君の名は。SS 君へのつばさ。(未完成)

部屋の窓を開け、夜空を眺める。今日から長月。夏から秋へと移り変わる季節。
昼間はまだまだ夏という感じだけど、山奥の小さな町は一足早く、夜の空気は秋の香りがする、そんな気がした。
窓辺で頬杖をつきながら、見慣れた満天の星空を眺める。
季節は巡っても、変わらない星々の瞬き。
そう何も変わらない。
この夜空も。この町も。そして私も……
そんな風に思って首を振る。変わりたくない訳じゃない。むしろいつも変わりたいと思ってる。だけど、自分一人では何もできなくて。
堂々巡りのように考えるだけ考えて、結局同じ場所(ところ)に戻ってきている、そんな感じ。

所詮考えても仕方ないこと。

どこかそんな風に思っている自分自身を少しでも慰めるように、欠けていてもひときわ輝く月を眺めた。

「今日は月がきれい……」

あ……と声なき声を出す。
月が綺麗ですね。『I LOVE YOU』の訳だったか。
この狭苦しい町の中で、誰も本当の私を見てはくれない。本当の私の声を聞いてくれない。
ううん、そう言う自分だって、自身に嘘ばかりついている。

本当の私はね……

こんな素直じゃない私のことを、いつかちゃんとみてくれる人は現れるのだろうか?
縮こまって、心の中で膝を抱えて、俯いて暮らしている私に手を差し伸べてくれる人は現れるのだろうか?
そして、こんな私のことを……

ゆっくり窓を閉めると、窓辺から離れる。

もし、そんな人が現れてくれたなら、私は……

「月が……きれいですね」

きっと私は、まだ見ぬ君を探している……

 

改頁
***


最近の日課となっている、朝のスマフォチェック。
軽快に画面を操作していた指を止めて、画面を凝視する。

>9月○日 22時○分
>お前ってさ、持ってるの地味目な服ばっかだけど、もうちょっと流行りの服とか買わねえの?
>なんなら今度俺が選んでやろうか?

「余計なお世話なんやさ……」

知ってるわよ!入れ替わってる時、東京のお店であれこれ見てるんだから!
だいたい、この糸守のどこに流行りの洋服を買えるお店があるっていうのよっ!

心の中で、瀧くんに文句を言いながら読み進めていく。

>あー、でもこの町にそんな服、売ってる場所あったっけ?
>東京だったらいくらでもあるんだけどなぁ(笑)

くうぅぅ、あの男、絶対わかってて書いてるでしょ!
そりゃ、ここはド田舎だけど、改めて書かれるとカチンと来る。
ん?最後にもう一文?

>でも、下着は明るい色が好きなんだな(笑)

「あんの男はぁ……」
思わずぎゅぅとスマフォをに握りしめる。
「どうしたん?お姉ちゃん、顔赤いで?」
「なんでもないっ!」
傍らにスマフォを置くと、いただきます!と両手を合わせて、ご飯茶碗を持ち上げる。

「お姉ちゃん、今日も嬉しそうやね?」
「え?なにが」
四葉がスマフォを指さす。
「何か面白いこと書いてあったん?」
「え?そんな嬉しそうな顔しとる?」
「毎朝、朝ごはんの前にスマフォいじって。で、とっても楽しそうな顔しとるよ。な?お祖母ちゃん」
「そうやな」
一足早く朝ごはんを終えていたお祖母ちゃんが、一言添えながらお茶をすする。
「いやいやいや……別に楽しくなんか」
手を振りながら全否定。入れ替わって東京で生活するのは楽しいけど、瀧くんの日記を読んで楽しい気分になんかこれっぽっちも。

……あれ?と思う。毎朝?じゃあ、昨日も?
ねえ、と妹を呼ぶと、四葉は、うん?飲みかけていたお味噌汁から顔を上げた。
「昨日の私ってどんなだった?」
「えぇ……またそれぇ?」
「またって何よ?」
「昨日も同じこと聞いたやろ?自分のことなのに」
同じ質問は御免被るとばかりに再びお味噌汁に口をつける。
だけど、無言のプレッシャーを与えるように、そのまま妹に視線ビームを送り続ければ、居心地悪そうに口を開いた。
「同じ質問やったよ?昨日も『昨日の私ってどんなだった?』って」
「で、何て答えたのよ?」
「もうっ、自分のことやろ?」
「いいから!」
強めの口調でそう言えば、四葉は渋々口を開く。
「最近は変な時もあるけど、昨日のお姉ちゃんも、元気で楽しそうだったよって」
「で?」
「で?って……もう面倒くさいなぁ。それ聞いて、お姉ちゃん、嬉しそうに笑っとった。『そっか、良かったなぁ』って他人事みたいに。なんなの?」
「そっか、そうなんだ……」
「三葉、そろそろ急ぎない」
座卓に湯飲みを置くと、お祖母ちゃんの一言。時計を見れば、もうこんな時間!?
慌てて朝ごはんを食べ始める。いつもと同じ光景なのに、今朝はとっても美味しく感じられて。こんなに気分が軽やかなのは、なんでなんだろう?

