君の名は。SS ささやかな願い。

 9月1日は瀧三入れ替わり前夜。その時点での三葉の存在はどうなるのかな?なんて思って書いたモノです。

 個人的には、瀧くんが三葉の真実を認識するまでは、運命は確定してなかったのかな?なんて。認識した時点(糸守到達)で、一度はあり得ない事象としてスマフォのデータは消えたのかな、とか考えてます。

 それでも変革させたのが二人のムスビの偉大さなのですが(尊

 

九月になっても続く茹だるような暑さに、八月を耐えきった俺の身体もついに悲鳴を上げたらしく、新学期早々のアルバイトに身心共に疲れ果て、倒れ込むようにベッドにダイブした。
「あー……疲れた」
抑揚もなく吐き出した言葉。もう何(なん)もしたくねぇ、このまま眠ってしまいてぇ……
そんな誘惑に駆られながらも、ギリギリのところで意思のチカラが打ち克った。
「……シャワー浴びよ」
ヒーローが絶体絶命のピンチから立ち上がるようにゆっくり身体を持ち上げる。……一体、何と戦っているのかわからないが。
ベッドから何とか起き上がり、眠い目を擦りながら、ふと目に留まった腕に巻かれたミサンガ。偶に、何となくお守り代わりに身に付けている綺麗な鮮やかな紐。いつもはそんなこと気にしないのに、何故か妙に気になって。
糸が寄り集まってできたその緋色の紐は、暮れていく夕焼け空、別れの時間を想起させるようで、どこか寂しさが胸を通り抜けた……

 

そして、夢を見る……
ほどかれた紐、伸ばしあった手と手、託された想い、そして……君の名前。

夢の中で夢を見ていたかのように、霧が立ち込めるその場所で我に返る。手にはいつ掴んだのかわからない紐の片端。それをしっかりと握り締め、俺は一人立ちすくんでいた。
手放してしまってもいいのに、何故か俺はそれを放す気にはなれない。繋がっているはずの反対側を見ると、どこに繋がっているのか霞みに隠れてしまってその先はわからない。
一歩踏み出し、俺は紐を手繰り寄せていく。夢だからだろうか、全く疑問には思わなかった。ただ、そうしなくてはいけないような気がして、この繋がりを決して見失わないように、この手にある先端に力を込めた。
濃霧のような、真っ白な世界の中、ただ色鮮やかなこの紐だけが道標のように、俺を導いていく。
そして、いつしか視界が広がり、今まで俺の周りにあった靄が、風に吹き飛ばされるように流れていくと、そこは見知らぬ夜の原っぱ。

静けさの中、耳に届くのは虫の音色。自然と呼ぶのが相応しい草木の匂い。体に感じる空気は、爽やかで澄み切っていて心地よく。
そして目に映ったのは、今まで見たことのないような、いや、小学校の授業、プラネタリウムで見たことあったか?
だけど、あんな風に作り物の光じゃなくて、本物の輝き。まさに満天の星空というものが頭上に広がっていた。
「すげえな……」
語彙力乏しいそんな感嘆の声しか出ないまま、夜空を見上げていると、さっきまで手に握られていたはずの紐がないことに気づく。見れば、それは俺の腕にミサンガのように巻かれていた。
夢らしい謎現象に首を傾げながら、そのまま原っぱを進む。
夜中の原っぱ。ここはどこだ?そう思いながらも、行くべき場所がわかっているかのように俺は無意識で歩みを止めることはなかった。

――そして、俺は君に再会する。

背中を向けている、浴衣の少女。長かったはずの黒髪は、肩程までバッサリと切られていて。だけど、浴衣姿は結構似合ってるんじゃないかなと思った。
「……?」
口許を手で抑える。
再会?長かったはずの黒髪?
そんな風に考えている自分がいて訳がわからない。全くこの夢は意味不明だ。だけど夢ならばと、普段なら絶対自分から話しかけようなんて思わない、見知らぬはずの女子へと声をかけてみた。

「あ、あのさ」
ゆっくり振り向いた彼女は、俺を見るなり目を丸くする。
「あ……」
「あ、いや、別に怪しいもんじゃないっていうか、なんていうか……って、俺、自分の夢で何言ってんだ」
浴衣姿の彼女は、なんていうか、正直可愛かった。自分の夢だというのに妙に照れくさくて、不意に現実のいつもの自分のように急に緊張してしまい、それ以上の言葉が続かない。
「瀧……くん」
「あれ?俺の名前、知ってるのか」
「知っとる……よ」
「おー、さすがは俺の夢」
どこかの方言混じりの言葉で彼女は頷く。どうやら自分の夢だけあって、自己紹介とか説明は不要らしい。だったら気が楽だ。
「隣、いいかな?」
「えっ!?あ、うん……」
彼女は右手で自分の髪の毛に触れながら、どうぞ、と俺を促す。
サンキュ、と俺は彼女の隣に立つと、この満天の煌きを再び見上げる。
こんな星空なら俺はいつまでも見続けられるな。いつか東京で見たあの――のように。
「ッ?」
一瞬眩暈のような感覚で俺は目許を抑える。なんだ?今の?一瞬この星空に違和感を感じた……?

