君の名は。SS スパークルMVif 夏恋④

サイド三葉 開演……

 

「なあなあ、東京行ったら何してみたい?」
「うーんそうやねぇ…やっぱり某有名テーマパークとか行ってみたいな」
「うん、いいねぇ、いいねぇ♪」
「三葉は何してみたいん?」
「私は……やっぱりカフェやさ♪お洒落なお店で、パンケーキとか食べてみたいなぁ」
高二の夏休み直前、並んで歩く帰り道。これは周期的に訪れる都会への憧れ。テレビに映る東京の風景、流行りもの、お洒落なアレコレ。全てが輝やいて見えて、羨ましくなる。
それに比べてこの糸守は……
本当に同じ日本なのかと思う。もしかしたら、あのテレビに映っている光景は未来の世界で、私たちはこの狭い町に取り残される旧人類とか……んな訳ないか。

「カフェに行くなら彼氏とデートでしょうかね?三葉さん」
「あー、やっぱりデートがいいですねぇ、早耶香さん」
互いに可笑しくなって笑い合う。
「でもさー、三葉。東京の男の人と私ら付き合ったりできるんかな」
私ら、田舎もんやろ?とサヤちんは苦笑する。
「ま、まあ、東京の人、全員が東京出身ってことないだろうし。私達も暫く住んでれば、それなりになれるんやない?」
「うーん……なれるんかなぁ。まぁ、三葉は元が美人さんやからええかもしれんけど、私なんてまあ……地味やし?」
サヤちんの反応に、一つ思いついて、からかってみる。
「サヤちんは、東京の人より、糸守の男子の方が好きやもんな」
「い、いや、私は別にテッシーのことなんて!」
「誰もテッシーのことだ、なんて言ってません~」
「あ、こら!三葉ぁ!」
「ゴメンゴメン……でもさ、サヤちんはいいじゃない。糸守でも、もし東京に行くんだとしても……」
ふと立ち止まり、糸守湖を眺める。傾きだした陽が反射して輝く湖面。日々の風景。これからもずっと何にも変わらない。
「三葉……」
「私は……東京に行くんだ。ここには居たくない。それで今までできなかったこといっぱいするんやさ!」
不確かだけど、私だって未来に希望は持ちたい。
「恋して、彼氏作って!楽しいこといっぱいする!サヤちんもね、」
「え?」
「人を好きになるのに、権利とかいらないんだから、積極的にアピールせんと!」
「ア、アピールって……」
「もうすぐ夏休みやよ。テッシーも暇してると思うで?」
何処かに誘ってみたら?と言うと、
「だ、だから、テッシーのことは違うって言ってるやろー!」
顔を真っ赤にして否定するサヤちんが可愛い。

いいな、誰かを好きになるって。
私もいつか、そんな人に出逢えるといいな……

ある初夏の昼下がり。
不意に、そんな四年前の出来事を、私は思い出していた。


夏恋④ 好きになる権利。


二〇一六年十月某日……

アルバイトが終わり、東京の雑踏の中を歩く。先程まで秋空を朱に染めていた陽も沈み、街の灯りが辺りを照らし出す。
あの頃とは違って、この街はいつだって光に溢れていて、そんな憧れの東京に居るはずなのに、私の心の内はあの頃と同じように、何かを求めている。
それが何なんのかはわからない。ただ、そういう気持ちに取り憑かれたのは、たぶんあの日から……

――言おうと思ったんだ、お前が世界中のどこにいても、俺が必ず、もう一度逢いに行くって

「え……?」
新宿駅近くのスクランブル交差点、行き交う人の波の中、不意に誰かに呼ばれた気がして、私は一人振り返る。
そんな人は誰もいない。点滅を始めた信号に、慌てて歩道まで走り切った。
「ふぅ……」
ホッとしながら横断歩道を振り返る。青信号で動き始めた車を眺めていると、もう一度声が聴こえた。

――君の名前はッ!!