 

「おっはよー、サヤちん、テッシー」
「おはよう、三葉」
「おう!」
自転車を引っ張って歩くテッシーと、その横を並んで歩くサヤちんを見つけると、私は駆け足で二人に追いついた。
「今日は『狐』は憑いとらんようやな」
私の顔を見ると、ハハハッとテッシーが笑う。
「でもさ、昨日みたいに練習して髪型同じになったら、すぐにはわからんようになるかもしれんね」
「え?何のこと?」
サヤちんの言葉がよくわからなくて、私は横に並ぶ彼女の方へ顔を向けた。
「相変わらず、狐の記憶は三葉にはないんやなぁ」
そのまた向こう側、自転車を引く音と一緒にテッシーの可笑しそうな言葉が聞こえてくる。
「狐もやろ?最近、何かにつけて『昨日の私ってどうだった?』って聞いてくるもんね」
「え、サヤちんにも……?」
「狐はお前なのにな。自分のことはよくわからんらしい」
テッシーとサヤちんは笑い出した。
そりゃ中身はお互い入れ替わってる別人だし覚えてなくて当然でしょ……とは言えず、私もその場は笑って誤魔化す。

「で、あのさ、サヤちん……」
笑いも収まると、さっきの会話まで誤魔化されないように、私はもう一度話を戻す。
「ん?なに、三葉?」
「さっき言っとったやろ?練習して髪型が同じとかどうとか」
「あー、そのことね。えっと昨日の帰り際、三葉が私のところにやってきて……」
口許に指を当てながら、サヤちんは昨日の出来事を思い返してくれた。


***

「あ、あのさ……」
「なに?三葉」
「普段の私ってどんな髪型してるんだっけ?」
「あんた、またおかしなこと言い出したね」
「あー……スマン」
そう言うと、三葉は人差し指で頬を掻いた。
「自分じゃ……よくわからなくてさ、教えてくれると助かるんだけど」
「私も大体のことしかわからんよ。全く同じは無理かもしれん」
「いや、大体でもいい。頼む!」
両手を合わせて頼み込む三葉に、サヤちんは、ここ座りない、と自分の椅子を空けた。

一つに束ねた長い黒髪。結ってあったゴム紐を解くと、艶やかなそれが大きく広がる。
「やっぱり三葉の髪は綺麗やね」
「だよなっ♪やっぱそう思うよな」
「何故に他人事?」
「あー……聞き流してくれると助かる」
「変な三葉」

サヤちんは、三葉の黒髪を左右に三つ編みにする。その二つの三つ編みを一つにまとめてピンで留めて。
「こうやって三つ編みをまとめてるんよ。普段は最後に組紐で結んどるけど今日はないみたいやから、全く同じとは言いきれんけど」
「いや、ありがとな、俺……いや、私ちょっと鏡見てくる!」
そう言って椅子から立ちあがった三葉に、サヤちんは何気なしに質問を投げかける。
「なんでその髪型にしてみたかったの?」
駆け出す寸前の三葉は、サヤちんの言葉に振り返ると、口元に手を当てて本気で悩み始めた。
「……なんでだろな?」
「はあ?」
「いや、でもなんつーか、同じ格好すれば、もう少しわかるようになるかなって」
「意味がわからん……」
「私だってよくわかんないんだよっ!」
最後は何故か顔を赤くして、三葉は教室を飛び出していった……


***


瀧くんとの入れ替わりが始まって、もうすぐ1カ月が経とうとしている。
彼は大都会・東京に住む、おない年の高校生の男の子。
入れ替わりは不定期。週に2、3度、不意にやってくる。トリガーは眠ること。未だに原因は不明。解決策もなし。
現状取りうる対策は対処療法のみ。相手に入れ替わっている間、如何に!何事もなく!健やかに過ごせるか!
……のはずだったんだけど。

