ。
そして、俺が探し続けてきた、その人である。
今年の夏、俺は彼女をやっと見つけて、付き合うことになったんだ。まあ実際には、出逢ってからも色んなことがあった。笑って、泣いて、怒って、ケンカして、後悔もした。でも、やっぱり俺には彼女しかいなくて。
だから互いに自分の想いに向かい合って、自分を信じて、そしてあの日、もう一度『大好き』だって伝えた……
彼女の抱えてた想い、秘密。全てを受け入れた今だから思う。あの夏の出来事がなかったら、彼女とこんな風に笑い合えなかったかもしれない。
走り始めた二人の新しい物語……

「行こうか、三葉」
「うん、瀧くん♪」

これは、そんな俺たちの、ほんの少しだけ続きの物語……


夏恋おまけ話① 宮水三葉 最後の告白。


二〇一七年九月中旬……

冒頭でも述べたとおり、立花瀧は至って健全で正常たる男子高校生である。そして、健全であるが故に、俺は今とあることで、とてつもなく悩んでいた……
「瀧くん……どうかしたの?」
「え?あ、いや……なんでもないです」
「本当に?」
「ほ、本当っす」
慌てて首の後ろを掻いてると、いかにも疑ってますよーといった表情で彼女の大きな瞳が俺をジーっと見つめてくる。
「な、なんすか?」
「本当は何でもないってこと、ないんじゃないの?」
そう言うと俺を視線に捉えたまま、拗ねたように頬を膨らませる。
くっ、この年上お姉さんは怒った顔も可愛いんだよ、ちくしょう!

……が、無論そんなこと相手には言えず。
「あ、そうだ!そこのカフェ行きません?ほら、オープンカフェでお洒落な感じですよ?」
俺は彼女の視線から逃れるように、そう言って場を誤魔化そうとした。が、彼女にはお見通しのようで、拗ねた表情は崩さない。もう一歩、俺の方に近寄ると「……話、逸らそうとしとらん?」方言混じりの言葉で追及してくる。
「まさか。それとも俺のこと、信じられませんか?」
出来る限り平静を装って、逆に相手をジーっと見つめ返した。
「……し、信じとるよ」
そうして見つめ合ったまま数秒、漸く三葉は頬を染めて視線を逸らしてくれた。
ふぅ……勝った。間近でこの年上彼女を見つめ続けるなど、俺とてそれほど長くはもたない。

それにしても、だ……
お互いに本心をぶつけ合い、それを乗り越えたことで、俺たちの関係はいい意味で大きく変わった。
それは嬉しいことだし、前以上に三葉……彼女のことを理解している自信はある。
だけど、美人で可愛い年上彼女に対し、以前はどこか緊張してたところもあったのだが、最近は三葉とのやり取りに少し余裕が生まれている。
それは別に悪いことじゃないだろ、だって?
まあ、確かに悪いことではない。余裕ができたことで、改めて彼女の新しい面に気づくことができたり、会話だって、いちいち考えなくても自然に話せるようになってきたと思う。だけど、同時に……

「それじゃ、行こ?」
「わっ!?」
「どうかしたの?」
「い、いや、なんでも……ないっす」

これである……
どれかって?
説明しよう!
三葉もきっと俺と同じなんだと思う。あの日の告白でもう一度互いの想いを確かめ合ってから、どこか遠慮がなくなったような、自然体で俺に接してくれるようになった。
勿論、それだって嬉しいことだし、こんな関係をずっと続けていこうと思ってる。
思ってるのだが……

三葉は今、俺に密着し腕を絡めている。そして俺の腕は彼女の胸に挟まれている。二の腕を介してその存在を感じる。俺の全神経は今、二の腕に集中しているのだ!
一言で言えばとっても柔らかい。だが、悲しいかな、二の腕では俺は満足していない。いや、中途半端に二の腕に触れてるせいで、余計に想像が掻き立てられるのだ!!
……話がズレたな。つまりッ!
心に余裕が生まれた結果、最近の俺は、三葉(女子大生)のおっぱいが気になって気になって仕方ないのだッ!!!

