君の名は。SS 高校if・イブを二人きりで過ごせないたきみつの話。

高校生ifとして、彗星落下後に宮水家が上京していたらって設定。
仕方ないとは言え、宮水家貧乏説がちょっと悲しかったので、お蔵入りになってたモノ。書いたのは2016年でしたね。
今年のクリスマスネタは書けるかなー?(頑張ってますがー



「ハァー……」
両手に息を吐きかける。
凛とした空気の中、白い息が指の隙間から零れていく。

今日は十二月二十四日。クリスマスイブ。
私、宮水三葉は何をしているかというと……

「あの……」
「あ!いらっしゃいませ。はい、ご予約のお客様ですね。承ります」

ケーキ屋さんの店頭でクリスマスケーキの売り子のアルバイトをしていた。

「ありがとうございました」
「サンタのお姉ちゃん、バイバーイ」
小さい女の子を連れたお母さんがケーキを買っていく。
サンタの帽子と上着を着ている私に手を振ってくれて、思わず笑みがこぼれる。
「バイバイ、気を付けて帰ってね」
「うん!」

ああっ可愛いなぁ~♪

時間は十八時半を過ぎ、もうすぐこのアルバイトも終わり。
あの彗星の件の後、みんなで東京で暮らし始めたけど、やっぱり田舎の糸守とは物価が違ったり、収入の面とか諸々の事情で家計が厳しいのが我が家の現状。
本当はアルバイトできればいいんだけど、さすがに大学受験が終わるまでは、それもなかなか難しい。
そんな時、見つけた短期のアルバイト。
十二月の二十三日、二十四日のたった二日間で、かなり稼げるから、すぐに連絡を入れて無事に採用されたのはいいんだけど。

瀧くんはやっぱりイブ、一緒に過ごしたかったんだよね……


「え?二十四日、ダメなのか?」
「えっと……ウチ、イブは家族で過ごすことにしとるでね」
神社だった宮水家は、クリスマスらしく過ごすなんてこと自体したことなかったんだけど、とっさに嘘をついてしまった。
瀧くんよりアルバイトを選んだなんて思われたくなかったから。
「そ、その代わり、二十五日は空いてるから、ね?」
「あ、ああ、わかったよ」

がっかりした顔してたな……

たった二日間だけだったけど、クリスマス時期のケーキ屋さんだけあってかなり忙しかった。
親子で一緒に買いに来たり、彼女と一緒に買いに来たり、みんな幸せそうな顔でケーキを買っていく。
忙しい間は瀧くんのこと忘れられたけど、昨日の帰りとか、こうして落ち着いた時間になると、やっぱり瀧くんに申し訳なかったな、なんて思ってしまう。

空を見上げる。冬至も過ぎ、これからは春に向けてだんだんと日が長くなってくるんだろうけど、今はまだ暗くて長い冬の夜。行き交う人は多いのに、少しだけ独りぼっちのような気分になって寂しくなる。
ふと、空からふわり舞い降りた白いものが視界に入る。
 そっと差し出した手のひらに導かれるようにゆっくり落ちると、スーッと音もなく消えていく。
「雪やぁ……」
と、足音が目の前に止まった。
「いらっしゃいま……あっ……」
「がんばってる?」
正面に立っていたのは、
「瀧……くん」
私が気がつくと彼は優しい笑みを浮かべた。
「ケーキ」
「え?」
「予約とかしてないけど、まだ買えますか?」
「え、あ、はい!大丈夫です。えっと、どれになさいますか?」
販売トークで話す私がおかしいのか、瀧くんは口許を抑えている。
「それじゃ、この3,000円のやつで」
「はい、税込みで3,240円になります」
丁寧に袋に入れて、どうぞ、と手渡す。
「時間、何時まで?」
「えっと、七時まで」
「じゃ、終わるの待ってるから」
真剣な表情でそう言うと、瀧くんはその場を去っていく。
呼び止めたいけど、仕事中だから、そんなことはできなくて、私はやきもきしたまま、残りの時間を過ごした。


「二日間お疲れ様でした。それじゃこれ、今日の分ね」
「ありがとうございました」
アルバイトが終わり、帰り際にバイト代を受け取る。
期待どおりの成果だったけど、さっきの瀧くんが気になって、すぐにお店を出た。
いつの間にか辺りはホワイトクリスマス。吐く息がますます白い。

スマフォを鞄から取り出す。と、サヤちんからメッセージが届いていた。

>ゴメン!バイトのこと、内緒って言われてたけど、瀧くんに問い詰められて、ごまかしきれんかった。
>本当にゴメン!!

>大丈夫。気を遣わせてゴメンね!
そう一言だけ返信すると、『瀧くん』と登録された携帯番号に触れる。

『はい』
「あ!瀧くん、今どこ?」
『お前の後ろ』
「え……?」
振り返ると、傘を片手に瀧くんが立っていた。

「え?なんで外で待ってたんよ!雪、降ってて寒かったやろ」
「お前だって寒空の下で、バイト頑張ってたじゃん」
「あ……ええと……」
内緒にしてたアルバイト。瀧くん、きっと怒って……
「どうした?三葉」
「ごめんなさい」
「え?」
「瀧くんに嘘ついて、イブ一緒に過ごせなくて……」
何を言っても言い訳になりそうで、それ以上言葉が出ない。
「なあ、三葉」
呼びかけに何と応えたらいいのかわからなくて、俯いたまま。だから瀧くんの顔が見れない。
「寒くね?」
「え?」
不意に肩を抱き寄せられる。一つ傘の下。間近に瀧くんの顔があった。でもとっさに視線を逸らしてしまう。
「帰ろうぜ」
私はうん……と静かに頷いた。


帰りの駅までお互い無言で歩いている。
東京を白く覆う雪のせいか、街の喧噪も雪の中に吸い込まれていくように二人の周りはとても静かだった。
「瀧くん、怒っとるよね……?」
私は下を向き、自分と瀧くんの足元を眺めながら、それでも言わなくちゃいけないと思って口を開く。
「んー、まあ、怒ってると言えば怒ってるというか」
「そうやよね……」
「でも、きっとお前が考えているようなことで怒ってるんじゃねえぞ。たぶん」
「え?」
言ってることがわからなくて、彼を見上げる。
「やっと俺を見てくれた」
「あ……」
その顔はいつものように優しくて、私はどこかホッとしてしまう。
「バイトのことは、色々事情があるんだろ?」
「うん、まあ……」
家計のこととか、瀧くんには言いたくなくて、言葉を濁す。
「俺が少しだけ怒ってるのは、言えることだけでも言って欲しかったってこと」
「どういう……こと?」
「言えない事情があるなら、そこは仕方ねえけど、でも、言えることだけでも教えてくれれば一緒に考えることはできるだろ?」
瀧くんはそう言うと私の手を握る。
「バイトしてたって、こうやってちゃんとイブに三葉に会えた」
「あ……」
「一緒にバイトだってできたかもしれないぜ?」
「瀧くん……」
目が潤んできて瀧くんの顔がぼやける。
「ここは糸守じゃなくて東京。俺はちゃんとお前の近くに居るからさ。だからお前が困ったら、いつでも駆けつけてやれるよ」
私は思わず、瀧くんに抱きついた。
「ちょ、ケーキ!危ねえ!!」
「瀧くん……カッコつけすぎやよ」
悪いと思ったけど、溢れる涙を瀧くんのコートに押し当てる。
「惚れ直したか?」
「直す必要なんかないやさ。いつでも私は瀧くんのこと大好きなんやから!」

好き同士になったらハッピーエンドだと思ってた。
でも、こうやって好きもどんどん変わっていくんだね。
前よりも、昨日よりも、今日の方が瀧くんが好き。
きっと明日はもっともっと!

そんな気持ちに気づかせてくれたクリスマスイブに、私は心から感謝していた。

君の名は。SS 会いたくて。逢えなくて。

十月四日。と或る幕間です……



空のずっと遠くから、ゴォ……とかすかにジェット音が聞こえてきた。見上げれば夕闇の中、チカチカと点滅している双翼。

散々だった奥寺先輩との初めてのデート。
弾まない会話、エスコートできない気の利かなさ、アイツが勝手に誘ったのだといくら心の中でいい訳しても、先輩にはとても申し訳ないことをしたと思う。
いやそれ以上に、デートの相手に『今は別の好きな子がいるでしょう?』なんて言われるとか、女子力云々のある無し以前に、本当に失礼極まりない。
「ハァ……」
自己嫌悪を吐き出すように、深く大きなため息を吐くと、俺はすぐさまポケットからスマフォを取り出した。
そのままメモ帳を開けば、九月から続くアイツとのやり取り。会ったこともないアイツと、ただ文字だけで交わす交換日記のようなもの。
読みながら改めて思う。俺達、随分入れ替わったなって。
怒られて、馬鹿にされて、ムッとした事もあるけど、それでも東京で楽しそうに過ごす日々、初めての体験談を読んでいると何だか微笑ましくなってくるし、どんな気持ちでこれを書いているんだろう、なんてつい想像を巡らしてしまう。
……まあ、入れ替わりの度に禁止事項が増えていくのは、納得いかないのだが。

十月二日、最新の日記。読み進めていけば、最後に綴られた文章。

『デートが終わる頃にはちょうど空に彗星が見えるね』

「……なに言ってんだ、コイツ?」
一度、夜の帳が落ちる暗がりの空を見上げ小さく呟く。
ほんの今さっきまでのデート、先輩との会話は全然だったというのに、それでもお前となら、と思う自分がいる。お前と話してみたいと、強く望んでいる自分がいる。
日記を消し、勢いのままに『宮水三葉』と登録された電話番号を表示する。

アイツの名前……
この一ヶ月、俺の中に強く強く刻まれた、その名前。
もし、電話に出てくれたのなら、俺はようやくその名前を呼ぶ事ができるのだと、どこか遠い約束を果たすような気持ちで発信ボタンに触れた。

*   *   *

朝、目が覚めて、見慣れた天井だと気づいた時、私は心から安堵していた。
今日、彼と入れ替わっていたら、どういう風に過ごせていたか、とても想像できなかったから。
寝覚めの悪い私でも、今朝はこれ以上は寝ていられる自信はない。身も心も重い感覚に囚われながら、ゆっくりと上半身を起き上げる。
「あ……」
正面に見えたのは、髪をバッサリと短くした私。
姿見に映る自分に、昨日の出来事がフラッシュバックする。

――……誰?お前

「っ!?」
心臓がギュッと鷲掴みにされたように、呼吸が苦しくなる。
「私の名前は……三葉。みつは、だよ」
瀧くん、と言いかけて、だけど彼の名を口にすることはできなかった。

「……お姉ちゃん?」
その時、静かに襖が開いた。その向こうには心配そうに此方を伺う妹の姿。
「おはよう……」
「おはよう、四葉。昨日はゴメンね、四葉にも心配かけて」
昨夜は私の帰りをずっと待っていたらしいけど、お祖母ちゃんに先に寝ているよう言われ、渋々従ったらしい。
心配させないように私はいつもみたいに作り笑いを浮かべると、四葉は大きく頭を振った。
「なんで、お姉ちゃん、髪切っとるんよっ!?」
「え?なんでって……まあ、なんとなく?」
「彼氏に振られてまったの?」
「だから、彼氏じゃないよ。……もしかしたら、知り合いですらないのかな?」
言って、自分でも卑屈だなと思った瞬間、四葉は勢いよく部屋に乗り込んで来た。
「元気出しないよ!お姉ちゃんならきっと、もっといい人見つかるよ!!」
握りしめた両手をブンブン振りながら私を励ましてくれる。
「ん……わかった」
二つ結びにした妹の髪にポンポンと触れると、四葉は納得したようにニッコリ微笑んだ。

「でも、今日は疲れたから、学校は休むでね」
「うん、お祖母ちゃんに言っとく。それにしてもお姉ちゃん、二日連続で学校サボるなんて、なかなかの悪やねぇ♪」
「はいはい」
「……無理、しないでね」
そう言うと部屋を出てゆっくり、静かに襖を閉める。いつもは勢いよく開け閉めしているのに、やっぱり気を遣われているのかな……?


そうして妹の言う通り、私は二日連続学校をサボり、着替えたゆるい部屋着のまま、ぼっーと自分の部屋の片隅に座り込んでいる。
今日は秋祭り。本当なら家の手伝いもあるはずだけど、お祖母ちゃんは無理しなくてええから、と朝に一度そう言ったきり、顔を出してこない。
未だ片付けていなかった風鈴の音が、糸守の山肌を撫でる秋風に吹かれ、チリチリン……と物寂し気な音を響かせる。
私は時折、膝に顔を埋め、短くなってしまった髪に触れ、母の形見を手放してしまった事に寂しさを感じながら、ただ漫然と過ごしていた。
気がつけば、障子越しの日の光も昨日のようにセピア色に変わり、今日一日がもうすぐ終わることを感じさせる。

指先に触れたスマートフォン。手に取ると私は今日初めてそれを開いた。
彼との入れ替わりの日々が綴られた日記。
たった一ヶ月のことなのに、入れ替わる度に、私の中に彼のことが少しずつ満ちていった。
だから昨日、東京に行こうと決意したのは、心が身体を追い越してしまったから……
だけど今、私の心は宙ぶらりんなまま。
傷ついているはずなのに、辛くて泣きそうなのに、彼は私の事なんてわからないのに、それでもまだ私は瀧くんに逢いたいと思っている……

立花瀧』と登録された電話番号に再び触れる。
みっともないと思いながら、それでも一縷の願いを込めて……

*   *   *

―――お客様のおかけになった電話番号は……

繋がらない電話。繋がらない想い。
でもだからこそ、想いが募る。

君に会いたい。

何故そうまでして、君に惹かれるのか

――俺は、
私は、――

まだ、その感情を言葉にはできなかった……


>あとがき
今年の十月四日前は『ひとり君の名は。祭り』と称して一週間何かしらSSを上げてたのですが笑、最後にしのさんの十月四日記念イラストに感動して、勢いのままに書いてしまいました(短めですが;;)。
しのさんの作品を通じて、君の名は。の考察や情景を考えさせられる事が多く、今回も秋祭りの前の三葉はどのように過ごしていたのだろう?と考えていたようで、考えていなかった情景を想起させて頂きました(多謝
会いたくても逢えない。そんな二人の募る想いは、スマフォなど通信機器が発達した現代にあっても、どこか和歌的な雰囲気を感じています。
カタワレ時、待ったなし!!

立花瀧
久しぶりに奥寺先輩とのデートを見返して書きましたが、瀧くん、本当に失礼な奴だな!(笑)
いや、仕方ないとは言え、奥寺先輩、よく飛騨まで付いてきてくれたものだよ……
三葉の事を好きと認められないのは、まだ会ったことないからなんでしょうかね?

宮水三葉
本編では三葉の髪型を隠すため美脚のみの映像でしたが(笑)、実際はこんな感じなのかな?と思わせてくれた、しのさんの素敵イラストでした。二人の対比や光を感じさせる背景とか本当に素晴らしかったです。
失恋というよりは、信じてた繋がりが途切れてしまったような喪失感みたいな感じかなぁ?なんて思ってます。
一日をひとりで過ごし、ほんの少しだけ前向きに進もうとした矢先のティアマト彗星なのではないかと……(涙
個人的なところですと"浴衣三葉"に繋がる存在になるのかな?

宮水四葉
普段通り振舞うのが彼女なりの気の遣い方かな?と思いました。
それでも言動の端々にお姉ちゃんを心配してる姿が垣間見えていたら嬉しいです。
本当に聡い子ですよね、四葉嬢は。

それでは、お読み頂き、誠にありがとうございました。

 

君の名は。SS 当たり前だからこそ。

瀧三お誕生日おめでとうー!という訳で、今年のお誕生日SSを書いてみました。
初めて過ごす大人瀧三誕生日という感じとなります。宜しくお願いします。



瞳を開いた先、微笑む彼を見つけた。
夢か現か。薄ぼんやりとした淡い感覚の中ではハッキリとわからなかったけど、彼が傍に居てくれるのなら正直どちらでも構わなかった。
ゆっくりと囁くように、
「たき……くん」
ただ愛しい人の名を呼んだだけなのに、それだけで胸の奥がほんのり熱を帯びるのを感じる。
「おはよう、三葉」
彼の手が私の頭に触れ、優しく梳くように髪を二、三度撫でてくれる。そうして耳元から指を差し入れると私は彼の胸元へと抱き寄せられた。
頬に伝わる彼の体温、耳に聴こえる鼓動。私の黒髪を慈しむように再び触れ始めた大きな手を感じながら、私の感覚は徐々に目覚め始める。
「瀧くん、あったかい……」
「三葉もあったかいよ」
セミダブルベッドの中、すこしでも彼にくっつきたくてその逞しい背中へ手を回すと、応えるように抱きしめる彼の腕に力が込められる。
「苦しい?」
「ううん、大丈夫やよ」

彼の温もりに抱かれながら、当たり前になりつつあるこの日常の幸せをかみしめる。
朝、目が覚めると、瀧くんが傍に居てくれる。言葉を交わしてくれる、微笑んでくれる。
肌を触れ合い、心を通わせて。
ずっと探していた。ずっと逢いたかった。
あの日、あの時、並走する電車で君を見つけた。走って出逢って、君の声に応えた。
それからも色んな事があったね……
デートをして、互いに好きって言って、初めてのキス、初めての触れ合い、二人で迎えた初めて朝。
付き合って、お互いを知って、初めてのことばかりだったから、時には喧嘩もしちゃったね。
春から夏、そして秋。
糸守で瀧くんが私を選んでくれたこと、きっと一生忘れない……

「三葉、どうかした?」
「う……ん……なんだか嬉しくて」
見上げた私の目尻を瀧くんが優しく拭ってくれる。
こんな風に思えるのは、きっと今日が特別な日だから。

「三葉、誕生日おめでとう」

東京に来て人生の節目に感じていたのは、止まることのない時の流れ。流れていった歳月を独り受け止め、それでもと、もがき、探し続けていた。
だけど今日は違う。私が生まれ、生きてきた日々を祝福してくれる人がいる。出逢ってくれてありがとうと言ってくれる人がいる。
そして、それは私も同じ。
「瀧くんもやよ。お誕生日おめでとう」
二人で迎える初めての誕生日。
もうすこしだけ一緒にいたい、と願っていた君は、いつしかずっと一緒にいたい一番大切な人になっていた……

*   *   *

できる限り早めに切り上げるつもりだったけど、流石は師走十二月。結局七時を少し回ってから会社を飛び出し、目的の店へと向かう。
今年の二人の誕生日は平日ということもあり、ちゃんとしたお祝いや食事はこの週末に予定してるけど、それでも折角の三葉の誕生日だ。ケーキくらい用意してあげたくて彼女に内緒で予約しておいた。
ケーキ屋の閉店時間を気にするように時計を眺めれば、決して動きを止めない時計の秒針に焦りを感じ、自然と駆け足になっていく。

走りながら思い出すのは、あの日、三葉に出逢った日のこと。
並走する電車で見つけた君を求め、必死に走ってあの場所で俺達は出逢った。
あの時、君に声を掛けられなかったら、俺は今頃どうしていただろうか?
そんな疑問を前に軽く首を振る。
俺達が"出逢わない"なんてことは、ぜったいあり得ないことだから。

クリスマス前だからだろうか、長い冬の夜も街中を光で彩るイルミネーションが夜闇を感じさせない。
ふと視界にふわりと小さな白い羽のようなものが舞い降りた。足を緩め、ゆっくり歩きながら夜空を見上げれば、静かに舞い降りてくる真白な綿雪。
「寒いはずだな」
呟きから零れた白い吐息が、暗く重たい空に向かって浮かんでいき、すぐさま消えていく。
そう言えば、去年の今頃も雪だった気がする。就職活動に追われ、何かを、誰かを探しながらもがく日々。
あの頃は肌に触れる雪の冷たさよりも、朝、目覚めて心の中にあったはずの温もりを失っていく方が余程ツラかった。

