君の名は。SS スパークルMVif 夏恋②


「瀧ー、久しぶりにカフェでも行かね?」
ざわつく教室の中、そそくさと下校の準備をしていると、司と高木から誘いの声がかかった。
が、今日は三葉さんと一緒に勉強する約束をしている訳で。
「あ、悪ぃ。俺、これから予定があるからパス」
出来る限りそれを悟らせないように、自然な態度で答える。そんなつれない俺の返答に、司は眼鏡をクイッと上げると表情を変えずに一言。
「昨日、一緒に歩いてた女性とデートか?」
「何ぃ!?瀧、お前、いつの間にっ!?」
淡々とした司の発言に高木が勢いよく喰いついてきた。

「なッ!?昨日は三葉さんとは会ってな……あ」
「ほほぅ、それが彼女の名前か」
司の眼鏡がキラリと光り、不敵な笑みを浮かべている。
「てめ、司、謀りやがったな」
「お前が単純なだけだ」
確かになぁ!と高木も同調して豪快に笑い出す。司のやつも下を向いて抑え気味に笑っている。
「まあ、ここ最近のお前の表情を見れば、何かあったんだろうってことぐらいすぐわかる」
「え?そうなのか?」
「ニヤけすぎだな」
「うるせえよ」
とは言え、自分でもここ最近浮かれていたことについて否定できない。そういや、親父も何かモノ言いたげな顔してたな。……俺、そんなに顔に出てるのか?
気になって頬が緩んでやいないかと手で触れてみた。
「ニヤけてる自覚はあるみたいだな」
「ねえよ」
「でもまあ、」
不意に司は真顔になると、良かったな、と俺の胸を小突いた。
「お前、去年から元気ない時が多かったからさ」
そうだな、と高木も頷いて俺の肩をぽんぽんと叩く。

いつの頃からか、何かを、誰かを探して、俺は心が彷徨っていた。
自身を満たしくれる"何か"を探し続け、それだけしか見えなくなって、気が付かない内に周りが見えなくなっていたのかもしれない。
心配しながらも、いつもと変りなく接してくれてた悪友の存在に今更ながら感謝しつつ、だけど、やっぱり照れくさくて、ありがとな、と短く呟くのが精一杯だった。

「ま、一応は忠告しておくが、彼女とデートばかりしてると受験失敗するからな」
司がいきなり現実に連れ戻しにかかったが、これについては問題ない。
「まあ、向こうは大学生だからな。浪人とかぜってーしたくねえ」
「彼女、年上なのかよっ!?」
「お前、本当に年上に弱いな……」
「別に年上だから声かけたって訳じゃねえよ。あと……なんていうか、ここまで来て言いにくいんだけどさ」

俺とて別に好き好んで現状に甘んじている訳ではないのだが……

「まだ、"彼女"って訳じゃねえんだよな。親しくさせてもらってるというか、なんというか」
「は?付き合ってねえの?」
「付き合ってもないのに、お前、そんなに浮かれてたわけ?」
二人は一度顔を見合わせた後、俺を憐れむような視線でしばし無言。
「何か……言えよ」
「ヘタレだな」
ハァとため息交じりで司が呟く。
「まだ出逢って十日かそこらだぞ!」
「ヘタレだなぁ、瀧」
ヤレヤレと首を振りながら高木が呟く。
「お前らなぁーーー!!!」
俺の叫びが教室に響き渡った。

 

二人の相手にしているうちに時間を食ってしまった。足早に校門をくぐると、スマフォのメッセージアプリを立ち上げる。今日は新宿で三葉さんと待ち合わせ。歩きながら手早くメッセージを打ち込む。