 

カフェの正面に三葉が座っている。この店おすすめのパンケーキがお気に召したらしく、頬に手を当てて、んー♪とかいちいち美味しそうな反応を示してくれる。俺はいつものようにホットコーヒーのカップに口に運びながら、上目づかいに彼女を見た。
澄んだ大きな瞳、さらさらと流れるような艶やかな黒髪、そして黒髪に映える組紐が色鮮やかで彼女にとても似合っている。凛とした清楚な美しさと、時に可愛らしい仕草、そして年上の落ち着き……。
だけど、照れて顔を真っ赤にしたり、あたふたと慌てることもあったりと、ころころ変わる彼女の色んな面を見つける度に、あの日、もう一度"好き"と告白した時よりも、もっともっと三葉を好きになっている自分を自覚できる。
そして……

目線が下がる。三葉の胸に目が行く。
今日の彼女の服装は、ボディラインがわかる薄手のニットに、フレアスカートの組み合わせ。そして問題は、いつものようにトートバッグじゃなくて、ショルダーなんですよ、ショルダー。
それをたすき掛け。
「パイスラッシュ……φ」思わず呟いていた。
そういや、この前も受験勉強の最中、ふと三葉のことを思い出したな……そう、あれは『π』を見た時だったか?

「ねえ、瀧くん……?」
その声に俺は妄想の世界から引き戻された。気がつけば、椅子から少し前に乗り出した三葉が俺のことを見つめている。
「な、なんすか?」
それに気圧されるように、俺は逆に背もたれに寄りかかる。
「……瀧くん、私の胸、見てたやろ?」
「え!?あ、いや、そんなことは……」
「本当にぃ……?」
ジト目で見られる。目線を逸らして通りを眺める。オープンカフェって解放感ありますねー……とか言おうと思ったけど、三葉の方をチラリと見れば、その表情は変わってない。

「はい!見てましたぁ!」
俺は観念して大きく頭を下げた。はぁ……という彼女のため息が聞こえる。
「べ、べつに私は見られてもええけど……他の人のそういうのは見ちゃダメやからね!!」
「え?見てもいいんすか?」
思わず聞き返すと、彼女は顔を真っ赤にして手を振る。
「ち、違う!そういうことじゃなくて……モノのたとえッ!」
まったくこの男はぁ……と呆れたように呟くと、一拍置いて彼女は急に吹き出した。
「ど、どうしたんすか?」
「ううん、ちょっと思い出しただけ。カタワレ時も、こんな風に瀧くんとやり取りしてたなぁって」
「へえ、どんな感じだったんですか?」
三葉は飲み物に口をつけて、一息つくと、可笑しそうに話し出した。
「瀧くんね、入れ替わってた時に、私の胸、触ってたらしいんよ。それでその時、そのことを問い詰めたら、」
「なッ!?」
俺は思わず立ち上がっていた。
「た……瀧くん?」
彼女の大きな瞳が驚きで更に大きくなる。だけど、今の俺の耳に彼女の声は届かない。
「胸を触ってたぁーー!?」
「ちょっ!瀧くん!声が大きい!!」
耳まで真っ赤になりながら、あたふたと三葉も立ち上がる。
が、彼女がもらたした衝撃の事実に、俺はその場に立ちすくむしかなかった……

*   *   *

「おのれ、立花瀧……」
神宮高校屋上。ネットに手をかけながら、俺は、俺に怒りと憎しみをぶつけていた。
「なんか言ったか、瀧?」
そんな俺に対し、サンドウィッチ片手に高木が声を掛けてきた。
「ああ。ちょっと許せない奴がいてな……」
「へぇ、誰?」
「昔の俺」
はあ?と高木と司、二人の声がハモった。

気がつけば、虚空をモミモミしている自分の手のひらを見つめていた。今は覚えていないこの手の感触に、何故これほど心惹かれるのだろう……?
くそぅ!どうして俺はそんなとてつもなく大事なことを覚えていない!思い出せない!?
ずりぃぞ、一年前の俺!自分ばっかりいい思いしやがって!!
俺だって、俺だってなー!!三葉のおっぱい触りたいんだよーーッ!!
悔し涙をこらえるように俺は天を仰ぐ。声なき心の叫びが大都会東京全土に木霊するようだ。

「ハァ……」
「どうした、瀧?また何か悩み事か?」
「年上彼女と幸せな毎日を過ごしているっていうのに、お前は悩んでばかりだな」
気がつけば、司と高木が横に並んで立っていた。
「今度は何があったんだよ?」
「俺達に相談できることか?」
俺は振り返るとネットに寄りかかるようにして空を眺める。徐々に秋めいてきた空、一年前もこんな風に空を眺めていたような気がする。その時も入れ替わってたという三葉のこと、ずっと考えていたんだろうか……?
そうだよな、好きな人のことはついつい考えてしまうよな……。
とは言え、今の俺は三葉のおっぱいの事で頭いっぱい夢いっぱいな状態。このままでは受験勉強にも支障を来してしまうかもしれない。だから打開策を求めるように、俺は思い切って二人に聞いてみることにした。