「……あの男は」
休み時間、窓辺の席で外を眺めながら、小声でポツリと呟く。
半ば口癖のようになってしまったこの呟き。それでも最初の頃に比べたら、少しだけ親愛が込められてる気がして、自分でも訳がわからず首を傾げた。

なんだかよくわからないけど、最近の瀧くんは、私のことを色々調べようとしているらしい。
本来の私である宮水三葉としての前日の行動を探る。よく考えてみれば今朝の日記だって人の持ってる服を調べてる訳だよね。いや……それどころか下着まで調べて!
「どうしたん?三葉、難しい顔して」
いつの間にか教室に戻ってきたサヤちんが席の前に立っていた。
「眉間にシワ寄っとるで」
「えぇ!?」
ひとさし指で自身の眉間を指さすサヤちんを見て、シワを引き伸ばすように、指でスリスリする。
サヤちんは、いつものように落ち着いた表情で自分の席から椅子を引き出すと、また何かあったん?と隣に座った。
「いや、別にそういう訳やないけど……」
「まあ、最近の三葉、色々変やけど、あの話題もあんまりせんし、そんなにストレス溜まっとらんのやない?」
「……あの話題って?」
「東京の話やさ」
「東京ぉ!?」
思わず大きな声が出てしまって、教室に残っていた生徒がこちらに視線を向けた。
「な、なんやさ、そんな大声出すことなん?」
「いやぁ……その、なんというか」
ゴメンッ、サヤちん!と心の中で手を合わせる。
入れ替わりから目覚めれば記憶は不鮮明になっていくけど、それでも私だけ東京を満喫してるとはとても言えない。

「あー!アンタまさか……」
何かに感づいたのか、サヤちんが身を乗り出してくる。
「え?あ、いや、そんな……私、東京なんて……」
「三葉、もしかして東京へ行く予定でもあるとか?」
「ないない!あったとしても、その時はサヤちんも一緒やさ!」
思い切り手を振って否定する。そうやよねーとサヤちんは再び椅子に腰かける。
そうして机に頬杖をつきながら、顔だけこちらに向けて、なぁ?と尋ねてきた。
「三葉、本当に東京行きたいん?」
「……なんで?」
「んー……何となく?最近の三葉、東京に興味なくしたのかと思った」

その言葉に少しだけ、胸の奥でギクッという音が鳴ったような気がした。
「興味は……あるよ」
「ふぅん……」
何とも言えない相槌は、興味はあるけど、何か引っかかることがあるんでしょ?と言わんばかりで。だから、伏し目がちに言葉を続けた。
「私なんかが東京に行っても大丈夫なのかなって……」
言いながら、思い出すのは、高層ビル群、人の群れ、次々と流れていく車、電車、まるで人が生み出したもの全てがそこに揃っているかのような世界。
そして、その世界に当たり前のように受け入れ、生活していく人達。
こんな真逆の世界の住人が、東京へ行くことは許されるんだろうか?
ううん、違う。心配しているのは、私みたいな田舎もんが、東京の……誰かに会って、もし……

「ゴメン……私、ちょっとトイレ」
それ以上は考えたくなくて、会話を遮るように私は席を立つ。
教室の扉を開けると、丁度、出入口で松本君達いつもの三人組と鉢合わせ。
お互い気まずくて、視線を逸らしたけど、私がどうぞ、と譲ると、何だか勝ち誇ったような顔をして教室へと入ってくる。
ため息を一つ吐いて、廊下へ一歩踏み出そうとした時、背中越しに「宮水がっ」と小馬鹿にしたような声が聞こえた。
私は振り返って、「宮水だけど?」と、真っ直ぐに相手を見据えて、ただ淡々と応える。
松本君は、気まずそうに、なんでもねえよ、とか言いながら、三人はそれぞれの席へと散らばっていった。

早足で廊下を進んでいく。
あんなことを言ってしまった自分自身に内心ドキドキしている。
でも、口許は笑っていて。
瀧くんだったら、あんなんじゃ済まなかったかも。
会ったことはないけれど、瀧くんならきっとこんな風にするんじゃないかって、そう思ったら行動してた。

夢で入れ替わる私の運命共同体
私は君で。
君は私で。
文句はいっぱいあるけれど、それでも最近、君のことを知りたいと思ってる自分がいる。
東京に居るってことだけじゃなくて、どんな人なのか、どんなこと考えているのか……そんなことが知りたくて。

私の瀧くんのイメージは……(←要修正)
女心がわかってない。
ぶっきらぼうで、ケンカっぱやい。
曲がったことは好きじゃなくて。
……結構、優しいところがある。

――昨日の私ってどうだった?