赤信号で立ち止まり、久しぶりに自分の手のひらを見つめる。
朝、目覚めると君が居る。
微笑んで、俺の名前を呼んでくれる。
もうすこしだけ、と願っていた。だけどそんな想いは、いつしかこの手のひらだけじゃ収まらなくて、君の全てを求めていた。
特別な君と過ごす毎日がすこしずつ当たり前になっていく。欠けていた月が満ちていくのは当たり前のように。出逢うべき俺達がそうなるのは必然のように……
「みつは……」
ずっと君を探していたんだ。きっと俺達はどこかで出逢っていて、だから君を忘れたくなくて、忘れられなくて、忘れちゃダメだと必死にもがいた道程の先に今の俺達がある。

信号が変わる。横に並んでいた信号待ちの人から一歩遅れるように横断歩道を渡り始める。気持ち早足で、だけど薄く積もり始めた雪に足を取られないように慎重に。
彼女のことを想いながらポケットからスマフォを取り出すと、俺はもう一軒、別の店を探し始めた。

*  *  *

ジュワアァと食欲をそそる音がキッチンに響く。
「うん、こんなもんかな?」
フライパンからほどよく焦げ目のついたハンバーグを取り出すと、そのままそこに各種調味料を足してデミグラスソースの調理を始める。
今日は瀧くんと私の誕生日。同じ日が誕生日なんてなかなか運命的だと思うけど、生憎忙しい社会人にとっては平日はいつもの日常とあまり変わりない。
初めて過ごす二人の誕生祝いは休日に改めてすることにしたけど、自分一人ならまだしも折角の瀧くんの誕生日だ。少しはご馳走を用意してあげたくて、定時で仕事を切り上げ、こっそり準備を進めている。
手作りドレッシングのシーザーサラダ、かぼちゃを裏ごしして作ったスープ。メインにはハンバーグ。あとはデザートをどうしようかな、なんて思っていたら、
「ただいまー」
玄関のドアが開き、瀧くんが帰ってきた。
「おかえりなさーい。瀧くん、結構早かったね」
「ああ、今日は三葉の誕生日だからさ。えっと、これ」
キッチンで向かい合った瀧くんから差し出されたのは、紙製の白い箱。
「なにこれ?」
「ケーキ。やっぱり今日くらい三葉と一緒に食べたくて」
そう言った彼の表情はイタズラっ子みたいな笑顔で、つられて私も表情が緩んでしまう。
「もうっ、瀧くんってば、危うくデザート作ってまうところやったよ」
「デザート?」
「実は私も誕生日っぽい料理を作ってみました」
「お!ハンバーグじゃん!三葉が作ったの美味いんだよなー♪」
キッチンをのぞき込んだ瀧くんが表情を綻ばせてくれる。そんな彼の様子を見れば、私だってやっぱり嬉しい。
「ありがとう♪もう少しでできるでね、着替えて待ってて」
腕まくりした肘を曲げガッツポーズで気合いを入れると、仕上げに向けて私は再びキッチンへと向かう。

「あ、あのさ、三葉」
「なに?瀧くん」
盛り付けをする私に呼び掛ける瀧くんの声。
「実はさ、もう一つあるんだ」
「ん?何が」
振り返った私の目の前に差し出されたのは、一輪の赤い薔薇。
「似合わないことしてるのはわかってるんだけど、その、三葉と出逢って、三葉と過ごす毎日はすげー幸せで、嬉しくて、そんな日々が今は当たり前になって、これからもずっとこんな風に一緒に過ごしていきたいって思ってる」
照れくさいのか、瀧くんは首の後ろに手を当てる。
「だけど三葉に出逢えたこと、こうして一緒に暮らしていること、それは当たり前なんだけど、やっぱり特別なことだから。だから、こういう特別な日にはちゃんと口にしたいと思ったんだ」
首に触れていた手を下ろす。一度ゆっくりと目を閉じ、開いた時にはまっすぐ私だけを瞳に映していた。
「三葉」
「はい……」
「すきだ」
その言葉に思わず視界がぼやける。溢れ出しそうになった涙をとっさに指で拭うと、だ、大丈夫か!?と瀧くんの慌てた声。
「ち、違うんやよ!これはなんかビックリと嬉しくて」
こんなサプライズずるい、なんて思ってしまう。照れくさくて、恥ずかしくて、だけど、やっぱりとってもとっても嬉しくて。
瀧くんと過ごす日々は"当たり前"で、そしてこんなにも"特別"なんだって気づかされる。
「三葉、受け取ってくれる?」
もう一度、差し出された瀧くんの想い。私は小さく頷くと、瀧くんから赤い薔薇を受け取る。
「一輪だけで申し訳ないけど」
「ふふっ、大丈夫やよ。気持ち十分伝わっとるよ」
「そっか」
「うん」
瀧くんは赤い薔薇の花言葉、知ってるのかな?でも、知っていようがいまいが構わない。
彼の想いが込められた一輪の薔薇を包み込むように両手で持つと、私は胸の奥に咲いたあたたかな想いと共に彼に微笑んだ。
「ねえ、瀧くん。私もちゃんと言葉にしたいな」

今日は二人の"特別"な日だから。
この大切な想いを贈り合おう……


>あとがき
毎年、毎年時節ネタを書くのは大変なんやよ;;というのが本音ですが、今回は『当たり前』と『特別』を対比にして書けるかなー?ということで、短いながらもお誕生日ネタを書かせて頂きました。
相変わらず期日には不完全な状態でしか間に合わず、アップが遅れるのは予定調和なのですがッ(ぉぃ
それでも、幸せそうな大人瀧三を書くのは楽しかったです♪瀧&三葉お誕生日おめでとう!!(しあわせになー

立花瀧
誕生日の朝なので、三葉が目覚めた時の一番になりたくて、起きてからずっと彼女の寝顔を見つめていましたが、彼女はなかなか目覚めませんでしたとさ。
珍しく朝揉んでません笑
赤い薔薇の花言葉を知っていたのかわかりませんが、ケーキ渡しながら言うのはちょっと違うよな、と思って花屋に行ったのは彼のファインプレー。
やる時はやるのが瀧くんなんやよ!!(普段しない人がこういうことするのはちょっとズルいと思ってる三葉さん談

宮水三葉
はよ起きない(笑)
序盤は『くっついていようか』の其の四なイメージで。ピローな瀧三好きなんですよね。
ピンクのもこもこパジャマ着てあったかそうなイメージ。
同棲はしてますが、結婚はまだしてませーん(来年です)。でも料理してるところは若奥様をイメージしてました。
瀧くんからもらった薔薇をテーブルに飾って夕飯とケーキを食べてると思います。


>赤い薔薇
花言葉は『あなたを愛してます』とか『愛情』などなど。
調べてみたら本数にも意味があるらしいので、もし宜しければググってみてください。
三葉の高校の同級生が花屋さんになってるから、そこで買ったってことでいいかなーなんて考えてます。

>ハンバーグ
理由:三葉が作るお誕生日ハンバーグはなんか特別っぽい気がしたから。

以上です。最後までお読み頂き、誠にありがとうございました。

君の名は。SS おなじ星。

『瀧くんの前の席の女の子と高木くんのお話。』の某場面をサイド三葉で。
もともと書いた作品の後付けで書いたモノなので、無理があるかもしれませんが、その辺りはスルーして頂けると有難いです(笑)



チャイムが鳴る。授業が終わると同時に、羽を広げるように思い切り腕を伸ばす。
やっと放課後!こっちの授業はやっぱり大変だけど、こうして学校が終われば、あとは自由時間♪
今日はアルバイトのシフトも入ってないし、思う存分、憧れの東京生活を満喫なんやさー!!

ルンルン気分で帰宅の準備を整えると、この身体の持ち主の友人達のところへ駆け寄った。
「二人ともー、今日はどこ行くの?」
「俺は夕方からバイト。その前にちょっと寄るところがあるからさ。悪いな、瀧」
「そっか……高木くんは?」
「悪ぃ、俺もちょっと早く帰らなくちゃいけない用があってよ」
「そうなんや……」
折角の貴重な入れ替わり。今日もどこかへ連れてってもらおうと思ってたのにな……

俯いた私の前で、二人が何やら呟いているのが聞こえてきた。
「おい、司。瀧のヤツ、すげーガッカリしてるぞ。お前、バイトの時間まで相手してやれよ」
「お前の方こそ、少しくらい、瀧に付き合ってやれないのか?」
「あ!二人とも気を遣わんといて!私は一人でも大丈夫やから!」
じゃあ、またね!と手を振って、私は二人より先に教室を飛び出した。

下校生徒で混雑する廊下を、右へ左へ何とか躱しながら、あてもなく進んでいく。
入れ替わってからもうすぐ一か月が経とうとしてるけど、事あるごとに人混みというこの状況には、未だに慣れそうもない。
階段まで辿り着くと、下校する生徒の流れに逆らうように上階へと進んでいく。上った先、最後の扉を開ければ、人もまばらな屋上へとたどり着いた。

通学鞄をよいしょ、と肩に掛け直して、屋上の際にあるネットへと近づいていく。
「あーあ、今日はひとりかぁ」
貴重な入れ替わりの放課後生活。いつもだったら、司くんや高木くんがあちこち連れ回してくれるけど、一人となるとそういう訳にもいかない。
それでも一人でどこかに行ってみようか……
そんな風に考えながら、ふと眼下を見下ろすと、下校途中や、部活に励む生徒の姿が見えた。
「そういえば、私、この高校、全部は回りきれてないんやった」
初めてこの高校に来た時、吹き抜け作りなんて、東京って本当にスゴイところ!って目を丸くしたけど、いつも司くんや高木くんと一緒に行動してて肝心の神宮高校のこと、知らないところもあるじゃない。
「神宮高校探検隊か……ふふっ、ええね!」
隊長兼隊員の総員一名ってのは寂しいけど、折角の機会。瀧くんが普段通っている、この高校のことを知りたくなって、私はスキップしながら校舎内へと続く扉に向かっていった。


そして……私は改めて瀧くんの通う神宮高校の凄さを目の当たりにしている。
糸守高校なんて、中学校とたいして設備なんて変わらなかったのに、ナニ、コレ……?
吹き抜けどころじゃない、いちいち細かいところまでデザイン性が感じられて、ガラス張りから見える外の風景は解放感が、特別教室の設備の充実さは半端ない!図書館の蔵書数は、普通の図書館並み。
そして、極めつけは……何よっ!この食堂!!カフェが、お洒落な喫茶スペースが学校内に存在してるってなんなのよぉー!!

「ハァ……探検隊が発見したものは、高校生格差という現実やった」
トボトボと肩を落としながら歩いていると、もう一度ため息が出た。
と、前から男女二人組の生徒がすれ違っていく。仲睦まじく男子生徒が話していて、並んだ女子生徒が楽しそうに応えている。
何となくその光景を振り返ると、その二人の背中を眺めながら、ええなぁ、と呟いていた。

ん……?何がいいんだろ?
女の子の制服かな?あの制服可愛いもんね。でも、流石に瀧くんの姿じゃ着れないし。
私がこの学校の生徒だったら着れるんだけどな。中身だけじゃなくて存在自体入れ替われれば良かったのに。
私がいて、司くんがいて、高木くんがいて、瀧くんが……そっか、瀧くんは、
「あはは、瀧くん、いないや」
無意識に毛先に触れながら、再び廊下を歩き始める。

分かりきっていることなのに、言ってみて気づく。
君と入れ替わってるから、私はここに居る。
だから、君がいないことは仕方ないことなのに。

ねえ、瀧くん。
君は、この学校で、教室で、いつも何をしているの?
君の瞳は、どんな光景を映してるの?
君と身体は共有しているのに、もしかしたら違うものが見えてるのかもしれないって。
だから、少しでも君のことが知りたいから、こうして校舎の中を歩き回っているのかもしれないね……

そうしてひととおり学校を巡ると、私は自分の教室へと戻ってきた。
まっすぐ自分の席へと進むと、いつも君が触れている机に手を添える。私は一度頷くと席に座り、教室の前にある黒板を見つめた。
夕暮れ、オレンジ色が差し込んだ誰もいない教室。
一人静かに想いを巡らせる……

夢にまで見た東京生活。
息苦しい糸守から離れて、誰も『宮水』としての私には気づかずに、自由に生活できる。
だから、入れ替わりは楽しいし、毎日がお祭りみたいな、東京にこれからも居たい。
だけど、

「変なの……」

私ね、いつ頃からか、君がいない東京生活に物足りなさを感じている。
私がここにいるってことは、君は一緒にいることはできないのにね。
でも、司くん、高木くん、私と瀧くん、そうだ、テッシーとサヤちんも一緒に遊べたらきっと楽しい。
今でも楽しい東京での生活が、もっともっと楽しくなるよ!

「我ながらナイスアイディア♪」

だけど、脳裏に浮かんだのは、私と瀧くん。二人だけで過ごす東京。
カフェで、原宿で、お台場の水族館で、展望台からの眺め、etc……
私視点で、そして隣に君がいる。
想像しただけで楽しい……そんなことしたことないのに。できっこないのに。

「君は……違うのかな」

君にとって、私はただの入れ替わりの迷惑な相手でしかなくて、早く一日が終わって、目が覚めて欲しいって。
早く東京に戻って来たいって。
君のいつもの生活の中に、私はいなくたって……

胸の奥が痛くなる。この痛みはなんなんだろう……?
そんな風に自問しかけた時、教室の扉が突然開いた。

*   *   *

「立花君……?」
夕暮れ時の教室。出入口あたりはだいぶ薄暗くなってきたけど、スラッとした長身の美人さんのことを、私はすぐにわかった。
「あ、高山さん」
彼女の名前は、高山真由さん。
瀧くんの、私の前の席に座っている子。都会に住む女の子らしく立ち居振る舞いがやっぱり田舎暮らしの私とは違うような気がするけど、明るくて元気が良くて、私がこっちにいたらお友達になってみたい、そんな女の子。
彼女は私の前の自分の机から何やら取り出すと、そのまま席に座って、こちらに振り返った。
「一人でどうしたの?高木あたりと一緒に帰ったと思ってた」
秋めいた茜色の光が微笑む彼女を照らす。
「ふふ、高木くんも司くんも今日は用事があるんやって。折角やから、わた……あ、いや俺は学校の探検しとったんよ」
「探検って……」

あ、笑われてしまった。でもまあ仕方ないか、普段ここで生活をする人達にしてみれば、ここはなんてことはない、当たり前の場所で、光景で。
でも、普段田舎暮らしの私にとっては未知の世界。同じ高校生でもこれだけ住んでる環境がこれだけ違えば、私とは考え方とか全然違うのかな?
そんな小難しいことを考えながら、出てきたのは、単純な、素直な、感嘆とも言える言葉。

「東京ってすごいよね……」
「何をいまさら」

今更か。そうだね、瀧くんにとっては、ここで生活してることは『今更』のことなんだろうな。
私にとって、初めて見るもの、感じるもの、ここでの全てが君にとっては当たり前の光景で。
私はこんなに楽しく過ごしているけど、瀧くんはどうなのかな?
ふと疑問に思って、目の前に居る東京の女子高生に質問を投げかけてみたくなった。
「高山さんは毎日、楽しい?」
「まあ、どうだろうね?でも、九月に入ってからはそれなりにいいこともあって楽しい……かな?」
ハニかんだように答えた高山さん。なんだか可愛いなって思えた。
住んでる場所は違っても、そこはやっぱり同い年の女の子らしい感じがして。私は少し安心したように頷いた。
「立花君は、楽しくないの?」
と、今度は彼女から同じ質問が返ってきた。

思わず目を見開く。
楽しい、楽しいよ。
夢にまでみた東京生活。見たこともない光景。お洒落なカフェ、美味しいパンケーキ、大変だけど初めてのアルバイト、素敵な先輩とのお喋り。
こんなに楽しい日々は、今まで私の人生にあったかなってくらい楽しい。
でも、最近は糸守に居る時だって、楽しい。ちょっとだけ、ちょっとだけだよ?……わくわくしてる自分がいるんだ。
だから、楽しいって思えるのは、もしかしたら……

「俺も、九月に入ってから、それなりにいいことあったから」

――君と出会えたからかもしれないね

心の奥底の気持ちに触れるように、胸にそっと手を当てた。
私は微笑んでいたんじゃないかなって思う。

「でも、毎日会えたら、もっと楽しいのかな……」

こんなに素敵な毎日を、もし君と過ごすことができたなら……
そんな風に考えながら、暗くなってきた窓の外を眺める。徐々にビル群に明かりが灯っていく。糸守は夜空の輝き。東京は地上の輝き。
私達、見ているものは違うけど、感じてることは似ていたらいいな……

高山さんは、そんな私を何も言わずに見つめていた。
ふと視線が交わって、私は思わず聞いていた。
「……ねえ、高山さんって好きな人、いる?」
「えええっ!!?」
オーバーリアクション気味に高山さんはずっこける。
「ご、ごめんなさい、変な質問やった?」
「あ、いや、そういう訳じゃないんだけど……突然のことで思わずビックリしてしまいまして」

彼女の言葉で、はたと気づく。
あ、マズイ。私は、今、瀧くんだった。
感覚が完全に女子高生である自分になっていて、思わず女の子同士のつもりで話しかけていた。
「そ、そうやよね。ごめんね、変なこと」
話題を逸らそうとした私の言葉は遮られた。

「いるよ」

彼女の真剣な眼差し。短くても込められたその想い。

「……いるよ」

繰り返された言葉。
いくら私だって気づく。
彼女は、瀧くんのこと……

「そうなんだ……」

心臓が早鳴っている。
それは意図せず彼女の気持ちに触れてしまったから?
それとも、彼女の想いが、真っ直ぐで真剣だったから?
そもそも、私は何であんな質問を彼女に投げかけたんだろう?
何か大事なことに気づかされてしまいそうで、私は逃げるように席を立ちあがる。

まったく、あの男は!
彼女は作らないとか言っときながら、それなりにモテてるじゃない。
君がそんな風に鈍感で、女心をわかってないからいけないんだよ。

心の中で、運命共同体に文句を言い続ける。それは立ち上がったのと同じ。何かから逃げるような行為。
机に座りながら、私を見上げている高山さんの表情は、最近の糸守に居る時の、姿見に映る私を見ているようで……
だから、私は極力彼女の方を見ないようにした。

ダメだよ……
瀧くんには、好きな人がいるんだよ?
とっても素敵な年上の女性。美人で、お洒落で、気さくで、楽しくて、私にないものばかりを持っている。
想いは、届かないよ……

「高山さんは……もし気になる人が、他の人のこと好きだったらどうする?」
そのまま話を終わりにすればいいのに、私は聞いていた。彼女だからこそ、聞いてみたい。そんな気がして。
「私に、それ聞いちゃうかなぁ」
苦笑交じりに立ちあがった彼女。長身の彼女だから、同じくらいの高さの視線が真っ直ぐこちらを見つめた。
「他の人のこと好きなんだとしても、自分の気持ちが"好き"なんだったら……私は、自分らしく"好き"って伝えたいかな」
そう言うと彼女は窓の外に視線を外して、それ以上何も言わなかった。
今、この場で、私である"彼"に伝えるつもりはないんだと思って、正直ホッとした。

「そっか……自分らしく、か」
自分らしく。
私だったらどうなんだろうか?
糸守に居る時の、気持ちを押し隠して生活する自分を思い出して、心の中で苦笑い。
その苦笑いすらも、何か大事なことから目を背けてるような気がした。
「……暗くなってきたし、そろそろ帰ろっか」
「うん、そうやね……」
高山さんからの申し出に安堵したように私は頷く。
彼女と話すことは、自分の心と向かい合ってるようで……ツラかった。


「じゃあ、またね」
「うん、また」
高山さんと別れ、瀧くんの家へと足早に帰る。
やっと今日一日が終わる。夜、ベッドで眠れば明日は糸守。
いつもだったら、まだ糸守には戻りたくない、東京に居たいって思うけど、今日は、早く瀧くんの姿から元の自分に戻りたいって思ってた。