心に響く悲痛な叫び。何かが胸の奥底まで響き渡って、私は無意識に髪に結ばれている組紐に触れた。指先から伝わってくる暖かな想い。
「……たき……くん?」
ツゥ……と涙がひとすじ頬を撫でる。
「あぁ……瀧くん……瀧くんだ……」
ずっと忘れていたその名前。
何故かわからない。不意に思い出した。
同時に溢れ出す記憶。

入れ替わってたこと
初めて恋したこと
傷ついたこと
一度……死んだこと
それでも瀧くんは危険を顧みず、私を助けに来てくれて、そして……

今、私はここに居る。
失くしていた記憶。ずっと誰かを、何かを探しているような気がして、東京の大学に進学した。私自身、何を失くしたのかわからず、まるで欠けてしまったかのような自身の"何か"を探して、日々彷徨っていた。
それが今、急に……

「瀧くん……瀧くん……!」
もう二度と忘れないようにと、彼の名を繰り返す。
もう、ぜったいに忘れない。
そして逢いにいくんだ、彼に。
彼からもらったあったかい言葉の返事、まだしてないから。
右手をギュッと握りしめる。涙を拭うと、駆け出したくなる気持ちを抑えながら家路についた。

 

その夜、夢を見た。
それは瀧くんの夢。
瀧くんは私と入れ替わることなく、司くんや高木くんと、カフェ巡りしたり、バカなことをしながら高校時代を過ごす。
奥寺先輩に憧れていたけど、先輩後輩のいい関係止まりで、瀧くんも告白しないまま、大学に進んだ。
漠然としていた建築への夢も、大学に進むとより現実的に。サークルで出会った女の子から告白されて、初めて彼女ができた。
数年間付き合って、別れちゃうけど、第一希望の建設会社への就職後、司くんの結婚式で知り合った女性と結婚。
その後、子供にも恵まれて、笑顔の絶えない充実した日々を過ごしていく……


目が覚める。
朝、起きると泣いている。いつもは覚えてない夢に涙する。
でも今日は、その内容をとてもよく覚えていて、私は両手で顔を覆う。

「私……私は、瀧くんの人生を……」

入れ替わり。これは宮水の血に因るもの。
宮水の力が勝手に瀧くんを巻き込んで、瀧くんの人生を狂わせた。
私と瀧くんは、本来であれば決して出逢うことはないはずだった。
それなのに私を、そして糸守を救うため、宮水の血は瀧くんを巻き込んだ。
瀧くんが得られたはずのしあわせを私は……

「……あなたを好きになる権利……私にはない……ね」

彼からもらった初恋に感謝して、私は、瀧くんに逢うことを諦めた。
私は、自分が生きるために身勝手にも大切な人の人生を狂わせた。
今更償うことはできないけど、瀧くんは素敵な人だから、きっと誰かが彼を幸せにしてくれる。
ただ、それだけを願って、私は日々の生活に戻っていった。

 

季節は駆け巡り、二〇一七年・初夏……

夢を見る。
それは瀧くんの夢。
彼は誰かを探し続けている。
あの悪戯っぽい表情や、怒りっぽい性格、それでも真剣な時にはキリッとする目許にも、どこか影を帯びていて……
そして、気が付くと自分の手のひらを見つめている。

やめて!もう私のことは忘れてよ!
私はあなたに相応しくないんだよ!
あなたは気づいてないけど、私はあなたの人生を……
あなたに『すきだ』なんて言ってもらえる資格なんて……

目が覚める。
夢を覚えていて、泣いている。
わかってる。君のこと、私はまだ……
でも、諦めなくちゃいけない。
あれは夢だったんだ。幻だったんだ。だから忘れよう。忘れなくちゃいけないんだ!

乗り慣れた電車で大学に向かう。車窓から眺める風景。
いつからだろう、この街並みに何も感じなくなったのは。
あれだけ憧れた東京。誰かに……ううん、瀧くんに出逢うために来た東京。
高校生の頃は、あんなにも行きたいと思っていたはずなのに、今はここに居ることに息苦しさすら感じてる。
キラキラしている街だと思っていたのに、こんなに街の色はなかったっけ……

「良かったら、二人で一緒に海に行きませんか?」
「え?」
ある日、大学の同級生に誘われた。ずっと前から私のこと気になっていたけど、最近ますます元気がない私の様子を心配してくれていたらしい。
照れ屋みたいで、顔を赤くしている。でも誠実さは十分に伝わってきた。
「え、えーと……」
「い、いや、無理にとは言わないんですが……。か、彼氏とかいなかったら、どうでしょうか?と」
しどろもどろだ。その様子に少し可笑しくなって笑みが零れる。
「彼氏はいません……」
「よ、良かったぁ。で、どうですか?」
夏休み前に、デートのお誘いということなんだろう。一生懸命な様子が伝わってくる。
瀧くんのことはもう忘れるんだから……そう思い、申し出に応じようとして、