ふと、私になってた昨日の瀧くんの言葉を思い出す。

ねえ、君も私のこと、少しは興味持ってくれてるのかな……?
君も同じように、私のこと知りたいって思ってくれてるのかな……?

「う、自惚れんといてよね!」
誰に言ってるのかわからない台詞を呟いて、私は廊下を進む。頬に触れると何だか火照ったみたいに熱かった。


*   *   *


「ただいまー」
「あ、お姉ちゃん、おかえりー」
奥の居間から四葉の声が聞こえてきた。
「なんか、お姉ちゃん宛ての郵便、届いてたよ」
ひょこっと顔だけ出して←追記
「え?どこ!?」
「階段のとこ」
四葉が指さした階段の一番下の段に、小さい宅配便の箱。きっと"あれ"が届いたんだ!
さっと手に取ると私は階段を駆け上がっていく。
襖を開けて、部屋に入ると通学鞄を定位置において、机に座り、すぐさま箱を開ける。
開けた箱の中から出てきたのは、ピンクのリップグロス
瀧くんに入れ替わってた時、周りの同級生の女の子たちがリップグロスの話をしてるのを聞いて、自分でもネットで調べてみた。
流石に同じものは見つからなかったけど、同じような商品を見つけて、周りの人に見つからないようにネット購入してみた。

箱から取り出す。巫女として舞を披露する時、薄く化粧したりするけど、流石にピンク色のグロスをつける訳にはいかなくて。
椅子から立ちあがると、姿見の前でこんな感じいいのかな?とキャップを外して早速グロスをつけてみる。
ピンク色に染まり、ぷるぷるとした自分の唇に、何だか少しだけ都会人っぽくなったような気がする。
「えへへ♪」
立ちあがって姿見で全身を見ると、制服姿はやっぱり野暮ったくて、手持ちの洋服に手を伸ばす。
「……地味目で悪かったわね」
それでも掛かっていた青いワンピースを取り出すと、制服を脱ぎ、それに着替えた。
手を広げて、くるりと回るとスカートの裾がフワッと舞い上がる。
「うーん……」
もう少し変われないだろうか?
試しに組紐を解いて、三つ編みを解くと、毛先にウェーブがかかったみたいにふわふわに。
うん♪何だか都会の子にも負けてないかも?お洒落な感じに見えるかも?

鼻歌まじりに階段を下りる。
居間でテレビを見ながらくつろいでいた四葉に、どう?と聞いてみれば、ぽかーんと口を開いたまま固まってしまった。
「え?どうしたの!?その恰好」
「ちょっとお洒落してみたんやけど、どうかな?」
「えぇぇ……お姉ちゃん、今日もおかしくなっちゃったの!?」
失敬な!お洒落する私のどこがおかしいっていうのよ!

座卓に置かれたお菓子と緑茶。自分も頂こうと膝をつく前にふと思いつく。
そう言えば、瀧くん、カフェだといつもブラックコーヒー飲んでるって言ってた。
パタパタと小走りで台所に向かうと、棚の中を探る。
「えーっと、確かこの辺りに……あった!」
インスタントだけど頂き物のドリップコーヒー。ウチじゃ皆、お茶ばっかりだから貰っても全然手を付けてなかったもの。
マグカップにドリップコーヒーをセットして、ポットのお湯を少しずつ注いでいく。
台所に、コーヒーの匂いが漂う。
マグカップいっぱいに注いだブラックコーヒーを手に取って、香りを嗅げば、何だか気分は「違いがわかる感じやなぁ」と満足感で満たされて。

居間へ戻ると、また何を始めたのかと胡散臭そうに四葉がこちらを見つめている。
「なにそれ?」
四葉も飲む?」
座卓に置いたマグカップ。漂う香りで分かったのか四葉が目を丸くする。
「え?コーヒー?お姉ちゃん、前飲んだ時、こんな苦いの誰が飲むんよ!って言ってなかったっけ?」
「これも東京に慣れるための練習なんやさ」
「え!?コーヒー飲めないと東京って行けないの?」
「そうやよ、東京の人はみんなお洒落なんやからね!」
どう言って、マグカップに口をつける。口の中に広がる味わいは……
「……にが」
思わず呟いて、揺れる濃褐色の水面を見つめる。瀧くんになってる時はそんなに気にならなかったのに、やはり東京の人は何か違うんだろうか??