「なあ……お前ら、おっぱい触ったことあるか?」
一瞬、場が静まり返る。だが、その沈黙を破るかのように、フッと嘲笑う声がする。
「当たり前だろ?」と、自信満々の高木。
「自分のおっぱいは無しだからな」
「……スマンッ!」
高木、最敬礼。
気にするな、友よ……未経験者皆同志だ。
「俺は……ある」
余裕めいた司の発言に、俺と高木は思わず息をのむ。さすが、やることはヤル漢……藤井司!光るメガネは伊達じゃないッ!!
「で、どんな感じだった……?」
「なんか……柔らかかった」
「やはり柔らかいのか……」
俺や高木がいくら妄想したところで、きっと実物は俺たちの想像を超える崇高な存在なのだろう。
「……だが、それも遠い昔の話だ。今、俺が触りたいおっぱいじゃない」
「お、お前でも触れない、おっぱいがあるのか!?」
「ああ……」
司はどこか遠くを見るように寂しげに微笑んだ。司ですら至れない領域、一体どれほど至高のおっぱいだと言うのだ!?

それぞれが、触れてはいけない傷に触れられてしまったかのように、高木は難しい顔をして腕を組み、司はズレた眼鏡を直そうともしない。
「悪かったな……変な話して」
俺は二人に心から詫びる。昼休みに話す内容じゃなかった。これは俺が何とかしなくちゃいけない揉んだい……じゃない、問題なんだ。
「何を言ってる。おっぱいは変な話じゃないだろう!」
司が眼鏡をクイと上げれば、レンズが日輪を浴びて輝きを放つ!!
「だってさ、おっぱいに触るかどうかなんて話……」
「おい!瀧にとって、おっぱいの存在はその程度のものだったのかッ!!」
同志だろ?と言わんばかりに、高木がニカッと笑う!!
「お、お前ら、いつもみたいに俺のこと、『へたれ』とか言わないのか?」
「触れる時に触れないのであれば、それはへたれかもしれない。だがな、瀧!お前はこの状況を何とかしたいと思ってるんだろう?」
モミモミしていた手のひらをギュゥと握りしめる。そうだ!俺は今強く願っている!他の誰でもない、三葉のおっぱいに触りたいと!!
「ああ!!」
決意を込めた俺の表情に二人は大きく頷く!!
「だったら!お前はへたれなんかじゃない!!」
「双丘に挑む果てなき挑戦者だッ!」
そうだ!偉大なる霊峰に挑むのであれば、それなりの準備なくして到達はありえないッ!!!
「お、俺は……そのためにどうすればいい?教えてくれッ!高木!司!」
「まっかせとけ!」
「ああ。それじゃあ、今回のミッションを『オペレーション081』と呼称する。いいな?」
「おう!」
「了解!」
司、高木、本当にありがとう……お前たちは最高の親友だッ!!

「で、そろそろいいかな?」
絶妙のタイミングで声がかかる。
「ゲッ!真由!?じゃねえ……高山、お前いつから?」
「さーて、いつからだろうねー?」
高木の前に立つポニーテールの女の子は、右手を上げて、こちらに朗らかに微笑んだ。
「やっほー♪立花君。藤井君もおひさー」
「久しぶり、高山さん」
「相変わらず元気そうだね」
彼女の名前は、高山真由。高校二年の頃のクラスメイトだ。
「んー、元気、元気!ところでさ、ちょっとそこの熊のぷ○さん、借りてきたいんだけど、いいかな?」
彼女は笑いながら高木を指さした。
「誰が熊の○ーさんだ」
「いやー、ちょっと先生に頼まれてさ、色々運ばなくちゃいけないのよ。どうせ暇でしょ?」
「勝手に人を暇人扱いするな」
「いいじゃん、か弱い同級生に力貸してよ。ね?オ・ネ・ガ・イ♡」
「俺の人生において、お前が『か弱い』なんて話、聞いたことないな」
「ひっどーー!じゃあ、か弱くないから、無理矢理連れてくことにする」
「おい、待て!高山ぁ!!」
そう言うと、彼女はズルズルと高木の腕を引っ張って強制連行していく……
「じゃあまたねー♪立花君、藤井君」
ばーい♪と手を振りながら遠ざかっていく高山さん。
「あいつも大変だよな」
「そうだな」
そんな二人を眺めながら、残された俺と司はしみじみと呟いた。