理由はよくわからない。
彼のままでいたくなかった。
帰りの電車、夜の車窓に映る彼と視線を合わせたくなかった。
洗面台の鏡に映る彼の姿を真正面に見たくなかった。
彼の声を聞くのもイヤで喋ることも憚れた。

私は君、君は私なのに。大事なことはまるでわからなくて。
そして、今日一日、とても知りたいと思ってた自分がいる。

それでも日記に残す言葉は、いつもの日常報告だけ。
私の『心』は日記には記さない。

これでいいんだ。これはきっと夢。入れ替わりとは夢を見ること。
だから、目が覚めれば、今日のこの変な想いはちょっとずつぼんやりしていって。
それでいい。
それでいいんだ、と自分に強く言い聞かせる。

彼の部屋の窓を開ける。
間もなく十月。糸守と違って東京の空気は、何かが混ざったようなモヤッとした感じがして決して心地よいとは言い切れないけど、それでも徐々に秋めいた風を肌に感じる。
私は星を見上げた。地上の星に埋め尽くされた都会の夜空は、星なんて殆ど見えないけど、それでも一際輝く一等星。
幾億光年から続く、その輝きをじっと見つめる。
せめて、今この瞬間だけは、同じ空、同じ時間を君と共有しているんだ、そう思いたくて。
私はじっと『おなじ星』を見つめた。

*   *   *

そして、今、私は東京で、星を見上げている。
いつもこの時期は、あの一等星。

探している何か、探している誰か、それが何なのかはわからない。
だけど、宇宙に広がる幾億もの星々の中、たった一つの『おなじ星』を、きっと探している誰かも、どこか遠くで見つめてくれている。そう信じてる。

きっとあの星だけは、私の探し物がわかっているんだ。

だから、星にこの想いを届けてもらえるように。

――ぜったい逢えるから

私は、心の奥底に眠る想いを込めて、そう呟いた。

君の名は。SS 瀧くんの前の席の女の子と高木くんのお話。

劇中、瀧くんの前に座っていた女の子の存在感が気になって、某書で書かせて頂きました。
見た目は存在してますが、キャラ設定等がオリジナルとなるため、オリジナルキャラが苦手な方はお控えください。
それでは宜しくお願い致します。



「いってきまーす」
 まだ夏の眩さを感じさせる太陽が目に飛び込んできて、思わず手をかざす。
 私の名前は、高山真由(たかやままゆ)。都内の神宮高校に通う高校二年生。いわゆるごく普通の十七歳の女子高生!
 身長は一七〇センチ。体重はごにょごにょ。胸はまあ人並みに?髪は黒髪ロング!性格は、良く言えば、明るくサッパリしてて話し易いとか言われてる。悪く言えば大雑把……。
 ま、正面切ってそんなこと言う奴は一人しかいないんだけど。
「おーす、真由」
「ちょっと、高木ぃ!名前呼びは気を付けてって言ってるでしょ。家が隣同士とか知られると色々面倒なんだから!」
「知ってるやつは知ってんだから、別にいいだろ?」
「知らない人にまで知られなくてもいいってこと!」
 こいつは私の幼馴染にして、隣に住む、高木真太。同じ神宮高校の生徒にして、幼稚園から小中高と一緒のおない年の腐れ縁。幼馴染って響きはいいけど、どうせ同じ幼馴染だったら、こんなガタイのいい大男じゃなくて、そう、彼のようなスマートな……
「お前、朝っぱらから、なにニヤけてんだ?」
「うっさいわね!人の顔ジロジロみないでよ」
「へいへい」
 まあ、なんだかんだ言っても、気を遣わないところがコイツのいいところ。だから、こうして一緒に登校してても気楽なんだろうけど。

 いつものように電車に揺られて学校へと向かう。そんな当たり前の通学風景。だけど、九月に入ってからの私はかなりご機嫌だ。だって、この前の席替えで……
「おう!瀧!」
 通学路の前を歩いていた同級生に気が付くと高木が大声で呼び掛けた。その名前に私はドキッとする。振り返ったその人は一度大あくびをすると、こちらに手を挙げた。
「ふぁ……おはよ、高木、高山さん」
「お、おはよう、立花君」

 彼の名前は立花瀧君。高木や私と同じ神宮高校二年のクラスメイト。
 そして、私の、その……好きな人でもある。まあ、好きと言っても、片思いの一方通行な恋ではあるんだけど。
「どうした、瀧?お前、やけに眠そうだな」
「いや、よく覚えてないんだけど変な夢見てさ……」
 三人で並んで校門をくぐる。立花君は、未だに眠いのか目を擦りながら歩いている。と、その手のひらに何か文字みたいなものが見えた。
「立花君、なにそれ?」
「え?ああ、なんだろうな?」
 手のひらを見つめながら、自分のことなのに、まるで訳がわからないように、立花君は首を傾げる。
「油性マジックで書いてあるから、なかなか消えねえんだよ」
「自分で書いたんだろ?」
「いや、それがよく覚えてなくてさ」
「はぁ?」
 高木と並んで話す彼の手のひらがチラリと見えた。そこには『みつは』と書かれていた。
どういう意味なんだろう……?

*   *   *

「プリント、後ろに回してー」
 前から送られてきたプリントを後ろへと回す。私の後ろは立花君の席!九月初日の席替えで、運よく私は立花君の前の席に座ることができた。高校一年の時は別のクラス。今年は同じクラスになれただけでも幸せなのに、こんな近くの席になれるなんて♪
 そんな感じで、九月に入ってからの私は毎日が楽しくてしょうがない。まあ、高木には浮かれすぎだって揶揄われるんだけど。
「はい、立花君」
「あ、ありがとう」

 ……ん?
 なに?今のイントネーション……?一瞬可愛いと思ってしまった。

「ど、どういたしまして」
 そんな風に返したら、えへへっ♪とハニかんだ笑顔を返された。慌てて、前へと向き直る。
 あれ……?今の本当に立花君?
 もう一度振り返ろうと思ったけど、授業中だからそんなことはできなくて。悶々と考えてると先生の話が頭に入って来ない。
「うーん、東京生活は楽しいんやけどなぁ……。やっぱり授業は難しいわぁ」
 背後から、立花君の意味が分からない独り言が聞こえてくる。
「はい、次、高山さん」
「え?あ、はい!」
 先生に当てられて、思わず立ち上がったものの、まずい、全然聞いてなかった……
「え、ええと……」
「一〇五ページの最初のところからやよ」
 立花君が後ろからこっそり教えてくれた。私は続きを読み始めたけど、恥ずかしくて顔が赤くなっているに違いない。

「はい、じゃあ、今日はここまで」
 終業チャイムが鳴り、お昼休みに入る。先生が教壇から離れるのと同時に私は振り返った。
「あ、あのさ、立花君?」
 ん?と彼は小首を傾げる。やっぱり今日の立花君は仕草がいちいち可愛らしい。
「今日の立花君さ、」
「おーい、瀧、メシ行こうぜー」
 何かあったの?と聞こうと思ったところに、横から高木ぃぃ。
「なんだよ、真……高山?」
 私の視線に気づいたのか、高木は一瞬たじろぐように、半歩下がる。
 そこに、どうかした?と、藤井君もやってきた。何となくいつもの男の子三人組が集まると話しかけづらくて、私は、席を立ち上がった。
「やっぱり、なんでもないや」
 私も友人達と昼食を食べるためにその場を離れる。チラリと立花君の方を見れば、いつものように楽しそうな男子三人。やっぱり気のせいかな、そんな風に思いながら、私は友達の輪に加わった。

 ……だけど、それからの立花君は、やっぱり日によってどこか変だった。
 まず、歩き方が内股。走る時は女の子走り。(立花君のそんな姿見たくないよー)
 言葉遣いがちょっと訛ってる。きゃあーとか、うっそーとか語尾が伸びる。(でも話し方、可愛い……)
 授業中に後ろの席でなにやら独り言を呟いている。よく聞き取れないけど、こっちの授業は難しすぎるとか、あんの男はぁ!とか怒ってたり。(男ってなんなの?)
 休み時間に、一心不乱に情報誌を読み漁って、甘いスイーツをチェックしている。(立花君ってスイーツ男子?)
 藤井君が傍にいると、顔を赤くして、あまりに照れてるから、一部の女子の間で注目を浴びてる……etc(高木にも照れてる時があるんだよね……)

 そんな日が数日に一度あるんだけど、翌日になると、何事もなかったかのように普段どおり。
「立花君、あのさ……」
「え?なに?」
 私が好きな、ちょっと話しかけづらい、ぶっきらぼうな立花君に戻ってる。
「昨日のアレってさ……」
「えぇっ!?また、何か……あったのか?」
「疲れてるんだったら、無理しない方がいいんじゃないかな?……その、みんなには内緒にしとくから」
「ちょっ!高山さん!一体何がっ!?」
 逃げるようにその場を離れる私の背後から、立花君の声が聞こえてくる。だけど、言えない……立花君が間違って女子トイレに入ろうとしてたなんて。

「あ、そっか。今は男子トイレやった……」
 そう言って、肩を落としてトボトボ男子トイレに向かった立花君。高木曰く、疲れとかストレスが溜まってる状態らしいけど……本当にそうなのっ!?

*   *   *

 勢いよく部屋の窓を開けると、すぐさま対面の窓が開いた。
「なんだよ、真由」
 窓の縁に手を掛けながら、高木がスマフォ片手に眉をひそめている。さっき、メッセージアプリで、顔を出すように呼び掛けたんだよね。
「ゴメン、最近の立花君、ちょっと気になっちゃって」
「ああ。まあ言いたいことはわかる」
 小さい頃からの幼馴染。家は隣で、互いの部屋は、窓を開ければ対面で。まあ、私達にしてみれば電話なんかするより、こうやって話す方が手っ取り早い。
「ねえ、立花君、どこか調子悪いの?」
「んー……理由はわからねえけど、何か急に言動が可愛らしくなるんだよなぁ」
「可愛らしいって……」
「俺じゃねえよ!司の奴がそう言ってんだって!」
「ええぇ……」
 ちょっとぉ、立花君、本当にそういう趣味ないよね……?

「……それよりお前、今のままでいいのか?」
 私の変な想像を遮るように、頭を掻きながら高木が話しかけてきた。
「何よ、今のままって」
「このまま瀧に片思いのままでいいのかって話」
「……高木には関係ないじゃん」
「そりゃ関係ねえけど……」
 互いに視線を逸らして無言。わかってる。高木は……真ちゃんは、幼馴染の私を心配してるってことくらい。
「ゴメン……真ちゃん。話聞いてもらってるのに、言い方、悪かったね」
「いや、別にいいけどよ」
「……真ちゃんが言いたいこと、わかってるよ。立花君は……奥寺さんだっけ?真ちゃんのバイト先の美人さんのことが好きなんでしょ?」
 自分が、立花君にとって恋愛の対象外だってことくらい、わかってる。だけど、今は立花君以外の人を好きになれそうにないし。だから、片思いのままでいいじゃない。
「いいじゃん。今は現状維持でさ。そのうちチャンスが巡ってくるかもしれないし?」
「巡ってこなかったらどうすんだよ?」
「さあ?そこまで考えてないや。でも、ま、クラスメイトで、立花君の前の席に座れて。名前も覚えてもらってるし、今はこれで十分じゃない?」
 何も変わらないかもしれないけど、少なくとも気まずくなったり、傷つくことはない。恋の勝算がない以上、今はこのままで……
「現状維持……か」
 真ちゃんはポツリと呟くと屋根の間から見える夜空を見上げた。私も追いかけるように空を見上げる。と、空には綺麗なお月様。
「ねえ、真ちゃん」
「なんだ?」
月見バーガー食べたいねぇ」
 お月様を見てたら、何だか急にお腹が空いてきた。思わずお腹に手を当てる。
「お前はお洒落なカフェより、ファーストフードだよなぁ」
「うっさいな、私はみんなでワイワイしてる方が好きなだけ!だいたい真ちゃんこそ、その図体でカフェとか似合わないんですけどぉ?」
「んだと!人がどこ行こうが勝手だろうが!」
「どう見てもデカ盛りのお店がお似合いじゃない」
「余計なお世話だっつうの!」
 お互い顔を見合わせて笑う。幼馴染とのこういうやり取りは、いつも気楽で楽しい。だから……少しだけ恋の痛みを忘れられるようだった。

*   *   *

 そんな感じで日々は流れ、九月も終わりに近づいたある日。夕方、忘れ物を取りに教室に戻ると、立花君が、一人、自分の席に座っていた。
「立花君……?」
「あ、高山さん」
 夕方、窓から差し込んだ夕陽が、窓際の立花君の顔を照らしている。ハニかんだその表情で、今日はいつもとちょっと違う立花君だなって気がついた。自分の机の中から忘れ物を取って、そのまま帰ろうと思ったけど、思わず自分の席に座ると私は後ろを向いた。

「一人でどうしたの?高木あたりと一緒に帰ったと思ってた」
「ふふ、高木くんも司くんも今日は用事があるんやって。折角やから、わた……あ、いや俺は学校の探検しとったんよ」
「探検って……」
 ちょっと子供っぽいなぁと思ったけど、立花君はとっても楽しそうで。こういう時の彼は何だか可愛らしくて、私の好きな彼とはちょっと感じが違うけど、こっちの立花君の方が正直話し易いんだよねぇ。
「東京ってすごいよね……」
 窓の外を眺めながら、しみじみとそんなことを言う立花君に、何をいまさら、と笑って応える。
「高山さんは毎日、楽しい?」
「まあ、どうだろうね?でも、九月に入ってからはそれなりにいいこともあって楽しい……かな?」
 立花君と同じ。きっと私の顔にもオレンジ色の光が差し込んでいて。だから、照れて赤くなってる顔も彼には悟られない……はず。
「そっかぁ……」
「立花君は、楽しくないの?」
 私の問いかけに、彼はちょっと驚いたように目を丸くしたけど、すぐに優しい瞳に戻る。
「俺も、九月に入ってから、それなりにいいことあったから」
 胸に手を当てて微笑んだ彼の表情に、私はドキッとした。それは好きとかそういうんじゃなくて……まるで恋をしている自分を鏡で見ているような感じがして。
「でも、毎日会えたら、もっと楽しいのかな……」
 立花君の好きな人。奥寺さんっていう美人さんのことを、考えてるのかな……。ちょっとだけ切ない気持ちになるけど、自分の立ち位置くらいはわかっている。だから何も言わずにただ無言で笑顔を作る。
 彼は嬉しいのか、哀しいのか、そんな何とも言えない表情で、また窓の外へと視線を向けた。

 蛍光灯も灯っていない、夕暮れ時の教室。そろそろ帰らない?と声をかけようとしたところで、不意に立花君が口を開いた。
「……ねえ、高山さんって好きな人、いる?」
「えええっ!!?」
 まさかの不意打ちに、椅子から転がり落ちそうになる。
「ご、ごめんなさい、変な質問やった?」
「あ、いや、そういう訳じゃないんだけど……突然のことで思わずビックリしてしまいまして」
「そ、そうやよね。ごめんね、変なこと」
「いるよ」
 答えを求めようとしない彼の言葉を思わず遮っていた。
「……いるよ」
「そうなんだ……」
 もう一度繰り返した言葉に、彼はただ一言、そう言うと静かに立ち上がった。
「高山さんは……もし気になる人が、他の人のこと好きだったらどうする?」
 薄暗くなった教室、彼の表情はどこか捉えきれなくて。私も苦笑交じりにゆっくり席から立ち上がった。
「私に、それ聞いちゃうかなぁ」
 恋愛対象外……わかってはいるけど、ちょっとしんどいなあ。でも、今の状況を良しとしている自分。現状維持を望んでいるなら、私の答えは……?

「他の人のこと好きなんだとしても、自分の気持ちが『好き』なんだったら……私は、自分らしく『好き』って伝えたいかな」
 そう言って薄暗くなった窓の外を眺める。
 自分でも、なぜこんな答えを出したのかわからない。ただ、ちょっと変わった立花君は、どことなく恋する自分自身を見ているようで。だから、嘘がつけなかったのかもしれない。

「そっか……自分らしく、か」
「……暗くなってきたし、そろそろ帰ろっか」
「うん、そうやね……」
 それ以上は、二人きりでいるのがツラくて……。だから無理矢理、話を切り上げた。
だけど、可愛らしい立花君とちゃんとお話できたのは、それが最初で最後だった……

*   *   *

「じゃあ、またね」
「うん、また」
 帰り道、立花君と別れて一人歩く。二、三歩、進んだところで振り返る。立花君は私の視線には気づかないまま、歩いていく……
 すっかり暗くなった夜の街。脇を次々走っていく車の赤いテールライトだけがやけに目に映える。
「何やってんのかなぁ、私は」
 自嘲するように呟くと、再び帰路につく。彼との二人きりの時間は嬉しかったのか、ツラかったのか。説明できそうにない複雑な想いを胸に、立花君と出会った頃のことを思い出していた……。

 

 放物線を描いたボールがリングに吸い込まれた。その人はガッツポーズを決めてチームメイトと喜び合っている。
「勝った!!」思わず私もそう言って、飛び跳ねていた。

 中学三年生の時、たまたま友達と自分の学校の応援で来た春のバスケットボール大会。
空き時間に観た男子の試合。その選手の一人が立花君だった。後から聞いた話だと、立花君の相手校は強豪校で、素人の私から見ても体格は相手校の方が優れていたように見えた。
 だけど、彼を中心に声を出し、懸命にボールを追って、最後まで接戦が続いた。残り数秒で相手チームのシュートが決まって一点差。もう無理だ、と思ったけど、立花君だけは諦めてなかった。
 勝利を確信していた相手の油断を突いて一気に走り出すと、仲間からのロングパスを受け、そのままシュート。直後に鳴った試合終了を告げるブザー。
 そして、ボールは……そのまま静かにリングに吸い込まれた。

 その時は遠目だったし、名前も顔もはっきりわからなかった。ただ、一生懸命で、最後まで諦めないその姿勢、そしてとても綺麗なシュートフォームが、私の心の中に印象的に刻まれた。
 そして翌年。神宮高校に入学して暫く経った頃、屋上で友達とお昼ご飯を食べてると、真ちゃんが友達とバスケットをしてる姿が見えた。相手は真ちゃんに比べてひとまわり小さい。バスケって身長高いと有利だよね……そんな風に思いながら眺めていた私の考えは一瞬で覆った。
 切れ味のあるドリブルとターンで真ちゃんを躱すと、時間が止まったかのような綺麗なシュート……放たれたボールは綺麗な弧を描き、リングに吸い込まれた。
「あ……!」私は弁当箱を手に思わず立ち上がった。
「どうしたの?真由」そんな私を呼びかける友達の声は聞こえなかった。
 気づいたから。彼だって!