『今、学校を出ました。もう少しで行けると思います』

あれから二人に、三葉さんのことで喰いつかれた。
「一応確認するけど、瀧は相手の人のこと、好きなんだよな?」
「ま、まあな」
改めて他人から好きかどうかを聞かれると何とも照れくさい。
"好き"という感情以前に探していたのは"この人"だって思ったし、この人と出逢わなくちゃいけないと強く思った。
それでも言葉にするとすれば、やっぱり俺は三葉さんのことが"好き"なんだと思う。
「どんな感じの女性(ひと)なんだよ?」
「年上なんだけど、笑った感じは可愛らしいというか、でも黙っていると清楚な美人というか」
「どうせ黒髪ロングなんだろ?」
「おい高木、黒髪ロングだったら、俺が無条件で好きになると思ってないか?」
「違うのか?」
「黒髪だけど、ロングではない」
「……意外だな。そこは瀧らしくない」
「だーかーらー!司、俺は黒髪ロングってだけで決めてる訳じゃねえんだよ!」
二人とも心底楽しそうにヘラヘラ笑ってやがる。このまま完全に俺のことをイジり倒すつもりだろ?

丁度その時、三葉さんからのメッセージが入って、その場を逃れることができた。
帰り際に、今度紹介しろよ!とか、馴れ初め聞かせろ!とか言われたけど、何度も言うように(まったくもって不本意だが)まだ正式に付き合ってねえんだよ!
司なら『お前、言うべき時に言わないといつまで経っても彼女できないぞ』とか呆れたように言いそうだけど、仕方ねえだろ、あんな出逢い。
十日やそこらじゃ、まだ心の整理ができねえんだよ。

手に持ったスマフォの着信音が鳴る。三葉さんからの返信。

『今、新宿駅近くの書店にいます。東口で待ってましょうか?』

丁度赤信号に引っかかって、返事を打ち込む。

『丁度、買いたい本があるので、俺がそこまで行きます』
『わかりました。待ってますね』

すぐさま返事が返ってきた。こういうやり取りなんか嬉しいよな。

「彼女かぁ……」

信号が青に変わり、横断歩道を歩き始める。けど、一分でも早く会いたくて、逸る気持ちと共につい駆け足になってしまう。
通学鞄を腕に抱え、すれ違う人の流れにぶつからないよう、躱しながら駅へと急ぐ。
あの日と同じ。彼女の下へ。
俺は走りながら、あの日、三葉さんと出逢った日のことを思い返していた……

 

夏恋② 出逢い。逸る想い。


「瀧、立花瀧です」
「私は三葉。宮水……三葉です」

四ツ谷駅前で、声を掛けたものの、正直それが精一杯で、後の事なんてまるで考えてなかった。
今更ながらだけどかなり照れている。人生初ナンパしちまったよ。いや、勿論そんな不真面目な気持ちで声を掛けた訳じゃねえけど……今の俺、顔がすげぇ真っ赤だろ?
「え、ええと……」
口許を抑えて懸命に考える。
何を言う?彼女と話してみたいってことだけは間違いないんだけど。

「……大丈夫ですか?」
「あ、はい!大丈夫っす。それじゃ……ええと、カフェでもどうでしょう……か?」
とっさに思いついた言葉。見たところ、彼女、年上みたいだし、カフェなら女性客も多いし、落ち着いて話できると思うんだけど。
俺の提案に、彼女からの反応は少し間があった。
やべぇ、お気に召さなかったか……?
そんな風に思いながら、表情を窺っていると、彼女は少し頬を染めて自身の毛先に指で触れた。