――みつは

あの人の笑顔が脳裏に浮かんだ。

「す、少し時間もらっていいですか?」
「あ、はい!もちろん」
「それじゃ、ちょっと行くところがあるので。これで」
そう言うと足早にその場を去る。
早足で歩いて、キャンパスを出る。

私は何をしてるんだろう……
忘れようとしても結局忘れられなくて。
瀧くんのこと好きになる権利なんてないのに!!
忘れるんだ、忘れなくちゃいけないんだ……
あのまま瀧くんのこと、忘れていれば良かったのに、どうして私は思い出してしまったの。
忘れたい、もう私は瀧くんのことなんて……

気が付くと見慣れた神社の階段の上にいた。
空を見上げる。初夏の青いキャンバスを、入道雲がその鮮やかな青を覆っていく。
私の心も真っ白に、塗りつぶしてくれればいいのに……
そんな風に思いながら、階段を一段降りる。

瞬間、心が跳ね上がる。

制服姿のその人は、ズボンのポケットに手を入れ、階段を上ってくる。

私は、高鳴る心臓を必死で抑えながら、階段を下りていく。

刹那、すれ違い、そしてそのまま……

意地悪だね、ムスビの神様
せっかく忘れようとしてるのに……
彼とは逢わないって決めてたのに……

それでも、これがきっと最後のチャンス。このまますれ違っていけば、きっと、もう交わらない……


「あ、あのっ!」
中越しに声がかかる。
「俺、きみをどこかで!」

君の声。心が震える。
私に……気が付いてくれた……
ありがとう……それだけで十分。
瀧くんは、私がいなくてもきっとしあわせになれるよ……

「す、すみません……」
それ以上は言葉が詰まって何も言えなかった。
私は振り返ることなく、階段を下りていく。

いいんだ、これで……

四ツ谷駅を目指す。道往く人が振り返る。いつの間にか私は泣いていた。

ありがとう。
私を助けてくれて。
たくさんの想い出をくれて。
そして、私がどこに居てもいつも見つけてくれて。

だけど、あなたを好きになる権利、私にはないから。

指で涙を拭う。これ以上泣かないように、涙を押しとどめるように視線を上げた。
見上げた青い空、まっすぐ横切るひこうき雲
私の想いにもようやく、さよならが言える時が来たのかもしれない。

ねえ、あなたのこと忘れないよ。
あなたへの想いを大切にしながら、これから前に進んでいくね……
明日になったら、海へ行くお誘いを受けよう。
きっとあの人もいい人だ。新しい想い出を作って、私の心を塗り替えていこう。


「あのっ!!」
ハッキリした声がもう一度。
私は振り返ってしまう。振り返ってしまったら、彼の顔を見たら、絶対ダメだってわかっているのに。

彼は、肩を揺らして、息が上がっていた。
……追いかけてきてくれた。

「神宮高校三年!立花瀧って言います!!」

人が行き交う四ツ谷駅前、大きな声で自分の名前を告げる。

知ってるよ、その名前……
ずっと逢いたかった、君に。

「あ、あの、変な話ですけど、一目惚れみたいな、その……俺、あなたのことずっと探していて!」

きっと自分でも変なことを言っていることはわかっていて、不審がられることも承知で、それでも君は……

「一度……お話…させてもらえませんか?」

必死に、一生懸命で、不器用だけど、君はいつだって真っ直ぐで。
その想い、その言葉ひとつひとつが、私の欠けた心を埋めていく。

「私で……いいんです……か?」

私は、君を巻き込んだんだよ?

「きっと、あなたじゃなきゃダメなんだと……思います」

私がいなくても、君はきっとしあわせになれるんだよ?

「あなたに逢えなかったら、俺、きっと『しあわせ』になれない、そんな気がするんです」

彼の言葉が素直に嬉しくて。
『人を好きになるのに権利なんていらない』
ふと、自分で言った言葉を思い出す。

彼の人生を狂わせたのかもしれない。
でも、もう出逢ってしまった。
わかりきってたはずなのに、今更ながら自分の気持ちに気づく。

私……やっぱり君を諦めることなんてできない。
だから……

久しぶりに自然と零れた笑顔とともに、私は一歩踏み出した。
「もう一度……教えてくれますか?」
「え……?」
「君の、名前は、」

つづく