「真ちゃん!あの人、知り合いなのっ?」
 その夜、いつものように窓越しの会話。
「誰だよ、あの人って?」
「今日、お昼休みに屋上でバスケしてたでしょ!その時居た、ちょっとツンツン頭の男の子!!」
「ああ、瀧のことか?」
「そっか、瀧くんって言うんだ……」
「瀧がどうかしたか?」
「い、いや、ちょっと、ね……」
 どうかした?と改めて言われると確かにどうしたいんだろう?ただ、彼のことを想うと今まで感じたことがない感情が、私の中に芽生え始めていて。
「いやぁ、アハハ。なんだろうね?」
 その時はまだ説明つかない想いがくすぐったくて、それを誤魔化すように当時ショートボブだった髪の毛をワシャワシャした。そんな私を、真ちゃんは驚いたような、困ったような複雑な表情で見てたっけ……

 それが恋だと気づくまで、それほど時間はかからなかった。
 真ちゃんの紹介で挨拶したり、彼は黒髪ロングが好きだからって髪を伸ばしてみたり、雑誌とかを読んだりして、女の子らしい服装を研究してみたり。我ながら、恋する乙女をやってるなぁと思う時もある。サッパリした性格の私としては、らしくないかなぁと思う時もある。でも、それでも、初めて見かけた時から二年とちょっと。彼だけを見つめ続けてきたと……思う。
 そして、今年。立花君と同じクラスになれて、現在に至る。九月が終わり、もうすぐ十月。二年生も残り半分。高校生活も残り半分。このまま何も変わらないまま、それでいいのかな……?
「このままでいいと思ってたのにな……」
 不意にそんな言葉を口にした自分自身に少し驚く。私は立ち止まると、彼がいないことは分かってるのに、もう一度だけ今来た道を振り返った。

*   *   *

 十月初旬を終えた頃から、立花君は急に考え込むようになった。
 気が付くと、頬杖をついて窓の外を眺めている。休み時間、スマフォを見つめる表情はどこか寂し気で、イラついているようで。九月の時みたいに、授業中や休憩時間に彼の独り言が聞こえてくる。『ったく、あいつは』とか『電話くらい繋がれよな』とか、ボヤきのようでいて、どこか祈るような独り言。

「立花君、どうかした?」
「あ、いや……なんでもないよ」
 笑って応えてるつもりなんだろうけど、立花君は不器用だから、全然、なんでもないようには見えなくて。
 ちょっと変わった立花君は、あれからすっかり見かけなくなったけど、あの可愛らしくて、話し易い雰囲気の彼に会えないのは、ほんの少しだけ寂しい気がした。


 スマフォを片手に開けた窓の外を眺めてると、対面の窓が開いた。
「おっす、真ちゃん」
「なんか用かよ」
 腕を組みながら恨めしそうな顔してる真ちゃん。
「露骨にイヤそうな顔しないでよ」
「そろそろ夜は窓開けてると寒ぃんだよ」
「そんなんで風邪引きそうな顔してないじゃん」
「顔は関係ねえだろうが!」
「まあまあ、落ち着こうじゃないか。高木くん」
「お前なぁ……」
 本題は別だってことくらい、長い付き合いだ。真ちゃんもわかってる。だけど、いつものように気軽な掛け合いに付き合ってくれる。だから、いつも本音で話せるんだよね……

「で、瀧のことなんだろ?」
「んー……ねえ、立花君、九月の頃とは違うけど、最近また変じゃない?」
「……まあ、な」
「何か知ってるの?」
「ま、色々と、な」
「聞いてもいい感じ?」
 遠慮がちに聞いてみる。真ちゃんは私の顔を見て少し考え込んでいたけど、そのまま無言で見つめていると、最後は折れたように大きくため息を吐いた。
「良い話と悪い話。……あと、俺の話になるけどいいか?」
「俺の話って何よ?」
「まあ、俺の話だ」
「訳わかんない」
 肌に触れる空気はだいぶ冷たくなってきて。私は、耳元の髪をかき上げると、聞かせて、と続きを促した。
「……瀧のやつ、この前、奥寺先輩とデートしたんだと」
「それは良い話?それとも悪い話?」
「最後まで聞け。……デートはしたけど、うまくいかなかったらしい。真由的には良い話なんじゃないのか?」
「そういう意味か……」

 奥寺さんとデートはしたけど、特にこれといった進展もなく終わったらしい。で、今のまま、バイトの先輩後輩の関係を続けていきましょうってことになったみたい。
 でも、真ちゃんは良い話っていうけど、それって立花君的にはどうなのよ?

「じゃあ、私的に悪い話ってのは?」
「……瀧のやつ、誰かに会いに行くらしい」
「誰かって?」
「そこまでは知らねぇ」
 真ちゃんは、あからさまに私から視線を逸らした。なるほど、そういうことね……
「……好きな子かぁ」
「たぶんな……。けど、相手が誰かまでは本当に、俺も、司も知らねえんだ。……悪いな」
「真ちゃんは、何も悪くないじゃん」
 最近の立花君の感じで何となく気づいてた。誰かのことを真剣に考えているんじゃないかって。そしてその想いは、奥寺さんの時よりずっと本気な感じがして……
 だから、奥寺さんとのデート、うまくいかなかったんじゃないのかな?

「で、真ちゃんの話ってのは?」
「……お前は幼馴染だけど、瀧も俺の親友だからさ。だから、どっちかだけを応援することはできねえ。瀧も真剣みたいだし、あいつが本気で会いたいって思ってんなら、俺は……ちゃんと応援してやりたい」
 気まずそうにそんなことを言う真ちゃんに、私は思わず吹き出した。
「バッカだねぇ、真ちゃんは」
「は?」
「そういうところが真ちゃんのいいとこじゃん。親友らしく、しっかり立花君のこと応援してあげなよっ!」
「真由は……いいのかよ?」
「私は、私で色々考えてる。だから……大丈夫」
 自分を納得させるように大きく頷くと、もう一度、大丈夫、と呟いた。

「ねえ、真ちゃん……」
「なんだ?」
「そろそろ肉まんが恋しい季節だね……」
「……どうしてお前は、こういう時に食いもんの話になるんだよ?」
「なんでかな?真ちゃんと話してると、お腹空くんだよねぇ」
「人のせいにするんじゃねえよっ!」
「真ちゃん、肉まんみたいな体格だから?」
「お前なぁ!」
 言い合いしながら、最後はお互い可笑しくて。思わず浮かんだ目じりの涙を指先で拭いながら、口にはできないけど、大事な幼馴染に感謝する。 
 真ちゃん……今日も話に付き合ってくれて、ありがとう。

*   *   *

 十月の、とある金曜日。立花君と藤井君が学校を休んだ。一部の女子がなんだか盛り上がってたみたいだけど、私は何となくわかってた。きっと今日行ったんだなって。
 授業中。窓の外に広がる秋晴れの空を眺めながら、私は微笑みを浮かべていた。
 だって学校を休んでまで、好きな人に会いに行こうとする立花君は、初めて彼を見た頃から全然変わらずに、真っ直ぐで一生懸命だなって思えたから。ちょっとぶっきらぼうで話しかけづらいけど、そんな彼のことが好きになったんだなって改めて気づいて、どことなく嬉しい気がした。

 お昼休み。二人が居ないから珍しく教室で一人で昼食を食べていた真ちゃんに視線を送ると、私に気づいて二、三度、頷いてくれた。夜に話できないかなと思ってメッセージを入れたけど、金土日とバイトのシフトが入ってるらしくて、忙しそうだったから私はそのまま連絡は取らなかった。
 そして、週明けの月曜日……

「おはよう、高山さん」
「え……?」
 振り返って一瞬、誰?って思った。
「どうかした?」
「あ、立花君か……ごめん、ちょっとボーっとしてた」
 そんな風に答えて誤魔化した。今、目の前にいる立花君はとっても大人びて見えて。正直別人だと思ってしまった自分がいた。
「今日は高木と一緒じゃないんだね」
「あ、うん。何か週末疲れて寝坊したみたい」
「そっか……高木には今度、メシ奢らなくちゃなぁ」
 首の後ろを掻きながら、立花君は苦笑いしている。
「あ、あのさ、立花君?」
「え?なに?」
「週末、どうだった?」
「あ、もしかして、高木から聞いてた?」
「う、うん……」
「いや、俺もよくわからないんだよね……。何か目的があったと思うんだけど」
 そう言って微笑んだ立花君の表情は、笑ってるんだけど、どこか欠けている、そんな感じがした。でも、それが何なのか、私自身もうまく聞き出すことができなくて……。何か大切なことをするために、立花君は学校を休んだと思ってたんだけどな。
「あ、司!」
 前にいた藤井君に気が付くと、立花君は、じゃ、先行くから、と言って駆け出した。
 そんな彼の後ろ姿を眺めながら、私は通学鞄を握りしめた。何故か、あっという間に彼との距離が空いて、遠くに置いてかれてしまったような、そんな気持ちになっていた。

 それからの立花君は、九月からのような変なところはなくなった。むしろ、前より雰囲気が優しくなったような感じもする。だけど、私は、以前にも増して、どこか話しかけづらいと思うようになっていた。
 理由はよくわからない。ただ、何かを探しているような?大事なことを思い出そうとしてるような?人知れない決意をその目に宿して、どこかを見つめているような……?
 彼が時折見せるそんな姿は、とても危うい感じがして。何とかしてあげたいって思うけど、彼の心に今の私なんて、まるで届きそうになくて。

 ……人って、こんな短期間のうちに変わってしまうものなのかな?
 立花君は……とても大事なものを見つけて。悲しい出来事があって。大きなことを成し遂げて。大切なモノを失いながらも、自分自身で大きな決断をした……
 もしかしたら彼は、そんな風に大きな大きな経験を積んで、少し大人に成長したのかもしれない……。

 ずっと彼を見ていたから理解した。人は成長していくんだってこと。
 現状維持。このままでいい、なんて思ってるうちに、今のままですらいられなくなる。そんなことに今更気づいた。
 だったら、私はどうすればいい?ううん、答えなんかとっくに出てた。ただ私が、その答えを拒み続けてきただけ。
 私は、立花君に……

*   *   *

「私さ、立花君に告白しようと思うんだ」
 いつもの窓越しの会話。私の言葉に、それまで軽快に掛け合いしてた真ちゃんは押し黙った。
「いつまでもこのままじゃダメだと思うんだよね……」
「……やめとけよ」
「なんで!」
 ポツリとそう言った真ちゃんに、私は大声を上げた。
「真ちゃん、前に言ってたじゃん。『今のままでいいのか?』って」
「そりゃ、言ったけどさ。……瀧のやつ、今は誰とも付き合ってないけど、だからってお前のこと、そういう対象で見てるかって言ったら、」
「知ってるよ!私をそんな風に見てないってことくらい!」
 静かな秋の夜。いつものような気楽な会話にはならなくて。気まずい空気が二人の間に流れる。
「だったら……いいじゃねえか。今のままでさ。最近のお前、気づいてるかわかんねえけど、前よりずっと本気みたいだからさ、だから……お前が傷つくの見たくねえよ」
 ハッとして真ちゃんの顔を見る。昔から変わらない、その大きな体以上に大きな心を持った幼馴染。私のこと心配してくれて、本当に感謝してる。だけど……私、決めたんだ。
「でも、このままじゃ、何も変わらないんだよ……」
「真由……」
「私、変わりたい。好きな人がどんどん変わっていくのに、そんな彼のこと好きな私が、何も変わろうとしないなんて、そんなのイヤだって、初めてそんな風に思えたから」
 真ちゃんは何も言わなかった。色々言ってくるけど、最後は私のやることを認めてくれる。そんな幼馴染だから……
「ありがと。結果がどうなろうと、真ちゃんにはちゃんと報告するからさ」
「本気なんだな?」
 真ちゃんの言葉に私はしっかりと頷いた。
「わかった。俺が瀧に告白できるように段取ってやる」
「え……?」
「お前、言っただろ?大事な親友は、ちゃんと応援してやれって。お前も俺の大事な……」
 そこで少し真ちゃんは言い淀んだけど、咳払いすると、
「だから、お前が真剣なら、ちゃんと応援してやるから、まかせとけ!」力強く、そう言ってくれた。
「……うん、ありがとう」
 御礼を言うと、私は口角を上げる。ふと疑問に思ったことがある。そういえば、いつも私の話ばっかりで聞いたことなかったなって。

「ねえ、真ちゃん……」
「なんだ?また食いもんの話か?」
「んー……真ちゃんってさ、好きな人いないのかなって」
「ブッ!?」
「真ちゃんだったら、いい人見つかると思うんだけどなぁ」
「ハァ……お前な、それ俺に聞くか?」
「へ……?」
「風呂入る。告白の件はまた今度な」
 どこかであったようなやり取りだなぁなんて思いながら、今は自分の告白のことで頭がいっぱいで。
 真ちゃんが窓を閉めた後も、少しだけ秋の星空を眺めていた。

*   *   *

 屋上へと続く階段を駆け上がっている。
 十一月に入った、とある日の放課後。予定通り、真ちゃんが立花君を屋上に呼び出してくれた。スマフォに入った真ちゃんからのメッセージ。今、屋上にいるのは立花君だけだって。
 駆け上がった最後の踊り場、手すりに手を添えて屋上へ続く扉を見上げると、そこには幼馴染の姿があった。
「早かったな」
「まあね」
 呼吸を整えるようにゆっくりと階段を上る。そして屋上への扉に手を伸ばす。と、その前に横で腕を組んでる幼馴染へと顔を向けた。
「真ちゃん、ありがとう」
「おう……」
「高山真由、勝負してきます♪」
 敬礼ポーズをキめると、ドアノブに手を掛けた。
「……真由ッ!」
「何よ?」
 振り向けば、真ちゃんが心配そうな表情をしてた。だけど、天井を仰ぐと、少しぎこちなかったけど、いつもみたいにニカッと笑ってくれた。
「いや、なんでもねえ……ガンバレよッ!」
「まっかせといて!」
 サムズアップして見送る彼に、ピースして明るく答える。

 さあ、二年分の想いを込めて、告白しよう!

 屋上への扉が開いた。目に飛び込んで来たのは、不思議なくらいに真っ赤な夕陽。一瞬、その光を手で遮り、目を細める。
 立花君は……どこ?
 徐々に陽が沈み、夕闇と夕焼けが混ざり合うような空が世界を覆う。この前の古典の授業で、こんな時間のことを習ったような気がする。あれは、ええと……誰そ彼時?逢魔が時だっけ?
 ふと、現実とは違う世界に紛れ込んでしまったような、そんな感覚に陥る。

 誰も居ない晩秋の屋上。ネット脇に佇むようなシルエット。
 居た、立花君だ!
 駆け寄ろうとした……だけど、足が動かない。
「……参ったなぁ」独り呟く。
 高校の屋上。二人しかいないはずの黄昏時。だけど想い人の傍には女の子がいた……

 最近の彼は、どことなく寂しそうで、辛そうで……何か大切なものを失ってしまったように危うくて。
 だけど、今の彼は……なんて幸せそうなんだろう?
 あんな立花君の顔、見たことないや。二年間ずーーっと彼を見続けてきたのに、初めて見るその表情。だけど、すぐにわかった。

 彼は本気で恋してるんだね。大切な誰かがいて、その誰かをとってもとっても大事に想っていて……。誰かって?そんなの決まってるじゃない。それはあの傍にいる女の子。
 そして、あの子もまた、立花君のこと……

 正面で見つめ合ってる訳でも、抱き合ってる訳でもない。望んでも逢えないかのように、互いに背中合わせで、それでも少しでも結びつこうと必死にもがいている。
 だけど……そんな二人の姿はどこまでもお似合いで。満たされていて。私の入り込む余地なんて、まるでないことを悟ってしまう。

 さざ波が引くように辺りから陽の光が消えていく。と同時に彼女の存在が淡くなっていく。その子は、振り返りながら最後に彼に言ったような気がした。

 ――ぜったい逢えるから――

 そう、微笑みながら。
 二人が出逢うことは必然であるかのように……


 暗くなった屋上。私はゆっくり立花君に近づいていく。
「立花君……」
「ああ、高山さん。ゴメン、居たんだ、気付かなくって」
「ううん……ねえ、立花君?」
「なに?」
「わたしさ、立花君の前の席だから、気になっちゃって」
「え?気になるって何が?」
「最近、元気ないぞ!何があったか知らないけど、元気出さないと彼女に嫌われるぞ!」
 私の精一杯の強がり。彼の背中をバンッと叩いて激励する。だって、立花君、これからもあの女の子を探し続けるんだろうから……

 そして、バイバイ、私の恋。

 あーあ、もっと早くに言っておけば良かったな。次に恋する時は、ちゃんと言えるように強くなりたいね……
 不意に視界がボヤけて、私は振り返る。
「それじゃ、私、行くから!」
「え?それだけ?」
「高木と待ち合わせしてるんでしょ?」
「そうだけど……よく知ってるね」
「まあね、あいつとは幼馴染だからさ。じゃ、また明日!」
 私はそのまま屋上を振り返ることなく走る。扉を開ければ、そこには……
「真由……」
「アハハ……ゴメンね、真ちゃん。私、結局言えなかったよ」
「そっか……でも、次があるだろ?今度はさ、」
 その言葉に首を振る。
「私ってば、情けないなぁ。もっと早く告白してれば良かったよ。そうすればさ、振られるんだとしても……」
「真由……?」
「……私、あんなの見たくなかったよ」
 抑え込んでいた涙が零れかけて慌てて拭う。
「なに?どうしたんだよ!」
「ゴメン……真ちゃん。御礼はまた今度するから、じゃあ」
「真由ッ!」
 真ちゃんの呼び止める声が聞こえたけど、これ以上はきっと抑えられないから……。私は、全力で階段を駆け下りた。

*   *   *

 飛騨から帰ってきて、無意識にしていることがある。
 焦った時や気まずい時に首の後ろに触れること。自身に何かを問い掛けるように鏡に映った自分の瞳をのぞき込むこと。朝、玄関から出て、見慣れた風景をひとしきり眺めること。そして、自分の手のひらを見つめること。
 気がつけば、さっきも手のひらを見つめていた。そこに何があったんだろうか……?考えても、いつも答えは出ない。だから何もわからないまま、ギュゥとその手を握りしめる。

 ――ぜったい逢えるから

「え……?」
 誰かの声が聞こえた気がした。振り返っても誰もいない。だけど、さっきまで自分の心を覆っていた苦しさは、どこかに消えていて。気がつけば俺は微笑んでいた……
 そうだった、もう一つ。俺が無意識にしていること。
「そうだな、ぜったい……だよな」
 俺は探し続けてる。もう一度、誰かと出逢うために。

「瀧……」
 呼び掛けられて我に返る。そこには親友の姿があった。

*   *   *

「高木、おっせーよ」
「悪かったな」
「なんだよ?おっかねえ顔して」
「……瀧、悪いが一発殴らせろ」
 いつもにこやかな高木が、瀧の前に詰め寄ると、静かに言い放った。
「はあ?お前、いきなり殴らせろ、はい、わかりました、なんてありえねえだろ?」
「わかってる……お前が悪い訳じゃねえし、俺が一方的にむしゃくしゃしているだけだってことくらい。だから、お前を殴って、俺のこと嫌うなら仕方ねえ」
 右の拳を握り締めながら、辛そうに高木は呟いた。
「だけど、俺は……真由を泣かせる奴は、やっぱ許せねえんだ」
「真由って?あー、なんだよ、そういうことかよ」
 瀧は何となく気がついた。自分の前の席に座る彼女の想いと、親友の想いに。
「ったく、しょうがねえなぁ」
 瀧は首の後ろを掻くと、高木を見据える。
「殴られてやるよ。だけど、その前に俺の言うこと二つ聞けよな」
「ああ」
「一つ目。俺のこと殴っても親友やめんなよ!」
「瀧……」
「そして、二つ目」
 瀧の瞳を湛えている想い。それは高木にとっても、初めて垣間見るものだった。
「……大事だと思える人がすぐ傍にいるって、幸せなことなんだぜ?」
 高木も感じていた。飛騨から戻ってきた瀧が、少し変わってしまったことを。だけど、何もしてやれることはなくて、できることは今までどおりに接することだけだった。
「後悔だけはすんなよ」
 エールを送るかのように、瀧は高木の胸板を軽く叩く。
「よっし、殴られてやるかぁ」瀧はギュッと目を瞑る。
「悪いな……瀧!」
 高木は瀧の顔めがけて右拳を……

 ビシッ!!