*   *   *

それから数日後。今日は久しぶりに三葉と勉強を兼ねた放課後デート。受験勉強や日々の授業がある身としては、平日に長い時間一緒に居ることは叶わないけど、少しでも一緒に居られるようにと、今日も遅くまで付き合ってくれた彼女を自宅まで送り届けている。
ちょっと前までは、この時間はまだ明るかった気がするけど、今はもうだいぶ薄暗くて確実に夏から秋へと季節が巡っていることを感じさせる。
「ゴメンね、いつも送ってもらって」遠慮がちにそんなことを言う彼女。
そんな風に気なんか遣ってもらいたくなくて、三葉の手に触れようとすると驚いたような顔をしてこちらを見る。だけど俺は彼女の言葉が放つ前にその手を取り、そのまま指を絡ませた。
今までの手繋ぎとは違う。所謂"恋人つなぎ"。彼女は頬を染めて肩をすくめると少しだけ強く握り返してくれた。
初めてのその行為は今までよりずっと彼女の存在を身近に感じて。俺は気恥ずかしさと嬉しさで胸がいっぱいだった。

それにしても……
この前は勢いのままに、おっぱい三人組で熱く盛り上がってしまったが、落ち着いて考えてみれば入れ替わってたという俺は、きっと三葉の了解を得ることなく勝手に触ってた筈で。
(触っていいか?と聞いて、いいよ、と三葉が了承するとは、とても思えないよな……)
全くけしからん奴だな!一年前の俺!……まあ、それでも羨ましいけど。

隣を歩く三葉に視線を送る。恋人つなぎで歩くことにも慣れてきたのか、彼女は最近あった出来事を楽しそうに話してくれる。キラキラした瞳、彼女の髪のシャンプーの匂い、細くて華奢な身体、そして……胸。
手だけじゃ物足りなくて。彼女をもっと近くに感じたくて。こんな道の真ん中でも抱き締めたくなりそうな、そんな衝動に駆られてしまう。
そんな中、不意に思い出す。あの夏の日。三葉とケンカした日。

――うち、来ませんか?

思わず眉間にしわが寄る。今、思い返すと、すげー恥ずかしい。
ある意味、積極的だったと言えるのかもしれない。だけど、あの時の俺は、三葉を誰かに取られたくなくて、頭の中は自分のことだけだった。
だけど今の自分は、三葉がとても大事で、彼女を一番大事にしたい。でも気になって仕方ないのも本心で……
この相反する気持ちの状況。俺は一体どうすりゃいいのか……?

「瀧くん?」
「え?あ、はい?」
「着いたよ」
「へ?」
気がつけば、彼女の家の前。いつもの別れる場所へと到着していた。
「……もう着いちゃったのか」
思わず本音が口に出ていた。その言葉に反応するかのように、繋がれた手にキュッと力が加わった。
「ね、ねえ?瀧くん」
「はい?」
「……少し、うち、寄ってかない?」
初めて彼女の家にお誘いされたことに思わず頭の中が真っ白になる。毛先に触れ、頬を染める三葉の横顔を見つめながら俺は無言で頷いていた。


「今、お茶入れるでね。少し部屋で待ってて」
自分の家でリラックスしてるのか、三葉はキッチンで鼻歌混じりに支度を始めた。
初めて入る三葉の部屋。よくよく考えると女性の部屋に入ること自体、人生初めてかもしれない。親父と二人暮らしの男所帯。うちは正直色気なんか全くないけど、さすが女性の部屋ともなると、漂ってる空気が違う気がするし、なんかすげーいい匂いがする。
あまりキョロキョロする訳にもいかず、テーブルの隣で正座待機していると、ティーセットのトレイを乗せた三葉が顔を出した。
「なんで正座しとるの?」
「あ、いや、なんとなく?初めて三葉の部屋に入ったんで、緊張してます……」
「えー、なにそれ」
俺の言葉に笑いながら、彼女は手際よく準備を整えると、どうぞ、とティーカップを差し出した。

「ごめんね、お勉強もあるのに、入ってもらって」
紅茶とお菓子を頂き、一息ついてると彼女からの言葉。その言葉に俺は何も返さずに彼女の表情を窺った。俺が何も言わなかったことは気にならなかったみたいで、両手で持ったティーカップを嬉しそうに見つめていた。
「……なんかあったんすか?」
「え?」
「今まで何度も三葉を家まで送って来たけど、家に上がらせてくれたのは初めてですよね?」
別にお邪魔したいと強く望んでた訳ではないけど、いつも別れ際は、家の前で別れるのが当然のような雰囲気で。
まあ、俺もいきなり三葉の部屋に二人きりになるとか、心の準備なしだとあれこれテンパってしまいそうなんだけど。……っていうか、今も何とか平静さを保つのに必死です。
「べ、別に瀧くんを部屋に入れさせたくなかった訳じゃないんよ。……どちらかというと私の問題で」
「三葉の問題?」
「……瀧くん、笑わない?」
「いや、それは聞いてみないと、何とも」
「だよね……」そう言って苦笑する。
「でもさ、ここまで来て、言わないのは無しかと」
「うーん……」
静かにティーカップを置くと、三葉は俺から視線を逸らしたまま、崩していた足を正座になおした。