「……うん。嬉しいかな」
「良かった。それじゃ、行きましょうか!」
「はい」

どんなお店がいいか尋ねたら、パンケーキが美味しいお店がいいと言われた。
それなら、と近場で知ってる店を提案したら、彼女も乗り気になってくれた。念のため、スマフォで営業時間を確認。良かった、営業中だ。
こっちです、と促すと、彼女も頷いて歩き出す。
横に並んで歩いているだけなのに、やけに緊張する。チラリと彼女を見やれば、向こうもこちらを見上げていて視線が重なった。
何かもの言いたげなその瞳に一瞬見とれてしまう。と、彼女が小さく微笑んだ。不意打ちのようなその表情にドキリとして慌てて視線を逸らしてしまった。
「ええと……宮水さんでしたっけ?」
遠慮がちに声を掛ける。
宮水三葉です」
「……いきなり、声かけてスミマセンでした」
「……謝るようなことなんですか?」
「あ、いや、そういう訳じゃないんですけど……」
緊張して相手の顔が見れない。クスクスと笑う声が耳に届く。
「そんなに緊張しなくても大丈夫ですよ。私、あなたのこと、疑ったりしてませんから。あと……三葉です」
「え……?」
「名前で呼んでもらっていいですよ」
「いや、いきなりそんな……」
突然の申し出に思わず彼女を見れば、ジッとこちらを見つめていた。思わず立ち止まってしまうと、それに合わせて彼女も歩みを止める。
「呼んでみてください」
あまりにも真剣な表情を、まともに見ることはできなくて、
「三葉……さん」
ただ言われるがまま、躊躇いがちに相手の名前を呼んでみた。
名前を呼ばれた三葉さんは、あ……と一瞬寂しそうに呟いたけど、すぐに口角を上げて、「はい……」と答えてくれた。

「私も名前で呼んでいいですか?」
「あ、はい、どうぞ」
「……瀧くん」
不思議な感覚だった。
あの階段ですれ違った瞬間、逢ったことがあるような、ずっと探し続けていたような、だけど絶対この女性(ひと)じゃなきゃダメだと思った。後悔したくないと思った。笑って欲しいと思った。だから追い掛けて、声を掛けて。

そして、今、彼女から自分の名前を呼ばれる。
ずっと前から知っているように、俺の名を呼ぶ彼女。
そう呼ばれることが当たり前のように受け入れている自分。
理由はわからない。だけど、あれだけ緊張していたのに、今はすっかり落ち着いていて。
会って間もないのに、彼女に惹かれている自分を自覚できた。

 

ほどなくして二人で入ったカフェ。店内の空調のおかげで、漸く真夏の暑さから解放された身体と心が落ち着いてくると、互いに少しずつ話を始めた。
俺は、うまく理由は説明できないけど、どこかで逢ったことがあるような気がして、声をかけたこと。自分はいつからか誰かを探しているような気がしていて、その誰かが三葉さんなんじゃないかと思ったこと。
普通に聞いたら可笑しな話だけど、三葉さんは笑わずに聞いてくれた。

「あの……いつからそんな風に?」
「誰かを探しているってことですか?」
彼女は黙って頷く。
「はっきりとはわからないんです。ただ、去年の秋頃、俺、岐阜の飛騨の方に旅行に行って……」
そう言いながら気がつくと自分の手のひらを見つめていた。
「その時にとても大事なものを失くしたような気がして……きっとそれからのような気がします」
この手のひらに何があったのかはわからない。でも、きっとこの手から何か大切なものが零れ落ちたんだと思う。
「……それからずっと?」
「そうですね……。でも、今日こうして三葉さんに逢えましたから。きっとこれからは大丈夫なんじゃないかな」
余計な心配はさせないようにと、努めて明るくそう答えると、三葉さんは眉尻を下げて、そっか……と呟いた。

「あの、もう一ついいかな?」
「あ、はい」
「失くした大事なもの、瀧くんは……覚えているの?」
「えっと……その辺の記憶は曖昧で」
うまく説明できなくて、いつものように首の後ろを手を当てて視線を泳がせてしまう。それでも何とかこの場の会話を繋げようと、慌てて話題を変えてみた。
「あ、でも、飛騨高山はいいところだったっていうことはよく覚えてますよ!食べ物美味しかったし、色んな人に優しくしてもらえたし、景色もすごく良くて。三葉さんは岐阜の方に行ったことあります?」
「え!?あ、ええと……ない、かな?」
「そういえば、三葉さんってこっちの方の出身ですか?」
「ううん、その……地方だけど、すごく山奥の田舎町だったから瀧くんは知らないと思うよ」
彼女はこの話題には触れて欲しくないみたいで、ストローに口をつける。だからそれ以上詮索するのはやめた。