「いってぇぇ……」
 額を抑えて瀧はうずくまっている。高木の一撃は直前でデコピンに切り替わった。但し、通常より強烈なデコピンであったが。
「やっておいて何だが……大丈夫か?」
「お前に本気で殴られるよりマシだろ?」
 伸ばされた高木の手を取ると、額をさすりながらゆっくりと瀧は立ち上がる。
「……悪かったな」
「いいって……お前の方が大変だろうしさ」
 そう言うと瀧は、高木の肩をポンポンと叩いた。
「なあ、真由じゃダメなのか?アイツ、いい奴だぜ」
「知ってるよ。だけど、彼女、お前といる時が一番生き生きしている気がするけどな」
「……距離が近すぎるってのも色々あんだよ」
「そっか……それでも俺は、傍に居られるお前が羨ましいよ」
 薄暗くなった神宮高校の屋上。夜空を見上げる瀧の姿を見て、高木は気がついた。きっと瀧を変えた『誰か』でなければ、親友の想いを満たすことはできないのだと。

*   *   *

 制服姿のまま、ベッドの上で寝転がっている。
 何も変わらなかった。結局、立花君に私の気持ちを伝えることはできずに、それでも私の恋は静かに終わりを迎え、このまま何事もなく、明日が始まる。
 ちょっと前までは、このまま何も変わらなくていいと思っていたのに、今は変えられなかったことが悔しくて。失恋したことよりも、そっちの方が何故かとても悲しかった。

 暗がりの部屋の中、スマフォの着信音が鳴った。寝転がったままディスプレイを見れば『高木真太』の表示。……でも出たくなかったから、そのまま着信拒否。……と、またかかってきた。
 真ちゃん、今日くらいはそっとしといてくれればいいのに……。とは言え、今日のことは、かなりお世話になったしな。着信ボタンを押すと、はい、と短く答える。
『今どこだよ?』
「んー……部屋にいるよー」
『電気、点いてねえじゃん』
「真由さんは、明るいとストレスが溜まるって知ってた?」
『夜行性かよ。いいから顔出せ』
「ええぇ……」
 電話の向こうでガラッと窓が開く音がした。季節は十一月、夜は寒いのに……まったく。
「わかったわよ」
 通話の終了ボタンを押すと、のそりとベッドから起き上がり、カーテンを開いて窓を開ける。窓から入り込む肌寒い外気が頬に触れた。だけど、泣いた後の顔には心地いいな、そんな風に思えて口許が緩んだ。

「よお」
「よお」
 互いに軽く手を挙げる。
「……大丈夫か?」
「んな訳ないじゃん」
「だな……」
「でしょ……?」
 お互いに声を出すことなく無言。真ちゃんも私を呼び出してみたものの、いざってなると何を言っていいのかわからないみたいで視線が泳いでる。

「それじゃあ……今日はこの辺にしとくか?」
「なによ!わざわざ呼び出したんだから、話に付き合いなさいよっ!」
「いいのかよ」
「いいのよ」
 いつもの気軽な掛け合い。こうやって会話のスイッチを入れれば、きっと大丈夫。

「……まあ、なんだ、お疲れ、か?」
「うん、疲れた……まあ、何も言えなかったんだけどね」
 あはは、と取り敢えず笑っておく。だけど真ちゃんは、そんな私の笑いを見透かしたかのように眉をひそめた。
「本当にもういいのか?」
「……うん、言えなかったけど、しっかり振られた」
 もう、これ以上ないってくらい完璧な振られ方。

 想い人には誰よりも大切な人がいる。そして、その子以外の人を好きになんて絶対にならない。
 私が好きになった彼は、真っ直ぐで一生懸命で。
 結ばれた絆を手繰り寄せるまで、絶対に諦めない。
 そんな……人だから。

 私は寄りかかるように窓枠に腕を乗せた。少し俯けば、長く伸ばした髪が頬に触れて、そっとかき上げる。
 黒髪ロングが好みだって聞いてたのにな……
 バスケットボール大会で初めて見た時、カッコよかった。最後まで諦めない姿勢、尊敬してる。
 ぶっきらぼうだけど、本当は照れ屋で、口下手なだけなんだよね。結構優しいところがあるって、ちゃんと知ってるよ。
 
 他にも色々、いっぱい、沢山……

 だって……私……ずっと立花君を見続けて来たんだから。 

 想いが胸に詰まって、大きく息を吐き出すと顔を上げる。
「ねえ、真ちゃん」
「ん?」
「折角だから、聞いてよ。言えなかった告白さ……」
「ヤだよ、なんで俺が……」
「誰かに聞いてもらえれば、少しはスッキリするかなって」
 真ちゃんは、いつかみたいに困ったような表情で私を見つめていた。だけど、やっぱり最後は、仕方ねえな、と言わんばかりの大きなため息を吐いて、
「……俺でいいのか?」そう言ってくれた。
「真ちゃんなら、一番安心だよ」
「……わかった」
「ありがとう……」

 私は、目を瞑って、言えなかった彼への想いを口にした。
 そうして目を開ける。真ちゃんはいつもみたいに、私のことを見ていてくれた。それが何とも言えないくらい安心感があって、ちゃんと言えたんだって思ったら、急に涙が零れてきた。

「アハハッ、結局さ、私、何にも変わらなかったねぇ」
「んなことねーよ」
「え……?」
「カッコよかったぜ。……お前の二年分の想いは俺が知ってっから。だから、うまく言えねえけど、お前、ちゃんと変われたよ」
 変わったって言ってくれた幼馴染の言葉が、何より嬉しくて。だから、嬉しいから、これ以上は泣きたくなくて、私は夜空を見上げた。
「そっか……変われたのか。そっか、良かったぁ」
 真ちゃんも黙って同じように空を見上げる。彼に想いは届かなかったけど、今日という日は、きっと私にとって大きな大きな一日になったんじゃないかな……

*   *   *

「いってきまーす!」
 めっきり寒くなってきた朝。吐いた息がいつもより白い。
「おーす、真由」
「おはよ、真ちゃん」
「何?どうした?お前その髪型」
「ふふっ、どう?少しイメチェンしてみました♪」
 後ろに束ねた黒髪。所謂ポニーテールってやつだ。
「まあ、失恋したことだし、髪切ってもいいんだけどさ。……お小遣い入らないと美容室に行けないんだよね」
 束ねられて揺れる黒髪に触れながら、苦笑いする。
「お前……中途半端だな」
「うっさいな、ないものはないのよっ」
「どんだけ無駄遣いしてんだよ」
「ハァ……私も真ちゃんみたいにバイトしよっかなぁ」
 そんなことを呟きながら、チラリと隣を歩く幼馴染を横目で見る。
「なんだ?」
 視線に気づかれたか……

「昨日は……ありがとね」
 ちょっと照れくさくて、言うことをためらっていた御礼を歩きながら口にする。
「まあ……また頑張れ」
 真ちゃんはこちらに顔を向けるでもなく、そう返してくれた。
「そうだね……でもまあ、暫く恋はいいかな?」
「そうなのか?」
「これでも一応、失恋を引きずってる身ですので」

 ……あれ?真ちゃんからのツッコミが入らない?

「なあ、真由」
「んー?」
「俺も『現状維持』やめることにする」
「へぇ……いいんじゃない。今度は私が応援してあげよっか?」
 私の言葉に真ちゃんは立ち止まった。振り返ると、そこには、やけに真剣な表情の幼馴染がいた。
「……お前、俺に御礼してくれるって言ったよな?」
「言ったっけ?」
「言ったんだよ。ったく……」
「わかってますって。その節はお世話になりましたから、何なりとどうぞ」
 手のひらを差し出して、続きを促せば、返ってきたのは意外な台詞。

「……カフェ行かね?」
「は?」
「いや、だから、一緒にカフェ行こうぜ?」
「私はファーストフードの方が合ってるって言ってなかったっけ?」
「お前が騒いでも大丈夫な店、選んでやるよ」

 私は目をパチクリする。
 失恋の痛みはまだあるけど、自分がこうして今日も自分らしくいられるのは、大事な幼馴染のおかげのような気がして。
「……しょうがないなぁ」
 私はまた前を向いて歩き始める。と、早足で追いついてきた幼馴染が横に並ぶ。

 季節は秋から冬へと移り変わる。きっと高校生活は、キラキラした毎日に気づかないまま、日々が過ぎ去っていくんだろう。
 だから、振り返った時に、今という時間が煌めく思い出だったと笑って思い返せるように、私はこれからも変わっていきたい。

「で、いつにするの?デート」
「デ、デートじゃねえよッ!」
「あれ、違うんだ?」
「あ、いや、違うって訳でもねえけど……」
「じゃあ、お互い、相手ができた時のためのデートの練習ってことで?」

 また、少しだけ何かが変わり始めたのかもしれないね……

*   *   *

設定みたいなあとがきです。
お話自体は終わっておりますので、ご興味のない方はここまでで大丈夫ですよ。


◇高山真由(たかやままゆ)
十七歳 神宮高校二年生
身長一七〇センチ(長身)Cカップ
長身スレンダー体型
一人称は『私』。性格はサッパリ系。言葉遣いもさっぱりしている。ポジティブ思考。
高木真太は家が隣同士の幼馴染。幼稚園からというより実際は赤子の頃からの付き合い。二階の自身の部屋の窓を開けると、正面が高木の部屋。
高木のことは普段は『高木』と呼んでいるが、二人きりの時は自然と『真ちゃん』と呼んでしまう。
好きな食べ物はラーメン。今はと或る店の麻婆ラーメンにハマっている。
山椒の効いた麻婆豆腐単体でも美味しいのに、それがラーメンに乗っていて、麺を食べ終わってから割スープを入れるとまた味が変わって美味しい♪と言って高木を連れ回す。
なんか大学生くらいのお兄ちゃんが居そう。

モブ子さんにして本作主人公。瀧くんに恋する子という立ち位置ながら、キャラ設定はあくまで高木くんと対になるように構成(高身長や、名前を高木真太に似せて)。
ポッと出のオリジナルキャラなので、難しいバックボーンは作らずに、隣に住む幼馴染ということで、皆さんが"あるある"イメージを抱いて頂けるように。また、性格も明るく、裏表のないわかりやすい子として構成しました。
反面、どろどろとした(笑)恋愛感情は避けましたので、彼女の"恋ごころ"という点おいては若干弱かったかもしれませんね。
そんな感じで書き始めていたら、月を眺める→月見バーガー→お腹空いた→腹ペコキャラに(笑)
その後も、やれ肉まんだ、ラーメンだと、常にお腹を空かせてます。何となくですが、両手をしっかり合わせて『いただきます』して、美味しそうに白米を食べてそうなイメ―ジが。
本編前後、モブとしての彼女の視点から瀧三を見た物語でした。片思い、失恋という結果となりましたが、書いていた私自身、この子の明るい性格には助けられた、そんな気がしてます。


◇高木真太
十七歳 神宮高校二年生
一人称は『俺』。身長は一八〇センチくらいありそうですが……
立花瀧の親友の一人にして、高山真由の幼馴染。相手の呼び方は『真由』ということが多いが、真由自身はあまり家が隣の幼馴染ということを大っぴらにしたくないので、名前呼びは控えてもらいたい感じ。
こちらも性格はサッパリ系。長身の真由よりも背が高いため、二人が並んでいても違和感なし。(一緒に居た高木の方がずっと背が高かったので、真由は高身長であることのコンプレックスはそれ程感じていない)
いつ頃からか、真由を幼馴染ではなく、好きな人として意識しているが、距離(気持ち的に)が近すぎて、相手は全く気付いていない。更に真由が親友の瀧に片思いをしていることも知っており、高木自身も、幼馴染という関係の現状維持を望んでいた。
なんか大学生くらいのお姉ちゃんが居そう。

本作のもう一人の主人公。
本編中では相手がいませんが、気は優しくて力持ちなイメージ(笑)で、彼女がいてもおかしくない気も。
コメで呟いた『高木くんと瀧くんの前の席の子が幼馴染で~』みたいな話が本当にカタチになってしまいました(笑)
真由の家族以外で、彼女を一番大事にしているのは高木くんだと思ってます。

一番大変だったのは、本編中、飛騨に行く瀧の代わりにバイトを引き受ける"まっかせとけ!"
真由のことを考えるとスンナリ引き受けることはできないよなーと思いつつ、必死に言い訳を考えました(笑)


立花瀧
十七歳 神宮高校二年生
高木真太、高山真由とは同じクラスメイト。
主に本作後半に登場。糸守からの帰還後はある意味壊れている(欠けた状態)。手のひらを見つめている時は、失った何かがわからず寂しいのか、辛いのか……それとも、満たされているのか?
カタワレ時(本作中ではこの表現は使わず)に手のひらを見つめてる時は、もしかしたら世界がぼやけて、無意識の大切な想いが繋がっていてもいいかな、と。

本編補完話としてイメージだけはずっとあった、飛騨から帰還した壊れた瀧くんが黄昏時に神宮高校の屋上で手のひらを見つめている。それを遠くから見守る彼に片想いする女の子(結果的には三葉の幻影に諦める)。そんな情景を、真由と高木、二人の話に組み合わせて構成したのが本作です。
情景は、しの様より実際にイラストとして描いて頂きました。でもそれがあまりに切なくて、会わせてあげたくなったのが、過去作『背中合わせ』です。
高木くんとのやり取りの後、見上げた夜空で見つめていたのは、と或る一等星。きっと世界のどこかで彼女も『同じ星』を見つめていると思います……

真由が好きになった理由を考えて、やはりバスケシーンはカッコイイかな?と。
ですが、単純にプレーだけでは見た目だけなので、ブザーが鳴るまで諦めない姿勢を経て、彼の内面を好きになったという理由にしてあります。
当初、瀧と真由は同じ中学出身ということにしようと思いましたが、あくまで三葉の方が先に瀧に出会ったことにしたかったので、中三の試合で見かけたことにしました。


宮水三葉(瀧in三葉)
本作の前半に登場。彼女の心情についてはサイド三葉となる『同じ星』にて。
ある意味、高山真由と同じ存在。瀧に惹かれながらも、彼は奥寺先輩のことが好きだと思っていて。
互いを通して自分自身を見つめることで、お互いが無意識に隠していることに気づいてしまいそうに。

それでも、もし二人が出会えたら仲良くなれるんじゃないかな、と思ってます。
歴史改変後、上京している三葉と真由がすれ違うくらいは書きたかったのですが、なかなか入れられませんでしたね(笑)


◇高真コンビ
本作は、モブ目線の本編の物語として構成。瀧三と並行して進めてきた二人の物語でした。
現実として、幼馴染の恋の話を聞くことは稀にあって。でも大抵うまくいきませんでしたね;;距離が近すぎるのか恋愛対象にはならないみたいで(つき合ってもすぐ別れるとか)。
そして、聞いた感じですと、だいたい同級生タイプは男の子が女の子を好きになるパターンが多くて。なので、高木くんもいつ頃からか真由を好きになっていて、でも真由はそんなことに全く気づかず、大事な幼馴染のままという関係にしてあります。

年頃の男女ながらも、それでも幼馴染としての関係は、普通の男女とは違って。友情、親愛、互いへの敬意。信頼関係は家族のそれに近いのかなぁ。
ラストは少しだけ含んだカタチにしましたが、じゃあ、つき合うのか?と言えば、失恋直後なのでそれはないでしょう。
正直幼馴染がちゃんとくっつく事例を見たことがないので(笑)。平行線のままかもしれませんが、もしかしたら、いずれどこかで登場した時にはくっついているのかもしれませんね?


◇瀧三
メインではありませんでしたが、それでも二人の場面は想いを込めて。
三葉を忘れてから五年間(MVifなら約一年でしょうか?)、瀧くんは本当にモテなかったのかな?と思いますが、こんなシーンを見せつけられたら、きっと少しいいな、と思っていても相手は諦めてしまう、そんな気がしまして。
この作品には本来挿し絵があるのですが、担当頂きました、しの様へのオーダーも『瀧くんのことをいいな、と思ってた子が二人の姿を見て、何も言えず諦めてしまうような』雰囲気をお願いして、オーダー以上に切なくも美しいシーンを描いて頂きました♪

本作は屋上のカタワレ時を一番最初に書き始めました。頭に情景があったおかげですんなり書けましたが、そんな二人の絆を見せつけられる真由ちゃんにはゴメンナサイ、と;;
でも二人の間に入り込む余地はないんやよ!


◇最後に
久しぶりに"あとがき"みたいなのを書きました。
書き始め当初は、これでいいのか?と思いつつ、それでも最後は真由と高木の二人が大好きになってました。二人の会話なんてノリノリでずっと続けられそうでしたし(笑)
モブでオリジナル設定。自己満足ではありますが、もしかしたら本編の傍に、こんな物語があったのかもしれない、個人的にはそんな風に思ってます。
ラスト付近の数行は、自身のアレコレを振り返りつつ(笑)、二人にとって淡い青春の思い出として、いつか笑って思い返してくれればな、と願ってます。

それでは最後までお付き合い頂き、誠にありがとうございました。

君の名は。SS 入れ替わり幕間SS三篇

十月四日を前に、長いのは間に合いそうなかったので、短めのSSのを書かせて頂きました。
今回は書きかけの作品にイメージが繋がるよう、入れ替わりの幕間中心でした。

>①
なかなか濃い一ヶ月だったと思う。
気づけば九月もあと数日、十月はもう目の前だ。九月はまだ夏の名残を感じていたけど、十月ともなればもう本格的に秋。
いつまでも半袖、薄着の夏の装いって訳にはいかないだろう……

周りを山で囲まれた田舎町。リリリ……と虫の音だけが聞こえる静かな夜。少し孤独感を感じて何気なしに障子窓を開ければ、雲の切れ間から半月がゆっくりと顔を出した。
東京と違い、月光も輝きも増しているように思う。はんぶんこの月が照らす煌々として優しい光が、町の中心を湛える湖面に注がれ幻想的な情景を映している。

夜の空気にさらされたせいだろうか、不意に肌寒さを感じ両手で肘の辺りに触れる。
触れてみて、相変わらずほっそい腕だなぁなんて思う。一ヶ月前、こいつを初めて知ってから、多少は理解してきたとは思うけど、それでもまだまだ知らないことは沢山ある。
いや……そもそも俺はこいつ自身に会ったことすらないのだ。であれば、俺達はまだ知り合いですらないのだろうか……?
「まったく……なんなんだろうな?」
勉強机の横に無造作に置いてった通学鞄を開くと、中から見慣れたノートを取り出し頁をめくっていく。もしかしたら破り捨てられているかもしれないと思ったその頁は、手付かずのまま残っていた。
初めて入れ替わった時、俺が書いた言葉。

『お前は 誰だ?』

ハリネズミが描かれたピンクのペンケースからシャーペンを取り出すと、俺はお前は誰だ?の下に『→』を書き、続けて『宮水三葉』と書き込んだ。
「宮水……三葉」
反芻するように、会ったことのないアイツの名前を口にする。

東京在住の立花瀧。ド田舎暮らしの神社の娘、宮水三葉。全く接点のない俺達が九月の初めに突如として入れ替わった。
結局のところ、"入れ替わり"とはなんなのだろう?
アイツの力か……?確かにちょっと変わったヤツだが、あくまで一般人だよな?
もしかして、俺の中の秘めた能力?いやいや、それはないだろ?

入れ替わる方法。トリガーは眠ること。目覚めれば元通り、だけど入れ替わってた時の記憶は不鮮明になっていく。
それじゃ、まるで"夢"だな。夢まぼろし。現実じゃないってことか。なら、いつかは忘れて、あいつの事は覚えていられ……
「……いや、夢じゃないだろ」
勝手な仮定を、勝手に否定する。
物事にはきっと意味があるはず。いつまで続くともわからないこの不可思議現象だって、いや、不可思議だからこそ、きっと何かしらの意味を持っているはずだ。
本来なら互いを知りえなかった俺達が、こうして接点を持ったという意味。

「あいつは……どう思ってるんだろうな」

もし仮に、これが世界で唯一の繋がりなんだとしたら、俺と三葉の関係は……
不意に胸が苦しくなる。なんなんだ?意味がわからない。立ち上がると、気を紛らわせるように大きく伸びをした。
それに合わせて強調されたアイツの胸が目に入る。何とも言えない気まずさで、下ろした右手を首の後ろに当てると俺は天井を見上げた。

目覚めて、記憶が不鮮明になるのなら丁度いいかもしれない。
今はまだ自信を持ってアイツに言えないこの言葉。
予行練習のつもりで俺は姿見に視線を送ると、できるだけ自然に呟いてみた。

「いつか、お前に会ってみたいと思ってる」

彼女の声で口にしたその台詞。自分一人しか居ない筈なのにやけに気恥ずかしくなって、俺は逃げるように部屋を出た。


>②
奥寺先輩とお茶した帰り道。別れ際のところで先輩に呼び止められた。

「今度さ、二人で遊びに行こっか?」
「え……ええー!?本当ですかっ!?やった!わた……あ、いや、俺、すっごく嬉しいです!」
「ふふふっ、それじゃ瀧くん行きたいところがあったら考えておいて。次のバイトの後、行く場所相談しましょ」
「はい、わかりましたー!」

瀧くん、瀧くん、君と奥寺先輩の仲は順調だよ♪
それもこれも女子力高い、この私のおかげなんだから感謝して欲しいな。
二人で一緒に遊びに行く……
うん♪これはもう実質デートのお誘いやよね!順調どころか、もう両想い確定なんじゃないの??
とは言え、あの人生の基本をきちんと学んでいない瀧くんのことだから、デートする前にポカする可能性もある訳だし、ギリギリまで内緒にしておいた方がいいよね。
さっすが私!まだ短い付き合いとは言え、瀧くんの事をよーくわかってるよね♪

 

 


さてと、デート、デートかぁ……どこがいいかなぁ?
年上の女性が相手なら、六本木とか?そういえば六本木ヒルズの展望台に展望台があるんだっけ?