「あのね、瀧くんがウチから帰っちゃった後、寂しくて泣いちゃいそうだったから……」
「……え?」
「で、でもね!いつまでもそういう訳にはいかないなって。少しずつ慣れてかなくちゃって。だからね、今日は、瀧くんに上がってもらったんよ……」
説明しながら、俺が帰った後のことを想像してしまってるのだろうか?三葉はスカートの裾をギュゥと掴んで、ちょっと目が潤み始めていた。

ダメだ……
可愛すぎる……

俺は三葉の隣に座ると、彼女を胸元へ抱き寄せた。
あ……とか細い声が聞こえてくるけど、抵抗はしない。
ゆっくりゆっくり艶やかな黒髪を撫でると、少しホッとしたように俺に身体を預けてくる。
綺麗に手入れされた黒髪から、彼女らしいナチュラルで清楚さをイメージさせる石鹸の香りがして頭がクラリとする。
指に触れた組紐。彼女の心を解くように、ちょうちょ結びを解くと、少し困ったような不思議そうな顔で俺を見つめてくる。
交わる視線が徐々に近づき……俺と彼女は自然に唇を重ねていた。

最初のキスは衝動的だった。
だけど、二度目のキスは、想いを込めて少し深くて長い……

「ふ……ぁ……」
「は…ぁ……」

お互いに離れがたいと思いながらも、残る理性が何とか距離を取らせる。

「三葉……」
触れるか触れないか、心が求めるままに彼女の胸の前に手を持っていく。
「……触り、たい」
「ダメ、やよ……」
俺の手を遮るかのように、三葉は俺の手を抑える。
「これ以上は……ダメ」
「だけど、俺……」
「瀧くん、受験生やろ。……今は受験に集中しなくちゃ」
さっきまでの熱が引いていくように、彼女の言葉は落ち着きを取り戻していく。
「俺が受験生じゃなかったら、いいんですか?」
「そういう言い方、ズルイよ……」
「ずるくてもいいです」
もう一度、彼女を抱き寄せようとしたけど、彼女の言葉で俺はそれを止めた。
「……こういうことしないと、瀧くん、私のこと嫌いになっちゃうの?」
「……ゴメン」
フゥー……と大きく息を吐いて自分の気持ちを落ち着かせる。
また、自分のことばかりで突っ走るところだった。
『ヘタレ』なのかもしれないけど、そりゃ、興味がない訳じゃないけど、俺にとっては"三葉が大事"ってことが一番で。だから、もしするんだったら、その時は三葉の気持ちを一番にしたい。

「何があったって俺が三葉のこと、嫌いになれる訳ないだろ」
ごめんな、と頭を下げて謝ろうとしたところで、彼女が俺の胸に飛び込んできた。俺の制服のシャツに顔を埋める三葉の背中をポンポンと優しくと叩くと、三葉は少し潤んだ瞳で俺を見上げてくる。
「……本当はね、嬉しいんよ」
「本当に?」
「うん……だけど、瀧くん、今、大事な時だし……。ううん、違う。私が抑えられなくなっちゃいそうで、もっともっと瀧くんと一緒に居たいって思っちゃいそうで……」

だから、これ以上瀧くんに求められたら、私……

彼女の言葉を遮るように、三度目は安心させようと軽く触れるだけ。

「三葉もそう思ってくれてるなら、俺も嬉しいっす」
「瀧くん……」
ホッとしたように、優しく微笑む三葉を見て、俺も冷静さを取り戻す。
だから、照れくさいけど、正直に。俺は三葉を真っ直ぐに見つめながら、迷いなく言い切る。
「大学は絶対現役で合格します。もっと三葉と一緒に居られるために」
「えっ!?」
俺の言葉に三葉は目を丸くすると、徐々に顔が赤く染まっていく。
「だけど、受験生だからって……俺、合格するまで待つつもりありませんから」
「ええぇっ!!?」
一気に耳まで真っ赤になる三葉。
とっても大事で大切にしたい彼女。だけど、彼女の全ても欲しいから。
だから……今すぐどうとかじゃないけど、どっちかじゃなくて、両方とも。

「わかりましたか?」
ちょっと大人ぶって、そう言うと、年上の彼女はとっても困ったような顔をした後、
「……わかりました」
そう言って、しおらしくコクンと頷いた。

サイド三葉へつづく