お前は、お子ちゃまだよなぁ

そんな風に瀧くんに笑われた気がして、ちょっとムッとしてもう一口、二口飲んでみたけど、やっぱり降参。諦めて砂糖とミルクを入れるため私は立ち上がった。

「三葉」
「え?」
振り向くとお祖母ちゃんが廊下から居間へゆっくり入ってきた。
と、立ち止まり、私の恰好をひとしきり見て、一瞬怪訝そうな顔をすると、眼鏡のツルを持ち上げる。
「明後日、予定どおり御奉納の儀を執り行うでな、早めに準備しときない」
その言葉に、私はハッと目が覚めたような気がした。手に持ったマグカップを見つめるように俯きながら、小さな声で、「……はい、お祖母ちゃん」と応えていた。


***


夕方、薄紅色に染まりかけた空の下、一段一段、神社の階段を昇っていく。
辺りに聞こえてくるのは、いつの間にか秋の虫の音色が辺りいっぱいに響いている。ほんのちょっと前、瀧くんと入れ替わる前は蝉の大合唱だったというのに。
「秋……やなぁ」
途中、階段を立ち止まって振り返れば、湖面がキラキラと夕焼けに照らされて、茜色の水鏡のように輝いていた。
当たり前の風景、代わり映えのない風景。私がいつまでも見続けなきゃいけない風景……
サアァ……と山から下りてきた風が下した髪を揺らす。耳元の髪を抑えながら、私はぎこちなく笑うと、また一段、階段に足を掛けた。

明後日は御奉納の儀。
宮水神社に伝わる大事な習わし。毎年、豊穣祭で作った口噛み酒を宮水神社の御神体にお供えする儀式だ。
拝殿へと踏み入れると夕暮れ時なせいか、中は真っ暗だったけど、勝手知ったる我が神社という感じで明かりを灯す。
神前の前に立ち、背すじを伸ばして、二礼、二拍手。日頃の感謝を述べて、目を開ける。
体が覚えているいつもの所作。私にとっては当たり前、普通のこと。
でも……
「普通ってなんだろうね?」
誰も居ない、静まり返った拝殿で私はポツリ呟く。勿論答えなんて返ってこなくて、室内に漂う空気だけがやけに重たく感じた。

無言のまま、拝殿の奥へと進む。今日は明後日の御奉納の儀の準備。奥に置かれた三方の前に座ると、用意した瓶子を二つ隣に置く。
御奉納は、この前の豊穣祭で作った『口噛み酒』を宮水神社の御神体に運ぶ儀式。
宮水神社の御神体は、この境内にはなく、奥の山の山頂にあるため、毎年宮水の人間がそこまで運ばなくてはならないのだ。

「口噛み酒……」
桝に入った自身の口噛み酒を手に取る。蓋代わりに紙をかぶせて、赤い組紐で封印されている。毎年やらされている宮水の巫女としての務め。
思わず手が震えて、慌てて三方へと戻した。
「やだ……な……」
声が震えて目許を抑える。

――うえっ、私、絶対無理

――よく人前でやりよるよな

――信じられんわ

いつか言われた心ない言葉が蘇る。
「気持ち悪いって……思われちゃうかな……」

普通じゃないってことはわかっている。口に入れたお米を噛んで吐き出してお酒をつくる。
あまつさえ、それを人前で行う。
やりたくてやってるわけじゃないのに。
だけど、やりたくなくても、それをしなくてはいけないと思っている自分がいる。
口では散々文句を言いながら、結局は仕方ないことだ、と半ば諦めていたのに……

いつからだろうか、この町の人たちの私を見る目が普通と違うということに気がついたのは。

『宮水』の上のお嬢さん
『宮水神社』の跡継ぎ
『町長』の娘

私は、ただの普通の女子高生の『三葉』なのに。周りはそれを決して許してはくれない。
この町にいる以上、私は、『宮水』三葉として生きなくてはならない。

「瀧くんは、(←修正)

私は『特別』でもなんでもないのに。
彼だけは、瀧くんにだけは、そんな風に私を見て欲しくない。
会ったことはないけれど、ただの三葉としていつものように、今までどおりに、これからも。

私のことを君に知ってほしくて。

だけど……

私のことを知るほどに、君は私のことをどう思うんだろうね?

「瀧……くん」

なぜか胸の奥が痛くて、誰も来ない拝殿で私は声を殺して泣いた。