「ほら!見て見て!すっごい眺めやよ!こんな景色めったに見れないな……」

お洒落で賑やかな場所から、少し落ち着いた場所とかどうかな?
例えば美術館……とか?
瀧くんには似合わんような気もするけど、静かな場所だと大きな声も出せないから二人の距離も近くんじゃないかな?

「なんかすごいっていうことはわかるんやけど、こううまく説明できないというかなんというか……」

「あー!馬鹿にして!そっちやって本当はよくわかっとらんくせに!って、あ、大声はマズいんやった……」

あ、国立新美術館にはお洒落なカフェがあるんだね。ランチはここなんかいいんじゃない?

「へー、そっちのも美味しそう♪ねえ、こっちのと少し交換してみない?」

まあ、そもそも私だってデートなんかした事ないから、会話が途切れたり、気まずくならないように念のため準備と用意はしておかないとね。

(……えっと、初デートで手、繋いだりとか、するべきなんかな?相手にその気がなかったら、おかしいかな?)

(あー、さっきの会話変じゃなかったかな?現実は厳選リンク集のようにはいかんよー)


夕暮れ時、デートの終わりは別れるのが寂しくて。
そんな表情を気取られないように前を歩く……
ふと、夕闇迫る空を見上げれば、まだ微かな明るさを示す中、一筋の流れ星が奔ったような気がした。
あ、と思い、横を振り向けば、そこには幻想的な光の帯が……
一瞬その光景に見とれ立ち止まると、私はその光景を彼に示すように大きく指さす。

「ねえ!彗星やよ!」

彼は、そんな私に呆れているのか、それとも楽しいと思ってくれてるのか、明るい声で、わかってるよ、と応えてくれる。

「すごいロマンティックやね……瀧くん」
「そうだな、一緒に見れて良かったよ」

――三葉

 

 


そして朝、目が覚める。
「……変な夢」
バカみたいと思いながら、目許を腕で隠す。
まだ眠いだけ。
もう少し横になっていたいだけ。
あと五分したら起きるから。
心の中で、そんな言い訳をしながら、布団の中で私は小さく呟いた。

「デート……楽しみやなぁ」

耳に届いたその声は何故か少し震えてた。


>③
「ところで、四葉
姉のその言葉に、無意識に背筋が伸びた。
「……な、なに?お姉さま」
「なによ、お姉"さま"って」
「いやぁ、別に、何となく?お姉ちゃんのこと、いつも尊敬しとるよ♪」
蛇口から流れる水で食器皿の洗剤を洗い落とすと、姉は四葉の目の前にある水切り用のカゴの中へとそれを入れる。今度は妹が濡れたお皿を手に取り、丁寧に水気を拭き取っていく。
「あんた、何か企んでない?」
「え?えぇ~?そんなことないよー。これ終わったら宿題しないといけんなー。だから、今日はあんまり時間ないなーとか思ってただけ」
「ふぅん……。よし、これで終わり、と」
最後の御飯茶碗をかごに置くと、蛇口を捻り水の流れる音がピタリと止む。一瞬シンとなった古い台所、タオルで濡れた手を拭きながら姉の言葉が続く。

「ところで、四葉、昨日の私の事、教えて」

声には出さず口の動きだけ、えぇぇ……となった四葉は、心底懲り懲りといった表情である。

『姉は何故自分の胸を揉むのか?』そんな質問をして以来、週に数回、こんな質問を受ける。質問者は実の姉。質問内容は実の姉の前の日の言動。
自分の事やろー、と思うのだが、毎回事細かに聞かれる辺り、前日の行動は姉の記憶から完全に抜け落ちているらしい……
百歩譲って説明するのはいい。だがその説明に対し、姉の感情が喜怒哀楽のどこに落ち着くのか毎回わからないのが一番困る。時には怒り、時にはガックリと肩を落とし、時には何だか上機嫌。ありのままの事実を説明してるだけなのに、いちいちその過剰な反応はないんじゃない?と四葉は思う。

もともと悩み多き姉だと思っていたが、悩みから来るストレスのせいなのか、九月以降の姉の行動は謎どころか、ヤバいとさえ感じている。
朝、目が覚めると揉んでいる。髪型がキチッとしていない。服装や態度がだらしない。口調が男っぽい?着物の着付けがわからない。組紐の作り方を忘れてる。
キッチリシッカリ背すじはピンと!という姉のイメージとはまるで正反対の姉の姿。
あ、でも、そんな姉の時に作ってくれた洋風料理の味は美味しかったなぁと四葉は小さく頷いた。
「どうしたの?四葉
考え込む様子を見せていた妹が心配になったのか、少し柔らかい口調で尋ねられた。
そうだ、そもそも自分が一方的に質問を受けているのが良くない。会話の主導権を握るなら此方から攻めなければ!
その事に思い付くと、四葉はズイと近寄り、姉のエプロンをギュッと握った。
「今日は私が先に質問!」
「え?な、なに……!?」
たじろぐような態度を示した姉に、よし!と思った四葉だったが、そういえば何を聞くか全く考えてないことに気づく。
「え……えっと……そう!アレやよ!」
「あれ……?」

えーと……えーと……と頭の中で質問する内容を思い巡らす
最近の姉の行動の変化、気にする自分自身の行動、客観的な視点でのご意見賜ります的な?
もしかしたら、姉は特定の誰かから自分がどう見られてるのか気にしているのだろうか……?
その瞬間、四葉の頭上でデフォルメされた豆電球が輝いた気がした。

「お姉ちゃん、誰か好きな人おるん!?」
「は……?」
文字通り姉は固まってしまった。
「お姉ちゃんも年頃やろ?誰か好きな人っておらんのかなって」
その場しのぎの質問であったが、言葉にしてみると、自分でもとても気になっている内容であることに気づく。言いながら何だか楽しくなってきた。
「す、す、好きな訳ないやろー!!」
「好きな訳ないってことは、今は好きじゃないけど、そんな相手になれそうな人はおるん?」
「絶っっ対……違います!あ、あのね、四葉、ちょっと待って……」
姉は額に手を当て、小さな声で「違うわよ、……くんはぜったい違います」とかブツブツ呟いている。かなり動揺している様子を見ると、これは本格的にそういう人がいるって事なのだろうか?
そんな期待に胸を膨らませていたが、落ち着きを取り戻した姉は、
「私には……好きな人なんていません」
堂々とそう答えた。
「本当におらんの?彼氏とか欲しいとか思わんの?」
「……少なくともここに居る間は、誰かを好きになろうとか、彼氏作ろうとか思わないわよ」
姉は少し寂しそうな眼差しで視線を逸らしてしまった。その横顔は家族の前のいつもの姉の表情じゃなくて、外に居る時の姉の表情。
その横顔を見つめながらふと思う。そういえば九月になってから、こういう張り詰めたような顔してる姉を見るの減ったなぁって。

「お姉ちゃん、美人やのに」
「……妹にお世辞言われても嬉しくないわよ」
「べつにお世辞やないよ。ただ、最近のお姉ちゃん、悩みがあっても何だか楽しそうだし、なんかこう、ちゃんと自分をわかってもらえてるっていうか……」
言いたい事があるのにうまく言葉にできない。ただ言えるのは、変な時だけじゃない、いつもの姉もなんだか以前とは変わってきたと思う。見た目は同じでも前よりもキラキラしたものを確かに感じるのだ。
「だから、お姉ちゃんに好きな人できたら、その人もぜったいお姉ちゃんのこと好きになってくれるわ」
結構自信を持って四葉は言ったつもりだったけど、姉は目をパチクリさせると、クスクスと笑い出した。
「何を根拠に」
「もちろん……宮水の勘!」
あっけらかんとした妹の答えは根拠はなくても説得力は抜群で。姉は毛先に触れながら、そそくさと二階の自室へ駆け上がってしまった。
一人残された四葉は、今夜の質問タイムがなかったことに軽くガッツポーズするのであった。

 

君の名は。SS スパークルMVif 夏恋それから。10/4。(R18対応)

君の名は。スパークルMV ifとして書かせて頂きました、シリーズ『夏恋』のふたりが結ばれるお話です。

がっつりエロとして書いたつもりはありませんが(そもそも書く実力がない笑)、一応致してる描写がありますので、苦手な方はお控え下さい。

ついでにエロを求めて読まれたとしても、その需要には応えられてないと思いますので、その点につきましても申し訳ありません;;

このシリーズの瀧三のひとつの区切りとして。

そして、ふたりの未来はこれからも続いていくと信じております。

 


二〇一七年十月四日。
夜の街を俺は全力で駆け抜けていた。どうしても彼女に会いたくて。
だけど、どんなに懸命に走っても、空に居座る中秋の名月が俺を追いかけてきて、それがやけに進みを遅く感じさせる。
「みつ……は……」
受験勉強で鈍った身体、走り続けて呼吸は荒い。だけど、それでも、一分、一秒でも早く、俺は彼女に会いたかった。この手で触れたかった。
「三葉ッ!!」
不安に押しつぶされそうになりながら、俺は彼女の名を呼んでいた。

*   *   *

明日から十月という九月の最終日。土曜日ということもあって、俺は午前中から三葉の家にお邪魔して受験勉強をしていた。
二人きりの部屋。先日の一件もあって、彼女のことを意識しない訳ではなかったが、俺は絶対現役で合格すると宣言し、彼女からは模擬試験の結果次第だと言われてしまった以上、まずは受験勉強である程度の結果を示さなければ、次のステップに進むにしても恰好がつかない。

午前中は頭もスッキリしていることもあって、時間も忘れて得意な理数系の問題を解いていると、
「お疲れさまー。ねえ、瀧くん、そろそろお昼にしない?」
エプロン姿の三葉がキッチンから顔を出す。
「もうそんな時間ですか?」
「瀧くん、すごい集中してたからね」
言われて、スマフォのディスプレイを起動させれば、既に十二時半を回っていた。現在時刻を意識すると途端にお腹が空いてきた気がする。思わず腹に手を当てながら、俺は頷いた。
「そうっすね、一旦休憩します」
「うん、今、用意するから、ちょっと待っててね」
彼女はご機嫌でキッチンへと戻っていった。

開いていた参考書やノートを重ね、鞄の中に仕舞っていると、三葉の鼻歌が聞こえてきて、思わず声を掛けていた。
「楽しそうですね」
「えー?なぁに?」
キッチンから彼女の声が届いてくる。
「何かいいことありました?」
「うん、あったよー♪」
トレイに料理を乗せた、エプロン姿の三葉が部屋に戻ってきた。
「今日は、瀧くんと一緒にお昼ご飯が食べられます♪」
「……そりゃどうも」
「普段は一人の食事が多いからね」
そう言いながら膝をつくと、彼女はトレイをテーブルの端に乗せる。俺も手を伸ばして、料理が乗った皿を受け取っていく。一人用の小さいテーブル。二人分を置くにはちょっと狭いけど、それでも上手く並べれば、彩りも綺麗なお昼ごはんが二人の前に揃った。
「簡単でごめんね」
ベーコンと一緒に焼いた目玉焼きに、レタスとプチトマトが添えられて。トースターで焼かれた食パンは、ほどよく焦げ目がついてて食欲をそそる。
「いや、美味そうっすよ」
「たいしたことない料理だから、味は大丈夫だと思うけど。さ、食べて」
「はい、いただきます」
「いただきます」
二人そろって手を合わせる。と、三葉がソースに手を伸ばした。
「ソースっすか?」
「うん、目玉焼きにかけるでしょ?」
「え……?」
「え?って違うの?」
「俺は、塩コショウっすね」
「塩こしょう?えー、変なの」
「いや、ソースの方が変じゃないですか?」
「そんなことないよ、普通だよ?」
そう言いながら、三葉はなんの躊躇もなくソースをたっぷりかける。
あんなにかけたら、ソースの味しかしないじゃん……
そう思っていると、視線に気がついたのか、彼女は食べる手を止めて、俺の方に顔を向けた。
「美味しくないと思っとるやろ?」
「あ、いや、そんなことは……」
「瀧くん、すぐに顔に出るもん。でも、食べる前に決めつけは良くないよ」
そう言うと、はい、あーん、と言って、箸で一口大に分けた目玉焼きを差し出してくる。
「いや、俺は……」
「食べてみないとわからないでしょ?」
正直、あーん、が恥ずかしいだけなんだけど、そうとは気づかずに勧めてくる三葉。この目は絶対食べさせるという意思のこもった目である。
「ほらほら、遠慮しないで」
「じゃ、じゃあ……」
観念して、一口パクリ。口の中に広がる味は普段の素材を生かした塩コショウ味と違うけど、うん、これはこれで、
「……美味いっすね」
「でしょー♪」
ご満悦の三葉。うーむ、食文化の違いというのは、なかなか奥が深いな……
また、今まで知らなかった彼女の一面に気づけて、何となく嬉しくなる。
「じゃあ、次は三葉の番っすね」
「え?」
「俺の塩コショウ味も食べてくれますよね?」
「えー、私、目玉焼きはソースって決めてるんやけどな」
「食べる前に決めつけは良くないですよ?」
「う……」
さっき、自分で言った言葉をそのままを返されて、悔しそうに口をつぐむ三葉。
「それじゃ、ちょっと借りますね」
年上だけど、そんな姿はやっぱり可愛いな、なんて思いながら、俺は塩コショウを取りにキッチンへと向かった。

 

午後になり、勉強を再開していると、エプロンを外しながら三葉がキッチンから戻ってきた。参考書から顔を上げると、彼女は俺の正面に座った。
「すみません、何も手伝いしないで」
「何言っとるんよ。瀧くんは勉強もあるんだから、気にせんの」
「でも、いいんすか?折角の土曜日に俺の勉強につき合って、こうやって家に籠ってて」
俺としては彼女に気を遣ったつもりだったのだが、両手で頬杖をついていた彼女は、わかりやすく不満顔と言った感じで頬を膨らませた。
「なによ、瀧くん、私と居たくないの?」
「いや、そういう訳じゃ」
「もうっ!本っ当に、瀧くんって昔っから女心わかっとらんよね!」
「昔のこと、俺、記憶にないんですけど」
「瀧くんは全然変わってないってこと。いいところも悪いところもね」
ハァ、ととため息と吐いたかと思うと、今度は嬉しそうにふふっ、とハニかんだ。
「な、なんすか……」
「何にも。恋人同士、二人っきりでいられて嬉しいなーって」
「こ、恋人っ!?」
思わず大きな声が出てしまった。
「え……?」
発した言葉に、三葉は眉を下げて、ちょっと困ったような悲しい顔をした。
「ち、違いますよ!イヤとかそういうんじゃなくて、『恋人』って言われて、改めてそうなんだなーと思って……」
俺はいつものように首の後ろに手を当てる。
「三葉は彼女だし、俺とつき合ってる訳で……。だけど『恋人』って言われて、いや、確かにそうなんすけど、言葉の響きがなんと言うか……その」
首の後ろを掻きながら、顔が火照ってくる。俺の言葉に耳を傾けて、じーっと見つめてくる彼女からつい視線を逸らした。
「ふふっ」
三葉の弾んだ笑い声が聞こえたと思うと、俺の隣に寄ってきて、間近で俺のことを見上げてくる。
「嬉しい?」
「えーと……」
「ん?」
「……かなり」
その一言だけで、ぱーっと彼女の表情が明るくなって、明らかにご機嫌になったということが見て取れた。
「ね?私も恋人の瀧くんと一緒にいられるから、嬉しいし、楽しいんだよ。だから、私のこと気にしないで」
ゴメンね、勉強の邪魔して、そう言って彼女は立ち上がる。と、そこで大きな欠伸を一つ。

「そう言えば、今日はずっと眠そうっすね」
彼女の家に来てから何度か欠伸しているのを見かけた。
「ゴメン、最近ちょっと眠れなくて」
「大丈夫なんすか?」
「うん……だいじょうぶ、やよ」
素直じゃないくせに、俺にあまり嘘をつきたくない三葉だから、すぐにわかる。大丈夫じゃないんだな、と。
勉強の手を止めて、おいで、と両手を広げる。
俺の姿を見た三葉は、顔を赤らめて考え込んだ後、ちょこんと座り込んで俺の胸にもたれかかった。そんな彼女の小さい肩を包み込むように両手を背中に回す。
「ごめんね……」
「いいよ」
「100数えるまででいいから」
「お風呂かよ」
「うん……」
そう言うと、三葉はゆっくり数を数え始める。
「眠れないの?」
質問には答えずに、彼女はじゅういち、じゅうに……と呟いている。
俺は数えるのに合わせるように、彼女の背中をポンポンとできるだけ優しく叩いていた。

「……100」
そっと三葉が俺から離れていく。胸元に収まっていた彼女の温もりが無くなるのは非常に名残惜しかったけど、これ以上はきっと三葉も望んでいないんだろう。
「いいんですか?」
それでもそんな風に言葉をかければ、立ち上がった彼女はうん、と大きく頷いた。
「とっても癒されました♪ありがとう、瀧くん」
「……休んでてください。俺は勉強続けてますから」
「わかった。ちょっと横になるね」
また欠伸をすると、彼女はベッドに横たわった。俺の方に背を向けて、彼女は呟く。
「瀧くんが居てくれるから、ゆっくり眠れそう」
俺は彼女の方に顔を向けた。三葉の表情は見えなかったけど、それでも暫くすると寝息を立てて眠る彼女に安心して、受験勉強に集中していた。

 

んー……と声を出さないように両腕を伸ばす。
三葉の家で勉強なんてちゃんとできるかちょっと不安なところもあったけど、それでも午前午後としっかり勉強ができた。
静かに立ちあがってベッドの上をのぞき込む。余程眠かったのか未だにベッドで安眠する彼女を見て思わず笑みが零れる。くの字になって眠る彼女。スースーとリズミカルな寝息。口許も微笑んでいるようで、俺は安心してその表情を見つめていた。
「ん……んん……」
と、腕が動いて三葉は仰向けになる。上下する、胸元のふくらみ。
「たき……く…ん……」
その寝言にドキッとすると、再び彼女はゴロリと寝返りをうった。
と、スカートの一部がめくれて……
「……くっ」

立花瀧は健全なる男子高校生である。こういうことに興味は……滅茶苦茶ある。
だがしかし、無防備の彼女にというのは、やっぱ反則だよな。
と心の中で葛藤しつつも、俺の視線は釘付けになっておりました。