三葉さんも初めて会ったというのに、自身のことを色々教えてくれた。彼女は都内の大学に通っていて、大学三年生。俺より三つ年上だった。当たり前だと思える自分と、すこしガッカリしている自分がいて、思わずため息がこぼれた。
「……年上はイヤでしたか?」
「いや、そういう訳じゃなくて!!むしろ年上の方が好きというか、いや、そうじゃなくて!俺は年上に弱いって友達が言ってて。ええと、何言ってんだ……俺」
しどろもどろになる俺の姿に三葉さんは笑い出す。
「瀧くんは……まだ高校生ですよね」
「見てのとおりっす。高校三年です」
自身の夏服の制服を指さす。
「懐かしいな……」
「え?」
三葉さんはそれ以上何も言わずに、パンケーキを口にした。そうして一言、おいしいですね、と至福の表情をする。自分の正面に座って喜んで食べてる彼女。その姿を見てるだけで、なんでこんなに嬉しい気持ちになるんだろう……

暫く歓談を続けた後、三葉さんがストローでアイスコーヒーをかき混ぜるとカランと氷が涼しげな音を奏でた。
「瀧くん」
「はい?」
「今、こうして話をしてますけど……間違いじゃなかったですか?」
こちらを窺うように尋ねてくる。
「私に声を掛けて、後悔……してない?」
「してません」
俺は考えるまでもなく即答した。
ずっとあなたを探してた。心があなたを求めていた。確かに声の掛け方は色々アレだったかもしれないけど、こうして三葉さんと出逢えたことが間違いな筈がない。
「根拠はないです。でも、探していた人はあなただと……確信してます。だから、後悔なんてしません、絶対に」
ハッキリと紡いだ言葉に、三葉さんの澄んだ瞳が大きく見開かれる。
「ありがとう……」
そう言って自身の髪に指で触れた。
三葉さんのクセなんだろうか?さっきからパンケーキを幸せそうに食べてたり、ちょっと失礼かもしれないけど、年上なのにいちいち仕草が可愛らしいな、と思ってしまった。

 


「ありがとうございましたぁ」
店員さんの声を背中に受けながら、お店を出る。
あれから他愛のない会話を続けて、気づけば随分時間が経っていた。幾分和らいだとは言え、夏の都心はまだまだ蒸し暑くて、店を出た途端に汗が噴き出てくる。
「あ、あの!」
「はい?」
俺の呼び掛けにちゃんと振り返ってくれる。その自然な反応にどこか安心する。
「あの……三葉さんは、どこかで俺に会ったことある……そんな気、しませんでしたか?」
その問いに、すぐに答えは返ってこなかった。
三葉さんは、少し困ったよう表情になったけど、それでも言葉を選ぶようにゆっくりと、
「どうかな……?でも、瀧くんとは、また会いたいって思ってますよ」
そう言って微笑んでくれた。
「え!?それじゃ、また……?」
俺の言葉に、彼女は、うん、と頷いた。
「瀧くんさえ良ければ」
「よし!」
思わず拳を握りしめる。

そうしてお互いの連絡先を交わした。
彼女はスマフォだけじゃなくて、自分の手帳にも電話番号や住所をメモしていた。
四ツ谷駅まで一緒に歩いて、そこで別れたけど、すぐに彼女からメッセージが入った。