「あの……さ、瀧くんは、どうしてここに?」
夢の中の彼女は、遠慮がちに不思議そうに俺に尋ねてきた。
「いやぁ、紐を手繰り寄せて歩いてたら、ここに着いたんだよな。自分の夢ながら、なかなかおもしれぇって思ってるよ」
「……夢?」
「ああ、俺の夢」
「そっか、私、瀧くんの夢の中に居るんやね」
よくわからないが、夢の彼女は嬉しそうにしている。こんな会話だけで喜んでくれるとは、なんて都合のいい夢だ。
「そういや、君の名前は?」
いつまでも、夢の彼女とか、浴衣女子とかじゃ悪い気がして、名前を聞いてみた。
「え……?覚えとらんの?」
「えっ?会ったことあったっけ?」
「……あの時、必死に名前伝えたのに」
先程まで機嫌を良さそうにしてたのに、今度は急に機嫌が悪くなっている。なんだ?俺の夢のはずなのに、いや、夢だからこそ意味不明なのか?
だけど、目の前の彼女をこれ以上怒らせたくはなくて、取り敢えず、スマン!と両手を合わせて詫びを入れる。
「……知らん!」
だけど、彼女は拗ねたようにそっぽを向いてしまう。なんなんだ、この夢は?彼女のご機嫌を取るゲームなのか??
彼女は混乱している俺のことを、チラリと見ると、今度は急に笑い出した。何が可笑しいのかわからないけど、ツボにハマったみたいに彼女は笑い続ける。その笑顔が本当に可愛いなと思いながら、俺もつられて笑ってしまう。

そして、笑いながら思う。いつまでも、この時間が続いて欲しいって……

――これは"夢"のはずなのに

「ねえ、瀧くん」
「なんだ?」
「今日は西暦何月何日?」
「は?」
さすが夢。いきなり妙な質問だ。そう思いながらもきちんと俺は、二〇一六年九月一日と答えてやる。
その答えに、彼女は得心したように頷くと、先ほどまでの俺と同じように空を見上げる。
「ずっと、この星空を見上げてたんやよ」
「一人でか?」
「うん……たぶん、私が最後の希望だったと思うから」
「最後の希望?なんだそりゃ」

その時、一陣の強い風が二人の間を裂くように通り抜けた。
一瞬の静寂の後、聞こえたのは虫の音色ではなく、

「……ねえ」
短く紡がれた彼女のか細い声。それが逆に切実で、俺に胸に突き刺さる。
その声、いつかどこかで?だけど思い出せないまま。
浴衣姿の彼女。肩上の黒髪をそよぐ風に揺らしながら、綺麗で大きなまあるい瞳が俺を見つめ、そして……その瞳から涙が一筋零れ落ちた。

「私はね、ただ君に会いたかっただけ」
「は……?」
「ただ会いたかった。それだけなのに……」
「お、おい、泣くなよ」
手で抑えようにもどんどん溢れてくる涙を抑えられずに泣きじゃくる彼女。俺はどうしたらいいのかわからずに、オロオロとするしかなかった。
「ごめん、ごめんね……君と入れ替わったりして」
「入れ替わる?」
「私も知らなかったから。自分の運命を知らなかったから。知ってれば君のこと、ううん、君だけは絶対巻き込みたくなかった!」
「な、何言ってんのかわかんねーよ!」
俺は女性の扱いに長けている訳じゃない。だけど、これは俺の夢だから。だったら、そう悪い結果にはならないはずだ!!
そう自分に言い聞かせて、俺は、
「泣くなよ……」
彼女を抱きしめていた。
「……瀧……くん」
「言っとくが、女の子を抱きしめるなんて夢でも初めてなんだからな。俺の夢なんだから、もう泣くんじゃねえよ」
夢でもいきなり女子を抱きしめれば緊張で足がガクガクするらしい。リアルだったら通報されてるかもな。
苦笑いを浮かべながら俺は胸の内に収まる彼女の様子を見ることもできず、ただ頭上に広がる星空を見上げた。

「……ごめんね」
「おう……」
そうして暫くして彼女がそっと俺から離れていく。俯きがちに二、三歩下がって、癖なのか自身の毛先に触れながら、頬を染めたその表情に、俺は何とも言えない感情を抱いていた。

これは夢のはずなのに……

「会いに行くよ」
「え……?」
「さっき、お前言ったろ。『ただ会いたかった』って。だったら俺が会いに行ってやるよ」
「それは……でも!」
「約束、な」
一歩踏み出すと、立てた小指を彼女の前に示す。だって、夢のはずなのに、俺も彼女と同じように思っているから。

――君に会いたいって

「この……男は」
心底呆れたように。それでも俺の言動は、如何にも俺らしいって親愛を込めたように。
嬉しさと寂しさが入り混じったような表情で彼女は呟くと、照れくさそうに俺の小指に自分の小指を絡ませ、二人で指切りげんまんする。

「ねえ、瀧くん」
「なんだ?」
「もう一つだけ、君にお願いがあるんやけど聞いてくれる?」
「内容次第だな」
「大丈夫、簡単なことやよ」
「簡単なこと?」
彼女が願い事を口にする。誰にでもできそうなその行為。だから、ただ一言、それを言えばいいだけなのに、後悔のように胸を突いた想いが邪魔をする。

俺は、決して守ることができない約束を交わしたのかもしれない。

「瀧くん」

言いあぐねる俺に彼女は優しく声を掛けてくる。

「君に会える日を楽しみにしておるよ」

君は初めから会えないとわかっていて。

「だから、その時はちゃんと名前、呼んでね」

だから、これが君の名を呼ぶ最初で最期の……

「瀧くん」
「みつは」

ありがとう。忘れないでね、私の名前………

*   *   *

そして、俺と彼女は目を覚ます。
それはひと時の夢まぼろし。だから目覚めれば夢だと思い、気づかぬうちに忘れていく。

でも、もしかしたら、俺たちはそのたった一つの約束を守るために、これから始まる物語を紡いでいくのかもしれない。

――君に会いたい

このささやかな願いを叶えるために。