「ん…うぅん……たき、くん?」
「え?あ!?いや、俺、何もしてないっすよ?」
「なにが?」
漸く目を覚ました三葉がゆっくりと起き上がってくる。そうやって動いている内にめくれていたスカートも元に戻って。彼女に気づかれなかったことに俺は安堵していた。
若干寝ぼけ眼の三葉は室内をきょろきょろと見回す。と、小首を傾げて尋ねてきた。
「あれ?今、何時?」
「えっと、五時過ぎっすね」
「ええっ!もうっそんな時間!?ゴメン、瀧くん、寝すぎたかも……」
「あまり眠れなかったんでしょ?俺もしっかり勉強できましたし、全然いいっすよ」
申し訳なさそうにごめんね、と繰り返す彼女。だから話題を変えるように、俺は提案した。
「三葉、疲れてるみたいだし、夕飯は外で一緒に食べませんか?」
「え?帰って食べるんじゃないの?」
「親父には夕飯食べて帰るって言ってありますし、それに」
俺は彼女に顔をを近づける。
「少しでも三葉と一緒にいたいんで」
「た、瀧くん!?」
「恋人ですから」
三葉は顔を赤らめて、困ったような顔をしながら、年下のくせに……と呟いた。

[newpage]
最近……夢を見る。

あの日、星が降った日の夢。
浴衣姿の私は、糸守の原っぱで夜空を見上げている。
幻想的な光景。その景色を見ている間だけは、心の中の欠けた何かを忘れられるようで……
私は、その夢のように美しい光景を永遠に眺めていたいとさえ思っていた。
だけど……その時は終わる。

不意に二つに割れる彗星
それは運命の分岐点

――生と死――

今を生きる私が本当なのか、あの時死んでいた私が本当なのか

そんなことを考えている間に、業火を纏いし『死』の象徴は、私の頭上へ降り注ぐ。
私は一歩も動けないまま、『死』から視線を逸らせないまま、ただ運命をその身に受ける。

――どこかで鈴の音が、大きく響いた気がした

「ハッ……ハァ…ハァ……」
真っ暗な部屋。ベッドに仰向けのまま、自分の手のひらを見つめる。
大丈夫。『私』という存在はちゃんとここにある。
「生きてる……」
当たり前のことだけど、口にすることで、私は生きてるんだということ肯定する。
ベッドから上半身を起き上げて、震える手で枕元のスマフォを取ると、瀧くんと二人一緒に撮った写真を開く。
瀧くんと並んでくっついて、私は心から嬉しそうに笑ってる。

逢えたんだ、私はちゃんと瀧くんに逢えたんだ。
そう何度も自分に言い聞かせるけど、身体の震えは止まらなくて。
「瀧くん……怖いよ……」
真夜中の二時過ぎ、瀧くんに電話なんかできなくて。私はスマフォを胸に抱いて、一人震えていた。

 

 

もうすぐ十月四日。ティアマト彗星が糸守の地に落ちた日。
だからなのだろうか?眠っている時、やけに鮮明に『あの時』の夢を見る。
記憶が戻ったことで、瀧くんと再会できた。二人で一緒に困難を乗り越えることができた。
だけど、あの『死』だけは、覆すことのできない一つの『真実』として、私の中に残っている。

「今までは、そうでもなかったんだけどな……」
「何か言いました?」
「え?あ、いや、なんでもないよ」

家の近くのファミレスで、私は瀧くんと一緒に夕飯を食べていた。
外食なんかしないで、やっぱり私が夕飯を作ろうと思ったけど、寝過ごしてしまったせいで買い物に行けず、夕飯用の食材は冷蔵庫に何にもなくて。
「親父から夕飯代貰ってるんで、遠慮しないで下さい」
結局、瀧くんの提案を受け入れてしまった。
でも……
周りを見れば、カップルで食べに来てる人たちも沢山いて。私達もその中の一組なんだと思うと、なんだか嬉しい気持ちになる。

「そう云えば、十月四日どうするんですか?」
「え?」
食べ終わって、スマフォを眺めていた瀧くんが、その日を口にした。
「糸守、行くんですか?」
そう言うと瀧くんは、とあるポータルサイトのニューストピックスを私に示してくる。

>彗星災害から四年 奇跡の町・糸守町 式典開催

「あー、そのこと……」
「やっぱり行くんですか?」
「今年は平日だし、行かない……かな?」
今年の十月四日は水曜日。大学の授業も始まっている。彗星の落下時刻に合わせた式典に参加しようと思うと数日間は学校を休まなくちゃいけない。
それに……
「最近、ちょっと疲れ気味だしね」
作り笑いで場を誤魔化す。
彗星の記憶が鮮明になっているここ数日。糸守に戻れば一層、この記憶に悩まされるような気がした。
そんな私の言葉に、瀧くんは眉をひそめる。
「さっきも眠れないって言ってたし、何かあったんですか?」
「えー、大丈夫だよ、心配せんで」
私の言葉に瀧くんはムッとした表情になる。
「また、受験生だからとかそういうことですか?」
「え?」
「俺だって別に好きで、受験生してる訳じゃないです!」
ドリンクバーのコーヒーを一気に飲み干すと、瀧くんは会計レシート手に取って立ち上がる。そして、そのままレジへと向かってしまった。
「ま、待って!瀧くん」
私も慌てて立ち上がると彼の背中を追う。

会計は瀧くんが済ませてくれた。私も払うって言ったけど、瀧くんは無言で支払いを終えると店を出ていく。
今の私は、ちょっと泣きそうになりながら彼の後ろを歩いている。
「……ごめんね」
「別にいいっすよ」
瀧くんが口を開いてくれたことに、ちょっとホッとする。
「瀧くんに心配させたくなかったから……」
「知ってます」
ほら、と瀧くんが手を差し出してくる。私は恐る恐るその手を掴む。と瀧くんがしっかり握り返してくれた。
瀧くんは、大きく息を吐き出すと「三葉は、本当に素直じゃないよな」と半ば呆れた口調で呟いた。
「だって……」
「年下は、そんなに頼りになりませんか?」
「そんなことない!瀧くんは、いつも真っ直ぐで強いし、覚えてないかもしれないけど、私、あの頃から何度も瀧くんに助けられてるんだよ!」
「だったら」
瀧くんが歩みを止める。手は繋がれたまま。私を見つめる年下の男の子。その瞳は私のことをすごく心配してくれている。
こんなに私を想ってくれることが本当に嬉しくて。だけどまた、瀧くんの強さと優しさに頼ってしまう自分が少しだけ情けなくなってくる。
それでも、心配をかけないようにすることが、かえって瀧くんを心配させてしまうのなら。

「怖いの……」
「え?」
「彗星の記憶。最近、夢に見てて」
「だから、眠れないの?」
「……うん」

前に二人の過去を、彗星災害の真実を語った時、私が恐怖で喋れなくなったことを瀧くんは知っている。
だから、あまり説明をしなくても、理由をすぐに察してくれた。

「でも、本当に大丈夫なんだよ。今日は瀧くんが傍にいてくれたおかげで、昼間はゆっくり眠れた。今までこんなことなかったし、たぶん十月四日ってことに、記憶が過剰に反応してるだけなんじゃないかな」
十月四日まであと数日。それを乗り切ればたぶん大丈夫。どことなくそんな確信があった。
「俺、明日も学校終わったら三葉の家に行く。三葉が眠るまで傍にいるよ」
「駄目だよ!帰るの遅くなるでしょ」
私は首を振る。瀧くんの申し出は嬉しいけど、そこまで頼る訳にはいかない。
「だけどさ!」
「瀧くん!」
瀧くんの手をしっかり握って、私は彼を見据えた。

「ありがとう……瀧くんに、ちゃんと説明して良かった」
「え……」
「瀧くん。私はそこまで心配されるほど弱くないよ。私は生きてるの。瀧くんと一緒に生きてるんだから」
彼だけじゃない、自分自身にも言い聞かせるように言葉を紡ぐ。
そうして私は、握られた手に反対の手を重ねると、彼を見上げるようにゆっくり目を閉じた。
少しすると唇に感触が重なる。目を開ければ、顔を真っ赤にした瀧くんが口許を抑えていた。
「これで……いいっすか?」
「ふふっ、何よりのおまじないやね」
「だといいんですけど……」

手を繋いだまま、私達は再び並んで歩き始める。
「会えなくても、電話しますから」
「うん、瀧くんも勉強がんばってね」

 

 

そして。十月四日。日に日に夢は鮮明になっていく。
正直、眠るのは怖い。それでも、毎日頻繁にくれる瀧くんの電話やメッセージが私を励ましてくれる。彼との会話、言葉、メッセージが、私を暖かく包み込んでくれて、その時は心は休まっていた……

夜、テレビをつけると懐かしい糸守高校のグランドでの式典の映像が映し出される。私は、つけたばかりのテレビを消して、スマフォを手に取った。その手はちょっとだけ震えていて、困ったなぁ、と小さく呟く。
電話帳の履歴。一番上の『立花瀧』の文字に触れるかどうか迷う。時間を見れば二十時を回っていた。

迷って迷って、漸くその名前に触れようとした時、不意にインターホンが鳴った。
ビクッとして立ち上がり、玄関に向かうと、のぞき窓から向こう側を見る。
「えっ!?」
俯き加減でそこに立ちすくんでいたのは制服姿の瀧くんだった。慌ててドアを開けると、彼はゆっくり顔を上げた。
「どうしたんよ、遅い時間に」
「ゴメン……急に……」
「いいよ、さ、入って」
私は彼を招き入れると、部屋に通した。瀧くんは自分からは何も言おうとはしなくて、俯いたまま私の後ろをついてくる。
「ビックリした。心配して来てくれたの?」
「……ああ、うん」
あまりハッキリしない返事に、私は首を傾げたけど、やっぱり瀧くんが傍にいてくれると安心できて、嬉しくって細かいことはあまり気にならなかった。
「折角来てくれたんだし、今、お茶出すから、飲んでって。ね?」

だけど、私はキッチンには行けなかった。
瀧くんに、後ろから抱き締められていたから……


「……瀧くん?」
私を抱きしめる彼の手が、ううん、全身が震えていた。
「いる……よな?」
「え?なにが……?」
「三葉、ちゃんといるよな?」
「……いるよ、ちゃんとここにいるよ」
できるだけ優しく言葉を紡ぐと、彼の手が緩んで私は解放される。振り返って彼を見ると、いつもの真っ直ぐな強さはなくて、どことなく弱々しい瞳が私を見つめていた。
「どうしたの……?何かあったの?」
「ゴメン……さっき空を見てたら、急に怖くなった」
その場に崩れるように座り込んだ瀧くんは、右手で目許を覆った。
「怖い?」
「三葉の話、思い出してた。あの日、四年前、三葉は一度死んだって話。俺、あの時、そんなことに気づかずに呑気に彗星が綺麗だとか思ってて。三葉が苦しい思いをしたのに、何もわからなくて……」
「そ、それは、だって!その時の瀧くんは、まだ私のこと知らなかったから!それに今は、瀧くんのおかげでみんな助かってるんだよ!」
「だけど!それでも俺は、一度は三葉を失って……。入れ替わってた時に、俺が三葉より三年先に生きてるって気づいていれば、そうすれば……」

瀧くんの言ってることには無理がある。彗星が落下して、私が死んだ事実があるから、私は彼に救われて、今に繋がっている。
彗星災害で一度、私が死んでしまうことはきっと抗えない事実。

「……俺、覚えてないから、何もわからないはずなのに、三葉を失ったって、そんな風に急に思えて、身体が震えて……」
「瀧くん……」
「情けなくて……ゴメン」
涙声の瀧くんを私は胸元に抱きよせた。
「いるよ……ちゃんとここに生きてるよ。いなくなったりしないよ」
彼を抱きしめながら、私は気がついた。瀧くんだって、いつも強い訳じゃない。迷ったり、弱気になることもある。

今、私がいない世界を想像して震えている瀧くん。
私が"死んだ"ことを知った日。彼はどれほど傷ついたんだろう……
瀧くんに会うため、東京に行った私は『……誰?お前』と言われて、傷ついたまま家に帰った。
瀧くんは?彼は傷つきながら、不安になりながら、前に進んで、助けに来てくれた。私を、私達を救うために奔走してくれた。

そうした彼の頑張りで、今、私は生きている。私達はちゃんと生きているんだよ!
だけど、彗星の出来事が互いを不安にさせるんだったら、二人でちゃんと存在を示そう。二人が一緒に生きてるって感じられるように。
だから……
「瀧くん……」
私の言葉に瀧くんが顔を上げる。私は彼に頬に触れながら唇を重ねた。それは私の決意の証。
そっと離れながら閉じていた目を開ければ、そこには大きく見開かれた瀧くんの瞳。大好きな彼の眼差しに、想いを込めて私は伝える。

「……しよ」
「え……」
「今は私のことだけを見て。私も瀧くんのことだけ見るから」
「三葉……」
「受験生とか、高校生とか、年下とか、そういうんじゃなくて、大好きな瀧くんのことだけ見るから、だから瀧くんも、私のこと……私の全部を見て」
彼の首に腕を巻き付けて体重を預ける。彼も私の背中に手を回してくれた。あったかい瀧くんの体温に触れながら、私は思った。やっと少しだけ、彼の力になれるかもしれない、そう思うと恥ずかしさより嬉しさが勝っていて。
「二人でなら……きっと大丈夫やよ」
「いいの……?」
耳元で聞こえた彼の言葉にコクンと頷く。
「ちゃんと私が生きてるって感じて。そうすれば、私も自分が生きてるって、瀧くんと結ばれるために生きてるんだって、信じられると思うから……」

私は絡めていた腕を離すと、彼の顔をもう一度正面に見る。少しだけ戸惑いがあるのか、まだ不安げなその表情。でも、照れてその視線を逸らすことなんてなくて、私を、私だけをその瞳に映してくれていた。

制服のボタンに手をかける。彼は無言でそれに従う。緊張と初めてのことで思ったように指は動かなくて。それでも何とか全て外すと、ワイシャツの間からインナーシャツが見えた。視線を送ると、今度は彼が私の上着に手をかけてそれを脱がす。ブラジャーのみとなった上半身。腕全体で胸元を隠そうとしたけど、瀧くんの手に阻まれた……


*   *   *


「ただいま」
学校帰りに図書館で勉強してから家へ戻ると、いつものように部屋は真っ暗で。返事がないのはわかりきっていたけど、それでも声を出して自分自身を迎え入れる。
自分の部屋に通学鞄を置くと、ネクタイだけ外して首元を軽くする。制服から着替えようとして、それなりに空腹を感じていることに気がついた。
「腹、へったな」
今日は、親父も出張で帰ってこない。一人分の飯くらい簡単に作って、さっさと食べてしまうか。
そう思い、早速リビングの隣、小さいキッチンへ向かう。朝食に使った皿が一式そのままシンクに残されていて、ハァとため息混じりで苦笑いを浮かべながら、まずは洗い物に手を付けた。

今日は一人だし、簡単にパスタとコンソメスープでいいだろうってことで、大きめの鍋に水をたっぷり張ってコンロに火を点ける。
沸騰するまでの間に、玉ねぎ、人参を切って、小さめの鍋に野菜とベーコンを半分入れて煮込み、最後はコンソメで味を整える。
大きめの鍋はパスタ用。茹で上がるタイミングに合わせて、もう半分のベーコンをフライパンで炒め、チーズと卵と塩を混ぜ合わせる。生クリームは家にないから、まあなしでいいだろ。最後に茹でたパスタをソースにからめて、黒コショウをかければカルボナーラの出来上がり。

一人前の夕食をテーブルに運ぶと、いただきます、と両手を合わせてフォークを手に取る。
フォークに巻き付けたパスタを口に運ぶと、まあそれなりに美味くできたな、と心の中で自画自賛しながら、うんうんと頷く。だけど同時に、一人の食事は味気ないな、なんて思う。
「……三葉の手料理、食べたいよな」
誰も聞いてないことをいいことに、つい本音が漏れた。高校三年にもなって情けないことを言ってることはわかってる。今まで散々こんな生活を続けてきたっていうのに。

三葉と出逢って、恋人同士になって、俺はきっと変わった。
強くなったのか?弱くなったのか?それはよくわからない。ただ少なくとも、三葉がいない生活なんて、もう俺には考えられない。

「三葉と出逢ってなかったら、俺、今頃どうしてたんだろうな……」

自分でも変なことを考え始めたことに気がついて、頭を切り替えるようにテレビのリモコンを手に取り、電源を入れた。

『彗星の落下から四年、ここ糸守では……』

テレビからアナウンサーの声が聞こえてくる。映し出されたのは、彗星災害から四年を迎えた糸守での記念式典の映像だ。
「三葉、大丈夫かな……」
テレビを見ながら、彼女を想う。

――怖いの……

彼女の言葉を思い出す。
三葉はティアマト彗星の落下で一度死んだという。そして、俺と三葉が協力して歴史を変え、彼女や糸守の人達を救ったらしい。
頭では覚えてはいないし、記憶にもない。だけど、それを事実として、無意識で理解している自分もまた確かにいる。

「電話、してみようかな」
彗星の記憶に悩まされながらも、いつも電話越しで、受験勉強がんばって、と励ましてくれる彼女。
受験は大事だけど、俺にとっての一番は、やっぱり三葉だから。少しでも彼女の助けになれるなら。
傍らのスマフォを見つめながら、彼女の声が聞きたい、そんな風に強く思っていた。

 

 

それなりに築年数が経過した建物だけあって、屋上への扉は、ギイィ……と油が切れたような重たい音を響かせる。
最初に目についたのは、夜空に一際輝く丸い月。そういえば今日は中秋の名月だっけ?
何となく、外の風に当たりながら、三葉と電話したいと思った。そんなことある訳ないのに、その方が彼女に言葉が伝わるような気がして。

こんな風に思うのは、今日が特別な日だからだろうか?十月四日。四年前、星が降った日。
あの日、テレビ中継で映し出された幻想的な光景を、この目で直に見てみたくて、一人、マンションの屋上に駆け上がった。
今、ここから見える夜景は、あの日とそんなに変わらない。立ち並ぶ高層ビル群のシルエット、眼下に広がる地上の光、どこかザワついたような喧噪、流れてくる風は何か混ざったように決して心地よいとは言えなくて。
ずっと当たり前のように見てきた東京の風景。だけど、あの日の特別な光景だけは今でも記憶に残っている。

彗星は、いつものありきたりな夜空を、見たこともないような幻想的な空へと塗り替え、流れていく。
俺は、言葉も出なくて、このままずっとこの景色を眺めていたいとさえ思っていた。
そう、まさに夢のように、いつまでも目覚めたくない、そんな心地よさを感じるかのように……

不意に鼻の奥がツンとなり、手に持つスマフォをギュゥと握り締める。急に感じた不安感を大きく首を振って振り払うと、俺は電話帳を開く。
宮水三葉』と登録された名前。
いつものようにそこに触れようとして、視界が歪む。
「あれ……?」
慌てて腕でそれを拭う。だけど、何故か止まらなくて、そのrb:一滴 > ひとしずくがスマフォの画面に落ちた。

「なんだよ、これ……」

泣いていた。俺は、何故か泣いていた。
そして、思う。

――俺は、大事な人を失った、と

それを認識した途端に、喪失感が胸を貫いて、思わずワイシャツの胸元を握りしめる。
痛い、胸が痛い……

「みつ……は」

彼女の名を呼ぶ。
彼女は居る。
俺は彼女に逢えた。
望めばいつだって、手の届く場所に、彼女は居る。

だから、気を取り直して、彼女の電話番号に触れようと……だけど、指が震えて。

――おかけになった電話番号は、

そんなことあるはずないのに、俺は、もしかしたらと思っている。

三葉を救ったという事実を無意識で理解している自分。
そして同時に、三葉を救えなかったと無意識で理解している自分も……またいる。

俺は本当に彼女を救えたんだろうか?
あの日、夢のような景色に見とれながら、一番大切な人を失ったことにも気づかずに。
もしかしたら、今の俺達は"夢"の中で、"本当"はあの日失ったままなのかもしれないなんて、そんな考えが頭をよぎって……

どこかで小さく響く鈴の音が聞こえたような気がした。

 

 