『今日はありがとう。瀧くんに会えて本当に良かった』

宮水三葉』と登録されたメッセージに何故か懐かしさを感じながら、俺は何度も読み返す。
その日は流石に勉強にも手がつかなくて。そして目が冴えて全然眠れなかった……


*   *   *


『次は新宿、新宿、お出口は……』
大勢の人が乗るぎゅうぎゅう詰めの電車も、新宿駅に着くや殆どの人が降りていく。
流石は日本で一番、人が往来すると言われる駅だけのことはある。東口を目指すも人波でなかなか自分のペースでは歩けない。逸る気持ちを抑えながら、新宿の街並みの中、目的地となる書店に辿り着いた。
外の喧噪から逃れ、中は涼しくて静かな空間。お客はそれぞれ探している本や立ち読みなんかで自分の時間に集中している。

ええと、三葉さんは、と……

本棚の間を探して回っていると、買おうと思っていた情報誌が目に留まった。今月号は夏のデートスポット、イベント情報を特集していることを知っていたので思わず手に取ってしまう。
流石に受験生の身としてはあちこち遊びに行く訳にはいかないけど、少しは三葉さんとの話題作りになればと、パラパラと頁をめくる。
花火大会、海、夜景スポット、etc……さすが特集号。夏のイベント目白押しだな、と感心しながらレジへと向かう。歩きながら改めて店内を見て回ったものの、どうやら一階にはいないようだ。
メッセージを送ればいいのかもしれないが、まあ、折角だからこのまま探してみようと、情報誌を購入し、すぐさま二階へと進む。

肩程までのボブカット、黒髪に鮮やかな紐を結んでいる彼女はすぐに見つかった。
見れば、書棚の上の方に手を伸ばしている。どうやら最上段の本棚はギュウギュウ詰めらしく、つま先立ちじゃないと届かない三葉さんは取るのに苦戦しているようだ。
悪戦苦闘している姿も可愛らしいな、と思ってしまったが、流石にこのままずっと見ているのも性格が悪い。気付かれないようにそっと隣に立つと、手を伸ばす。
「取りますよ」
「あ、すみません。え、瀧くん!?」
「えっと、これですか」
三葉さんが取ろうとしてた本は『消えた糸守町』という写真集。どこかで読んだことがある、そう思いながら本を引き抜く。
表紙には神社の写真。階段、鳥居、のぼりが立っており、そこには『宮水神社』と書かれていた。
「……みやみず?」
あれ?と思う。本を渡す前に三葉さんの顔を見る。
「えっと……うちの神社。今はもうないんだけどね」
気まずそうな顔をして、三葉さんは本を受け取る。目の前で開かれたページには、どこか見覚えのある綺麗な湖の写真が見開きで掲載されていた。

 

千二百年周期で太陽を公転するティアマト彗星が地球に最接近したのは、今から約四年前の二〇一三年十月四日。その核の一部が砕け、ましてや人が住んでいるところに落ちるとは専門家すら予想できない出来事だった。
彗星が落ち、一夜にして壊滅した町、糸守町。だけど、それだけの大災害が起きながらも、死者は0だったという奇跡の町。
三葉さんは、その糸守町に代々続く神社の娘で、あの災害のこと、今は無くなってしまった神社のことなどを掻い摘んで説明してくれた。

糸守町のこと、彗星災害のことは知っている。彗星災害から数年経った去年、俺は彗星を巡る出来事にすごく関心を持っていて。
そして、彗星が落ちたその地に行ったんだ。

……あれ?違う?
彗星のことは知らずに、あそこに行った……
そして……えっと、何があったんだっけ?

