君の名は。SS 夢のつづき

ドアを開け、無言で部屋に入る。
私は無言で靴を脱ぎ揃え、1DKの部屋へ向かう。部屋の電気を点けて、カバンを置いて、そのまま無言で小さなキッチンに向かい、冷蔵庫を開けて買い置きしてあった食材を確認する。
東京に来たばかりの頃は、二品、三品と食事を作っていたけど、今はご飯とちょっとしたおかずだけ。カチャカチャと食器を運んで、テーブルに乗せると、無言で手を合わせて食べ始める。
リモコンに手を伸ばしてTVを付ければ、今、人気のお笑い芸人が出ていて、そのやり取りに、ふふっとつい笑ってしまう。ひとしきり食べて、ごちそうさま、と小さな声で手を合わせ、また食器を運ぶと、早速食器を洗い始める。シャアァーー……と冷たい水が手に触れて、リビングからはさっきまで見ていたバラエティ番組の音声だけが耳に届く。

別になんてことはない、私の日々の生活。

家に一人で居る時は『喜怒哀楽』、そういう感情が大きく揺れ動くことは少ない。たまに泊まりに来る親友がそんな私を見かねて、誰かいい人おらんの?なんて言ってくるけど、私は別に何とも思っていない。寂しいとか、悲しいとか、そういうのは無くて。こうして暮す毎日は、私にとって、いつからか当たり前になっていた。

洗い終わった食器類を拭いて棚へ戻すと、私はふぅと息を吐いてベッドに腰かける。何気なくチャンネルを変えれば、今クール話題のドラマが映って、最近よく聴く流行りの曲が流れていた。
「あ、あの曲、ドラマの主題歌だったんだ……」
私は、あまり流行に興味がないようだ。つい自嘲気味に笑ってしまうと、曲の途中だったけどテレビを消した。

私は、この大都会・東京で、毎日を必死に過ごしている。いつも満員の通勤電車、互いに関心がないように早足で行き交い、時にスマフォを片手に情報収集。朝、出社して、夜、帰宅。まるでこの東京という街を動かす歯車、いや、この街を構成する部品の一つのように、私はこの街で生きている。
それでも、仕事はやりがいがある。楽しいし、段々後輩から頼られて、先輩からは信頼されて。社会人なんだから、こういう生活は当たり前であって、別に私だけが大変な訳じゃない。そう、私は、憧れていた"東京"で暮しているのだから。だから気がつけば、随分とこの暮らしに慣れていた。ただそれだけなのだ。

一息吐くと、髪を結ぶ組紐を解く。右手に取って暫く眺め、それをギュッと掴むと、握り締めた手を唇にそっと当てた。寂しいとか、悲しいとか、そういうんじゃなくて、ただ、

――もうすこしだけでいいから

瞳を閉じて、そう強く想う。それは願いにも似た、でも私自身がそう願ってるのではなくて、からだぜんぶから響いてくる想い。
それは、言葉にすればやっぱり寂しさと言えるのかもしれない。悲しみと言えるのかもしれない。
だけど、私はいつか決めた。自分自身と、探している何かに誓った。

――生きる、と。

強く生きる。決して負けない、生き抜くって。
二十代の私に"生き方"なんて偉そうなことは語れないけど、それでも日々の生活を、今まで歩んできた僅かばかりの人生を、決して後悔していないのなら、きっとそれは前に進んでいるってことで。だから、上手く言えないけど、こうして同じような毎日を過ごすことは、日々の繰り返しじゃなくて、きっと日々の積み重ねで、それは確かに私の中に少しずつムスビついてるってことなんじゃないかなって、そんな風に思う……

だけど……ね、

私は目を開けて、開いた手のひらに乗る組紐を見つめた。ずっと握り締めていて少しだけ熱を帯びたその組紐に私は願う。今度は、今の私の明確な願い。
やっぱり、よくわかんないけど、不意に泣きたくなって。だから、こんな日は、"夢を見たい"って願う。
夢を見て、朝、目が覚めると泣いている、そういうことが私には時々あって、だから、きっと泣いてしまうのに、それでも夢を見たいって強く強く願う。

夢を見て泣くってことは、きっと、探して続けてるってことだから。
探すことを"忘れてない"ってことだから。

いつもなら棚に仕舞う組紐をそっと枕元に置くと、お風呂の準備の為にベッドから立ち上がる。
今日という日はあと数時間で終わり、明日という日がまた始まる。きっと明日の私は、今日の私よりちょっとだけ成長していて、そして次の日の私もちょっとだけ成長して。
そうやって、しっかりと前を向いて、背すじを伸ばして、真っ直ぐにもがくんだ。

いつか、夢のつづきに出逢える、その日まで……