気がつけば、三葉の家の前に来ていた。
ドアが開くと、彼女の驚いた顔。夜遅くの突然の訪問にも関わらず、彼女は俺を部屋へと招き入れてくれた。
彼女に会えて安堵するのと同時に、それでも彼女の存在に確信が持てなくて。だから、それは衝動に近い行動。
「三葉、ちゃんといるよな?」
彼女を後ろから強く抱きしめていた。彼女は居るのに。ちゃんと居るのに。
身体に触れる体温、鼻先をくすぐる黒髪のシャンプーの匂い、優しい声、目の前に三葉は居るってわかっているはずなのに……!
「……いるよ、ちゃんとここにいるよ」
振り返った彼女が心配そうに俺を見つめる。
情けない。だけど、どうしても不安感が拭えない。三葉を失ったかのような、喪失感が俺を掴んで離さない。

そんな自分のみっともない胸の内を吐露すれば、彼女は包み込むように抱き締めてくれた。
いるよって、いなくなったりしないよって、そう言って優しく慰めてくれる。
そんな彼女の胸の中で俺は思う。

――大切な人を失うということは、死ぬことより恐ろしいことなのかもしれない、と

「瀧くん……」
俺の名前を呼ぶ声。力ないまま顔を上げれば、次の瞬間、彼女が唇を重ねてくる。
初めての彼女からキス。不意打ちに驚くと同時に、重なった唇から彼女の秘めた想いが伝わってくるような気がした。
「……しよ」
「え……?」
三葉が何を言ってるのか、正直わからなかった。ただ、彼女の瞳は俺だけを真っ直ぐに見つめていて、その短い言葉の中に強い決意のようなものを感じる。
「今は私のことだけを見て。私も瀧くんのことだけ見るから」
「三葉……」
「受験生とか、高校生とか、年下とか、そういうんじゃなくて、大好きな瀧くんのことだけ見るから、だから瀧くんも、私のこと……私の全部を、見て」
そう言うや首元に抱きつかれる。ここまで来れば俺だってわかる。そんな彼女の想いを受け止めるように背中に腕を回せば、彼女は頬を寄せてくる。
「二人でなら……きっと大丈夫やよ」

一番欲しかった三葉の全てを、俺にくれるという。
二人、結ばれることが、今の自分たちに必要なことなんだって、彼女は信じてるから。

「ちゃんと私が生きてるって感じて。そうすれば、私も自分が生きてるって、瀧くんと結ばれるために生きてるんだって、信じられると思うから……」

そうだ、三葉自身も、彗星の記憶に囚われて不安を感じていた。今だって本当は心の中で恐怖に震えている。

生と死。一度は二人を別ったあの出来事。だけど俺達は一緒に乗り越えた。
忘れてしまっても、想いがすれ違っても、それでもまた一緒に乗り越えた。
だったら、今度だって二人一緒なら……

それでも、心の準備がないままに、初めての行為に臨むことに不安を覚える。
そんな俺を見透かしたかのように、三葉は俺のワイシャツのボタンを一つずつ外していく。くすぐったい気持ちでただそれを受け入れていくと、最後のボタンが外された。
俺を見上げる彼女。促されるままに彼女の部屋着のパーカーに手を掛けてそれを脱がす。現れたのは三葉の白い素肌とピンク色のブラ。心臓が一気に動悸を早める。照れてその胸元を隠そうとする彼女を、俺は強引に腕の中へと絡め捕った。

腕の中の彼女、誰よりも大切な、かけがえのない存在(ひと)。
いつも繋いでいるような手だけじゃない、普段は触れられないような彼女の素肌が、体温が、直に伝わってきて、心臓が高鳴るのと同時に、理性では抗えない本能のようなものが俺を支配しかける。
だけど……
「本当に……いいんですか?」
受験中だからと俺を気遣ってくれていた三葉。今だって喪失感を感じて弱音を吐く俺を慰めるために、こうやって……
だったら、これはただの俺のわがままなんじゃ、そう思うと、今、彼女に手を出すのはいけないような気がして。だからもう一度問いかける。
「いいよ」
それでも、彼女は何の躊躇いもなく答えを示す。
「いつか瀧くん、言ったよね。『嫌なら嫌って言えばいい』って」
あの夏のケンカの時、彼女を試すように俺はそんなことを言ったことを思い出す。
「瀧くんが好きだから。今は本当にそう思ってるから……だから、嫌じゃ……ないよ」
「三……葉……」
「これ以上は言わせないで……恥ずかしい……から」
腕の中、羞恥で震える小さな肩。俺のためにどこまでも懸命な彼女が、愛しくて胸が締め付けられる。
喪失感とか、不確かな不安とか、そんなのは、もうどうだっていい。三葉はいる、目の前にいる。この腕の中にいる君の存在が俺にとっての全てだから!

俺は、三葉を抱きかかえて立ち上がる。
「ひゃっ!?た、瀧くん」
お姫様抱っこされて、驚いた表情で俺を見上げる三葉。
「俺……三葉としたい」
「うん……」
すぐ隣にあるベッドにゆっくり彼女を下ろす。上半身は下着姿のまま。彼女に似合うピンク色のブラに隠された二つのふくらみ。ついそれを目で追ってしまう。
そんな俺の視線に気がついたのか、三葉は頬を染めて手で胸元を覆う。その仕草に我慢できなくなって、彼女に覆いかぶさるように四つん這いでベッドに乗ると、さすがにシングルベッドに二人分は重かったのか、ギシッと軋んだ音が部屋に響いた。

「瀧くん、電気……」
眉尻を下げて、恥ずかしそうに三葉が呟く。
「消す?」
「ううん、瀧くんの顔みたいからオレンジ色にして」
「わかった」
一度ベッドを降りようとして、ふと気づく、そういえば俺の恰好……
「俺、走ってきたから、その汗とか……」
「ダメ……ここまで来て、待つのはイヤ」
いつもと少し違う、期待するようなその声に俺は唾を飲み込む。
「わかった」
彼女の部屋のスイッチを何度か押せば、常夜灯の光が部屋をオレンジ色へと染める。
「ふふっ」
「どうかした?」
再びベッドに戻れば、彼女が何かを思い出したように微笑んだ。
「カタワレ時みたいだなって……」
「……違いますよ」
「え?」
「俺は、ちゃんとここに居ます。三葉だってちゃんと……居る」
できるだけ力強く言葉を紡ぐと、彼女は少し安心したような表情になって手を伸ばしてくる。

*   *   *

「そうだね……もう目の前から居なくなったりしないもんね」
瀧くんの頬に手で触れる。彼は私の手に自分の手を重ねてくれた。
今はあの時とは違う。お互いに懸命に手を伸ばさなくても、ほら、こんなに近くに君は居てくれる。

「俺、初めてだから……優しくできない……と思う」
「私も初めてだから……気持ちよくさせてあげられないと……思う」
「いいよ、三葉の方が心配だから……痛かったら言って」
「うん。でも、もし上手くいかなくても、その時はやり直せばいいよ。私たち一緒に生きてるんだから。何度だってやり直せるよ」
撫でるように頬に触れていた私の手を彼が掴んで。その手のひらに一度唇を落とすと、自分の手のひらを重ねてくる。
どちらからともなく、指先が絡み合うように結びついて。私と彼の瞳が交わると引き寄せ合うように唇が交わる。

それが始まり。

自分を覆い隠すものが一つずつ無くなる度に、互いの肌が触れ合い、互いの温度が伝わってくる。
その都度、存在を確かめ合うように見つめ合えば、自然と唇が交わり、更にその奥へと存在を求め、混ざり合うような音が耳の奥に届く。
互いに抑え込むような声と、荒い息遣いだけが部屋に響く。
「ふ……あ……」
声の出し方もわからなくて。
わからないことだらけだけど、それでも彼に抱かれながら、大きな手が私に触れる度に、熱い唇が落とされる度に、甘い声が耳元で囁く度に、瀧くんの存在を全身に感じて、身体が熱くなっていく。瀧くんも私と同じくらい、ううん、もっと私を感じて欲しい、そう思いながら、彼の背中に腕を回した。

*   *   *

互いに生まれたままの姿になって、肌を重ねる。
身体全体で感じる彼女の温もりは、確かに彼女は傍にいてくれるのだと感じさせてくれて。
早鳴る鼓動が合わさる度に、互いの『生』を確かめ合う。
暗がりの中で届く声は、俺の存在に彼女が全身で応えてくれてるようだった。
今まで彼女の全てを見ていたつもりだったのに、まだこんなにも綺麗な姿を隠していて。
自分だけしか見ることができないその姿に、俺は身も心も熱くなっていた。

三葉の全てを強く求めるように触れて、口づけをして、想いを囁く。
彼女もまた俺を求めるように腕を回してくる。もっともっと強く抱きしめてと言わんばかりに。
だから、その想いに応えようと必死に。触れ合う肌と肌の境界線が曖昧になるほどに隙間なく、二人が一つになるかのように……

「た……き……」

俺の……名前。
ただ、君に名前を呼ばれただけだというのに、思わず想いが昂って目頭が熱くなる。
君の綺麗な黒髪を優しく撫でる。俺の好きな艶やかな黒髪。
今日初めて直に触れた君の胸は、柔らかくて、あったかくて、トクトク……と鼓動して。
白い素肌、華奢な身体、君の声、君の全て。

俺は……三葉が欲しい。

「みつ……は……」

「うん……」

泣きそうな声で応える彼女。
きっと三葉の想いも同じ。
……だって俺達は、世界で唯一の繋がりを持った存在だって思えたから。

「みつは……すきだよ」

「わたしも……たきくんが、すき……だいすき」

 

そうして

ふたり

ぎこちなくも、初めてひとつに結ばれた……

 



初めての行為に疲れ切ったのか、だけど、とても安心したように、彼女は寝息を立てている。
俺の腕の中、ぴったりとくっついた彼女の体温があったかくて、愛しくて、起こしては悪いな、と思いながらも彼女の額にキスをした。

彼女と結ばれた嬉しさと同時に、少しだけ後悔もある。
本当に、今で良かったのか、と。
俺はやっぱりまだガキで、彼女の優しさに甘えてしまっただけなんじゃないか、と。

だけど、さっきまで俺の心を締め付けていた喪失感は消え去っていた。彼女の想いが俺を満たしてくれたから。

みつは、三葉、君の名前は、三葉

もう二度と忘れることはない君の名前。だったら俺はいつまでも君に満たされ続ける。

だから、俺も。

今、俺は強く願っている。三葉とのこれからを、しっかり受け止めて生きていきたいと。
成長すること、勉強をすること、受験のこと、進学する意味。
ただ年上の彼女に追いつきたいってだけじゃなくて、色んなことを学んで、経験を積んで、少しでも大人になって、彼女を守っていきたい。彼女と歩んでいきたい。
俺はまだ高校生だから、青臭いガキの考えなのかもしれないけど……だけど、これが今の俺の正直な気持ち。

「三葉……愛してる」

愛なんて意味、本当はよくわかってないけど、それでも『すき』だけじゃこの想いは受けとめられないような気がするから。
だから、俺が今言える精一杯の言葉を、君に贈るよ……

*   *   *

夢を見る。

夢の中、浴衣姿の私は一人、糸守の原っぱで夜空を見上げている。
糸守の空を幻想的に流れるティアマト彗星。それは今まさに二つに分かれた。間もなく降り注ぐは『死』の象徴。

これは私にとって、もう一つの『真実』だから決して忘れることができないのだろうか。
この姿で瀧くんに会えなかった私は、夢の中ではただ『死』を迎えるしかないのだろうか。

――三葉

聞き覚えのあるその声に振り返る。

「なん……で……?」

とっても嬉しいはずなのに、ついそんな風に言ってしまった。
だって、君はあの日、私を知らなかったはずだから。

「なんでって、お前に会いに来たんだ。大変だったよ、お前すげえ遠くに居るから」
なんてことないって、しれっとそんな風に言って優しく微笑んでくれる。
ああ、そうだね。君はいつもそう。私がどこに居たって必ず見つけてくれるんだね……

「う……うっ……瀧……くんっ!」
制服姿の彼に駆け寄って思いきり抱きつくと、その胸元に泣き顔を押し付けた。
「お、おい!泣くなよ!っていうか……また、泣かせちゃったな」
瀧くんは、そんな泣き虫な私の髪を優しく撫でてくれる。
「これは、嬉し泣きやよ……」
「そっか」
「うん……」

暫く抱き合った後、二人、手を繋いで夜空を見上げる。空には分かれた彗星。間もなくそのカタワレがこの地めがけて落下する。

「どうするの?流石に二人で何とかできるとは思えんのやけど」
「簡単だろ?」
「へっ?」
瀧くんの言葉に思わず、間の抜けた声が出た。
「目、覚まそうぜ」
「目を覚ます!?」
「だって、これ『夢』だろ。だったら、目覚めればいいってことだろ?」
瀧くんの言葉に、思わず可笑しくなって声を出して笑ってしまう。
「あははっ!そうやね、これ、『夢』やもんね!」
「だろ?……それに、」
やけに真剣な眼差しになった瀧くんが手を伸ばし、私の髪を優しく撫でる。
「夢は目覚めればいつか消える。だから大丈夫。この記憶もいつか三葉から消えていくよ」
「瀧くん……」
「だけど、"俺"はいるから。これからもずっと。目が覚めたって、ずっと君の傍に」
「私も!!私だって瀧くんの傍にずっと居るよ!」
「ああ」
そうして二人、手を繋いで夜空を見上げる。
もう怖くない。だってこれは夢だもの。目覚めれば彼は目の前に居てくれるんだから!

さよなら、ティアマト彗星
そして、ありがとう
私たちを、結んでくれて……

 

 

 


朝、目が覚めると目の前に瀧くんが居た。

なんだ……夢か。

一人暮らしの自分の家に瀧くんが居る訳ない。ということは、これは夢な訳で。
目が覚めると隣で瀧くんが寝ている夢を見るなんて、我ながら面白い。でも夢ならばと、ここぞとばかりに瀧くんを間近で観察してみたくなった。

彼は何だかとても満足したように、健やかに眠っている。
ツンツンした髪に、凛々しい眉、目を閉じていてもわかる整った目鼻立ち。
何て言うか……私の彼はやっぱりカッコイイ♪

「よくできた夢やなぁ……」

そんな風に呟きながら、思わず笑ってしまう。私はどれだけ瀧くんのことが好きなんだろうって。夢の中でまで彼に会いたいなんて。

そんな風に思いながら、夢だというのに眠い目をこすりながらベッドから上半身を起き上げる。
「ん……?」
なんだか肌寒い。視線を下へと向ける。
「……えっ??」
じょ……上半身裸ぁ!?思わず自分の胸を腕で隠す。
「え?……ええぇぇ……」
"え"という単語しか出ないまま、ゆっくりと布団の中へと戻っていく私。

流石の私も目が覚めた。そうだ、これは夢じゃない。現実だ。昨日の夜、私、瀧くんと……
昨夜の出来事が否応なしにも思い出されて火照った顔を両手で抑えながら、しばらく悶える。

布団の中、ショーツ以外、何も身に纏っていない自分の体、それが隣で眠る瀧くんの身体……いや、彼の裸に触れていて。それがとっても恥ずかしくて、自分の服や下着が辺りにないか見回すと、ベッドの下にピンクのブラジャーを見つけた。彼を起さないように静かに布団から出ると、それを手に取りベッドの端に腰掛けながら身に着ける。
ふぅと少しだけ気も落ち着いて、彼の方へと振り向けば、瀧くんは目を閉じたまま私の組紐をその手に掴んで満足そうに微笑んでいた。

良かった……少しは瀧くんの力になれたかな?

そんな風に思えて。だけど、同時に少しだけ後悔もある。
瀧くんと結ばれたくて、私は彼の不安な気持ちを利用しただけなんじゃないだろうか、と。
瀧くんは強い人だから、もしかしたらこんなことしなくても乗り超えられたのかもしれないのに、それを私は……

目覚めた時間はまだ早くて、カーテン越しに届く光はまだ弱い。
「……これで良かったのかな」
まだ薄暗い部屋の中で小さく呟く。と、不意に後ろから抱き締められた。
「なんですか……それ」
「た、瀧くん、いつから起きて?」
「俺としたこと、後悔してるんですか?」
痛くはないけど、私のその言葉は許さないといったみたいに、抱き締める腕に力を込めてくる。
その少し怒ったような口調にちょっとだけ嬉しくなってしまった。だって瀧くんも、私と結ばれたことを後悔したくないって、そう思ってることが伝わってきたから。

彼の手にそっと自分の手を重ねて、瀧くんの顔が見たいな、と言えば、絡めていた腕を解いてくれる。腰かけていた状態からベッドの上に乗れば、正面には大好きな人。
「おはよう、瀧くん」
「おはよう……ございます」
「やっぱり、ちょっと恥ずかしいね」
「あ、はい……」
お互い身に着けているものは最小限で。互いに全てを見せ合ったとは言え、明るいところは恥ずかしくて、私は毛先を、瀧くんは首の後ろに触れていた。

「お布団入ってもええかな?」
「あ、ああ……そうっすね」
もう一度、二人並んでベッドの中で横になって布団をかぶる。
間近に見る瀧くんの顔、朝、目覚めた時に、大好きな人が居るってことは、こんなにも嬉しいものなんだね……
「大丈夫?痛く……ない?」
心配そうに私を気遣う彼の言葉。
「昨日の夜も言ったでしょ。大丈夫やよ、瀧くん、優しくしてくれたから」
「だといいんですけど……」
「瀧くんは?」
「え?」
「もう、不安はない?」
その言葉に瀧くんは探るように私の手を掴むとギュゥと握り締めてくる。
「はい、三葉が傍に居るから」
「良かったぁ」
思わず安堵の息が漏れる。
「三葉は?もう……怖くない?」
「ふふっ、瀧くんが居てくれたから、怖い夢はどっかに行っちゃった」
「そっか……良かった」

二人、互いに互いを心配し合って、クスクスと笑い合う。

と、瀧くんが真剣な顔をして、私の身体を抱き寄せる。互いの吐息が触れるような距離で彼は言う。
「俺、本当は、三葉の優しさに甘えただけなんじゃないかって少し後悔しましたけど、今は後悔してません」
「私もやよ。瀧くんが心から私を求めてくれたって思っとる。後悔なんかしとらんよ」
そうして、互いの言葉を、想いを確かめ合うように唇を重ねる。初めての朝の口づけは今までにない甘やかな感じがした。

唇が離れても二人の距離は離れないまま。

「ねえ、瀧くん」
「ん?」
「もうすこしだけでいいから……」
「くっついていようか?」
「うん」


*   *   *


「ごめん……瀧くん」
「だから、もういいって、俺だって寝坊したんだし」
あれから二人は二度寝してしまい、起きたら朝の九時を回っていた。

「ああっ、もう瀧くんのお父さんに申し訳ないんやさ」
「なんで俺の親父??」
「瀧くん、受験生やのに遅刻させてしまったから」
「今日はいいんだよっ!!ちゃんと午後から登校しますから!」
「うぅ……」

一人暮らしの小さなキッチン、二人並んで料理をする。
三葉は、瀧に座って待ってて、と言ったけど、瀧も三葉のために何か作りたいと、互いに譲らず、だったらと一緒に作り始めた。

三葉は、ご飯を炊いて、実家から送られてきた自家製味噌で豆腐のお味噌汁を。
瀧は、フライパンを使ってプレーンオムレツを。

テーブルに並んだ簡単な料理。だけど、初めて二人で一緒に食べる朝ごはん。
向かい合って座って、顔を合わせると何だか気恥ずかしくなって、お互い照れ笑いになってしまう。
「それじゃ……瀧くん、いただきます」
「俺も、いただきます」
両手を合わせて、早速、料理を口にする。
「瀧くん、このオムレツ美味しい♪」
「三葉の味噌汁も美味いな……」

それは、きっと二人一緒だから。

「なあ、三葉」
「なあに?」
「いつかさ、毎日こうやって一緒にご飯食べれるといいよな」
「え?あ、それって……」
「……俺、頑張りますから」
「うん……そうやね。いつか、きっと」

そう、それは夢なんかじゃない。二人で一緒に描く未来予想図……