「ごめんね、瀧くんには言いづらくて」
歩道橋の上。前を歩く三葉さんから声が掛かり現実に引き戻される。
「いえ、三葉さんが糸守出身って知らずに……。俺、前に飛騨の話とかして、気を悪くしてたらスミマセン」
「謝ることなんてないよ、私が言わなかったからだし」
どうしてか、気になることがある。どうしても彼女に聞いてみたいことが。
「ご家族は無事……だったんですか?」
「うん。みんな無事だったよ。妹の四葉、お祖母ちゃん、お父さん、親友も、糸守の人たち、みんな助かった」
死者は出なかったということは知っていたはずなのに、何故か心から安堵して、思わずホッとしたような、嬉しい気持ちになる。

不意に三葉さんは振り返ると、
「瀧くん……本当にありがとう」
そう言って、彼女は深々と頭を下げた。
「ちょっ!?なんで頭、下げてるんですか?」
「瀧くんにはちゃんと言わないといけないかなって」
「三葉さんって、たまによくわかんないことしますよね?」
「わかんない、か……」
冗談交じりに言った言葉に、三葉さんはどこか寂しさを込めたような声でポツリと呟いた。
年上で綺麗で、可愛らしいけど、どこかぼんやりしてるような、守ってあげたくなるような女性(ひと)。
年上の三葉さんには悪いけど、そんな彼女を微笑ましく感じるのと同時に、改めて自分が彼女を笑顔にしたいのだと強く願っていることに気づいて、決意と共に拳を握り締める。

長い夏の一日の終わりを告げるように、二人の影が長く伸びる。間もなく日が暮れる。
「俺、前に飛騨に行ったことがあるって言いましたけど、本当は……糸守に行きたかったはずなんです」
「うん……」
「もしかしたら、あなたを探しに行ったのかもしれない」
「私は……その時、東京に居たよ」
「そう、ですよね。……だけど」

こんな偶然あるんだろうか。
探していた人は彼女だっていう確信が、自分の想いを後押しする。
彼女の前に立つと、出逢ったあの日のように揺れる彼女の瞳を見つめる。

「三葉さん」
「はい」
「俺、やっぱり三葉さんのこと、特別な人だって思ってます。こんな言い方もなんですけど、運命、みたいな……」
三葉さんは俺の視線から逃げるように、顔を背け、夏の夕焼け空を見つめる。
「瀧くんの"運命の人"は、本当は……他にいるかもしれないよ?」
夜と夕焼けが混ざり合う鮮やかなグラデーションを眺める横顔はどこか辛そうで。だけど、その理由が俺にはわからなくて。
「年下は……高校生はイヤですか?」
「そういうつもりで言ったんじゃないよ……」
此方には顔を向けてくれないまま、彼女は静かに首を振る。
「俺、三葉さんのことが、好きなんです!」
そんな彼女を振り向かせようと必死の告白に、漸く視線を戻してくれた。驚きと迷いが入り混じった表情。
わかってる。年下の高校生じゃ、とても釣り合わない女性(ひと)だってことくらい。だけど、
「俺と、付き合ってください!!」
出逢った時から、この人だってずっと思っている。だから、お願いします!と真っ直ぐに手のひらを差し出す。

彼女はギュッと握りしめた手を胸にあてる。
俺は三葉さんからの答えを待つ。そして、その手が漸く何かを決めたように開かれると、震えながら俺の手を取った。
「……瀧くんさえ良ければ」
「や……った!!」
俺は掴んだその手を見て嬉しさと安堵で胸がいっぱいになる。

陽が沈み、世界をゆっくり夜へと変えていく。顔を上げて目の前の三葉さんを見る。
誰そ彼(たそかれ)、不意にそんな言葉が脳裏に浮かんだ。
目の前にいるのに、どこか彼女が見えなくて。
だけど、そんな不安感は、繋がれた手のおかげで一瞬で霧散して……
これから三葉さんと共に過ごす夏を楽しみにしている自分がいた。

 

 

そして、翌朝、目が覚める。
俺は、また泣いている。何故泣いているのかと戸惑う。探している"誰か"に出逢えたはずなのに。
そう考えながら、自身の涙がいつもと違うことに気が付いた。
このモヤモヤした想いはなんなんだ?
でも、夢の内容は覚えてなくて……

「三葉……さん」

何故か彼女の名前を呟いていた。

つづく